2025年7月24日木曜日

水と共に生きる者 ―Living with Water

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican (Pelecanus Philippensis), Oct. ’24
今回は昨年起こった大水害の原因について考えると前便で予告していたが、水害から半年後、さらに強大で広範囲に及ぶ自然災害、大地震が起こってしまった。

今は人と人とが争っている場合ではないんだと、この場でも再三言ってきて、それを分かっている人は、それぞれの場でそれぞれの言葉で訴えている。

…………

「ミャンマー命ネット」-戦争とゴジラ-20241129日掲載)より

「人類が一致団結して立ち向かうべき相手は災害なのだ。地球が大変動を始めた今だからこそ、なおさらに。」

https://note.com/inochimyanmar/n/n07ac7d418136

…………

けれども、ミャンマーウォッチャーの多くは、いかにして敵軍を倒すかということにしか興味がないのか、これらの声はほとんど届いてそうにない。

この度の地震で思い知らされたのは、国内の政治的混乱や外交関係の脆弱さが、いかに救助救援や復興の妨げになるかということだ。

現在、暫定軍事政権が優勢な地域と反軍政勢力が優勢な地域との間にはお互いの防衛線があり、そこを自由に行き来することは困難だが、人道的目的であっても例外とはならず、広域な支援活動の妨げになっている。

反軍政が優勢な地域内の実態についてはなかなか伝わってこないが、おそらく、町場からずっと離れた農村や、さらに奥地に暮らす樵や炭焼き職人やゾウ使いなどの集落には、あまり大きな被害は出ていないと思う。

元々、電気水道ガスなどのインフラは使っていないし、彼らの住む竹材を中心とする伝統的家屋だと、たとえ屋根や壁が崩れたとしても圧死するようなものではない。

中途半端に近代化しているほうが、むしろ地震には弱い。

田舎町や大きめの村で、それなりに豊かになった者が好んで建てる重いレンガ積みの建物だと、崩れるリスクも人を傷つけるリスクも伝統家屋に比べてはるかに高くなる。

さらに都市部では、強い揺れには最も弱いタイプの大型集合住宅が近年多く建てられている。

それは、一階部分を壁のない支柱だけの駐車スペースにして、その上に鉄筋プラスレンガの巨大なキューブ状の建家が乗っかった頭でっかちのビルである。

上からの荷重を考慮したなら、建物全体の形が凸型に近いほど当然安定するが、地上階に駐車場スペースを取った頭でっかちビルだと、凸型を上下逆さまにして連ねたようなもので、数本の柱に全荷重がかかってしまうため、当然、土台が一番が壊れやすくなる。省スペースや経費節減などの効率を優先して安全性を後回しにした設計だ。

このように、日本と異なり都市部と田舎では建物もインフラもぜんぜん違うミャンマーでは、都市部から支援と復興を進めていくというのは間違ってはいない。

今回の場合、被災地の中で最大都市であるマンダレーでの救援活動の様子は伝わってくるが、同等の揺れを受けたであろうサガイン管区南部の小都市、サガインやモンユワの被害状況が気になるところだ。

地方に多い簡素な伝統的家屋の場合、逆に襲われたならひとたまりもないのは、土砂崩れや土石流、洪水や高波津波のほうである。

震災に対しては、今はまだ救援に全力を注ぐ段階なので、原因やここまでの過程を検証するのは後回しでもいいが、発災後10ヶ月が経過した水害については、雨期に突入している今こそ検証しておきたい。

水の問題に触れるあたり、まずは、水を我がものとして利用し、タフに生き続けている者たちのことを語らずにはいられない。ここ数年追っている彼らの近況を報告しておきます。

コロナ禍+クーデター以前に比べ、ヤンゴン国際空港から入って活動できる範囲は一気に狭まってしまったが、水の三賢者たちの生息地は、たまたままだ入域可能な状況にあった。

彼らとの再会の模様は、2023822日から三編に分けてこの場で紹介している。

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/1kingdom-of-water-part-1.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/2kingdom-of-water-part-2.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/3kingdom-of-water-part-3.html

その後も、希望虚しく争乱が沈静化することはなく、行ける範囲もさらに狭まってきているのだが、せめてその中でも自然や動植物がどういう状況にあるのか、季節を変えて訪問しては観察を続けており、彼らのことも記録していた。

まずは一つ目の水の賢者。湿地の上に小山のような巣を造り、お掘りのごとく周囲を水で防御しつつ卵から雛まで育て、湿地に生息するカニなどの小動物を食らって生きているオオヅル(Grus antigone)。

2024年の雨期が明けて間もない時期に彼らの消息を辿ってみた。

これまでの観察では、彼らが最も大規模に集まる場所は、純粋な天然の湿原ではなく、人の手が加わる水田地帯であった。

その、オオヅルが集まる水田というのは、四角く用地を区切って真っすぐのコンクリート製用水路で囲ったような日本式の人工的な水田ではなく、元々雨期には湿地になっていた地形をそのまま利用して稲を植えているような状態である。

その湿地の一角にオオヅルは巣を作るのだが、その土地の人々は、わざわざその巣をぶっ壊してまで稲を植えようとはしておらず、それは、どっかの団体や役所が指導したわけではなく、昔からそういう間柄だったようだ。

逆に、水が干上がる乾期にまで餌を与えてツルをその場に引き止めようなどとすることもなく、その地域では、必要以上に干渉することのない隣人として景色の一つのようになっているのだった。

他の地域ではほとんど姿を消しているにもかかわらず、特別なことは何もしていないのだ。

訪れた10月後半は、一部で刈り取りも始まっていたが、ほとんどの土地は、最長級に伸びきった稲穂に覆われていた。地面は、湿っているところも乾いているところもありそうだ。

その前年の12月には、刈り取りが終わってむき出しになっている乾いた土の上を歩くツルの姿を少数見ることができたが、もしかしたら、立錐の余地もないほどに密生した稲穂の海は、背の高いツルにとっても歩きづらいのかもしれない。

結局一日目は、一羽も発見することはできなかった。

その夜、宿を取った田舎町のホテルの部屋は、周りの住宅の屋根から頭一つ抜けており、窓から望む彼方の雲間には、音も届かぬ遠雷が繰り返し瞬いていた。

Oct. ’24
一期一会の床にも慣れ、深い眠りに落ちた頃、天ぷら油が細かく弾くような音がザワザワと近づいてきた。母親が立つ炊事場からか夢の彼方からか…

間もなく、油の煮えたぎる音が耳元に近づき、寝た子を起こす騒音となって聴覚を支配した。布のカーテンを捲ってみると、外では豪雨のカーテンが町をすっぽり覆っていた。

二度目の眠りから覚め、サービスの朝食が始まる前には支度を済ませ、イートアンドゴーでホテルを飛びした。相棒は、ツルの捜索ではいつも使っているなじみの運転手とカローラフィールダー。

未明のうちに降りきったようで、濡れた路面を残して雨は上がっていた。10月頃は、雨雲と太陽が綱引きをするような日々が続くのだ。

いつも観察しているツルの生息地からはまだ10キロ以上も手前で、それは唐突に現れた。

舗装された幹線道路から300メートルぐらい離れた野原に立つ二つに異物を二人の目は見逃さなかった。脳が捜索モードになってなければ高速走行中の車内から気付くことは難しいが、町から郊外に出た時点で既にスイッチは入っていた。

そこは、水田にも畑にも使ってなさそうな草むらで、未明の大雨で再び地面に水が溜まって湿原に戻っているようだった。

時刻は午前8時前、雌雄のカップルのようだが、もう食事は済ませているのか、歩き回ることなくその場に佇み、羽繕いなどをしつつ過ごしていた。

オオヅル
Sarus Crane (Grus antigone), Oct. ’24
ひとしきり観察して撮影をして、必要以上に距離を詰めることはせず、その場を後にした。

いつもの水田地帯に入ってからも、昨日同様、ツルの姿はなかなか見つからなかったが、これまた唐突に現れた。

今度は6羽の一群だ。すべて頭の赤い成鳥である。

Oct. ’24
こちらも道からは数百メートル離れていたが、下は草むらではなく田んぼのようだ。

けれどもやはり、実った丈の高い稲むらではなく、長い脚が見え隠れする程度の低い茂みの中にいた。遅れて植えられた稲むらなのか、一度刈り取った後の二番穂の稲むらなのかは分からない。

やはり、未明の大雨で水浸しになった場所を目指して出てきたのかもしれない。


Oct. ’24
その後は、大きな湿地の脇に単独で佇む1羽を見たのみで、豪雨明けのその日に観察できたのは、この三組のみだった。

その約5ヶ月後の今年の3月にその地を再び通った際は、土地は完全に乾ききっていて、何にも使われていない空き地とヒマワリなどの畑と稲の田んぼが混在している状態で、ツルは1羽も見つけることができなかった。

伝統的な農法では、刈り取りを終えた田んぼには、大量の水は必要としない別の作物を植える、いわゆる二毛作が中心だった。

けれども、最近では、政府は米の二期作を奨励しており、一期目を雨稲、二期目を夏稲と称している。夏稲を作るのは乾期の真っ只中で、乾期後半の暑季に刈り取りを行う。

ある農民は、雨期の後に刈り取りをした土地は、地面が割れるまでいったん乾かして病原菌を駆除したいのだが、今はそれもさせずに二期作目を植えさせられると、ぼやいていた。

元手のかからない天然の除菌をやらないために、後日農薬の散布が必要になってくる…なんか、近代化の奨励が現場の首を絞めてはいないか?

特に、多くの谷を水没させて灌漑用のダムを建設したバゴー山地の東西の麓で二期作は盛んだが、このツルのいる平坦な下流地域ではダムを作ることはできない。

そこで、海水が入り込む0メートル地帯は除いて、年じゅう水が絶えることのない天然の水路からポンプで水を汲み上げて、力技で夏稲を栽培させているようである。

ツルはおそらく、乾期の間でも夜は水に守られた環境で就寝しているだろうと私はみている。ある者は大きめの河原の湿原で休み、ある者は、より多くの水を求めて内陸の湿原に移動しているかもしれない。

つまり、子育てをする雨期にはお気に入りの水田地帯に集まり、乾燥が始まると、それぞれの家族が具合のいい水を求めて分散するというような広域の移動をルーティーンとしているのではないだろうか。

いずれにしても、人の営みの傍らで生き続けてきた彼らは、農業の形態が変化しても臨機応変に適応してくれるものと私は願っている。

あれよあれよと言う間に消えていった日本のトキやコウノトリやタンチョウたち。

餌付けでも人工の巣でも何でもやって人の補助なくしては生きられないところまで隣人を追い詰めてしまった農政の転換、ミャンマーではノーサンキューと願いたい。

次に追った水の賢者は、二年前には最も苦戦した謎の風来坊、ホシバシペリカン (Pelecanus philippensis)

これまで、雨期の真っ只中で居着いている数羽と、雨期の序盤に飛来してきたばかりの数羽に会うことができたが、今回は、水が引くとどこへともなく消えると言われている雨期と乾期の移行期の状態を確認すべく、10月下旬の訪問を計画した。

出発予定日の二日ぐらい前から、ヤンゴンでは大粒の雨が降りだした。

10月だと、止むのを待っていたりしてたら予定通りに事は運ばない。雨に降られるのは覚悟の上だ。

それにしても、雨脚が弱まる気配はなく、これは、私の中で区分しているところの三つの雨のうちで一番たちの悪いタイプ、モンダイン(超低気圧)の雨ではなかろうかと思えてきた。

https://onishingo.blogspot.com/2018/10/5-exploring-myanmar-nature-part-5.html

そこで、世界の風の流れをライブで可視化しているサイトで確認してみると、案の定、ヤンゴンの南のアンダマン海海上に、大きな風の渦ができていた。

風速こそサイクロンと認められる勢力には達してないが、沖に居座ったその渦は、濃密な雨雲を次々に産みだし、ミャンマー南部に送り込み続けた。

そしてとうとうあちこちの道路が冠水し始め、郊外に出ることすら難しくなり、予定変更を余儀なくされた。

たちは悪くとも渦の動向さえ追っていれば予測はつく。ペリカンが去りはしないか気が気ではなかったが、私は開き直って、低気圧が遠ざかるか消滅するのを待った。

結果、人身の被害はあまりなかったようで安堵したが、多くの水力発電所の施設を水没させて低気圧は消滅し、その後長く続くこととなる計画停電の原因となった。

雨脚がトーンダウンするのに合わせて出発を決め、やっと現地入りしたところ、ペリカンたちは相変わらず保護区となっている大池には寄り付かず、すぐ隣にある雨期にのみ出現する天然の湿地のほうで目撃されているとのことだった。

保護区の大池の片隅には宿泊や飲食のできる民間施設があり、環境に配慮した親水設計で、周りは樹木に取り囲まれ、野鳥の休息地にもなっている。

その目の前に広がる浅くて広大な大池は、三方を囲む長大な土手によって雨水が溜まったもので、一年じゅう水をたたえている。

一方、保護区にはなっていない隣の湿地のほうは、雨期で水かさが増すと小型のエンジンボートでも巡れる大池のようになり、しばらく漁場となる。そして、雨期が終わって水位が下がってきたら、稲を植えて水田にするという独特の半農半漁の場となっており、水位は自然任せである。

その、雨期にのみ現れる言わば幻の大池がある間に、どこからともなく数羽のペリカンがやって来て、水が引くとともに姿を消すのである。

10月に入ってから、その幻の大池の水位は下がり続け、もう漁場から水田に転換してもいいような状態になっていたのだが、数日前からの大雨で再び水位が上昇したとのことだった。

その分、ボートで行ける範囲は広がり、探索には都合よくなっていた。

水上で出会った人に尋ねてみると、今年は見ていないとか、数羽見たけど最近は見ていないとか、芳しい答えは返ってこず、一日目は生息の手がかりなく終わった。

毎年情報を収集している保護区事務所ですら、一度に10羽以上記録したことはなく、そもそも飛来数自体が少ないのだ。

二日目、水上を行く足は前日と同じ半農半漁の村のおじさんのエンジン付の小舟だが、おじさんは、ペリカン見えなくてもいいの?と言いたげな雰囲気で乗り気ではなかった。

たとえ見えなくても使った分は払うからと安心させ、幻の大池に再び漕ぎ出してもらった。

水はまだ減っておらず、舟があまりにも小さいというのもあって、かなり広域に回れそうだ。

北上した昨日とは違って、小舟は太陽を背にして西に舳先を向けた。

行く手にターゲットが現れたなら、ちょうど順光になるので写真を撮るには好都合な方角だ。おじさんはそれを知ってか知らずか。

はるか前方に、何やら白いものが並んでいる。

尺度になるものがないだだっ広い平らな水上で、遠方のものの大きさを推測するのは難しいのだが、私の感覚では人間ぐらいのものが並んでいるように見えてしまっている。

この環境にいる人間サイズのものと言えば、もし生き物だとしたら、最有力候補はペリカンだが、やけに白い。午前の日差しの反射があるにしても、ホシバシペリカンにしては白すぎる。なんか、大量のビニールを使う独特の漁法か水上農法の準備でもしているのかもしれない。

念のため減速してもらって徐々に距離を詰めると、徐々に輪郭がはっきりとしてきた。

間違いない、生き物だ、大きな鳥だ。

それにしても、ターゲットにしては白すぎるし数が多すぎる。

けれども、生き物と分かった以上、まずは怖がらせない距離感でエンジンを切って停止してもらった。

ここで望遠レンズの出番。ゆらゆら揺れる画面をなんとか止めてピントを合わせると、やはり水上の巨鳥、ペリカンだった。

ほとんどの個体が、私がこれまでここで見たこともないような純白に近い白い羽毛に覆われているが、その中に、くすんだ灰褐色の見慣れた色味の個体も混じっている。

一瞬、別種が飛来してきたのかとも思ったが、なるほど、だいたい謎が解けた。

これまでこの幻の大池に飛来していた灰褐色の個体は、巣立って間もない若鳥たちの小群で、彼らの仮の居場所になっていたんだ。

そして、今回現れた白いのが、成熟したホシバシペリカン本来の色だったんだ。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican (Pelecanus Philippensis), Oct. ’24
各地に散らばって繁殖を終えた成鳥たちは、乾期が近づくと年じゅう水をたたえる水量十分の湖などに移動するのが本来のルートだったのが、アンダマン海に低気圧が発生したことで、どういう風の吹き回しか、予定を変更して、この幻の大池に集結したようだ。

彼らの脳内地図にある目ぼしい水場をチェックしつつ移動ルートを飛行してきて、この幻の大池に差しかかったところ、いつものこの時期なら、もうすぐ泳げなくなり魚介も捕れなくなる状態なんだけど、一転、まだまだここで食えそうじゃん、と。

Oct. ’24
もしかしたら、集結した個体は若鳥の頃にここで雨期を過ごしたことがある者たちで、長雨が続いたことから水位の上昇を見込んで、ピンポイントにここを目指して来たのかもしれない。

Oct. ’24
一枚の写真に収まった大きな群れには26羽が確認できたが、たまたま一団から離れている者もいるだろうから、池全域では30羽以上は集まっているかもしれない。

Oct. ’24
いずれにしても、ここでは前例のなかった二桁の集結だったので、話だけではなかなか信じてもらえなかったが、後日保護区事務所に群れの写真を提供したところ、貴重な記録だと喜ばれた。

Oct. ’24
ラストの水の賢者は、汽水域最強のプレデター(捕食者)、イリエワニ(Crocodylus porosus)

早朝、船着き場近くの屋台の麺屋で食べていると、店主のおばさんが声をかけてきた。「森に行くのか?」「えっ…そうそう」。

ミャンマーの人は挨拶として、どこへ行くのかとかご飯は食べたかとか、相手の状況を尋ねることがよくある。

その中で、田舎だと「畑に行くのか」とか、さらに「森に行くのか」もよく尋ねられる定型文だが、それは「山に仕事に行くのか」みたいなニュアンスで、状況としては、たいてい上のほうを目指している時である。

ところが、デルタ地帯では、多くの土地が開墾されて農地となっており、森がまとまって残っているのは、より河口に近いマングローブの保護地域と植林地域になってくる。

なので、基点となるその町からは船で下って行かなければならないのである。

森に行くイコール下に下るというのは、他の地域とは逆の感覚で、現在のデルタの状況を現していて興味深かった。

すれ違う上りの船は、船室まで浸水するのではないかと思えるほど船体が沈んでいるが、積み荷の多くは刈り取られた米で、町の精米工場にせっせと運び込んでいるのだった。

水田は、かなり海に近いところまで拡大しているのだ。

目的地の広大な平らな島は、長い年月をかけて中洲がそのまま陸地化したもので、島内には両岸にマングローブの森が迫る大小の水路が入り組んでいる。

ターゲットを発見できる確率が一番高いのは、水位が下がって泥の岸辺が幅広く水上に顔を出している時である。

ペリカンと同じく、ここの観察でも水位が大事なのだが、前述の幻の大池の水位が季節によって変化するのに対し、マングローブの島では、雨期と乾期の河の流量の差ではなく、一日二回の満潮と干潮によって水位が変化する。

つまり、あたりは既に海の領域で、そこに河の真水が混じっている状態で、それこそが汽水域である。

今回の日程は、島に着いた時点でまだ泥の岸辺が顔を出しているように、朝に干潮が来る月齢を予め調べておいてから決めたのだった。

島まで辿り着いたなら、小規模な漁をやっている漁師らを見かけては、奴らを見なかったかと声をかけて情報収集しつつ、出会いの可能性が高そうな水路を巡ってゆく。

その漁師らは、ルールを守ることを条件に保護地域内での活動を認められているのだが、入り組んだすべての水路への進入者全員を監視することは不可能で、小規模な新たな伐採の跡は相変わらず見られる。ルールを守らない者も侵入しているのだ。

たとえ小さなパッチ状の抜けでも、その数が増えていけば、大きなハゲ山に匹敵してしまう。

昨年4月の乾期末期にあたる暑季には、島内で火事が発生し、民間主導で植えた植林地を中心に約500エーカー(約202ヘクタール)が焼失してしまったが、これも、無断侵入者の焚き火などの不始末が原因ではないかと疑われている。

政治の混乱による財政難や支援の凍結は、最前線での活動を制限してしまい、自然環境の維持や野生生物の生存に確実に影響している。

水路は、霧の朝には対岸が見えないほど幅広いものから手漕ぎの小舟でしか入れないような狭いものまであるが、大きな水路に大きな生き物がいるというわけではないので、時間の許す限り、全長約9メートルのエンジンボートで行けるところまで行くことにする。

自然にできた水路は、まさにヘビのように蛇行しているが、遡っていくと、幅が狭まるにつれて、より短いピッチで曲がりくねってきて、先のほうまで見通すのがだんだん難しくなってくる。

それは、次の角の向こうには何がいるか分からないという状態が連続するということで、片時も気を抜くことはできない。

漁師の目撃情報もなく足や尻尾の擦り跡も発見できないまま虚しい航行が続く中、クライマックスは唐突に訪れた。

数十メートル前方左の岸辺の泥の上に倒木のような物体が、ドテッ、ベタッと横たわっている。イリエワニだ。

既に目前まで来ているので船頭さんはただちにエンジンを切ったが、船にブレーキはないので船体はそのまま流れ進み、ワニの鼻先を通過する。

“パチパチパチ”。流れる沈黙の船体の上からもシャッターは切り続け、ターゲットを数十メートル後方に置き去りにして船はやっと停止した。

静かに船体を岸辺の木陰に寄せ、まずは十分に距離を置いたまま、じっくりと観察と撮影を始める。

そして、行けそうなら、エンジンを止めたまま竿さばきだけで再びワニとの距離をじりじりと詰めていくという段取りである。

イリエワニ
Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus), Mar. ’25
撮影に十分な距離にまで縮まったなら、邪魔はしないよという風情で停泊して、しばらくワニと同じ空間を共有するのだが、我々を煙たがってワニが水中に姿を没することもあれば、十分に撮った後、我々のほうが先に去ることもある。

Mar. ’25
翌日も、足+尻尾跡も見つからず情報もないままの巡航が数時間続いたが、角を曲がった先の岸辺にいきなり現れた。

前日よりもさらに狭くさらに曲がった水路でさらに唐突で、ワニの姿が現れたときには既に10メートルを切る至近距離だった。

左手に家が建っている直角の角を左折したら、そこに歩行者が立っていたというような状況だ。ワニが立ってるところは、さすがに見たことないが。

Mar. ’25
それでも、20メートルほどの距離を置いて静かに停泊する我々を煙たがることなく、じっと目を閉じたまま微動だにせず、鼻と口が水没するほど潮が満ちるまで甲羅干しを楽しんでいた。

Mar. ’25
この2頭との出会いは、とても意義深いものだった。

どちらも、目測15フィート(約457センチ)超の成熟した個体だったのだ。

保護官の間では、どれぐらいでかいかの目安として15フィートというのはよく使う数字で、3メートルクラスだとゴロゴロいるが、4メートル台後半になると、世界最大になるイリエワニと言えども、ぐっと数が減ってくるのだ。

保護官や地元の漁師の目測の正確さについては、私は実体験を通して信頼している。

https://onishingo.blogspot.com/2012/05/62-rushed-six-meter-thing-part-2.html

それに、対比するものがなくても、外見から成熟度を推測することもできる。

まず、体の大きさに対する目の大きさの比率が、大人と子供では丸っきり違う。

多くの動物で言えることだが、生まれたときから眼球はある程度大きいので、何十倍も大きくなる体全体とは違って、目はそれほどの倍率では大きくならない。

なので、見ての通り、赤ちゃんワニと大ワニでは、頭に占める目の比率がぜんぜん違うのだ。

Oct. '19
Mar. '25
さらに顎でも。人間でも上下の顎の長さの比率は人様々で、さんまさんタイプもいれば猪木さんタイプもいる。

それが、もともと長くて平たい顎を持つワニ界のさんまさんや私のタイプだと、上顎に隠された下顎前方の牙の先端が上顎を内側から穿(うが)ち、貫通することもあるのだ。

今回見たうちの1頭は、下顎の2本の牙が上顎の外まで突き抜けていた。歳を重ねている証拠だ。

下の2本の牙が上顎を突き抜いている
Lower two fangs pierce the upper jaw, Mar. ’25
下の2本の牙が上顎の前に出ているタイプ
Its l
ower two fangs stand out of the upper jaw, Feb. ’17
今回で、コロナ禍以降にワニ生息地を訪ねたのは4度目になるが、チラ見も含めて合計9頭を目撃することができ、2メートルクラスから、今回やっと4メートル超の個体の全身が見られたことで、クーデターの後に聞かされていた、デルタに残っているワニは密猟されてもう終わりだというのは、根も葉もない噂だったということを確信した。

あとは、繁殖を確認したいのだが、孵化して間もない数十センチの子ワニを見つけるには、夜間に漕ぎ出す必要がある。

現在、治安が不安定なことから、夜間の島への航行は許可されていない。

以上、水の三賢者は、水の環境にうまく適応して生きながらえていたが、人間にとっては、水をどう治めるかは永遠に探求しなければならない課題である。

社会構造が近代化すればするほど、より大きな被害をもたらす天からの試練のようにも思える。

20249月にベトナム北部に上陸した台風ヤギ(11号)は、ミャンマーには風の被害はほとんど与えなかったものの、とてつもなく大量の雨を降らせた。

ちなみに、台風ヤギは、北太平洋西部で発生してインドシナ半島で熱帯低気圧になったので、英語でもTyphoon Yagiと呼び、Hurricane(ハリケーン)ともCyclone(サイクロン)とも訳せない。

タイフーンとハリケーンとサイクロンは同じ現象で、所在地のみで呼び分けられる。

ミャンマーだと、太平洋側から来るのがタイフーンで、インド洋側から来るのがサイクロンである。そして、ビルマ語では、どちらもモンダインと呼ぶ。

台風ヤギによる雨が特に多く降ったのは、ベトナム北部により近い国土の東側を占めるシャン州だった。

シャン州の年間降水量は、2014年から2023年の平均値で、ヤンゴンが2,648ミリなのに対し、北部のラーショーで1,243ミリ、西部のタウンジーで1,400ミリ、東部のチャイントンで1,133ミリと、ミャンマーでは決して多いほうではない。

けれども、短期間の集中豪雨は、今やどこでも起こり得る。

台風ヤギによる被害が特に大きかったのは、広大なシャン台地(Shan Plateau)の西の縁に近いタウンジーから、台地を下った麓のマンダレー管区内とネピドー領内の中央平地にかけてであった。

とてつもない集中豪雨により急斜面の一部が崩れ、大量の土砂と水が集まった濁流が河川の両岸を削りながら台地から流れ下り、平地では河川敷のキャパをはるかに超えて氾濫し、洪水となった。

私がその現場を通ったのは、発災から1ヶ月後のことだったが、以前から危うさは感じていた。

シャン台地の大部分は標高千メートルを越えているが起伏がなだらかなため、高地にいることを忘れてしまいそうで、プラス千メートルの土台に乗っかった平地といった感じである。

なので、その台地上に数百メートルほど盛り上がった小高い山でも、海抜では2千メートルを越えてたりする。

土地がなだらかなため、シャン台地では農業が盛んで、せり上がった山塊の急斜面を除く台地の大部分は農地に覆われている。

アスファルトでもコンクリートでもなく、一面の土の上を植物が覆っているのだから、純ではなくとも準自然な状態で、人にとって、農地は安全で健康的な環境に思える。

けれども私から見れば、あまりにも森がなさすぎる、シャン台地には。


典型的なシャン台地の風景
Typical Shan Plateau view, Jul. ’24
同じ植物から成り立っているものであっても、農地と林地ではまるっきり違う。似て非なるものだ。

林地には天然のものと人工のものがあるが、人工林であっても、伐採収穫の年以外は、いろいろな樹齢段階の樹木が継続して育っている。

一方農地では、栽培の主流である一年生の作物だと、毎年収穫して農地を裸地に戻し、再び耕して作物を植えるというサイクルを繰り返す。

つまり、林地では通年樹木が地面を覆っているのに対し、農地では毎年地面がむき出しの裸になっている期間があるのだ。

典型的なシャン台地の農地
Typical farmland in Shan Plateau, Jul. ’24
その差は何に現れるかと言うと、まず、農地は大きな動物の恒久的な生息地にはなれないであろうことは容易に想像がつく。

そして、土が常に植物の根っ子で掴まれている状態と再々裸になる状態という差は、土地の安定や水の保持に大差となって現れる。

それこそが危うさの正体で、裸の土地では、大量の雨が降ると地表面を雨水が滑り、同時に表土も流されていく。

木陰で雨宿りした経験は誰もがあるだろうが、外にいるより濡れにくいということは、大量の枝葉が、雨水が地面まで到達するのに時間差を付けてくれているということだ。直接雨滴が地面を叩かないことで、表土が流れ出すことも緩めてくれる。

さらに地下に張り巡らされた根系は、浸透した水をスポンジのようにしばらく蓄えている。

よって、森に覆われた土地は裸の土地に比べて流れ出す水の量を制御してくれており、緑のダムとなっているわけだ。

農地だと、裸地の期間はもちろん、作物が育っている間でも、保水能力や土を保持する能力は、林地ほど期待はできない。

せめて、多年生の果樹園であれば、それぞれの果樹は樹木そのものなので、森に近い治水効果が期待できるのだが。

この度の水害は、なだらかな台地上の水が集まって急斜面の台地の縁を流れ下っている川沿いで多発している。

シャン台地山麓の一角
Around the foot of Shan Plateau, Oct. ’24
周囲を観察すると、森に覆われている山肌でも土砂崩れの跡はあったため、台地に林地がしっかりあったら被害は防げたとまでは言わないが、もっと森に覆われていたなら雨水の下降に時間差が付き、その台地の水を集めて下る川の増水速度を緩和できたのではないか、結果として鉄砲水の発生をいくらか抑えられ、数百人もの命を奪った土石流や洪水の発生頻度と規模を少しでも減らせたのではないかと思うのである。

シャン台地西縁の一角
Around the western edge of Shan Plateau, Oct. ’24
現在のシャン台地の農耕地では、畑の周りを樹木が並木状に疎らに取り囲んでいる程度だが、その将棋盤のような模様を、例えばカーレースのチェッカーフラッグのようにして、明るい農地の隣には必ず黒々とした林地があり、農地と林地で土地を半々に分け合うぐらいにすれば、保水力と土壌保持能力はバク上がりするはずだ。

この度水害に遭ったシャン台地西部では、森林占有率50%の土地を目指して、現存する天然林は極力残した上で半恒久的な林地の拡大を勧めたい。

根っからの農民である地元の人たちが木材の生産に興味がないのなら、せめて果樹園の面積を増やすことからでも始めてほしく、私もアグロフォレストリーのスタイルを導入した林地の維持拡大トライアルに協力しているところである。

2008年にサイクロン・ナルギスがエヤワディーデルタを襲った際は、事後の検証でマングローブの防波効果が再評価された。

昨年の水害では、因果関係を立証することはより難しいかもしれないが、治水対策における森林の存在意義には、もっと注目をするべきだろう。

そして今年の震災では、地方での状況が明らかになってくるにつれ、伝統的な家屋や生来のミニマリスト的な質素な生活様式が見直されてくるかもしれない。

作っては壊し、壊しては作り、そして経済が回ってゆく。そんな幻想を、大変動期を迎えた地球は真っ向から打ち砕くだろう。

今、人類の生存そのものを脅かす強大な宿敵となっているのは、怒り始めた地球が次々に繰り出してくる未曾有の自然災害や未知の病原菌である。人間同士が戦っている場合ではない。

決して大袈裟に脅かしているのではない。なぜ現実にあるこの地球の危機を理解してもらえないのか、人々の目がそちらに向かない現状にはイライラが募る一方である。

もういい加減に止めましょう。

Stop wars! No more violence!

Oct. ’24

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