2023年8月26日土曜日

水の王国、その3. ―Kingdom of water, part 3.

Jul. ’23
この雨季の間に、ぜひ会っておきたいと願うターゲットがもう一つ残っている。

そいつは、例年7月中旬頃にどこからともなく現れて、お気に入りのその場にしばらく居続ける。

私は現地の友人に打診し、そいつが現れたら電話をよこしてくれるようお願いしていた。

ところが、7月中旬になっても目撃例はなく、訪問の日取りを決められないでいた。友人曰く、今年は水位の上昇が遅れていて、それで到来も遅れているのではないかとのことだった。

確かに、7月に入ってからは、スコール性の雨は降るものの、モンスーンの勢いは弱まっている印象があり、ヤンゴンでも日差しが数時間続いて湿度が80%を割る日もあった。かなり稀なことだ。

いよいよ7月も下旬となり、私のビザの失効日も近づいてきた。

もう限界。現地の友人には、たとえターゲットに会えなくてもいいので明後日にはそっちに行くからと告げ、旅の支度に取りかかった。

出発の朝、皮肉にも、その日から雨脚が強まり、再び雨季らしくなってきた。生き物にとっては喜ばしいことだが、撮影するほうとしては最悪だ。前日までの日照りと出発日からの豪雨が逆転してくれていればよかったのに、この状態では、カメラセットをいかに水から守るかが最大の命題となってしまう。たとえターゲットに出会えても、カメラが作動してくれなければ、その姿を残すことはできないのだから。

その日からの雨の降り方は、サイクロン起源の長雨パターンのように思え、終日の防水戦を覚悟した。後日ヤンゴンのパソコンで確認したところ、案の定、ベンガル湾の北方で渦が巻いていて、風力は弱いもののサイクロンの目ができていたのだった。

Jul. ’23
その地は、植民地時代にイギリスが築いた土手と水門によってできた広くて浅い大池で、湿地生態系の保護を目的とした自然保護区に指定されている。

民間企業も参入して、一角には宿泊施設や休憩所や遊具も整備され、日帰りでの食事やボートクルージングも楽しめる。電話で連絡を取り合っていたのは、そこのマネージャーである。

亡くなった初代社長とは、開設以前から何度も会っていて、たまたま見た私の写真に「木が必要だ」と呟いたことがあった。それは、水辺の高木の上にクロトキの群れが佇んでいる写真で、それを機に社長は、施設の建設と並行して、早成樹種を中心とする植林も積極的に進めた。

今では、遠くからでも分かるほど施設の一角は緑がこんもりしていて、鳥たちを誘引するプチパラダイスになっている。亡き社長が思い描いていた夢は叶ったのだった。

ここは、国と民間のコラボによる成功例で、コロナ禍もクーデターも乗り越えて営業していることを知った時には安堵したものだ。政府の承認を得ての営業なので事前の許可は必要なく、到着していきなり大池に乗り出すことも可能だ。

私が初めてここを訪ねたのは、まだ宿泊施設もできていない25年も前のことで、なんとか森林局の仮小屋に泊めてもらい、漁師の船や事務所のバイクに乗せてもらって観察に出かけたものだ。

なんと、その当時に出会った旧友が、再びこの保護区に戻ってきていると言う。彼は国家公務員なので、この二十数年の間に各地に転勤しており、その先々でも私たちは偶然に再会している仲だった。

もちろん彼は会いに来てくれて、お互い無事だったことを喜び、近況を話し合い、生き物の情報も教えてもらったが、彼は私には同行せず、観察にはリゾート施設のボートで出かけることになる。公務員の彼と外国人の私。多くは語らなくとも、今はそうすることが一番なのは、お互いに分かっている。

「案内はこいつがする」と、施設で働く若者を紹介されたが、なんか見覚えがあるような…えっ?えー!

なんとなんと、それは彼の息子だった。

親父は保護区事務所に勤め、息子は同じエリアのこのリゾート施設に就職したのだという。子供の頃の彼とは別の地域の官舎で何度か会っていたが、大きくなってますます、顔の輪郭や笑顔や声まで親父に似てきている。

なじみの船長の操舵で、まずは保護区となっている大池を周ったが、繁殖中と思われる水鳥が、びっしり茂った水草の間から見え隠れするという雨季の情景が展開するばかりで、ターゲットは一向に見当たらない。

旧友の息子はと言うと、体のあちこちにタトゥーを入れ、ピアスを刺した今どきの兄ちゃんだが、なかなかどうして。こちらの望みを敏感に察知し、見せることに最善を尽くしてくれている。人は見かけによらぬもの。

結局、大池にはいないと判断し、改めて保護区の外の湿地や集落を訪ねて、観察しながら情報を収集することにした。

大池の土手の外側には広大な低地が延々と続いており、雨季には雨水が滞水して湿地となり、水位が下がってくる頃には稲が植えられ田んぼになる。

ボートを降りて土手を越えたなら、断続的な雨の中、泥沼渡りの行軍が待っている。先頭を行くのは旧友の息子。

彼の親父とは、マングローブ地帯では違法伐採の現場に立ち合い、山岳地帯では大滝を撮りに行こうとバイクに二人乗りし、二人まとめて吹っ飛んだこともある。

今、その息子が私を先導している。最近、こうして旧友の子供世代と新たに巡り合うことがたまにある。思えば長く歩いてきたもんだ。

さっそく、ぬかるんだ土手を登らなければならない。先を行く息子が、私のリュックをよこせと手を差し伸べる。

私は、いったん生活用具をベースキャンプに置いたなら、観察中は、カメラセットや水や救急道具などの最低限の荷物は自分で担ぐようにしており、同行者に持ってもらうとしてもリュックに収まりきらない三脚ぐらいのもので、たいていはポーター役の申し出を丁重にお断りしている。

理由としては、自分自身が衰えたくないというのが一つ。それと、荷物を預かった者転倒でもしてリュックの中の機材が壊れたとしても、その人に弁償を求めるわけにはいかないので、そうなる状況を予め避けたいというのが大きい。

けれどもこの場では、最も大事なカメラセットは既にリュックから取り出して自分の肩に提げている。今はこれだけを全力で死守したほうがいいのではないか…

少し迷った挙げ句、息子の申し出をありがたく受け、リュックを託した。二十数年の時を経て、彼の親父と歩いた時とは、そこだけは変わった。

Jul. ’23
結局、何種類かの水鳥を見つけ、泥の地面にしっかりと足を固定していいショットが撮れはしたものの、肝心のターゲットは発見できなかった。

出発点に戻ると、二手に分かれて集落を中心に聞き取りをしていたリゾートの船長が待ち構えていた。やけにニヤニヤしている。

それもそのはず、彼はとびっきりの情報をゲットしていた。湿地を往来しているボートの船長が、まさに今朝、我々が探しているターゲットを目撃したというのである。

早速その船長に会い、目撃現場に翌朝連れて行ってくれるようお願いをして、残された最後の一日にすべてを賭けることにした。

Jul. ’23
最終日の朝、雨は降ったり止んだり。

前日に村のおやっさん船長が目撃した時刻から逆算してリゾートの船着き場から出航し、境界の土手脇にボートを係留し、土手を越え、保護区の外の湿地のほとりに着いた。

ここからは、一回り小さいおやっさんの愛船に乗り込み出航。前日目撃した地点に向かって直行した。

ボートは水草の群落をかわしつつ軽快に走り、私は波しぶきと雨水をかわそうとビニール袋でカメラをすっぽりと覆う。リゾートから来た三人プラスおやっさんの合計8個の目玉が、右に左に前方に、湿地の彼方まで見通している。

雨季だけに現れる季節限定の湿地とは言え、30分走っても水が途切れる気配はない。とにかく、水路が塞がるまで、船底が着くまで、そしてターゲットが見つかるまでは走ってもらうつもりだ。

岸辺を歩く牛の群れ
A herd of cattle walking on a bank, Jul. ’23
「あそこ、あそこ!」息子が叫んだ。二、三百メートル先の水草の陰に大きな塊。そこから飛び出した長大な2枚の影がゆっさゆっさとうねったかと思うと、塊は水面を何度がホップし、空中に浮上した。いた!この一ヶ月間、消息が気になって心の隅から消えることのなかったターゲット、ペリカンだ。

カメラを向けるいとまもなく、我々のボートから逃げるように、ペリカンはその巨大な頭を向こう向けたまま舞い上がっていった。

せっかく見つけたのに点にしか写らないのかと、しかめっ面の目で追っていると、ペリカンは滑らかに体を傾け、こちらに向かって旋回してきた。幸い雨は上がっている。これが最初で最後かもしれない。

船上でグラグラ揺れる望遠レンズを飛翔体に合わせるのは至難の業だが、あちらから射程に飛び込んでくる状況となった。この機を逃してなるものかと、私はシャッターを押し続けた。

その目まではっきりと見て取れ、一瞬ファインダー越しに目が合ったようにも感じた。風切り羽の抜けた翼が長旅を物語る。

そのままペリカンはまっすぐに羽ばたいて、船では追えない陸地の彼方に消えていった。なめてもらっては困るとばかりに。

待ち望んだターゲットは突然目の前に現れ、あっと言う間に飛び去った。長い滞在期間の最後の最後に、こんな劇的な再会が待っていようとは。ほんの数十秒間のやり取りに、私の心はフワフワのグチャグチャ。胸は高鳴り、頬は緩みっぱなしで、なんか視界も潤んできた。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican(Pelecanus philippensis), Jul. ’23
ここに来るのはホシバシペリカンで、ペリカンの中では並でも、これまたでかい鳥だ。ワニと言いツルと言い、大きいものばかりを追っているかのようだが、もちろん、小さい生き物も魅力に溢れ、会ってみたいターゲットはいくらでもいる。

けれども、大きいものの消息を探るには、それなりの意義もある。大小の生き物を捕食する大型動物が正常な数でいるということは、その土地の生態系が豊かで安定しているという証拠で、彼らの生息状況が、自然の状態をうかがい知るバロメーターになっている。

さらに、このような人里近くに住む生き物は、その土地の人と生き物の関係性を知るバロメーターでもある。今だからこそ、そこはなおさら気になるのだ。

Jul. ’23
ホシバシペリカンは、世界的には生存を維持できるほどの数が残っているが、ミャンマーでは謎の多い鳥である。

乾期である涼季から暑季にかけては、北のカチン州にある天然の湖、インドージー湖とその周辺で何百羽の個体が集まって休息しているのを、私は現地で確認している。

ところが、雨季に入るといったん彼らはミャンマー全土から姿を消す。国内からの繁殖の報告は途絶えており、巣が見つからない状態が続いている。

そして、たっぷりと降り続いた雨季の中盤に、ここの湿地帯にどこからともなく少数が飛来し、水位の下がる11月頃まで留まり、再びどこへともなく消えていく。

国境を越えて外国の繁殖地から来ているのではないかとも推測されているが、それも十分にあり得る。例えば、二大都市であるヤンゴンからマンダレーまでの距離を、首都ネピドーから全方位に振ってみると、あっさりと数ヶ国に到達してしまう。翼を持ったペリカンが自由に行き来しても何の不思議もない。国境などという形のないものが見えているのは人間だけなのだから。

さらにボートを進めてもらうこと数分、あっさりと二羽目が現れた。けれども今度の一羽はエンジン音により敏感で、ボートの接近を察知しては飛び去り、その着水地点を目で追っては再び接近して、そしてまた逃げられと、結局こちらに頭を向けることなく、最後はやはり、陸地の彼方に消えていった。

客の希望を叶えられた船上にはリラックスムードが漂い、ペリカンは見られたことだし昼は近いし、もう引き返してもいいんじゃないのという空気が流れている。おやっさん船長のスマホまで、呼び出し音が鳴り始めた。いかにも今どきの風景ではある。

電話の相手と用件は分からなかったが、私も流れに逆らうのはやめて、では、ペリカンを探しながら帰りましょうと。

途中、ボートは岸辺に立ち寄り停泊した。理由は分からないが、もう焦ることはない、注油でもエンジンの点検でもなんでもやってもらっていい。

休憩する家畜の水牛
Domestic buffalos taking a rest, Jul. ’23
陸に上がって岸辺の生き物を撮っていると、奥の集落から数名がぞろぞろ歩いてきた。家族連れかもしれない。そしてそのまま、私が借りているおやっさん号に乗り込んだ。

なるほど、停泊の理由がようやく分かった。彼らは今から出かけるところで、我々が帰ろうとしている湿地の基点の集落まで、徒歩より何十倍も速いボートで行こうというわけだ。さっきの電話は、言わば水上タクシーの無線オーダーだったのだ。

行く先は同じだ。ダブルブッキングで客を乗せれるだけ乗せて、おやっさんに稼いでもらったほうが、私としても気が楽だ。

基点の集落に着き、全員ボートを降り、私は支払いを済ませ、じゃあこれで…となりそうな場面だったが、そこは、凝り性のしつっこさが顔を出す。

ヤンゴンに帰るまでにはまだ時間がある。いかにもペリカンらしい水上で佇むシーンがまだ撮れていないからと、午後にもう一度出航できないか尋ねてみた。

息子ガイドもリゾート船長もよくできた仕事人で、私の考えを理解したからには、決してもう十分でしょうとは言わない。ただ、おやっさんだけは浮かない表情だ。聞くと、これまでの経験から午後に見られる自信はなく、たぶん空振りになるだろうとのことだった。

別の用事があるとかではなかったので、見られなくてもいいからと再度のクルーズをお願いした。

いったんリゾートに帰って、いつでもチェックアウトできるよう荷物をまとめ、腹ごしらえを済ませ、最後のクルーズに向かった。空模様は相変わらずで、前方の雨雲がやばい。

Jul. ’23
午後からの作戦は、ペリカンを見つけたら、まだ十分な距離を残した段階でエンジンを切り、竹竿で水底を突っ張りながら距離を詰めてゆくということでクルーの三人にお願いした

だんだん風が強くなってきて、午前よりも大きな雨粒が叩きつけてきた。移動中はそれでもいい。けれども、ターゲットを見つけたときだけは止んでいてほしい。

出現してほしいような今は待ってほしいような複雑な天候と心境の中、おやっさんの予想は大外れ。ペリカンは現れた。

予定通りエンジンは切ってもらったが、竹竿での前進もちょっと待ってもらった。雨が止むのを待ちたいのだ。これにはさすがに、みんなもどかしく思ったようで、いるんだから撮ればいいじゃんと言いたげだった。

電子部品満載の今どきのカメラは、性能は上がっているものの水には弱くなっていて、まともに濡れると電源すら入らなくなる。うまくガードして撮れたとしても、あまりの豪雨だと雨粒が写り込んでしまい、全体が煙に巻かれたような写真にしかならないのだ。

空を見渡し雲が途切れるタイミングを待ったが、雨が上がる気配はなく、帰りのタイムリミットも近づいてきた。スカッとした写真は諦め、ある程度の雨粒が写る状態でも、それがこの季節らしい情景なんだからと気持ちを切り替えて、やや雨脚が弱まったところで撮影を開始した。

エンジン音は立てなかったものの、まだ飛来して間もなく落ち着いていないからか、最後まで、期待したほど距離は詰められなかった。けれども、雨を恨むのはやめよう。この雨こそが、ペリカンを連れてきてくれたようなものなのだから。

Jul. ’23
実は、おやっさんがそれらしき一羽の影を今年初めて見たのは、四日ほど前のことだったと言う。そこから約百時間を経たその日の午後、結局我々は、三羽のペリカンが飛来しているところまで確認できたのだった。まだまだこれから後続がやってくるはず

と言うのも、保護区事務所の旧友によると、昨年には合計羽が確認されたとのことなのだ。これは、コロナ禍以前に私が見た数を上回っており、どうやら、この地に集う小群の規模は、維持できていると見なしてもよさそうだ。

よっぽど水位がしっくりくるのか、保護区の外側のこの湿地帯で多くの時間を過ごし、大池にはたまに行く程度らしい。

ここのペリカンもまた、地域住民との一定の間合いを保ちつつ共存し、ここまで生きながらえていたのだった。

Jul. ’23
その後、サイクロン起源と思われる雨は、出国までの数日間降り続いた。雨季は、新しい命を生み、そして育む季節。動物たちは繁殖に勤しみ、村の周りでは稲を植える。そして、ちょっと里を離れた原野では、樹木の苗木も植えている。

2023年、森林局による自然の保全や森作りの活動は、停止してはいなかった。

森林局によるマングローブ地帯での植林の準備。等間隔で刺した竹棒の脇に苗木を植える。
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mangrove area. Seedlings will be planted beside bamboo sticks which are staked at regular intervals, Jun. ’23
植林から二年目のマングローブ林
2 year old mangrove plantation, Jun. ’23
人々から何を言われようと政権がどうあろうと、森林局の職員は、国土と国民への奉仕者であることには違いない。役職に留まることを決めたからには、どうか山河と命を守ることに誇りを持って取り組んでほしい。
森林局による山地での植林の準備
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mountainous area, Jun. ’23
他にも、前政権の時から引き継いでいるコミュニティーフォレストリーの制度などを使った地域住民による植林と収穫も、各地で続いている。
民間グループによる植林予定地の整地
Land preparation for tree plantation by a local community, Jun. ’23
残念ながら、現在入ることのできない戦闘状態にある地域や反軍勢力が統制する地域だけは、森や野生生物がどうなっているのか、正しく知ることはできない。

どうかうまく管理し、共存してほしいと、今は当該地域に住む人たちの良心を信じて祈るしかない。

そう、すべての命の源である自然を守るのに、右も左も西も東もない。人種も思想も宗教も越えた人類の存亡を賭けた普遍の課題なのだから。

争いの当事者は言うかもしれない、「自然保護なんて言ってる場合か」と。

逆に、自然が壊れていく様を目の当たりにした当事者は言うだろう、「争いなんかやってる場合か」と。

オオヅル
Sarus Crane(Grus antigone), Jul. ’23
映画産業が傾きかけていた昭和の後期、ちょっと心に引っかかる邦画があった。その名は「ゴジラ対ヘドラ」。いろいろな意味で悪評高い問題作だが、意外にもテーマは一本筋が通っていて、その劇中歌には以下のような一節があった。

「地球の上に誰もいなけりゃ泣くこともできない」

戦争も共栄も、喜びも悲しみも誕生も死別も、すべては地球の上での出来事。地球あっての物種なのだ。

イリエワニ
Salt-water Crocodile(Crocodylus porosus), Jun. ’23
雨が命を育み、やがて実りの季節がやってきて、そしてまた新しい命が生まれる…そんな当たり前の不滅のサイクルが、どうか不滅のままであってほしいと、願わずにはいられなくなってしまった今日この頃である。

 Jul. ’23

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