2023年8月24日木曜日

水の王国、その2. ―Kingdom of water, part 2.

Jul. ’23
次に私が目指したのは、ミャンマーの穀倉とも言うべき田園地帯だった。

そこでは水上移動ではなく、地元の人たちの目撃談を頼りに車で東奔西走するつもりだ。

まずは、なじみの運転手を3日間予約し、目的地を目指して一路幹線を進む。今はそれが大変で、郡の境界など要所要所で関所が待っている。不審な物体や人物はいないかのセキュリティーチェックが目的で、検査をするのは、銃を持った警官か兵士か、その両方か。合い間には、通行料を徴収する町内の兄ちゃんも。

こちらは窓を開け、マスクも外し、気がすむまで車内を覗かせるのだが、さすがに、命のやり取りをしている者たちの目つきの鋭さは尋常ではない。

パスポートとビザはもちろん、リュックにしまってある望遠レンズをなぜ所持しているのかが分かる文書もたっぷりコピーしてはいるが、たいてい全員の顔を見渡して運転手に二つ三つ質問をして、「行け」で終わる。

彼らと仲良くするつもりはないが、揉めるつもりもない。いやいやワシャ日本人じゃがなどと宣誓したいほどの愛国心もないので、そこはそのまま通してもらおう。人間界のいざこざに構ってる時間はもったいないので。

実際、違法なものを所持しているわけでも怪しいことをしに行くわけでもないので、彼らの「行け」の判断は真っ当だ。

一つ越えればまた一つと、まるで自動車版ハードル走のように現れるゲートをすべてクリアーし、なんとか基点となる田舎町に辿り着いた。ここでもやはり、外国人を泊めてもいい資格を持った宿泊施設に籠もって夜を越すことが、その地にいられる最低条件となる。

まずは道端にいる兄さんたちに声をかけ、いい宿はないかと尋ねてみて、もらった情報をもとに泊まれそうなホテルを訪ねてみた。

二つの有資格ホテルのうち、安いほうに空きがあることが確認できたため、とりあえず夕方のチェックインだけは予告しておいて、いったんその場から立ち去った。日が暮れるまでの間、少しでも長く田園地帯を走ってターゲットを探したいのだ。

道端に建物が連なって目隠しになっている区間はごくわずか。ほとんどの区間では街路樹が並んでいる程度なので、走行しながらでも田園の彼方まで見通せる。

ターゲット出没の可能性が高いのは約70キロの区間。その間を行ったり来たりしながら、眼力勝負で見つけ出すのだ。

エリアに入って30分足らず。一面に広がる青田の海原の中、ニョキッと突き出た異物の小群に目が止まった。遠すぎて輪郭はおぼろげで、逆光で色は分からない。「あれは人じゃないよねえ」。運転手が答える「人じゃない」。

念のためにリュックに入れたままだった望遠レンズを取り出しにかかる。そのセッティングに手間取っている間に、そいつはさらに遠くへ去っていってしまった。正体不明のままだが、人と間違いそうな大きさの飛べる物体であったことは間違いない。

さらに先を行く。「あそこ」今度は運転手が自ら車を停める。

いた!裸眼ではっきり姿形が確認できる距離だ。

その正体は、安否を確かめたかったターゲットの一つ、オオヅルだ。お前たちも生きていてくれたか。

世界一大きくなるツルで、インドにいる亜種が最大とされているが、ミャンマーにいる亜種もなかなかのもの。「人じゃないよねえ?」と言わせるぐらいのサイズ感なのだ。

オオヅル
Sarus Crane(Grus antigone), Jul. ’23
いたのは2羽で、番(つがい)に違いない。彼らの繁殖期もやはり雨季で、このあたりの田園地帯に集まり、広大な湿地のどこか一角に、草を盛り上げて巣を作るのだと言う。

多くの日本人にとって、ツルと聞いて、まず頭に浮かぶのが、北海道のタンチョウではないだろうか。白黒のツートンカラーは、いかにも日本人好みの清潔感があり、ツルは白くて大きな鳥というイメージが、多数派になっているかもしれない。

けれども、鹿児島県の出水平野など西日本に飛来する数種類のツルは、ほぼ灰色っぽくて、どちらかと言うと、暗色系のほうがツルの多数派かもしれない。

オオヅルの全身も、ベースは灰色。灰色とか茶色とかは地味な隠ぺい色といったイメージがあるが、私は、日差しを照り返して羽ばたくカラフトワシの姿をヤンゴン郊外の森で見た時、茶色とはなんと美しい色なんだろうと考えを改めた。サラブレッドの栗毛なども同じかもしれない。レースの趣味はないので間近で見たことはないが。

そして、灰色の美しさを教えてくれたのが、まさに、このオオヅルだった。

Jul. ’23
背の高いツルたちは、それぞれ頭部に特徴があり、種をアピールする目印、ランドマークのようになっている。オオヅルの場合、その柔らかな灰色の体の上には、対象的な真紅の頭が乗っかっている。このコントラストは鮮烈で、灰色は赤を、赤は灰色の美しさを互いに引き立てているかのようだ。

ただ、頭のてっぺんには毛がなく、白っぽい地肌がむき出しになっており、そこだけは、男としてはなんとも痛くていただけない。

Jul. ’23
最初の一群は経験のある私が見つけたが、いったんツルの見え方が分かってからは、運転手の眼力が本領を発揮した。運転をしながらでも数キロ先の人影ツル影も捉えるのである。

「貝を食べてるようだな」と運転手、「いや、脚をもがれたカニかも」と私。ふと気が付くと、望遠レンズを覗く私と裸眼の彼がふつうに対話していた。

スマホの普及などで、これからの世代はどうなっていくか分からないが、ミャンマーの人たちの目のよさには、これまで何度も驚かされたものだ。

Jul. ’23
いかにも繁殖期らしく、2羽でいる場合が最も多くて、広大な田園地帯に散らばって餌を探して散策しているようだった。

Jul. ’23
ここの道も、田舎町と田舎町を結ぶ動脈ではあるのだが、あまりにも田舎すぎで、ツルが出没する約70キロの区間には一つのゲートもなかった。たまたま生息地が郡をまたいでなかったのも幸運だったが、数日間走り回っても通行料の徴収もセキュリティーチェックも一度も受けないなんて、こんな経験、何年ぶりのことだろうか。

道行く人たちも、望遠レンズを珍しがりはしても、どっかに通報するとかいうこともなく、快くツルの情報を教えてくれた。

彼らに教えてもらった朝夕にツルが集まるというポイントに行ってみると、複数の群れが一定の間合いを保ちつつ点在していて、最大8羽から成る群れもいた。

中には、頭部が体と同系の灰色から灰黒色のものもいる。今年誕生したばかりの若鳥だろう。どうやら、既に子育て巣立ちを終えた家族から、順次集まっているようである。

Jul. ’23
以前、8月下旬にこの地を訪ねた時には、何百羽が集結する場面にも出くわしたことがあり、子育ては、ほぼ終わっているようだった。

今回訪れた7月中旬は、ツルにとっては子育て最盛期で適度に散らばっており、その傍ら、人にとっては田植えの最盛期で、土砂降りがあった翌日などは大勢の人たちが田んぼに集まっていた。

その作業グループの多くは、親族と言うより集落単位ではなかろうかというほどの規模で、一列になって一気呵成に手植えを進めていた。庄屋と小作人制度になっているのか、集落全体で田んぼを所有しているのか、個人所有だけど田植えは協同でやっているのか、人々の暮らしぶりも気になるところだ。

Jul. ’23
この地では、そうした農作業をしている人たちの声も届きそうなところで、ツルたちが地面を突っつきながら優雅に散策しているのである。なんという平和な光景だろうか。

Jul. ’23
同じような田園地帯はミャンマーの至る所で見られる。けれどもなぜか、繁殖期のツルが集まる場所は、いくつかの決まった範囲に限られている。

ワニの生息地と違って、ここは保護区でもなんでもない。ただただ田んぼの広がる田舎である。法とか命令とか指導とか関係なく、これは土着の文化の問題で、この地では、ツルを敵視しないという習慣が代々受け継がれているに違いない。

Jul. ’23
とは言え、さすがにあのクーデターを体験したからには、以前のままではいられなくなっているだろうと想像していた。人々の心はすさみ、自暴自棄になり、ツルの巣でも見つけようものなら、卵でも雛でも取って食べてしまうのではないだろうかと。

久しぶりに再訪して自分の目で見て確認できたのは、ここの人々とツルの距離感、たたずまいは、以前と何も変わっていない、ということだった。国がどうこう政治がどうこうの前に、どう生きるかを決めるのは人そのもの、自分自身なんだ。

このご時世に、こんなのどかな時間と空間の中に身を置けるなんて…夢のようなひとときに、なんかジーンと来て、申し訳なさもよぎって溜め息も漏れる。

Jul. ’23
旅を終え、ヤンゴンに帰って現実に戻り、ノートパソコンで撮影結果をチェックしつつ、いつもながらの一喜一憂が始まった。

今回撮ったオオヅルの写真を見ながら、なんか、この色味にはなじみがあり、最近どこかで、もしかしたらこの部屋で、このモニターの中で再々見ていたような気がしてきた…

分かった!大谷選手だ。形は違えど、真紅と灰色のカラーリングがエンゼルスのビジター用ユニフォームにそっくりだ。そうか、彼らは妖精ヅル、大谷ヅルだったか。がんばれエンゼルス、がんばれオオヅル!

せっかくの発見ではあったが、如何せん、野球は世界的にはまだまだマイナースポーツ。ほとんどのミャンマーの人が、大谷選手どころか野球そのものを知らない。

残念ながら、このネタで盛り上がることは、ミャンマーではできそうもない。(つづく)

Jul. ’23


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