2021年7月16日金曜日

第三次世界大戦 -敵は新型コロナウィルス-、その8. オリンピックをやる資格 ―World War Ⅲ, against COVID-19, part 8. Qualification for holding the Olympic Games

ミャンマーでの新型コロナウィルス感染者数の推移
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ミャンマーでは現在、新型コロナウィルス感染者数が急上昇している。

いまだ混乱している国状を考慮すれば、正確な統計が取れているとは思えず、現実には、もっと多くの人が感染し、犠牲になっているはずだ。

コロナ禍でのクーデターなんで災いに災いを重ねるかなあ。


不当な権力者を倒す切り札として、仕事を人質にする市民不服従運動(CDM)が行使され始めた頃から、いつかは、こういう厳しいコロナ禍が来るのではないかと懸念していた。

天職という言葉があるが、職人と呼ばれるような人たちは、世の中がどうあろうと仕事の手を止めない止めたくないというのが本音だろう。

職人とか仕事師とか、さらにエッセンシャルワーカーという人たちから仕事を奪うと世の中がどうなるか。

 

2月以降、統計上、感染者数が下げ止まっていたのは、各組織の混乱による統計の欠如だったのだろう。

その間、超過密状態でシュプレヒコールを繰り返すデモの日常化で、感染は伝播していただろうが、医療従事者のCDMにより適切なケアがされぬまま放置されていただろう。

それに加えて、ここに来て、インドやバングラデシュからのデルタ株の侵入。

 

感染力とか実効再生算数とかが増すということは、例えば1.5倍なら、単に100人が150人になるということではなくて、それがネズミ算式に伝播していくととんでもないことになってしまうということは以前にもご説明したが、今一度そこで上げた図をお見せしたい。

もし、デルタ株やラムダ株の怖さにピンと来ていない人が身近におられれば、どうぞシェアしてください。

1人の感染者から2人に伝染する場合と3人に伝染する場合の比較

このデルタ株の台頭下に、日本では、何が何でもやるんだと、開催ありきでオリンピックの準備が進んでいる。

一年前、「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しとして」一年後に東京オリンピックを延期して開催すると、時の首相は宣言した。

その提示された条件に素直に従って、今、東京オリンピックをやる資格があるかと聞かれれば、私なら、答えは、きっぱりと「ない」。

理由は、心情も忖度も入る余地のないほど単純明快。人類はいや、「日本は」新型コロナウィルスに打ち勝っていない!から。

 

奇しくも大谷選手の活躍のお陰で、アメリカの日常のスポーツシーンを観る機会が俄然増えたが、あの超満員の会場の熱気はどうだ。それがもう一ヶ月以上経過しても、いまだに感染再爆発の兆候は見られない。

これがもし、アメリカが新型コロナウィルスに打ち勝った証しとしてアメリカでオリンピックをやる、となってたら、まったく異論はなかっただろう。

アメリカ人も中国人も人類には違いないので、「人類」が打ち勝ったことには間違いないでしょ、と言えなくもないが…

 

東京での開催の是非を考えるに当たって、最初に断っておきたいことは、出場選手のみなさんに対しては恨みもねたみもまったくなく、何の責任を問うつもりもないので、どうか選手のみなさんも、自分たちだけが特別な存在でいいのか?などとは思い悩まないでほしい。

選手のみなさんは、与えられた条件の中で全力を尽くして競技をして、その姿を通して我々に感動を与えてくれればそれでいい。

語りたい選手は語ってもらってもいいけど、社会への貢献を!などと考えるのは、引退後の長ーい余生の間にやっていただければいいので、短い現役時代には、四の五の言わずに最高のプレーを見せることこそが最大の社会貢献であると思ってほしい。今の大谷さん現象が、それを実証してくれている。

 

そもそも一流のアスリートは、どんな条件の中でもブレずにベストパフォーマンスを目指すはずで、選手のために観客を入れるとか、選手のために開催するとか、実行の是非に選手の存在を引き合いに出すのは、それこそ人質のようで、選手の人格や意思を軽んじた政治利用に見えてしまう。

特に、選手のモチベーションのために日本の観客だけでも入れるという案は、オリンピックが国際大会であるという意識に欠けてはいないだろうか。

外国同士の対戦ならいいとしても、日本対◯◯国の試合で、取り巻く観客が全員日本人という環境なら、モチベーションが上がるのはどっちの選手?ということだ。これを、フェアな会場と言えるだろうか。

 

比較的日本人は、敵味方の隔てなく応援するとは思うが、国際大会での観客の一国独占となると、そこと対戦する他国の選手にとっては超アウェー、前代未聞のハンディキャップマッチになりはしないだろうか。

過去には、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの歴史的ボクシングタイトルマッチ、後に言うキンシャサの奇跡の会場が、取り巻く観客のほとんどがイスラム教徒だったようで、クリスチャンのフォアマンにとっては、精神的に孤立無援状態での闘いだっただろう。

そういう偏った環境の中で日本人選手のメダルラッシュを見ても、素直に喜べそうもない。

地元の利というのは付き物だとは言え、試合の公平性を保つという観点からは、外国からの観客を入れないとした時点で、日本人も含めて全試合無観客と決めてもよかったのではないか。

 

改めて、なぜ日本にオリンピックをやる資格がないのか。

どうだったらやる資格があったのかということを対比させながら検証してみたい。

私は、このコロナ禍を第三次世界大戦だと言った。そして、この戦争に限っては、武器は兵器ではなく医療なのだから、日本が勝者となるチャンスは大ありだと。

けれども、結局この大戦でも、戦勝国は、やっぱりアメリカ。

ほんと、アメリカとはせわしない国で、一時世界最多の犠牲者を出したのもアメリカならば、世界最速でワクチンを産み出したのも、結局はアメリカだった。

 

「新型コロナウィルスに打ち勝つ」ための武器は、第一にワクチンであり、次いで治療用特効薬であることは、誰にでも分かっていたこと。

そこでアメリカは、ワープスピード作戦と称してワクチンの開発に約100億ドル、1兆円超の予算を準備しているという昨年5月時点の記事を見たが、それに対し、日本では、コロナ対策にワクチン開発への500億円を含む835億円、という同年5月の記事があった。

桁が違う、と言うか、本気度が違うと言うべきか。

 

ワクチン開発レースで徐々に周回遅れになっていった日本は、感染者が少ないから治験ができないため、などと有事とは思えない悠長な言い訳をしていたが、もっと感染者が少なくなっていた中国は外国でどんどん治験をやってのけ、トップ集団の一員のまま最後まで走り抜けた。

日本も国際航空路は早々に再開したのに、その理由は、ビジネスマンの往来のためとかで、中国のようにコロナ戦争のために国際線を活用するというような知恵は、日本政府にはなかったのだろうか。

民主主義最大国家のアメリカも共産主義最大国家の中国も、共に危機を脱しているのに、自由奔放主義の日本は、いまだ出口を見つけられないでいる。

 

結果、トップ集団として、ほぼ同時にワクチンを産み出した国々、アメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、中国は、新型コロナウィルスから最初に人類を守った救世国として、この先ずっと称賛され、語り継がれることだろう。

残念ながら日本は、医療先進国という看板は幻想であったと世界に知らしめただけの結果となった。よっぽどのものを出さない限り、二番手は歴史には残らない。

 

もしも日本が世界最速でワクチンを誕生させ自国生産していたとしたら、どのような展開になっていただろうか。

まず、参加選手全員分のワクチンを事前に各国に送れただろう。

それが一番の防疫手段であることは明々白々なので、最初にそれをIOCに提案したのは、やはり中国だった。

それに対して日本の五輪担当相は、ワクチンの接種は各国の基準に従うべきことだと、中国は寝ぼけてんのと言わんばかりに平静に却下した。

後日、同じ提案がファイザー社から上がり、それには五輪相は、願ってもないお話と言わんばかりに称賛して受け入れた。

一方、国内では、もし現在のアメリカレベルだったとしたら、国民の約半数が二回のワクチン接種を終えており、今の大リーグのように有観客での開催となっただろう。

各国の選手にとっても、日本なら安心だからと臆せず来日でき、ワクチンを打っている者同士、市民との交流もできただろう。

現実には、ワクチンが普及していない日本はヤバいからという理由で出場を辞退する国や選手が出てきても、言い返せないような状況だ。

さらにワクチンの在庫にゆとりがあれば、外国人客に対して、ワクチン接種やPCR検査などの有料オプションをセットにした観戦ツアーだって組めたかもしれない。


もし、今年が北京オリンピックで来年が東京オリンピックだったとしたら、今の中国の医療戦力からして、これらすべてをやってのけたかもしれない。そして日本は、来年にシレッとオリンピックを開催して、恥をかかずにすんだかもしれない。

二度のワクチン接種を終えてスタンバっていたオリンピック観戦マニアの欧米人は、何をもたもたやってんだ日本!と、怒り心頭に達していることだろう。オレの連続観戦記録が途絶えるがと。

「人類が打ち勝った証しとして」という言葉は、勝つためのビジョンも工程表もないままなんとなくのイメージだけで発せられたのかもしれない。

SARS1号の自然消滅の前例などもあり、いくらなんでも一年も経てば何とかなっているだろうという正常性バイアスにかかったとしても、一般市民なら無理もないが、政府には、言ったからには実現させねばならぬと、威信をかけた闘いを展開してほしかった。

政権を交代してたとしても、責任追及と退任要求だけに情熱を注いでいたような政党では、やはり何もできなかっただろう。


結局、現実は、新たな会場の建設などで、そこに関係した業界は潤ったかもしれないが、巨大な利益をもたらすと目論んでいたインバウンドのバブルは膨らまず、チケットの売上げもほとんどゼロに近づき、日本にとって景気を上げる要素が何もないオリンピックとなってしまった。

それでもなお開催する意義がどこにあるのだろうか?

放映権を持つアメリカのテレビ局と、そこからの収入で成り立つIOCに損をさせないためだけの義務感と、日本はやれるんだ先進国なんだという世界各国へのアピール。もはや、恥をかくわけにはいかないという変なプライドだけがモチベーションになっているかのように思え、結局、何の恩恵も受けられない日本の企業や国民をなるべく怒らせずに赤字と感染を最小限に抑える、という方向性での開催に見える。

観戦者をゼロにして感染者をゼロにする…

もはや日本語までもが、呪われたオリンピックを暗示していたかのように感じてしまう。

 

一年間という延長期限を切ったのは、選手のモチベーションを維持する我慢の限界の考慮というのが大きな理由だっただろうが、ワクチンの接種が世界最下位レベルでもたついていた頃から、選手も含めて国じゅうが、今年は間に合わないかもしれないという雰囲気になってきていたように思う。

同時に、もう一年延ばせばフルベネフィットのフルスペックオリンピックができるかもしれない、という予想図も見え始めていた。

そこで再延期の選択肢も挙げれば、しかたがないという声も含めて、多くの人が受け入れたかもしれない。

にもかかわらず、なぜ、みすみすその巨大収入源を逃してしまうのか。日本にそんなゆとりはあるのか?

国民に確実に利益をもたらすための再延期案、それを推せなかった日本政府。国際組織に対して弱すぎやしないか。

この間、国際的に日本が貢献したことと言えば、台湾へのワクチンの無償供与があったが、送ったものは、日本で生産されたアストラゼネカ製のワクチンだった。

これは日本での公的な使用はまだ認められておらず、国民の間では副反応にも効果にも不安のある、行き場のないダブついたストックとも言えそうなものだ。

それでも日本に感謝してくれるとは。こんなヘタレな政府なのに台湾の人たちの礼節に、むしろ、こちらが頭を下げるべきだろう。

 

ここで原点に帰って、このコロナ禍が始まる以前に、東京でのオリンピック開催が決まったことに対して私がどう感じていたか、当時の心情を打ち明けておきたい。

今、世界には、日本政府が承認している国が合計196ヶ国ある。

もし、そのすべての国で四年に一度のペースで何かを持ち回るとしたら、一巡するのに784年かかることになる。

これまでオリンピックが開催された回数は、冬季を含めると51回で、ホストとなった国は22ヶ国。南米大陸では2016年に初めて開催され、アフリカ大陸ではまだ開催されていない。

つまり、参加国の多さとは裏腹に、開催国は、経済的にゆとりのある国の持ち回りで、事実上、先進国主体のイベントであるということだ。

まだ170超の国々がオリンピックを招聘できていない中、前回東京で開催されてから、わずか14回目、60年足らずでオリンピックが帰ってくる。同じ国ならまだしも、同じ都市に。

参加だけでなく開催においても、もっともっと国際的に発展したイベントになってほしいという希望から、これほど短期で東京で二度やるということには、私は疑問があった。

同じ町に住み続けている人が一生のうちに二度もオリンピックを目の当たりにするオリンピックに接したことのない何十億人の世界の人々を尻目に、あまりにも先進国優先主義が露骨なように感じてしまうのだ。

 

以前、オリンピックが始まるまでに何とか日本の新型コロナウィルス感染をゼロベースに戻せないものかと、飲食業界や観光業界の方々も含めて全員でサバイバルするための突拍子もない奇策を書かせていただいた。http://onishingo.blogspot.com/2021/04/7-world-war-against-covid-19-part-7.html

 

願いもむなしく、現実は、ゼロに近づくどころか、デルタ株の台頭により真逆の状況になりつつある。

オリンピックの開催中か終了後に、過去最大の第5波が来ることは、ほぼ見えてきている。今度は、その第5波の流行からワクチンの接種が大多数の国民に行き渡るまでの間、どうやって犠牲者を抑えて凌ぐかということで、再び、かの絵空事を以下に紹介したい。

愚案であることは承知の上だが、とにかく、これまでのやり方を踏襲するだけではデルタ株の制圧は難しいだろうというメッセージだけは発しておきたいということで。

責任追及と不満の羅列だけの人間にはなりたくないから。

全国一斉おうちキャンプ(仮)

今回の東京オリンピックは、IOC会長が言う通り、歴史的大会となって子々孫々まで語り継がれることだろう。史上最も開催国の国民に歓迎されなかったオリンピックとして。

 

新型コロナウィルスで亡くなられたすべて皆様のご冥福をお祈りいたします。

2021年4月22日木曜日

ランボーよりジョンレノン ―John Lennon rather than Rambo


民主化は大切だが、命より大切なものはない。

 

大変僭越でおこがましいのですが、今回は、うちの家族の話をさせてもらえますでしょうか。ほんの五分ほどお付き合いください。

 

私の父は、昭和3年(1928年)12月生まれで、昭和20年(1945年)815日の終戦時には16歳だったため、出征の義務のなかった世代だった。

昔は父の郷里の村にも映画館があり、戦時中は、メインの映画を上映する前に、大本営発表の短いニュース映画が流れていたそうである。

そこでは、軍艦マーチのBGMに乗って名だたる軍艦や戦闘機が映し出され、海外各地での戦果が小気味よく大々的に報じられていて、父などは、メインの映画以上に、そっちのニュース映画を楽しみにし、興奮していたそうである。

やがて、血の気が多めの父は、自らの手で敵機敵艦を撃墜撃沈したくなってきて、しだいに居ても立ってもいられなくなってきた。

そして、徴兵を待ちきれなくなった父は、とうとう「わしは志願して戦争に行く」と言いだし、誰彼構わず触れ回っていった。

それに対する周りの反応は、「えらいのう」「志願するんじゃとなあ」と賛辞の嵐で、血の気の多さに加えて、乗せられやすく乗りやすい父は、ためらうことなく志願兵の受験へと突き進んでいった。

絵に描いたような、いわゆる軍国少年の誕生で、大本営のトラップに見事にはまったわけだ。

とにかく最前線で撃ちたい父の第一志望は航空兵だったが、それには受からず、本人にとっては不本意ながら海軍の少年電信兵に合格し、念願の出征を果たした。

 

生前の父が、たまにこのような戦時中の話をするのは、たいてい酒が入った時だったが、一度だけ、ポツンと漏らした忘れられない一言がある。

「引くに引けんなってのう」

大本営に感化された父のアナウンス効果は凄まじく、よく知らぬ大人からも声をかけられ、「あんたじゃろ、志願するんは」と激励されていたそうである。

先の一言を漏らした時、父は笑っていたが、熱血軍国少年でも、その心の片隅には、救いを求めたい感情も、ちょっぴりは潜んでいたのかもしれない。

誰も「やめとけ」などとは口が裂けても言えない空気が、日本中を覆っていたのだろう。

 

自分が何かと刺し違える覚悟を決めて突撃して憤死するのは自分の勝手。

けれども、よその子の出征を拍手と万歳で見送るような大人にはなりたくない。

 

ちなみに父は三男で、私の叔父にあたる次男は、地域の相撲大会で優勝するほどのガタイと腕っぷしの持ち主だったが、鉄工職人として戦闘機や軍艦の製造に従事していたため徴兵はされず、戦後、鉄工所の社長となった。

長男は、年齢による徴兵で陸軍の歩兵となり、ビルマに赴いてインパール作戦に参加した。

生きていれば私の叔父になるところだったが、遺灰すら帰ってこなかったそうだ。

母にも兄が一人いて、陸軍航空隊の曹長にまでなったが、ニューギニアでマラリアに罹り、帰国後、病床で戦死した。

 

どの国の政府も殺傷を止めることができないその代償を、若者の命で払わせてはいけない。もう、たくさんだ。

2021年4月14日水曜日

死縁なき支援を ―Support against deadly opportunity

ミャンマーの現状を憂う方々の支援の輪が広がっており、その行動力には敬服するばかりで、本当にすばらしい。

私も支援させていただきたいが、発起人の方々がどのような目的で支援金を募っておられるのか、その使途は確認しておきたい。

私の姿勢は…

デモで死傷された方々への見舞金や治療費への支援、大賛成。市民の武装化への支援、大反対。

そして、苦悩するのは、やはりCDM市民不服従運動)に対してである。

http://onishingo.blogspot.com/2021/04/trouble-and-nature.html

不服従により収入を断たれた方々に現金や物資が届いたとして、そこで、例えば、森林官が森のパトロールに行ってくれるとは思い難く、むしろ、これまで以上に勇気を持ってデモに駆り立てられることになりはしないだろうか。

そうして私の支援を受け取った人が撃ち殺されたりしたらそれはあまりにも悲しすぎるし、後方支援者である私にも責任がある。

そうなることは何も望んでいないのに、先の大戦中に教え子を兵役志願に駆り立てた軍国教師と同じになってしまう。

軍が掟を破って市民への発砲を始めた時点から局面は一変した。

今、狂気の集団に対峙する行動を励ますことは、私はできない。

かと言って、ここでみんながおとなしくなれば、軍の思う壺。

だとしても、何百人もの犠牲者が出ている中、今まさにデモに向かおうとしている目の前の若者が、もし自分の子どもだったとしたらどうだろう。絶対に引き止めるでしょう。ミャンマーの死生観がどうであろうが、私なら行かせない。

騒乱というものは、そんな人として当たり前の感覚さえも麻痺させようとしていた。

どの国の政府も軍の狙撃を止められない限り、決死のデモに向かおうとする若者を止めることしか、今は彼らの命を守る方法が思いつかない。どなたか、他に名案があるでしょうか?あるなら教えてほしい。

例えば、週に一日からでもいい、鎮魂の日を決めて、その日だけはデモもせず、心静かに祈り、命の重みを噛みしめてみてはどうだろう。それで軍人の心が動くとは期待し難いのだが。

考えても考えても解決の糸口が見いだせない自分が、本当に情けない。申し訳ない。

こんな情けない私ではありますが、一つだけはっきりと言えることがあります。

デモも尊いしCDMも尊い。けれども、一番尊いのはあなたの命

今生きているみなさんは、どうか自分の身を守ることに全力を尽くしてください!絶対に。

亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。

2021年4月12日月曜日

第三次世界大戦 -敵は新型コロナウィルス-、その7. 全国一斉おうちキャンプを ―World War Ⅲ, against COVID-19, part 7. Let’s try the home camp all together throughout Japan

現在愛媛でも第4波真っ只中だが、関西と同じように変異株の割合が高いことが感染者数急増の原因とみられている。

従来型より感染力が何倍強いとか言われるが、例えば、1.5倍強いとしたら、10人の感染だったところが15人になり、20人のところが30人になるということで、五十歩百歩(七十五歩か)じゃないの、ビビり過ぎじゃないの、と感じてしまいそうだ。

けれども、ねずみ算式に増えるということは、そんな単純なものではないのだろうということは、なんとなく分かる。ところが報道では、1.◯◯倍とか2.◯◯倍とか、言わばスタート地点での差だけ示していて、それが伝達されていくにつれてどのよう増大していくのか、なかなかシミュレーションをビジュアル化してくれない。

そこで、もう自分自身でやってみた。

まず、分かりやすく比較するために、従来型は1人の感染者から2人に感染させるとし、変異型は1人の感染者から3人に感染させるということにした。つまり、感染力をちょうど1.5倍と仮定した。

その伝播の仕方を描いたのが、以下の2枚の図である。図の上でのダブルクリックから拡大、右クリックから画像保存などできます。

丸(◯)一つが一人という意味で、左端の◯が最初の一人の感染者。そこから右に向かって、それぞれの図で2人ずつ3人ずつに感染がリレーしていく様子を示している。

超原始的なアナログですみません。

1人の感染者から2人に伝染する場合

1人の感染者から3人に伝染する場合



結果、第二走者にウィルスバトンが渡ったときには感染者が2人と3人で、その人数の差は、ちょうど1.5倍となり、感染力の違いと同じである。

それが、第五走者にバトンが渡ったときには、片や2222=16人、片や3333=81人となり、初めは1.5倍だった人数の差が5倍にまで広がっている。これが、ねずみ算、指数関数的増え方というやつだ。

もう少し先まで描きたかったのだが、文字通り紙面の都合で諦めた。

ちなみに、第十走者までリレーした時点では、人数の差は、51219,683で、38倍!にまで広がる。

報道では、◯◯型変異株は1.5倍とか2倍とかの数字だけ示すので、人数のほうも、イコール1.5倍、イコール2倍の感染者数が出るのだろうと錯覚してしまいそうだ。

最新のPCソフトや操作技術をお持ちのテレビ局なら、もっと簡単にシミュレーションを可視化できようものを。1.◯◯倍ずつ増大することの怖さを実感できるようなビジュアル化を工夫してほしいところだ。

こうして感染者が増え続ける中、とうとう聖火リレーがスタートした。なんか、引くに引かれぬといった感じ。

聖火リレーもオリンピックも、やるならやるでいいけど、やれるだけの裏付け、努力を、これまでどれほどやってきたんですか、ってことだ。

なんでもっと国民全体で盛り上げないの、という意見も分かるが、ムードに流されるのはよくない。相手は感情のない冷酷無比のウィルスなのだから。

国のやることには何でもかんでもケチをつけてやろうなどというつもりもない。けれども、安全にオリンピックを開催するために、ここまで何を達成し、どんな成果を残したか、冷静にフェアに振り返ってみてほしい。

これまで形にしたものと言えば、見栄えのいい聞き心地のいいフレーズ、スローガンだけ。

それならば、「打ち勝つ」とか「超えられる」とか、その掲げた努力目標を実現するために何をやりましたか、言ったことに対して行動がついていってますかって。

「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しとしてのオリンピック!」と、日本政府は大見得を切った。

だったら、それを実現するために何をすべきか…

この世界大戦に勝つために必要な武器は兵器ではなく、日本が得意とする(とされていた)医療技術である。その中でも、ウィルス感染症に勝つものと言えばワクチンであり治療薬であるということは、6年生でも分かるだろう。

事実、日本を含む主な医療先進国では、ほぼ同時に対新型コロナ専用のワクチン開発に乗り出した。

横一線でスタートした開発レースも、じわじわペースがバラけてきて、日本は、いつの間にか先頭集団から消えていった。

その理由として、日本は感染者が少ないので十分な治験参加者を集めることができないため、という言い訳を聞いた。

けれども、経済を止めるわけにはいかないと、ビジネスマンの往来のためとして国際航空路線は早々に再開したではないか。その気になれば海外での治験がいくらでもできたわけで、これはもう外交力次第でどうにでもなってたことだ。

事実、より感染者がいなくなって国際路線も閉めていた中国が、それをやったというではないか。結果、早々にワクチンを創り出してしまった。効果の証明に問題があるとは言われるが、とにかく、ワクチンという成果、既成事実を叩き出してしまったのだ。

治験云々以前に、ワクチン開発につぎ込む各国の国家予算の比較を見たが、先頭集団にいる国に比べて日本はぜんぜん少なかった。コロナに打ち勝つと宣言してオリンピックを控えた国が、である。この世界大戦に勝つためにつぎ込むべきは、軍事費よりも景気対策費よりも、まずは医療開発費でしょうが。

これはもう、個々の日本人医療関係者の能力や技術の問題ではない、国が戦う気がないとしか思えない。数字がそれを示しているのだから。

もはや、通信やITの分野では、日本は世界の第2集団以下に落ちているという事実を認めざるを得なくなっているが、まさか医療でも、ここまで後進国に成り下がっているとは思ってもみなかった。

中国や韓国にできて日本にできないものがあるという状況が、もう当たり前になっているようで、別に悔しいとも思わないのが、今の日本人の標準になっているかのようだ。

2番じゃダメなんでしょうか?どころではない、第23集団が定位置という状況に甘んじて、いざとなったら金で解決すればいい、というのが、いつのまにか日本の新スタンダードになっているようだ。

この間、日本が世界で評価されたことと言えば、3蜜回避というコンセプトぐらい。これは、国民の協力が頼りという、政府の功績と言うよりは国民性が評価されたようなもの。

なぜ、これほどまでに大胆なイノベーションを起こせないのか…

訴訟大国のアメリカに比べると日本では訴訟沙汰は少ないと言われるが、医療関係では時々超大型の歴史的訴訟が起こる。その多くは、訴えて当然の案件であり、なるべくして被害者が勝訴して国や医療機関が敗訴になるが、そのことが、医療関係の官僚や政治家を及び腰にさせていると言われている。

用心深いのは新規の開発だけでなく、例えば各国でバンバン行われているPCR検査でも、偽陽性があるので普及には消極的なのだと言われている。訴訟は怖いし被害者も出したくないのは分かる。だとしても、どんだけビビっとんじゃい。

緊急事態に必要となってくる「型破り」を誰もできないのだ。今の日本には、何かあったら自分が責任を取ると腹をくくれる官僚も政治家もいないということだ、残念ながら。

一年後には打ち勝って開催すると宣言した国の責任として、当然それまでにワクチンなり治療薬なりを準備しておくべきと思うが、さらにその一年後に冬季オリンピックを予定している中国に先を越して宣言されてしまった。東京オリンピックに参加する選手団と随行者にワクチンを提供しますよと。

それに対して日本の担当相は、それは国ごとの感染対策の基準に従うべきものである、みたいに言ってのけた。確かに正論だが、あらゆるケースに対応するあらゆるオプションを準備しておくのが、開催国としてすべきこと。中国に先に言われてどうする。

政府は、今回のオリンピックに参加できる国々をどのように想定しているのか知らないが、ワクチンを接種してくれるのであれば参加したい、という途上国が出てくるかもしれない。

ところが日本は、いまだワクチンの供給国ならぬ要求国でいる。残り数ヶ月で、そのような途上国の要望に応えられるはずもない。

逆に、対コロナの武器を持たない日本はウィルスをコントロールできていない、日本はヤバい、行きたくない、という国が出てきてもおかしくない。

今の状況では、オリンピック参加前後の感染対策を自己責任で行える国だけ参加してください、ということになってしまうだろう。

そもそもオリンピックは、世界中の民族の垣根を越えた友情を育むという理念とは裏腹に、財政にゆとりがある先進国が中心になる傾向があったが、それに感染対策の自己責任も加わるとなると、ますます対応できる国は限られてきて、まして最新テクノロジーとのコラボで成り立っているパラスポーツのほうは、先進国に偏った祭典という色合いが、より強くなってくるかもしれない。

そんなわけで日本は、ウィルスに対しては、ほぼ丸腰の状態でオリンピックに臨むことになりそうなのだけど、それでも開催する場合の対策として、大坂選手が優勝した先の全豪オープンを参考にすると言っていた。

全豪はテニス1競技で、車いす部門を除くと混合ダブルスまで含めて5種目のはずだが、オリンピックだと33競技339種目、パラリンピックは22競技537種目となっており、テニスが最大22なのに対し、オリンピックには二桁単位の選手が競い合う団体競技が山ほどある。

全豪オープンではチャーター機1便に感染者が出て、錦織選手を含む同乗者全員の隔離を行ったが、それを見習うというのなら、最低でも各競技ごとに感染者を含むグループが1便レベルで出ると想定して、33ブロックの隔離施設を首都圏に準備しておかなければならないことになる。

さらに、競技が始まったなら、連日PCR検査をすることになるのだろうが、そこで感染者が出たらどうするのか。関係する試合を一時中断し、2週間なりの延期ができるのか。それとも、感染者自身もチームメートも不戦敗とするのか。

このあたりの対策について、ネットでも探してみたのだが、私の検索力不足なのか、どうも明解な回答が見当たらない。

感染させないためにこういう対策を講じますという説明は細かくあるが、もし何か起こってしまったなら、その時は状況に応じて対処する、みたいなニュアンスの文章しか見当たらなかった。

全豪の関係者だったか、日本が全豪の感染対策を真似るのは無理だろうとコメントしていたが、文言だけという日本流の特徴が見透かされているようだ。

コロナ対策やオリンピック対策に限らず、首相や閣僚の口からは、そうさせない努力をしているのだから、もしも起こってしまったときのことを論ずるのは時期尚早、筋違い、みたいな言い分を聞くことが、よくある。

これが日本の行政の特徴なのだろうか。

より重要なのは、起こさないようにどうするかよりも、起こってしまったらどうするかをより具体的にシミュレーションして真っ先に準備しておくことではないのか。

それこそがリスクマネージメントというものなのに、日本の首脳陣の発想は、いまだ福島以前の原子力政策と同じなのか。起こさないことを前程としてがんばってますからと。

総合的に冷静に判断して、今の状態でのオリンピックの開催は、やりたいやりたくないでもなければ、させたいさせたくないでもない。できない!やったら後がヤバい!というのが私の印象。具体的な武器が準備できてないのだから。

やってみなければ分からない…そんな状況での開催を国民が望むのかどうか?

一年前の宣言どおりに新型コロナに打ち勝った証しとしてやれるとしたら、今のイギリスやアメリカのように、ワクチンの大規模接種でかつての生活様式を取り戻し、なおかつ、接種が間に合っていない国に対してはワクチンを提供してオリンピックへの参加を後押しする、という状況になっていれば、ということだろう。

けれども、その最大の武器の開発と生産を、他力本願、他国本願にしてしまった今の日本に、それをやる資格と力量はあるのか…?

長―くなってしまいましたが、ここからやっと本題です。

冒頭で検証したように、変異株の威力を考えると、第4波も5波も簡単に許してしまいそうだし、制圧の見込みもないままオリンピックまで背負い込む方向に進んでいる。

けれども、どっかの野党議員のように何でもかんでも反対するだけの口先人間になるつもりは、私はない。

そこで、提案させていただいたのが、2月に「その6.」で述べた再度の強力なステイホーム実施案。

http://onishingo.blogspot.com/2021/02/6-world-war-against-covid-19-part-6-if.html

オリンピックまでに何ができるか。郷里が、この第4波を迎えたにあたって、ここに改めて、その要点を整理しておきたい。

感染が増加傾向に入ると時短営業などを要請し、減少傾向に入ると解除して経済喚起策を打ち、また増加したらまた締めてと。

こんなパターンを何年間も繰り返すのと、短く強く猛烈な感染消滅作戦を打って、あとは一年なりをふつうに過ごすのと、どっちを好まれるでしょうか?

私は、絞め付けと緩和をダラダラと繰り返すことは、性に合いません。我慢はするけど。

消滅作戦が成功している代表的な国が、沖縄県与那国島から肉眼でも望める隣国、台湾だ。

南西諸島と台湾島は目に見えない国境が隔てているだけなのに、沖縄県と台湾での感染の状況はまるっきり違う。

つまり、感染爆発を抑えるファクターXというものは、少なくとも緯度とか気候とかの地理的要因ではなく、抑えるのは人為的要因であるだろうということが推測できる。

日本とは国の規模が違うからできるんだという意見には、大国でもできることを中国が証明している。統計の取り方に問題があるという指摘もあるが、武漢などの映像から人々の様子を見る限り、やはり抑え込んでいるのだろうと思う。国のPR的映像でなく日本人特派員のリポート映像からでもそれは伝わってくる。

一党独裁の共産国だからできるんだという意見には、民主国家でもできることをオーストラリアやニュージーランドが証明している。

要は、地理でも人種でもイデオロギーでもなく、やるかやらないか、それだけなのだ。

そこで、日本流の自粛でもなく欧米流のロックダウンでもない強力な我流のステイホーム案を、仮に、一斉おうちキャンプと称します。

これには、再度10万円の支援金をキーアイテムとするが、昨年のとは名目が違う。

例えば、お店への補助金などは、時短営業に応じてくれたことへの補償・お礼として、みたいな守りの支給であることが一般的だが、山梨県などは、パーティションや換気設備の設置費の一部補助というように攻めの支給を行っている。

一斉おうちキャンプの場合、昨年の10万円が、不便な生活に我慢を強いることへのお詫びのようなニュアンスであったのに対し、今度、全国民に支給してほしい10万円の目的は、ずばり一ヶ月分のサバイバル手当。誰も飢え死にしないための食費だ。

その10万円を元に展開する作戦の概要は以下の通り。

作戦名:全国一斉おうちキャンプ(仮)

実施時期:冷暖房がなくても凍死や熱中症のリクスが低く、低コストで生命を維持しやすい季節。今なら、オリンピック前の梅雨時か。

実施期間:1週間の準備調整期間の後に、間を置かずに3週間のステイホームに入る。

支援金:100,000/一人頭。人体を4週間維持する飢え死にしないための食費。なので、1週間の準備調整期間に入る前に国民全員に行き渡らせておくのが理想だが、行政の混乱を防ぐために、当面の食費は自分で賄えるので10万円支給は実施後でもよいという自己申告も受け付けることとする。

ライフライン支援:電気水道ガス代は、作戦実施期間の使用量の初動◯千円分までは、それぞれ上限を定めて無料とする。上限の使用料を越えた時点で通常料金の課金が始まる。

公務員の協力:作戦実施期間中、給与を半減させていただき、電気水道ガス各事業者の初期無料供給分の経費補填に回させていただく。

外食産業:テイクアウトの店舗のみ、時間を制限せず営業可能とする。

家賃:作戦実施期間が最も被さる月だけは、すべての住宅に対しても店舗に対しても、家主、公団、自治体などは、一ヶ月分の家賃を請求しない。

免税:その一ヶ月分の不動産や固定資産の維持にかかる税金は、政府が免除する。

外出許可対象者:医療関係者、治安に関わる人、ライフライン・通信・交通の維持に関わる人、食料・日用品の生産流通販売に関わる人などエッセンシャルワーカーの方々。さらに、受診・治療に行く人や付き添う人、食料・日用品の買い物に行く人など、生命維持に関わる外出の必要のある方々。遠出は原則禁止だが、状況を把握できている地元での密にならない散歩、ジョギング、サイクリング、釣りなどの健康維持的行動は適宜自己判断でやっていただく。食料・日用品以外の個人の趣味的浪費と、食料・日用品以外の物品の流通は控えていただくのが望ましい。

インフルエンサー:元々週末ソロキャンプをされていた方やキャンピングカーを持たれている方々は、なお一層、野外でのキャンプ三昧、バンライフ三昧などをやっていただき、その知識や情報はバンバン発信していただく。

課題1:家賃の支払いと納税を免除することで、ほとんどの人が10万円で4週間生命を維持することは可能と思われるが、定額の給与の入る会社員やそもそも自宅で仕事ができる職種の方は、この作戦実施期間中も収入が途切れないため、稼働して売上げた分だけが直に収入になる飲食業や商店の方々などとは10万円以外のところで収入に大差が生じ、不公平感が拭えない。例えば、実施期間中の売上げには所得税を免除することにより、業種ごと地域ごとにある大小の組合や協会などで、ステイホームで潤った事業主と損害を受けた事業主の間で互助や共済の工夫ができないものか。

課題2:食費以外に生命維持のための大きな費用がかかる重病人などに対しては、その医療費を賄っている親族なりがステイホームでは収入が得られない業態の方だったりしたら、作戦実施期間中の医療経費の補填が必要となってくるかも。その場合の支援をどうするか。

以上が、私の思いつきによる感染者ゼロに戻すビジョンだが、夢物語過ぎて誰も傾倒してはくれないだろう。

けれども、変異株激増の最中、ワクチン接種率世界最下位レベルの国が、何万人もの外国人を迎え入れて長期間活動させようなどというさらに大きな夢物語をぶち上げているからには、もはや荒唐無稽な絵空事を現実化するぐらいの大断行でなければ、わずか三ヶ月間での起死回生はありえないではないか。そんな想いで、あえて提案させていただいた次第です。

今のペースだと、各競技会場や宿舎周辺の住民に優先的に日本の全保有ワクチンを回すみたいな対策をやるしかないかも。場当たり的ではあるが

そうなると、もはや国民のためのオリンピックなのか、オリンピックのための国民なのか分からなくなってくるが、蔓延防止効果はあるかもしれない。

オリンピックというリクスを日本代表として背負い込ませるのだから、その地域の方々を優先するのは当然のことだと思っているので、それによって地方での接種が遅れることには、私は納得できる。

そして、競技会場そのものは、特段の感染対策を施すはずだから、観戦者の感染は、意外と起こらないかもしれない。

そのような、小さな傷口に次々と絆創膏を貼って回るような対策に終始しそうで、全体像を大観するような対策はもはや難しく、どうしてもオリンピックが終わった後は、首都圏でじわじわ感染が広がり、その後、徐々に全国に蔓延していくような気がする。

去年の今頃は、検査規模を拡大すべきという意見とクラスターの追跡に重点を置けばいいという意見が対立していたが、もし、いったんゼロベースに戻したなら、その後、しばらくはクラスター叩きだけでも蔓延を防止できるかもで、そうなったら、海外からのオリンピックの選手と随行者の動向も、囲い込める範囲で捉えることが可能になるかもしれない。

人智を尽くさずして天命を待つことだけはやめてほしい。見切り発車のオリンピックでは、それこそ、多くの命が天に召されることになってしまうだろう。

新型コロナウィルスで亡くなられたすべて皆様のご冥福をお祈りいたします。

2021年4月5日月曜日

騒乱と山河 ―Trouble and Nature

クーデターについての思いは直近の二編で書いたが、私の考え云々以前に、友人からもマスコミからも、この度のクーデターを肯定する声などまったく聞こえてこない。

http://onishingo.blogspot.com/2021/02/6-world-war-against-covid-19-part-6-if.html

http://onishingo.blogspot.com/2021/03/where-is-your-mind.html

そんな中、327日、ミャンマーの国軍記念日の式典が行われ、ロシア、中国、インド、パキスタン、バングラデシュ、ベトナム、ラオス、タイは、代表者を出席させた。

この八つの国は、丸腰の自国民を狙撃することを実質認めたことになる。それぞれの国軍の軍規はどうなっているのか?恥ずかしくないのか?

この狙撃をよしとしない欧米諸国は、当然ながらミャンマー国軍への制裁を課す一方、日本へは、国軍とのパイプも持っており対話もできる国として期待をしている。

さらに、現在の駐ミャンマー日本国大使は、おそらく各国の大使の中で最もコミュニケーション能力が高く、通訳なしでビルマ語での交渉が澱みなくできる稀有な存在の方だ。

日本政府としては、スーチーさんらの解放やODAの今後などいろいろな課題について協議したいところだろうが、それら政治的な問題は後。

こんな状況においても飽くまでビジネスライクに損得勘定でしか対処しないロシアや中国とは日本は違うんだと。あえて政治的問題には触れず、まずは人道上の大問題、民衆への狙撃を止めることだけに一点集中して交渉に臨んでほしい。

民衆を狙撃しないことが近代国家の証しですよと。まずは、その状況に戻ってから政治経済の話をしようじゃないですかと。

前近代的な武士道や騎士道でも、丸腰の相手を攻撃することは恥。許しがたい行為なのだから。

我々も、少なくとも私が今一番望んでいるのは、不正云々経済云々ではなく、一にも二にも、まずは、これ以上罪のない犠牲者を出さないこと。

ミャンマーの人々も世界も、そこに期待しているはずで、これまで、新型コロナ対策では何の世界貢献もできていない日本政府が、もし、民衆への狙撃停止の確約を取り付けることができたならば、今度こそ世界中の尊敬を集めるだろう。

その前に、直近の課題として、ミャンマーでのデモの映像を見た今の日本人なら、どうしても不安に駆られる点は、「密になっている」ということではないだろうか。

クーデター以前の1月まで、ミャンマーは順調に感染者数を減らしつつあった。

それが、21日以降、さらに急降下し、現在は、以下のグラフの通り、ほぼゼロに近い横ばい状態となっている。

ミャンマーでの新型コロナウィルス感染者数の推移(~4月3日)from Google service page

これは、現在全権の掌握を宣言している軍部のコロナ政策が成功しているということでは決してなく、医療機関が機能不全に陥っていて正しい統計が取れていないと解釈すべきだろう。今の状況では、感染者は増加しているに違いない。

一連のデモの報道では、公務員のCDMCivil Disobedience Movement)、「市民の不服従運動」ということが大きく取り上げられている。

以前の軍事政権下では、日本人を含む外国の人たちの中には、ミャンマーの役所イコール軍部、公務員イコール軍人であろうと思っていた人も多かったが、それは誤解で、公的医療機関なら医学を修めた者、工業省なら工学を修めた者、森林局なら森林学や生態学を修めた者たちが中心になって編成された組織で、むしろ、専門性を持たない軍部からの無理難題にいかに対抗するかに苦慮していた側が役所であり公務員であった。

軍部からは一方通行の出向者を各役所に送り込んではいたが、民主化以降、その影響も収まりつつあり、公務員の中には、国民への奉仕者であるという意識も高まりつつあったはずで、この度の軍部への不服従も当然のことと言える。

CDMは、極めて平和的な当然の権利で有効な反対意思表示の方法ではあるが、大きなジレンマも抱えていると私は思っている。上記の新型コロナの統計がいい例だろう。

医師が職務を放棄したら患者が見殺しになる。畜産家が職務放棄したら家畜が死ぬ。エネルギー事業者が職務放棄したら電気が止まる。

職務放棄・職場放棄と不服従は違うと思うのだ。

もし、森林官が職務放棄したならば…

森は伐採され、野生動物は絶滅に向かう。違法伐採者や密猟者のやりたい放題になってしまい、ミャンマーの山河はたちまち無法地帯と化してしまう。

森林官の職務において極めて大きなウェイトを占めるのが、広大な山河を舞台にした彼らとの気が遠くなるような追いかけっ子で、ミャンマー森林局の歴史は違法者との抗争の歴史でもある。

かつて訪れた鬱蒼とした森が跡形もなく草むらに変貌していたり、深夜の森で遠くから響くチェーンソーの音や銃声を聞いたり、そのような経験を私は何度もしている。油断すると、森や動物が消えてしまうのは、あっと言う間のことだ。

さらに、不服従で給与が出ないとなると、これまで違法行為には手を染めてなかった全うな国民までも、お金になる天然資源を狙ってくることになるかもしれない。中でもターゲットにしやすいのが、樹木と野生動物だ。

決して遠方の他人事ではない。

森を剥ぎ取られた山々は保水力が低下するため、洪水も渇水も起こりやすくなり、土砂の流出も促して、あらゆる自然災害を誘発することになる。山河の荒廃は町場の人々の生死にも直結してくるのだ。

今はそれどころではない、おまえは弾圧の惨状を知らなすぎる、と叱られるかもしれないが、このままではこの一年間で、否、一ヶ月単位で百年単位の喪失を許してしまうかもしれない。これまた取り返しのつかない惨状になる。違法者は、軍とかNLDとかどうでもいい人たちなのだから。

森林局局長は気張ってくれているだろうが、もう手遅れかもしれない、ミャンマーの山河は…

すべての元凶が国軍なのは間違いないが、手放しでCDMを称賛する風潮に諸手を挙げて賛成することは、私はできない。

国のシステムを機能不全にして現時の全権掌握者を無力化させるには、不服従は有効な手段ではあるが、人命と国土を危険に晒すリスクと引き換えの諸刃の剣でもある。

公務員の中でも、言わば、人命のエッセンシャルワーカー、国土のエッセンシャルワーカーと呼べるような人たちは、一斉に職場を離れることは避け、管理職を中心に人員の配置を計画して組織的にCDMを実施し、不服従の意思は示しつつも、国民の生存の保証と国土の保全だけは、どうか維持してほしい。

今、大変な状況に置かれているミャンマーの人たちに対して何の救済もできないことを、大変申し訳なく思っております。

武器を持って向かってくる者に、武器を持たずに抵抗する人たちのことを、私は心から尊敬しています。

庶民の側に付く少数民族独立軍も出てきているが、どうか先制攻撃は控え、護衛に徹してほしい。

そして、軍部の中にも、国民に銃口を向ける今のやり方はおかしいと勇気を持って正しいことが言える真の戦士たちが現れることを切に願う。

亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。

2021年3月17日水曜日

心はどこ? ―Where is your mind?

東日本大震災から10年が過ぎ、コロナ禍に陥ってから1年が過ぎ、ミャンマー国軍によるクーデターが起こってから1ヶ月半が過ぎた。

例年311日頃は日本にはいないのだが、巣篭もり中の今年は、10年前の津波の映像を繰り返し観ることとなった。十周年だったため、例年以上に多く流されたのかもしれない。

久しぶりに記憶が鮮明に蘇っている今のうちに、当時の経験や感情をここに書き留めておこうと思う。クーデターについては、引き続きその後で。

あのときの映像を観ると、今でもなお、胸が詰まって涙ぐんでしまう。

あの津波に呑み込まれて亡くなられた方々のことを思うと、いくら年月が経とうとも、いたたまれない感情を打ち消すことは決してできない。

あの日、2011311日金曜日、私は、13日に東京で催されるミャンマー関連イベントで発表するために愛媛で待機していて、夕方遅くに松山を発つ東京行きのバスに乗るべく、旅支度の仕上げにかかっているところだった。

運命の1446分、愛媛の地盤はピクリとも動かなかったが、たまたま点けていたテレビのワイドショーで、東日本で強い地震があったと速報された。

それからNHKに切り替え、やがて、盛り上がった海水面が陸に向かっている様子が映し出され、これはとんでもないことになると瞬時に悟った。

間もなく各地の固定カメラなどからの中継で、車が波で持ち上がり始めている映像などが流れだしたが、凄惨なシーンが茶の間に映し出されてしまわないための配慮か、ピークに達する前に中継先が次々に切り替わっていた。

そのまま成り行きを観ていたくもあったのだがタイムリミットとなり、家を出て、夜行バスの発車場である松山駅まで出てはみた。けれどもやはり、東京便は運休となった。

やっとメールで繋がったイベント主催者は「やりますよー、大西さんは欠席ですかー?」と、さっきまで津波が寄せる様を観ていた東日本に住んでいるとは思えないようなあっけらかんとした返答で、もしかしたら現地の状況は思ったほど大したことはないのかもしれないと願いも込めつつ、「だったら行きますよ、いいんですね」と。

バス運賃の払戻金を受け取り、松山駅の改札を駆け抜け、ベルが鳴り始めている上りの特急列車に飛び乗った。

さっきまで観ていたウソのような波の渦中に、今まさに大勢の人たちが巻き込まれているかもしれないと思うと、移動中も心はざわつき、穏やかではいられなかった。

まずは瀬戸内海を越えて岡山まで辿り着き、そこから新幹線のホームに駆け込んで直近の上りのひかりに乗ったが、その日はもう、大阪より東へ向かう便はないとのことで、西宮の兄の家に泊まることになった。

後に分かったことだが、JR東日本管内は、ダイヤがどうこうどころではなく完全に麻痺していて、東京まで到達する目処などまったく立っていなかったのだった。

翌朝、さらに行けるところまで東進すべく駅に向かおうとした矢先、主催者から電話があり、やはりイベントは中止するとのことで、私はそのまま愛媛にとんぼ返りすることとなった。

それからというもの、テレビばかり観ては刻々と変化する状況を注視していたが、もう辛くて辛くてやりきれなかった。

すぐにでもできることとして、ささやかな義援金と飲料水の寄付はやらせていただいたが、生き残ってもなお生きるか死ぬかの瀬戸際にいる方々が同じ国の中に大勢おられるという状況の中、不自由なく暮らせていることが申し訳なかったし、何の力にもなれない虚しさを嘆いていた。

一方、そんな最中でも、自分の中では、ライフワークの舞台はミャンマーであるという想いは揺るいでいなかった。

けれども、東の同胞が直面している惨状を前に、何がなんでもミャンマー、などと言ってていいものかどうか…

葛藤の末に心が出した答えは、なにはともあれボランティアに応募し、体を以て復興の一駒となり、それを以て心にけじめを付け、再びミャンマーへとシフトすることをお許しいただく、というものだった。

結果、地元の公的機関が率いるボランティア派遣団に応募し、被災地へは二度赴いた。

http://onishingo.blogspot.com/2011/05/blog-post_19.html

http://onishingo.blogspot.com/2011/06/ah-higashimatsushima.html

その際、カメラは端から持っていかなかった。

体を使って鎮魂の意を捧げたい。それが私の心であって、それ以外の目的は何もなかったから。

当時のカメラの主流はスマホではなくコンデジで、同じバスで同行したみなさんは写真も撮られ、後に家族や友人や同僚に現地の生の惨状を紹介してくださっており、被災地の方々からも、ぜひ伝えてほしいという声も聞かれていた。

おそらくそうしてくれるのではないかという予測もあり、そのお陰で、私は身軽に自分の心のわがままを押し通せた。

それからしばらくして、2011713日、私は再びミャンマーの地を踏んだのだった。

自然がもたらした災害に対しては、まずは真摯に向かい合い、だけども一丸となって立ち向かっていかなければならないのだが、時として、人為的災害が、その全国民の全集中を邪魔してしまうことがある。

福島の原発さえなければ…(原発と発電については、後日、改めてじっくりと書きたい)

そして今、新型コロナという大災害に対して、人類の存亡をかけて全集中で一丸とならねばならないときに、なんでクーデター?

法を超えるクーデターは、どこだろうといつだろうと決して容認すべきものではないが、よりにもよって、なんで今このタイミングでそれをやるか。

「平和的デモ」という言葉がある。

デモと言えば「一部暴徒化」が付き物だが、この度のミャンマーのデモでは、略奪や破壊や公共施設の占拠などといった事件は伝わってこない。

これは、このデモがいかに深刻でガチか、そして、デモを行っているミャンマーの人たちがいかに紳士かを証明している。

私は彼らを心から尊敬し、頭が下がる。

今週になって、中国系の工場が放火されて略奪があったというニュースが入ってきたが、クーデターの直後、国軍は服役中の大勢の元犯罪者に恩赦を出し、市中に放っている。

釈放の際に密約があったかどうかは知らないが、事件の真相が掴めぬ間は、デモ隊のしわざであるとは断定できないだろう。

声は自然と荒げるだろうし、襲われれば物を投げ返したりすることも当然あるにしても、この、いたって平和的なデモに対する、治安部隊と称する兵士や警官の行為。

実弾による最初の犠牲者が出た際、現場の一兵士なり警官なりの突発的な反射や小隊長の衝動的な独断などによるアクシデントであろうと私は思った。

いくらなんでもこの件では、あれは誤射であったとする旨のアナウンスさえ後日軍本部からあるのではないかと待っていた。

ところが、実弾による狙撃は日に日に激化し、現場の判断ではなく完全に本部による指示であることが明らかとなった。酷すぎる。

ミャンマーでは内戦が途絶えておらず、いまだ辺境地では少数民族独立軍との戦闘が展開している最中である。

今回の狙撃は、元々ある内戦が都市部に移っただけという見方もあるかもしれないが、それは違う。ぜんぜん違う。

少数という言葉に惑わされそうで、トラによるネコいじめのような印象を持ってしまいそうだが、それぞれの独立軍は強大な兵力を持っている。

第三の国や組織からの支援や密売品からの利益などで、軍事力が維持でき増強できているのかもしれない。

なので、辺境での内戦は、兵器を持った者同士の争いであって、言わば、双方合意の上で土俵に上がってきての戦闘である。

けれども、今、全国の市中で展開しているのは、丸腰の自国民に向けての発砲である。

逆に、辺境での内戦でも、多くの庶民が犠牲になっているのではないかと疑わざるを得なくなってくる。

戦士がそれでいいのか?

これはもう、武士でも騎士でもなく、士という文字を当てることもはばかられ、血も涙もない職業狙撃手にしか見えない。

戦争の歴史を振り返ると、第二次世界大戦以前の、例えば日本海海戦などでは、降伏した敵艦に対しては砲撃を停止しているし、漂流している敵兵の救護を行ったりもして、お互いの合意による戦士同士の果し合いというポリシーが残っていた。

けれども、洋上ではなくて、一般人のいる休日の真珠湾を日本軍が奇襲したあたりから、戦いのやり方は、もう戦士同士の果し合いではなく、申し合わせも何もない、一般人を巻き添えにした血で血を洗う残酷な近代戦争へと変貌してしまった。

そのパンドラの箱を開けてしまった大日本帝国軍が基礎を築いたとされるミャンマー国軍が、今まさに、丸腰の自国民に向けての発砲を続けている。

今回、アメリカ政府への追従もあるだろうが、日本政府は即座にクーデターを非難した。

もし、ミャンマー国軍の関係者と関わることがあってクーデターの是非を問われるような場面にでも置かれたならば、ごくふつうに答えればいい。

日本政府は正式に「ノー」と答えています、私は日本国民ですから答えは「ノー」ですね、と。

加えて私なら、サムライスピリットは丸腰の相手を攻撃することを認めない、と言うだろう。

中国やアセアンの国々には、内政不干渉の原則があると言う。

他の国でやっている政治には口出ししません、ということだ。

けど、丸腰の市民への発砲、これが政治?

クーデターを政治と言うのなら、その是非の議論は後からしてもいいし、百歩譲って、クーデターを黙認する姿勢もありだとしよう。

けれども、市民への発砲は、決して政治の問題ではないでしょう。これは、人道の問題だ。

内政不干渉の原則によりクーデターの是非を問いたくないのなら問わなくてもいい。けれども、人の道から逸れた非道は止めなければ。

仏教の教えにも背く非道な殺戮も止めない…アセアンはそれでいいの?これがアジアの純心なの?

日本も中国もアセアンも、政治上の問題であるクーデターの是非と人道上の問題である自国民への狙撃は一緒くたにせず、どうか別件として対処してほしい。今すぐ止めてほしい。

クーデターの是非を議論するテーブルに着くのはその後からですよと。

前線に立つ兵士や警察官に士の心があるのなら、自分たちが守るべきものは何なのか、どうか、もう一度考え直してほしい。

クーデターで亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。尊い皆様の魂が、どうか無事に、お釈迦様や神様のもとに届きますように。

2021年2月17日水曜日

第三次世界大戦 -敵は新型コロナウィルス-、その6. やるなら本気で & コロナ禍の騒動 ―World War Ⅲ, against COVID-19, part 6. If do, do earnestly & Turbulence under COVIT-19 calamity


今現在、世界のメディア界を席巻している話題は、恥ずかしいことに日本の東京オリンピックと、悲しいことにミャンマーのクーデターだ。

ミャンマーでの新型コロナウィルス感染者数の推移from Google service page

ご覧のように、ミャンマーの新型コロナの感染状況は、大きな波を体験したものの、その後、順調に制圧しつつあった。

ところが今は、人々が集まらざるを得ない叫ばざるを得ない状況を一部の者たちが作り出してしまっているし、21日以降の統計の信頼性はドンと下がったと見るべきだろう。

ミャンマーのことについては後半で。

森元会長の問題は、男女平等の実現以前の別次元の問題のように、ずっと見えている。

まず、誤解してはいけないのは、性差別と性差は別、ということ。

性差別は絶対にあってはならないが、性差は認めて敬うべきもの。

フラれた友を慰める飲み会で「女ってやつは…」とか、女子会で「うちのハゲ上司が…」とか、長い人生の中、そんな場面に居合わせたり、その手の言葉を発してしまったりした経験は誰にでもおありかと思う。

心底から差別心を持って言っている者もいるだろうが、むしろ、性差を楽しむかのような悪意のない会話であることも多いはず。

けれどもそれは、飲み屋でやってお宅でやっての仲間内の世界のことであって、大勢の前で特定の組織や個人を挙げてアナウンスしてしまったなら、それはもう間違いなく差別行為、一発退場だ。

森氏がどのような心情を持って発言したかは、当人でもなければその場にいたわけでもないので測りかねるが、確実に言えるのは、飲み屋も会議の場も切り替えられないTPOをわきまえない人がトップに立っていた、ということで、それこそが第一に恥ずべきことだった。

奇しくも、会長の辞任を発表したのが212日だったが、この騒動の最中、210日は、我がえひめ丸がハワイ沖で沈没してから、ちょうど20周忌となる日だった。

当時の首相が、まさに森氏で、事故の一報を聞いてもゴルフ場にとどまっていたことが発覚し、首相退任のきっかけとなった。

やはり、三つ子の魂百まで、なのか…

「みんな違ってみんないい」と「みんな同じだ」は、よく似た場面で使われそうだが、実のところはまるっきり違う、似て非なるものだ。

私たちは、単独で増殖できるクラゲではないんだし、雄と雌の組み合わせによってのみ代々種を繋ぐことができる哺乳類の一種である。これは、何十億年もかけて数え切れない生物たちがタスキを繋いだ結果として獲得した生存戦略であって、その進化の賜物を冒涜してはならない。

ジェンダーレスの問題では、撲滅すべき性差別を越えて、敬うべき性差までも無きものにしようとしてはいないか、私は一抹の不安を感じており、そこを意識しつつこの問題に対峙していきたいと思っている。

雄と雌は違う。そこは認めなければ。私がどんなに逆立ちしようとも、一滴の母乳も出すことすらできないのだから。

東京オリンピックを一年延期するにあたり、当時の首相らが言っていたこと、「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しとしてのオリンピック!」。

こう大見得を切ったわけだ。

ぶち上げたからには、打ち勝つための覚悟と勝算はあるんだろうなと、実は期待していた。

今回の戦争だけは、武器は兵器ではない、医術なんだから。

今こそ平和憲法を堅持してきた日本の国力を世界に示すべきとき。

結果、この間、コロナに打ち勝つために何をやってきたか?

日本は打倒コロナに向けて、なんーーーにもできていない。世界に向けて、なんーーーの貢献もしていない。

約十ヶ月前に私が描いていた未来予想図では、今頃は世界に向けて安倍首相あたりがご満悦で、「我が国が開発したワクチンを接種して、選手のみなさんも観客のみなさんもどんどん日本にいらしてください」ぐらいに言っているのだろうなと。

このコロナ禍では、期せずして各国の国力が露呈してしまったが、かつての得意分野でも日本が徐々に取り残されているような肌感覚はあったものの、まさか、医療でもこれほど遅れているとは思わなかった。

個々の医療従事者が劣っているとは思っていない。医療戦争にどれだけの覚悟で挑んでつぎ込むか、政府の本気度の差だ。

海外に出ると、世界には、いまだに日本の力を信じている人たちがかなりいるんだろうなと感じることがある。

例えば、中国製は信用できない、欧米は打算的、助けてくれるのは実直な日本、みたいな感覚を持っていた親日派の人たちは少なからずいたはずだが、このコロナ禍での現状は、その人たちを大いに失望させていることだろう。

結局、「コロナに打ち勝つ!」の言葉の裏付けは、国内には何もなかったわけだ。

トップを目指すような人たちは、私らとは価値観が違うのではないかという気がしている。

いかに聞き心地のいいフレーズを発するか、いかに見栄えのいいスローガンを掲げるかに心血を注ぎ、周りの者からかっこよく見られる自分!というのが、人生最大の目標になっているのではないか?とさえ思えるのだ。

性差の話に戻るが、このコロナ禍を見渡していると、トップに立つ人は女性であるほうがうまくいくのではないかと感じている。

破滅的な危機に瀕した際、人々を救うのは、敵と闘ってきた外向きの個々の闘争本能よりも、家族を守ってきた慈愛に満ちた母性なのではなかろうかと。

結局、ゲームチェンジャーの切り札、ワクチンにおいても、日本は他国への供与どころか、金に物言わせての他国頼りになってしまっているが、公平なワクチンの分配という気運がもっと高まれば、自国で開発できない先進国、まさに今の日本のような国が、途上国以上に最も接種が遅れるのではないかという可能性もある。

集団免疫を持つまでには、もう一波も二波も覚悟しておいたほうがいいかもしれない。

ウィズコロナという言葉も、自分の行動を正当化するために開き直って使われているような印象もあるが、やはり、大手を振って闊歩するには、いったんゼロに押さえ込むのが近道だろうと思っている。

少しでも残っていれば再び二乗倍ずつの増殖を許してしまうが、ゼロ同士はいくら交わってもゼロなので。

そこで、これまでに言ってきたことを実際にコロナ封じ込めに運用するならどうすべきが、まとめとして、ここでシミュレーションを立ててみたい。

コロナ消滅作戦をやる時期は、なるべく低コストで生命維持ができるよう、極寒と酷暑の季節は避けたほうがいい。

実行期間は四週間。最初の一週間が各自各社の準備調整期間で、その後、間を置かずに三週間の強いステイホームに入る。

まず、一人あたり10万円の支給を事前にもう一度やる。その他の補償金はなし。

けれども今度は、決して人気を意識しての支給ではなく、厳然たる目的を持って支給する。

何度か言ってきたように、目的は、各自が飢え死にしないための四週間分の食費だ。

不幸にも路上生活をされている方も、タワマン族の方も、人体の構造はほぼ同じ。十万円あれば、人体を四週間維持するだけの食料は賄えるはず。

なので、一週間の調整期間に入る前に、必ず国民全員に行き渡らせておく。

生命維持に欠かせないライフラインである電気水道ガスは、この四週間だけは、それぞれ上限を定めて◯千円までは無料にし、10万円はほぼ食料に回せるようにする。

上限の使用料を越えた時点で通常料金の課金が始まる。

基本的には全員ステイホームでも、エッセンシャルワーカーの方々には動いてもらわなければならないが、まずは医療関係者、治安に関わる人、ライフライン・交通の維持に関わる人、食料の生産流通に関わる人、受診に行く人や付き添う人などが優先で、できれば、食料以外の個人の浪費そのものと、その物品の流通は控えていただくのが望ましい。

どうしても避けられない難題が、ステイホームによる業態ごとの損失の格差だ。

定額の給与の入る会社員や公務員と、稼働して売上げた分だけが直に収入になる飲食業や商店の方々などとは、10万円以外のところで大差が生まれる。

例えば、公務員の方々の給与は、この間だけ半減していただくというのはどうだろうか。その分を、上限値まで各戸に無料でライフラインを提供する電気水道ガスの供給元への補填に回させていただく。

そして、飲食業などの方々がよく口にされるのが、店をやっていかないと家賃も払えない、ということだ。

そこで、この四週間に限っては、家主、公団、自治体など、すべての借家の管理者は、家賃を請求しないこととする。

すると、当然、家主さんらの収入は止まり、いかに食費だけもらっててもやっていけないという話になるはず。

この玉突きをどんどん突き詰めれば、とどまるところ、政府への納税の義務、というところに行き着く。

そこで、各種の税金の算出根拠と納税の仕組みは、まだよく存じないが、一年分の納税のうち、この四週間分だけは税額を免除するように政府は調整できないだろうか。

免税を保証してもらえるなら、本当に働かなくても10万円だけで四週間飢え死にせずにサバイブできるはず。

それでも、ステイホームでも支障なく仕事をし続けることができる人とできない人の四週間分の収入の格差は、どうしても解消できない

昔は、今よりも互助のシステムが機能していたように思うのだが、もしかしたら、そのあたりにヒントがあるのかもしれない。

業種ごと地域ごとに大小の組合や協会などがあるはずで、その中には、ステイホームで潤う事業主と損害を受ける事業主が混在しているのではないだろうか。

実際、株価を見る限り、押し並べて恐慌というわけでもなさそうだし。

緊急事態期間限定での犠牲者を出さない共済のようなシステムは組めないものだろうか。

この作戦実行期間の売上げだけは、会社や店の収入とはせず、いったん所属の組合や協会にプールして、政府もそこには所得税をかけないとか…

このあたりは逆に、互助の仕組みに詳しい方の意見をお伺いしたいものだ。

以上が、不完全ではありますが、いまだ達成できていない新規感染者ゼロの日という成功体験を日本人全員で味わうための愚案で、キーとなるのは、飢え死にしないための食費としての10万円の支給、光熱費の一部補填、家賃と税金の作戦実行期間分の免除です。

さて、今月に入って、本当に憂鬱で憂鬱でたまらない。

よりにもよってなんでこのコロナ禍でと世界を唖然とさせたミャンマーの軍事クーデターだが、軍部が選挙結果を覆したのは今回が初めてではなく、直近では1988年の騒乱を経て実施した1990年の総選挙でやっていて、そのときも覆されたのはスー・チーさんの政党だった。

けれども、20年前と今では、通信インフラや人々の心情など、社会情勢がまるっきり違う。

当時の手法が今でも通じると読み違えたか、軍部の中にも森氏並のKYな者がいたのではないかと疑ってしまう。

私が最初にミャンマーに住んだのは、まさに先の暫定軍事政権下の1990年から95年で、その後も、日本よりもミャンマーで長い時間を過ごしており、軍事政権から中間政権、民主政権への移ろいを体験してきた。

その私の肌感覚でそれぞれの政権を評価すると、理不尽な軍事政権、杓子定規なスー・チー政権、という印象がある。

自分たちの投票で選んだ民主政権だったが、諸手を挙げて迎え入れられた後、時間が経つにつれ、いろいろな不都合も見えてきていた。

そして、元軍人のテイン・セイン氏が大統領だった時代、最後の軍事政権にして最初の民主政権のような、いわば移行期だったあの頃が一番仕事がしやすかった、と漏らす声は、実は、巷では徐々に聞かれるようになっていた。

確かに、テイン・セイン時代には、真の民主主義の夜明けが目前に迫っているという夢があり、高揚感に満ちていた。

そして迎えた5年ぶりの総選挙。

今回は、5年一度のミャンマー総選挙と4年一度のアメリカ大統領選挙がたまたま重なり、同じ週に投票が実施された。

結果は、アメリカでは民主党のバイデン氏が、ミャンマーではスー・チーさんの政党が勝ったわけだが、御存知の通り、トランプ氏は選挙に不正があったと主張し、揉めに揉めた。

なんか、各国のデモも含め、ごねることはトレンド、みたいな雰囲気が世界を包んでいるかのようで、その流れに乗っかるかのように、ミャンマーの軍部も選挙に不正があったと主張してきた。

けれども、この両国の選挙結果と不正の主張は、まさに似て非なるものだった。

トランプ派の中には、正しく選挙をすれば勝てると、本気で思っている人が多数いるのだろうが、実際それほど僅差の得票数だった。

それに対しミャンマーでは、得票数をカウントし直したり今すぐ選挙をやり直したりすれば結果は逆転する、などとは誰も思っていない、おそらく軍部も。それほど圧倒的大差でのスー・チーさんの勝利だった。

つまり、ガチでカウントし直したり投票し直したりすれば結果は逆転するのではないかと憶測しての「不正があった」がアメリカの状況なのに対し、ミャンマーのほうは、勝ち負けではなく、不正があったからこの選挙自体が無効だ、というのが軍部の論法なのだ。

とにかく、アメリカの状況が軍部の主張を後押ししたのは間違いないと思う。

加えて、隣国タイでは、同じくクーデターで軍事政権が誕生したが、その後も、各国から制裁が強まったという記憶はなく、外資系の企業を含む経済活動は澱みなく続いているように見える。

その後、民主的な選挙によって新政権が誕生したが、首相には、依然としてクーデターで就いた軍出身者がとどまっている。

このタイの状況も軍のクーデターを後押ししたのだろう。

ミャンマー軍からすれば、隣のタイではクーデターは不問に付されているのに、なんでうちだけ制裁を受けなければならないの?と言いたいところかもだが、タイには秩序の象徴であり外国からもアンタッチャブルな存在である王室がある。

その絶対的カリスマが承認(黙認)している限り、経済活動を止める理由も制裁を加える理由もないのだろう。代が替わってカリスマ性に陰りが見えてきてはいるが。

一方ミャンマーでは、絶対的カリスマはスー・チーさんそのものであり、それより上はない。

そこも、まるっきり状況が違うのだ。

今回のクーデターは、国家の危機を是正するために憲法にある一文に則った正しい行為であったように主張している。

その原文を読んだわけではないが、憲法や法律にある文言を抜粋して解釈して、自分たちに有利になるように適用するという、いわば、こじつけ合戦は、政治の世界ではごくふつうに行われる常套手段だ。

スー・チーさんに与えられた国家顧問というポストにしても、現存する法律を適用して設けた合法的な裏技のようなもので、なるほどと、スー・チーさんのケンカのうまさに感心したものだ。

だとしても、今回のクーデターは、あまりにも民意とかけ離れすぎている。

先に述べたように、テイン・セイン時代を懐かしむ声に加え、真の民主政権が誕生したものの、仕事では古き慣習が通じなくなったり、各地の少数民族独立軍との和平が遅々として進まなかったりで、もしかしたら、今度の(昨年11月の)選挙では、軍系政党とスー・チー政党が拮抗するのではないか、という雰囲気が徐々に漂い始めているようだった。

加えて新型コロナによる不安と経済の停滞。

そこで、人々の心の中に、ある想い、危機感が芽生えて大きくなっていったのではないかと、僭越ながら私はお察ししている。

それは、どんなことがあっても、あの時代にだけは戻りたくない!ということ。

半鎖国状態だった90年代前半も、外国製品はめったになくとも、市場には地元の食品が溢れ、人々の笑顔は絶えず、決して俯いたまま過ごしていたわけではなかった。

けれども、市中にはスパイが暗躍し、数少ない電話は盗聴され、国民には密告の義務も課せられ、笑顔の中にも、心のどこかにいつも疑心暗鬼を抱えていたような日常だった。

スー・チー政党の5年間の実績そのもの以上に、軍系政党が勝ってしまったらあの時代に戻ってしまうのではないか?という危機感からの反動で、大量の投票が流れ、圧倒的得票差になったのではないかと推察している。

そして起こったクーデター。

政権が交代するたびに翻弄されて板挟みになるのはいつも役所だが、今回は公務員も大勢デモに参加している。一部の警察官さえも。

せっかく勝ち得た民主主義を瓦解させた行動に大勢の人々が怒っている。

今の国軍と国民の図式は、「ナウシカ」の巨神兵とオーム、古くは「モスラ」のネルソンとインファント島民のようで、もう、恐怖で人々を押さえ込むことはできないだろう。

もし、逆らう者はしょっ引くと言うのなら、だったら数千万人分の牢屋なんて準備できんの?ってことになる。

選挙結果はそれを物語っており、ツービートの漫才じゃないけど、みんなでやれば…といった状況だ。

昨今の世界では、デモ=正義、みたいな雰囲気が漂っているような気がするが、中身は一つ一つ吟味する必要がある。

ブラックライブスマターのデモなのに店を破壊して商品を略奪したりするのは問題外だが、香港民主化運動でも、駅の設備を破壊したり、空港を占拠して国際便の発着を止めたりしたグループがいた。

多くのデモ参加者は純粋だろうが、本来の目的とは何の関係もない破壊的行為をした者に正義はない。ただのゴロツキだ。

そこを非難しないマスコミも公平性に欠け、彼らをプロパガンダに利用しているとしか思えない。

現在起こっているミャンマーのデモでは、まだそのような破壊行為は聞いていない。軍側はすでに発砲しているにも関わらずだ。

そのようなミャンマーの人たちの節度ある国民性は、本当にすばらしい。尊敬します。

みんなが求めているのは、飽くまでも選挙結果の遵守なのだ。その象徴として、選挙結果に反するスー・チーさんらの拘束はやめよと。

今後の展開でキーとなるのは、アセアンには内政不干渉の原則があるので、やはり中国の動向だろう。

ウイグルや香港の自治の問題や、世界地図持ってないの?と言いたくなるような南沙諸島の領有権問題などで世界から非難されている中で、そんなに分からず屋ではないよというアピールとしてでも、ミャンマー国軍に対し、いくらなんでもこのクーデターはないんじゃないの、と一言言ってくれるかどうか。

中国内陸からインド洋への直結ルートの価値を考えれば、そのようなパフォーマンスへの期待は限りなくゼロに近いだろうが…むしろ、中国がクーデターを後押ししたのではないかとの憶測もあるぐらいだから。

デモの行方とともに、この状況で私が危惧していることは、これからの山河のありようだ。

88年のクーデターの直後、各地で秩序が崩壊して無法地帯が広がったようで、その頃に、野生生物の数が一気に激減したと推測している。

ミャンマーの国土内でスマトラサイが絶滅したのもトラが絶滅寸前にまでなったのも、おそらくその頃だ。

当時はまだ、重機やチェーンソーが普及していなかったのが不幸中の幸いだったが、今は違う。

無法化するにしても暫定政権が方針を転換するにしても、その気になれば、国土を裸にしてしまうことなど、あっと言う間だ。

私は、医療や、自然・環境などに関する問題は、常に政治からは独立して扱われるべきと思っている。

右だろうと左だろうと、守るべきものは同じ。敬うべきものは同じ。

旧友である森林局局長からは、とても困難な状況だけど、よりよい未来を願ってがんばっているとの言葉をいただき、胸が熱くなった。

とにかく、早くコロナが収束し、政情が安定し、自由な往来と議論が交わせる世の中になってほしい。

新型コロナウィルスで亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、デモによる犠牲者が出ませんようお祈りしております。