雨季の間、多めに降った直後は町のいたる所で冠水する
サイクロンが通り過ぎた直後にミャンマーは雨季に入り、「被災者は雨水を飲むことを強いられている」と報道は伝えたが、これは、めったにミャンマーに来たことのない取材者の誤解である。
元々ミャンマーの農村に水道はなく、池や川や井戸などの天然水を使っており、中でも雨水は飲食には最適なのだ。
雨季前の被災だったことは、逆に不幸中の幸いだったと言ってもよく、もし乾季だったら、遺体や家畜の死体で汚染された潮(しお)混じりの水を使う羽目(はめ)になっていただろう。
ニュースでは、各国から届いたテントの家並がよく映っていたが、残念ながら、取材陣が去ると、ほとんど誰も住んでいないということだ。雨季のミャンマーでは、密閉されたテントは湿気て蒸し暑く、不快なのだ。
被災者は、高床の小屋の骨組みなら流木や廃材を使って簡単に作ってしまうので、むしろ、ミャンマー国内の支援者が寄付したビニールシートのロールのほうが、直ちに雨露をしのげる屋根になるので重宝されているのが現実なのである。
“何か助けになりたい”、“とにかくできることをやりたい”と願う人々の善意は、絶対に無駄にはなってほしくない。それだけに、最初に引くレールの方向は、本当に慎重に決めなければならないだろう。
今回、人々は一つの教訓を得た。デルタを形作る広大な中洲の数々が一時衛星写真から消えたのは、流失ではなく浸水していたのだということが後になって分かった。そんな中でも、浸水することなく形がそのまま残っていた中州もあった。その一つに、かつて私もワニの探索で何度か滞在したメインマラー島がある。
大きな中州は、だんだん不動の平らな島となっていき、さらに、冠水に強い植物が根付いて、だんだん陸地を固めてゆく。メインマラー島は、そうしてできたマングローブ林に全島覆(おお)われている。
現在('08年7月時点)、暴風と高潮の直撃を受けた島の木々は瀕死の状態だそうだが、サイクロン直撃当時は、マングローブの森の内部では激流は緩和されていたはずだ。
森に囲まれていた集落や、周囲に竹を植えていた家が、浸水はしても倒壊(とうかい)をまぬがれた例も多々報告されている。
現在、堤防を兼任(けんにん)する“かさ”の高い道路の建設、シェルターにもなる鉄筋二階建ての僧院や学校の建設とともに、植林は、復興の柱の一つとなっている。今度は、樹種の選定というレールの方向をくれぐれも間違わないでほしい。まずは、雑多な種類の混植を試し、適地適木を見極めるのがいいと思う。
さて、結局私にできたことといえば、少しばかりの寄付と、数日間の支援物資の梱包作業だけで、それで犠牲者のお弔(とむら)いができたとは、ぜんぜん思ってない。けど、何もやらないよりはよかった。自己満足かもしれないけれど。
僧院の背後に植樹するボランティアグループ
小中学校の周囲に植樹するボランティアグループ
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