2024年9月21日土曜日

争乱の中の動物たち ―Animals in Conflict

スローロリス
Slow Loris (Nycticebus coucang tenasserimensis), Jan. ’24
20203月に搭乗したヤンゴン発東京行きのバンコク-東京間が、その航空会社の最後のフライトとなり、45月の連休後にミャンマーに戻るつもりで買っていたチケットもフイになってしまった。

そこから世界は臥薪嘗胆の時代に入り、私も愛媛に閉じ込められた。

自分に有利な情報だけをかき集めては行動の自粛に逆らい続けた人たちもいたが、大多数の人たちの一致団結により、数年後には世界は再び動き出した。

ワクチンの宿命か、副作用と後遺症の犠牲になられた人がいるのは辛いが、カリコさんらのお陰で、ウィルスによる人類の大量淘汰は今のところ止まっている。

そして、世界は何事もなかったかのように、生産活動も観光も再開している。

シロクチカロテス
Blue Forest Lizard (Calotes mystaceus), Jul. ‘22
けれども、ミャンマーは違った。

よりによって、コロナ禍の真っ只中で、国軍がクーデターを起こしてしまったのだ。

私にはこのクーデターが、東日本大震災の中の福島第一原発の事故とオーバーラップした。

撤去すればするほど瓦礫は減り、造れば造るほど町は再生する。その目標に向かってがんばるのみだった、原発事故さえなければ。

火災は燃え尽きて終わり、津波は一掃していって終わるが、核汚染だけはそうはいかない。そこに放射線源がある限り、手も足も出せない状態が延々と続く。人の手に負えるような代物ではないことを、我々は思い知らされている。

メンフクロウ
Barn Owl (Tyto alba), Dec. ‘22
ウィルスさえ押さこめば、以前と同じように動き回って、やりたいことをやれるのだったら、たった一つのその目標に向かって耐え難い我慢にも耐え続けようではないか。腹は据わっていた。

なのになのにそんな生死をかけた闘いにみんなが挑んでいるさなかに、なんで新たな闘争の火種を畳みかけるかなあ...

ハイガシラモズ
Burmese Shrike (Lanius cllurioides) , Jan. ’23
やがて、コロナウィルスのコントロールに成功した国から次々と開国が始まった。そして、選挙を経ていない暫定政権のミャンマー国軍もそれに倣うかのように空港を開場し、通常のビザの発行業務も再開した。

けれども、国内の情勢は何ら変わっておらず、入国することイコール未承認の政権に資金を与えること、という図式も成り立つため、ミャンマーだけは依然として高い壁の向こうにあるようだった。

ビザの購入費はもちろんのこと、ミャンマー国内で泊まったり移動したりすることも、税金という形で国家の収入となり、つまり時の政権の資金となるのは事実である。それがどう使われるか、国民に還元されるかどうかは、政権の腹次第なのだが

渡航するお金があるぐらいなら我々に寄付してください、そうしてくれたら、あなたの代わりに我々が国をよくするから、あなた自身は来なくても大丈夫です、という意見もあるだろう。

けれども、それでどこまで現実を理解することができるだろうか。入国は、時の政権を支援することにしかならないのだろうか。

例えば、ある疑念を抱える団体の実態に迫るため、参加費を払ってその団体の講演や勉強会に参加したとしたら、その支払いすらその団体を支援していることになるのか、って話だ。

個々人の能力にもよるのだろうが、残念ながら私の場合、これまでメディアや人を通じて得た認識と、実際にこの目で見た現実のギャップは、はなはだ大きかった。

自分の目で見てみないと真実には近づけないであろうことは、これまでの実体験として、自分の能力の限界として自覚しているのだ。

かくして私は、行って自分の目で確かめるという道を選び、2022年の7月に最初の機会を得て、それ以来、ミャンマー訪問を再開することとなった。

スポンサーがいるでもなく命令を下すボスがいるでもないが、理解と共感を示してくれる人たちはおり、心の支えとなっている。

最初は小さなコンパクトカメラでの記録ぐらいから始め、空気を読み変化を察知しつつ進み、行けるところまで行ってやれることからやるつもりで徐々に活動の幅を広げていった。

そして現在のところ、民間人による森の維持や造成の試みと、コロナ禍とクーデターを経た自然環境や動物たちの現在の様子を探ることを二本柱として主に取り組んでいる。

本編ではその柱の一つ、動物たちの様子について、最近の彼らの素顔を撮った写真を散りばめながらお伝えします。

久々なのでたっぷり載せようと欲張ったせいで、文章内容とその前後に配置した写真は必ずしも連動してはいないが、いずれも直近2年数カ月間での記録であることには違いない。

キタカササギサイチョウ
Oriental Pied Hornbill (Anthracoceros albirostris), Jan. ’24
2023年の雨期に再会できた3つのターゲットの様子については、この直前の3編にて紹介している。

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/1kingdom-of-water-part-1.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/2kingdom-of-water-part-2.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/3kingdom-of-water-part-3.html

なるべく満遍なくそれぞれの季節を回りたいと思っているが、ミャンマーには季節が3つあるとされ、国内では、社名やホテル名にも”Three seasons”という言葉が使わるほどの常識となっている。

四季ならぬ三季の内訳は、Hot season, Rainy season, Cool seasonで、暑季、雨季、涼季と訳せる。

確かに、暑季はすさまじく暑く、涼季はかなり涼しく、英語のできるミャンマー人は、それをサマーとウィンターだとしている。

けれども、単純に気温の差をもとに季節を区分している日本や欧米からすれば、そこに雨の程度を絡めることには違和感があるかもしれない。

それは、春と夏の間に梅雨を雨季だとして挟んで、日本には五季があると言っているようなものではないか。

めったに摂氏10度も下回らないようなヤンゴンあたりの気温なら、そんなの冬じゃない、常夏じゃが、と言いたいところだろう。

そこで、気温は年じゅう小暑から大暑までの夏の範疇に収まっているとして、降雨量だけで一年を分けるとすると、ミャンマーははっきりとRainy seasonDry seasonに分かれる。

私はそれを、雨期と乾期と表記して、漢字を使い分けている。その乾期の中で、気温は涼季から暑季へと移ろう、というわけだ。

オオコノハズク
Collared Scops Owl (Otus bakkamoena), Jan. ’24
季節ごとに変化する動物たちの姿を求めて訪ねる先は、基本的には停戦状態にある地域となる。

ホテルやゲストハウスが外国人を泊めている町ならば、まず問題ないが、非戦闘地域であっても、外国人の滞在を許すか許さないかは、その土地々々の治安を司る者たちの裁量によるところが大きい。

ナンヨウショウビン
Collared Kingfisher (Halcyon chloris), Jan. ’24
問答無用で直ちに出て行けと言われることもあれば、昼間いるのはいいが夜間に泊まることは認めない地域もあったりで、判断は様々である。

また、情勢は刻々と変化しており、国軍と反国軍組織の最新の勢力図次第では、去年行けたからといって今年も行けるとは限らない。ケースバイケースである。

オオアジサシ
Great Crested Tern (Sterna bergii), Jan. ’24
クーデターが起こった直後は、ほとんどの国民は国軍に反対し、3年以上経過した今でも、投票による民主的な政府の誕生を願う気持ちは持ち続けている。

ただ、国軍が武器による制圧を始めてからは、武器には武器を持って徹底抗戦する者と、自分と家族の命や地域を守るために非戦を選ぶ者とに分かれていった。

どのように対応するかの判断は、個人ごと地域ごとの事情によって様々なのは当然で、外部の者が、どっちが正しいか間違っているかなどと軽々しくは言えない。

アガマ科カロテス属のトカゲ(未分類)
A Lizard 
(Calotes sp., unidentified), Jan. ’24
ともかく、反クーデターの猛烈なデモが発生したのは全国的で、多くの公務員も不服従運動を実行して政府の機能はしばらく麻痺状態にあった。

そんな中、毒性の強いコロナウィルスのデルタ株が蔓延して多くの人が罹患し、医療行政の不備により、多くの患者が亡くなった。

日本でさえ分断が加速していた時代に、ダブルの災いに見舞われたミャンマーの人たち。自暴自棄になったとしてもおかしくはない。

山河や野生動物もどれほどの被害を受けていることか、不安は募る一方で、それなりの覚悟もしていた。

Jul. ‘22
そして実現した地方への再訪。

放飼中の牛
Domestic cattle on the range, Jul. ‘24
まず、予測通りだったのは、生き物を扱う仕事に従事している人たちの対応だった。

畑を耕す牛
A cattle is plowing a farm, Jul. ‘24
彼らは、自分たちが養っているものたちを決して見捨ててはいなかった。クーデターが起ころうとデモが起ころうと世話は欠かせず、育て上げ、使役したり売りに出したりして、そして生計を立てている。中断することの許されない生業だ。

Feb. ’23
放飼中の水牛
Domestic buffalos on the range, Jul. ‘23
日本のコロナ禍で私も体験したが、養殖業や畜産業や農業をやる者にとって、リモートワークなど別世界の話であって、フルコンタクトでなければ生き物の世話などできるはずはないのだから。

アヒルを放飼させている若い女性
A young lady is leading ducks, Feb. ’23
では、野生動物はどうか。

まず、野生でありながら人の居住地の近くに棲む動物がいて、その中には絶滅が危惧される種類もいる。

その距離の近さから、やろうと思えば、住民は彼らを捕まえて食料にすることも難しくはないだろう。

Jul. ’23
オオヅル
Sarus Crane (Grus antigone), Dec. ’23
けれども、そんな変貌を恐れていたのは、私の取り越し苦労だった。

住民とその動物たちとの距離感はコロナ禍以前と変わらず、生息環境も生息数も以前と大きくは変わっていないような印象を受けた。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican (Pelecanus Philippensis), Jul. ’23
集落からさらに離れた地域においては、ある住民グループに対して、私は密かに期待を寄せていたのだが、想像していたその状況が実際に存在するのかどうか、確認する機会を得た。

前世紀の末期から政府森林局が中心になって整備され推し進められていたコミュニティーフォレストリーという制度がある。

それは、所定の条件をクリアーした民間人のグループが主体となって森林を管理していくという方法で、元々近くにあった森を生物資源の保護や伝統の継承のために合法的に維持していくというパターンも、荒廃した土地を植林によって森に変えていくというパターンもある。

https://www.makino.or.jp/img_data/PAGE_science-report_36.pdf?3

コロナ禍の直前まで、その面積は全国的に増え続けていたのだが、せっかく取得していたコミュニティーフォレストリーの認定証を、満期が来る前に返上したという例もあった。

その事例があった場所は、元々開墾が進んでいる農村地帯で、一年毎の収穫をあてにして生計を立てている農民たちにとっては、何年も先にならないと収入を得られない森を維持し続けることが苦痛になり、収入が毎年得られる農地に戻したくなって林業を断念した、というのが主な理由で、クーデターとは直接関係がなかった。

将来への先行投資になじみの薄い農民への森作りの推進については、毎年の収穫も得られる方法を導入して、現在、民間ベースで実地に試しているところである。

コミュニティーフォレストの存在を告げる看板
A sign announcing the presence of Community Forest, Jan. ’24
一方、私が期待していたのは、政権がどうなろうと行政が機能不全になろうと、コミュニティーフォレストの共同利用者たちは、自分たちの意思で、自分たちが管理している森を死守するのではないか、無法者の侵入は許さないのではないか、ということだった。

期待通り、コロナ禍以前から変わらず自分たちのコミュニティーフォレストを守り続けている現場は確かにあった。訪ねたのはまだ数カ所ではあるが。

スローロリス
Slow Loris (Nycticebus coucang tenasserimensis), Jan. ’24
けれども、山河の守人となっている彼らの奮闘ぶりを知る者は、あまりいないかもしれない。

政権がどうあろうと国民に罪はない。政治の混乱を理由に、民間人との交流までも絶ってしまっていいものか?森や動物や地域住民の現状を見て未来を想うにつけ、考えさせられる。
ダルマインコ
Red-breasted Parakeet (Psittacula alexandri), Jun. ’23
やがて私は自然保護地域への入域を試み、再訪以来避けていた保護官との接触も、現場での成り行きの中で一部再開することとなった。

彼らを統制する立場にある暫定政権が国軍であるという現実には、名名忸怩たる思いを持っているのは間違いない。その感情は、ひしひしと伝わってくる。

カンムリワシ
Crested Serpent Eagle (Spilornis cheela), Jun. ’23
けれども、上が誰であろうと、現場でやるべきことはやっている、というのが、私が受けた印象だった。

来客があると聞いたからといって急に取り繕えるものではない。昨日今日の訪問者ならまだしも私はだまされない。森を見て動物を見れば分かる。

やはり、基本的に彼らは、その土地の自然や動物のことが好きなのだと思う。

ハリオハチクイ
Blue-tailed Bee-eater (Merops philippinus)Dec. ’23
訪ねた保護地域の一つでは、クーデター後の騒乱の中で一時放置されていた自然環境をリハビリすべく奮闘している状況だったが、コロナ禍以前に比べて違法伐採者や密猟()者が凶暴化しており、特に夜間は反撃されることもあって、取り締まりは困難になっているとのことだった。

イリエワニ
Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus), Dec. ’23
ここまで紹介してきたのは、現在停戦状態にあるエリアに限られた状況である。

行けるところまで行って...というポリシーの中、まだ行けていないのが紛争地域で、その中の様子はぜんぜん掴めていない。一番の心配事だ。

例えば、コロナ禍以前によく訪ねていたサガイン管区内やラカイン州内にある保護地域には、現在入ることはできない。

ただ、情報を伝え聞くことはあり、民主化を求める多くの国民が支持している反国軍部隊が制圧している森林地帯では、彼らは独自にルールを作って自然環境を守っている、という話も聞いた。なぜなら森は、彼らの基地を守るバリアでもあるから。

もっともな話で、交戦が始まった当初はそうだったかもしれない。

クロトキ
Black-headed Ibis (Threskiornis melanocephalus), Dec. ’23
けれども、ここまで戦闘が長引いた今でも、そうであるかどうかは分からない。森はバリアであると同時に資源でもある。

私は、野生動物にとっては、国軍部隊も反国軍部隊も、兵隊はみんな天敵になるのではなかろうかと恐れている。

兵士も人の子、戦下にあっても、いや、戦下でこそ人一倍食べなければ生きていけないし、武器を持たなければ自分を守ることも敵を倒すこともできない。

食料も武器も、調達するには資金がいる。そこで、戦争が一つの産業のように回り始めることになる。そして、手段であったはずの戦争が長引けば長引くほど、だんだんと戦争そのものが目的となってくる。

ブロンズトキ
Glossy Ibis (Plegadis falcinellus)Dec. ’23
そうなると、敵を倒すという大義の下ならば、何事も許されるようになっていくのではなかろうかと危惧するのである。

兵士を生かし武器を調達するためなら、木を伐って売ることも動物を捕って食べたり売ったりすることもやむを得ない、すべては勝つためなのだ!となるのではないか?

やっと経済的に豊かになった社会や組織が、最後の醸成の段階で初めて取り組めるようになるのが、福祉とか自然保護とかであって、よっぽどのゆとりがなければ、たいていそれらは後回しにされるものだ。

リュウキュウガモ
Lesser Whistling-Duck (Dendrocygna javanica), Dec. ’23
国内外からの寄付金の使い道も、保証はできないかもしれない。

例えば、戦闘に巻き込まれて傷ついた人たちの治療を目的として集めた寄付金であったとしても、切羽詰まってくると、傷つけてくる根本原因を断つためなのだから、そのお金で敵を潰す武器を買うことは寄付の目的に添っている、という解釈もできなくはない。

ウクライナ軍がロシア国内への侵攻を始めたのと同じ、攻撃は最大の防御という理屈だ。

結果、よっぽど末端の受益者まで見えている寄付でないと、相手は敵兵とは言え、善意の寄付者が人殺しに加担することになってしまう。

チュウヒ
Eastern Marsh-Harrier (Circus spilonotus), Dec. ’23
繰り返すが、私はまだ紛争地の現場を見ていないので、これらの分析は推測でしかない。

レンカク
Peasant-tailed Jacana (Hydrophasianus chirurgus), Jul. ’23
ここで気になるのが、人に管理され、人のために働きつつ半野生状態で森の奥で暮らすミャンマー独特の使役ゾウの現状だ。

そもそもゾウ使いと使役ゾウは、持続可能なミャンマー式択伐法の行程の中に組み込まれていて、彼らのほとんどが公務員である。民間のグループの場合も、多くは国の仕事を請け負う形で、それぞれが伐採搬出を担っていた。

ところが、違法伐採の増加やダム工事に伴う皆伐により、近年森林面積は大きく減少したため、特に2016年に発足したシン・民主政権は木材の伐採量を大きく制限し、使役ゾウの仕事も減っていった。

そこで、天然資源・環境保全省傘下の木材公社は、観光地の近くや幹線道路の近くに、一般の人たちに見せるためのゾウのキャンプを新たに作り、来客を乗せて遊覧したりゾウ使いとゾウの連携の技を披露したりして、収入を補うようになった。

Jun. ’23
里に降りたそれらの少数のゾウ使いと使役ゾウたちが、奥地に残っている彼らの大勢の仲間たちの暮らしを助けているという形で、コロナとクーデターで来客が激減した今も、その図式は残っている。

Feb. ’24
丸太の搬出の仕事がなくとも、ゾウの面倒を見ることそのものがゾウ使いの仕事であり、政府はそれに給料を払い続けているので、搬出の仕事の減少がコンビを解消する原因とはならない。

収穫後のサトウキビ畑に出てきた野生ゾウ
Wild elephants comes in sugarcane field after harvest, Jan. ’23
クーデター以降の私は、野生ゾウが農地に降りてきて問題となっている地域と、そのようなゾウを捕獲したり追い返したりするために訓練されたゾウとゾウ使いの特別チームのキャンプを訪ねて、獣医官による定期健診などにも立ち会ったが、彼らの関係性は以前と変わらず保たれていた。

天然の泡が立つアカシア属の木の皮でゾウの体を洗う
Washing a elephant body with the naturally foaming bark of Acacia sp., Jan. ’23
Jan. '23
けれども、今まさに陣地の取り合いの舞台となっている奥地にとどまっている使役ゾウたちの現状は見れておらず、それについては地元メディアも関心があるようで、記事に取り上げられることもある。

そのいくつかは日本の大手メディアにも引用され、そこでは、「ゾウに餌を与えることもままならない」という反国軍のゾウ使いのコメントや「飼育しきれなくなった使役ゾウが森林で放し飼い状態になる例が増えた」との報道などを紹介している。

拙著の読者には、もうお気づきの方もおられるだろうが、この二つの文を見ただけで、現場のことをぜんぜん知らない者が又聞きだけで書いた原文であろうことが想像できる。

多くのミャンマー人はSNSが大好きで、メディアもウェブ空間上に網を張っているはずだ。そこで拾ったニュースのネタを元に記者が現場に赴くのならいいのだが、自身による事実確認なしに記事にしている可能性がある。

先ほど、半野生状態と述べたが、人の住む里にゾウたちを連れてきているのではなく、ゾウが本来住む森にタフなゾウ使いたちが入って共に暮らしているのである。

そして、荷物運搬や丸太搬出の仕事の時以外はゾウは森に放され、彼ら自身が自由に野生の餌を食べている。

つまり、ミャンマーの森では、そもそも使役ゾウに餌を与える習慣などないのだ。

プラスアルファで補うのは、訓練のときなどにご褒美に使うタマリンドの実や、弱っているときに与える栄養剤などで、人で言えば、おやつやサプリメントのようなもので、それで腹を太らせるわけではない。

なので、「薬を与えるのもままならない」とでも言うのであれば、あり得る話だが、「餌を与えることも」とは、現場を知らないとしか言いようがない発言なのだ。

「放し飼い状態になる」との文については、そもそもミャンマーでは放し飼いがスタンダードなので、どこの国の話をしてんだってところだ。

Jun. ’23
実は、ミャンマー人の中でも、そんな森の暮らしぶりを知っている者は少ない。

なので、日頃ゾウを見たことがない里の人が奥地に避難してきて、生まれて初めて柵のない状態でゾウと遭遇して面食らい、それを町の記者が聞きつけて、そのまま文章にしたという可能性はある。

地元の森人なら、放飼中の使役ゾウが近くにいたら簡単に痕跡を見つけ気配を感じられるし、ゾウ使いも、ゾウの居場所が分かりやすいように首に木製のベルをぶら下げている。カウベルならぬエレファントベルだ。

なので、「ベルも着いていない使役ゾウが放浪していてゾウ使いが連れ戻しに来たこともない」というのであれば矛盾はなく、異常事態として取り上げることにも意義があるが、ただ単に、森の流儀を知らない新たな移住者が、放し飼いのゾウに恐れおののいているというだけなら、そんなことはゾウ使いの知ったこっちゃない。

元々の彼らの暮らしぶりがどんなものなのか、そのベースを理解していないまま鵜呑みにして書くから、私などに信憑性を疑われるあやふやな文章になってしまうのだ。

本にするだけでは届かないのかと、私自身の発信力のなさも反省する次第です。

奥地にいる使役ゾウの現状として、私が一番信憑性があると感じた当事者からの説明は、以下のようなものだった。

まず、深い森の中では、ゾウほど優れた運搬手段は他にない。それは、森に暮らしたことがある者なら誰もが実感するところである。

多くの犠牲者が出た第二次世界大戦時のアラカン越えも、牛車ではなくゾウを使えていたならば、犠牲者はもっと少なくてすんだのではないかと私は考えている。

その能力を知るからこそ、国軍部隊も反国軍部隊も、ゾウとゾウ使いだけは大切にしているため、彼らは無事に過ごせているという。

そして、物資運搬の依頼があれば、ポリシーと関係なくどちら側にも応じている、とのことである。それで謝礼をもらえる機会もあることだろう。

獣医官がゾウの健診や治療を行う
A governmental veterinarian gives medical checkups and treatments to elephants, Jan. ’23
ただし、ゾウ使いと同じく公務員であっても、ゾウの健診や治療を担当する獣医官については、反国軍部隊は入域を拒否するそうである。

その場合、ゾウ使いがスマホの電波が届くところまでゾウを連れてきて、森から里にいる獣医官に映像を飛ばし、獣医官はそれを見ながらリモートで指示をして、ゾウ使いに治療などをやらせているそうである。

ところで、ミャンマーのゾウと言えば、昨年夏に子供が誕生した札幌市の円山動物園に続き、福岡市動植物園にも、今年4頭がお目見えした。

この輸入については、ミャンマーでも在日のミャンマー人社会でも、ちょっとした話題となりザワついている。

その内容は、日本政府はミャンマーからゾウを買って国軍に大金を渡している、というものである。

この件については、私は別々の問題が混在していると感じており、もう少し冷静に正確に事実を整理したほうがいいと思っている。

議論をするのは大事なことだが、正しい判断をするためにも、ベースとなる事実は正しく理解しておく必要がある。

これは、クーデター以前の民主政権時代にミャンマー政府森林局と福岡市との間で合意された事業だが、そもそも福岡市役所をイコール日本政府と呼べるかどうかも一度整理したほうがいいかもしれない。そして、前政権は依然として押さえ込まれている状態だが、担当は森林局のままである。

まず、事実から言って、現在アジアゾウは絶滅危惧種で、お金で買うことはできない。よって、ミャンマーの暫定政権に代金が支払われることはない。

動物園が新たに希少な動物を調達したい場合は、現在では、ほしい動物を持っている他の動物園と動物を交換するのが基本で、物々交換ならぬ動物々交換となる。

どの種類を何匹出して何匹もらうかが交渉の的になり、トレード要員に物品が混ざるとしても、動物の治療や検査に必要な医療機器だったり施設だったりで、動物や器具が武器に化けることはない。

万が一にもそんな兆候が見えようものなら、合意者の片方(この場合は福岡市)が腹を括って断固阻止するはずだ。

動物の交換事業に関しては、反国軍組織への寄付などに比べても、より明確で誰にでも監視ができるシステムではなかろうかと私は見ているのだが、みなさんはどう思われるだろう。

ここで問題にすべき点は別にあると、私は感じている。

先ほどの民間人による森作りの件も同じだが、認められない政権である国とは、すべての交流を断絶すべきなのか、ということである。

経済制裁を課している国に対しても、人命に関わる事態には人道的支援を行うのが国際的な基本姿勢となっている。

では、教育や学術研究の分野はどうなのか。やはり、止めるべき対象なのだろうか。

例えば、国名が変わったからといっても、ビルマニシキヘビはビルマニシキヘビであって、いちいちミャンマーニシキヘビなどと改名したりはしない。

自然科学はいつも自由で独立した存在であるべきで、政治に振り舞わされるようなことがあってはならない。

北九州の人たちがミャンマーから来たアジアゾウを知って学び、ミャンマーの人たちが新たに外国から来た動物たちを知って学ぶ。

そのことにどんな問題があるのだろうか。そこにお金は絡まないとして。

はるばる福岡に来てくれた4頭のゾウたちだったが、先日、そのうちの1頭が亡くなった。来日の背景も正しく理解されないまま、日本に住むミャンマーの人たちにも歓迎されないまま逝ってしまった。不憫でならない。

https://zoo.city.fukuoka.lg.jp/news/detail/1433

Dec. '23
そもそも、野生動物を飼育する動物園の存在自体に否定的な意見はある。ましてや、絶滅危惧種であるアジアゾウに過酷な山仕事をさせるとは何事か!という意見もあるだろう。

これについて語りだすと、数ページどころでは終われない。既に二冊の拙著でも紹介はしているが、改めて機会を設けたいと考えているところである。

セイケイ
Purple Swamphen (Porphyrio porphyrio), Jul. ’23
ここまで、ミャンマーで見てきた最近の動物たちの様子を紹介し、自分なりにまとめてみたが、いろいろな見方、考え方があって当然だと思う。

ただし、事実を正しく理解しておくことは大切なこと。 

セイタカシギ
Black-winged Stilt (Himantopus himantopus), Feb. ’23
私もまだまだ誤解している部分があるかもしれない。

みなさんの忌憚のないご意見やご指摘をお待ちしております。

イリエワニ
Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus), Dec. ’23

2023年8月26日土曜日

水の王国、その3. ―Kingdom of water, part 3.

Jul. ’23
この雨季の間に、ぜひ会っておきたいと願うターゲットがもう一つ残っている。

そいつは、例年7月中旬頃にどこからともなく現れて、お気に入りのその場にしばらく居続ける。

私は現地の友人に打診し、そいつが現れたら電話をよこしてくれるようお願いしていた。

ところが、7月中旬になっても目撃例はなく、訪問の日取りを決められないでいた。友人曰く、今年は水位の上昇が遅れていて、それで到来も遅れているのではないかとのことだった。

確かに、7月に入ってからは、スコール性の雨は降るものの、モンスーンの勢いは弱まっている印象があり、ヤンゴンでも日差しが数時間続いて湿度が80%を割る日もあった。かなり稀なことだ。

いよいよ7月も下旬となり、私のビザの失効日も近づいてきた。

もう限界。現地の友人には、たとえターゲットに会えなくてもいいので明後日にはそっちに行くからと告げ、旅の支度に取りかかった。

出発の朝、皮肉にも、その日から雨脚が強まり、再び雨季らしくなってきた。生き物にとっては喜ばしいことだが、撮影するほうとしては最悪だ。前日までの日照りと出発日からの豪雨が逆転してくれていればよかったのに、この状態では、カメラセットをいかに水から守るかが最大の命題となってしまう。たとえターゲットに出会えても、カメラが作動してくれなければ、その姿を残すことはできないのだから。

その日からの雨の降り方は、サイクロン起源の長雨パターンのように思え、終日の防水戦を覚悟した。後日ヤンゴンのパソコンで確認したところ、案の定、ベンガル湾の北方で渦が巻いていて、風力は弱いもののサイクロンの目ができていたのだった。

Jul. ’23
その地は、植民地時代にイギリスが築いた土手と水門によってできた広くて浅い大池で、湿地生態系の保護を目的とした自然保護区に指定されている。

民間企業も参入して、一角には宿泊施設や休憩所や遊具も整備され、日帰りでの食事やボートクルージングも楽しめる。電話で連絡を取り合っていたのは、そこのマネージャーである。

亡くなった初代社長とは、開設以前から何度も会っていて、たまたま見た私の写真に「木が必要だ」と呟いたことがあった。それは、水辺の高木の上にクロトキの群れが佇んでいる写真で、それを機に社長は、施設の建設と並行して、早成樹種を中心とする植林も積極的に進めた。

今では、遠くからでも分かるほど施設の一角は緑がこんもりしていて、鳥たちを誘引するプチパラダイスになっている。亡き社長が思い描いていた夢は叶ったのだった。

ここは、国と民間のコラボによる成功例で、コロナ禍もクーデターも乗り越えて営業していることを知った時には安堵したものだ。政府の承認を得ての営業なので事前の許可は必要なく、到着していきなり大池に乗り出すことも可能だ。

私が初めてここを訪ねたのは、まだ宿泊施設もできていない25年も前のことで、なんとか森林局の仮小屋に泊めてもらい、漁師の船や事務所のバイクに乗せてもらって観察に出かけたものだ。

なんと、その当時に出会った旧友が、再びこの保護区に戻ってきていると言う。彼は国家公務員なので、この二十数年の間に各地に転勤しており、その先々でも私たちは偶然に再会している仲だった。

もちろん彼は会いに来てくれて、お互い無事だったことを喜び、近況を話し合い、生き物の情報も教えてもらったが、彼は私には同行せず、観察にはリゾート施設のボートで出かけることになる。公務員の彼と外国人の私。多くは語らなくとも、今はそうすることが一番なのは、お互いに分かっている。

「案内はこいつがする」と、施設で働く若者を紹介されたが、なんか見覚えがあるような…えっ?えー!

なんとなんと、それは彼の息子だった。

親父は保護区事務所に勤め、息子は同じエリアのこのリゾート施設に就職したのだという。子供の頃の彼とは別の地域の官舎で何度か会っていたが、大きくなってますます、顔の輪郭や笑顔や声まで親父に似てきている。

なじみの船長の操舵で、まずは保護区となっている大池を周ったが、繁殖中と思われる水鳥が、びっしり茂った水草の間から見え隠れするという雨季の情景が展開するばかりで、ターゲットは一向に見当たらない。

旧友の息子はと言うと、体のあちこちにタトゥーを入れ、ピアスを刺した今どきの兄ちゃんだが、なかなかどうして。こちらの望みを敏感に察知し、見せることに最善を尽くしてくれている。人は見かけによらぬもの。

結局、大池にはいないと判断し、改めて保護区の外の湿地や集落を訪ねて、観察しながら情報を収集することにした。

大池の土手の外側には広大な低地が延々と続いており、雨季には雨水が滞水して湿地となり、水位が下がってくる頃には稲が植えられ田んぼになる。

ボートを降りて土手を越えたなら、断続的な雨の中、泥沼渡りの行軍が待っている。先頭を行くのは旧友の息子。

彼の親父とは、マングローブ地帯では違法伐採の現場に立ち合い、山岳地帯では大滝を撮りに行こうとバイクに二人乗りし、二人まとめて吹っ飛んだこともある。

今、その息子が私を先導している。最近、こうして旧友の子供世代と新たに巡り合うことがたまにある。思えば長く歩いてきたもんだ。

さっそく、ぬかるんだ土手を登らなければならない。先を行く息子が、私のリュックをよこせと手を差し伸べる。

私は、いったん生活用具をベースキャンプに置いたなら、観察中は、カメラセットや水や救急道具などの最低限の荷物は自分で担ぐようにしており、同行者に持ってもらうとしてもリュックに収まりきらない三脚ぐらいのもので、たいていはポーター役の申し出を丁重にお断りしている。

理由としては、自分自身が衰えたくないというのが一つ。それと、荷物を預かった者転倒でもしてリュックの中の機材が壊れたとしても、その人に弁償を求めるわけにはいかないので、そうなる状況を予め避けたいというのが大きい。

けれどもこの場では、最も大事なカメラセットは既にリュックから取り出して自分の肩に提げている。今はこれだけを全力で死守したほうがいいのではないか…

少し迷った挙げ句、息子の申し出をありがたく受け、リュックを託した。二十数年の時を経て、彼の親父と歩いた時とは、そこだけは変わった。

Jul. ’23
結局、何種類かの水鳥を見つけ、泥の地面にしっかりと足を固定していいショットが撮れはしたものの、肝心のターゲットは発見できなかった。

出発点に戻ると、二手に分かれて集落を中心に聞き取りをしていたリゾートの船長が待ち構えていた。やけにニヤニヤしている。

それもそのはず、彼はとびっきりの情報をゲットしていた。湿地を往来しているボートの船長が、まさに今朝、我々が探しているターゲットを目撃したというのである。

早速その船長に会い、目撃現場に翌朝連れて行ってくれるようお願いをして、残された最後の一日にすべてを賭けることにした。

Jul. ’23
最終日の朝、雨は降ったり止んだり。

前日に村のおやっさん船長が目撃した時刻から逆算してリゾートの船着き場から出航し、境界の土手脇にボートを係留し、土手を越え、保護区の外の湿地のほとりに着いた。

ここからは、一回り小さいおやっさんの愛船に乗り込み出航。前日目撃した地点に向かって直行した。

ボートは水草の群落をかわしつつ軽快に走り、私は波しぶきと雨水をかわそうとビニール袋でカメラをすっぽりと覆う。リゾートから来た三人プラスおやっさんの合計8個の目玉が、右に左に前方に、湿地の彼方まで見通している。

雨季だけに現れる季節限定の湿地とは言え、30分走っても水が途切れる気配はない。とにかく、水路が塞がるまで、船底が着くまで、そしてターゲットが見つかるまでは走ってもらうつもりだ。

岸辺を歩く牛の群れ
A herd of cattle walking on a bank, Jul. ’23
「あそこ、あそこ!」息子が叫んだ。二、三百メートル先の水草の陰に大きな塊。そこから飛び出した長大な2枚の影がゆっさゆっさとうねったかと思うと、塊は水面を何度がホップし、空中に浮上した。いた!この一ヶ月間、消息が気になって心の隅から消えることのなかったターゲット、ペリカンだ。

カメラを向けるいとまもなく、我々のボートから逃げるように、ペリカンはその巨大な頭を向こう向けたまま舞い上がっていった。

せっかく見つけたのに点にしか写らないのかと、しかめっ面の目で追っていると、ペリカンは滑らかに体を傾け、こちらに向かって旋回してきた。幸い雨は上がっている。これが最初で最後かもしれない。

船上でグラグラ揺れる望遠レンズを飛翔体に合わせるのは至難の業だが、あちらから射程に飛び込んでくる状況となった。この機を逃してなるものかと、私はシャッターを押し続けた。

その目まではっきりと見て取れ、一瞬ファインダー越しに目が合ったようにも感じた。風切り羽の抜けた翼が長旅を物語る。

そのままペリカンはまっすぐに羽ばたいて、船では追えない陸地の彼方に消えていった。なめてもらっては困るとばかりに。

待ち望んだターゲットは突然目の前に現れ、あっと言う間に飛び去った。長い滞在期間の最後の最後に、こんな劇的な再会が待っていようとは。ほんの数十秒間のやり取りに、私の心はフワフワのグチャグチャ。胸は高鳴り、頬は緩みっぱなしで、なんか視界も潤んできた。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican(Pelecanus philippensis), Jul. ’23
ここに来るのはホシバシペリカンで、ペリカンの中では並でも、これまたでかい鳥だ。ワニと言いツルと言い、大きいものばかりを追っているかのようだが、もちろん、小さい生き物も魅力に溢れ、会ってみたいターゲットはいくらでもいる。

けれども、大きいものの消息を探るには、それなりの意義もある。大小の生き物を捕食する大型動物が正常な数でいるということは、その土地の生態系が豊かで安定しているという証拠で、彼らの生息状況が、自然の状態をうかがい知るバロメーターになっている。

さらに、このような人里近くに住む生き物は、その土地の人と生き物の関係性を知るバロメーターでもある。今だからこそ、そこはなおさら気になるのだ。

Jul. ’23
ホシバシペリカンは、世界的には生存を維持できるほどの数が残っているが、ミャンマーでは謎の多い鳥である。

乾期である涼季から暑季にかけては、北のカチン州にある天然の湖、インドージー湖とその周辺で何百羽の個体が集まって休息しているのを、私は現地で確認している。

ところが、雨季に入るといったん彼らはミャンマー全土から姿を消す。国内からの繁殖の報告は途絶えており、巣が見つからない状態が続いている。

そして、たっぷりと降り続いた雨季の中盤に、ここの湿地帯にどこからともなく少数が飛来し、水位の下がる11月頃まで留まり、再びどこへともなく消えていく。

国境を越えて外国の繁殖地から来ているのではないかとも推測されているが、それも十分にあり得る。例えば、二大都市であるヤンゴンからマンダレーまでの距離を、首都ネピドーから全方位に振ってみると、あっさりと数ヶ国に到達してしまう。翼を持ったペリカンが自由に行き来しても何の不思議もない。国境などという形のないものが見えているのは人間だけなのだから。

さらにボートを進めてもらうこと数分、あっさりと二羽目が現れた。けれども今度の一羽はエンジン音により敏感で、ボートの接近を察知しては飛び去り、その着水地点を目で追っては再び接近して、そしてまた逃げられと、結局こちらに頭を向けることなく、最後はやはり、陸地の彼方に消えていった。

客の希望を叶えられた船上にはリラックスムードが漂い、ペリカンは見られたことだし昼は近いし、もう引き返してもいいんじゃないのという空気が流れている。おやっさん船長のスマホまで、呼び出し音が鳴り始めた。いかにも今どきの風景ではある。

電話の相手と用件は分からなかったが、私も流れに逆らうのはやめて、では、ペリカンを探しながら帰りましょうと。

途中、ボートは岸辺に立ち寄り停泊した。理由は分からないが、もう焦ることはない、注油でもエンジンの点検でもなんでもやってもらっていい。

休憩する家畜の水牛
Domestic buffalos taking a rest, Jul. ’23
陸に上がって岸辺の生き物を撮っていると、奥の集落から数名がぞろぞろ歩いてきた。家族連れかもしれない。そしてそのまま、私が借りているおやっさん号に乗り込んだ。

なるほど、停泊の理由がようやく分かった。彼らは今から出かけるところで、我々が帰ろうとしている湿地の基点の集落まで、徒歩より何十倍も速いボートで行こうというわけだ。さっきの電話は、言わば水上タクシーの無線オーダーだったのだ。

行く先は同じだ。ダブルブッキングで客を乗せれるだけ乗せて、おやっさんに稼いでもらったほうが、私としても気が楽だ。

基点の集落に着き、全員ボートを降り、私は支払いを済ませ、じゃあこれで…となりそうな場面だったが、そこは、凝り性のしつっこさが顔を出す。

ヤンゴンに帰るまでにはまだ時間がある。いかにもペリカンらしい水上で佇むシーンがまだ撮れていないからと、午後にもう一度出航できないか尋ねてみた。

息子ガイドもリゾート船長もよくできた仕事人で、私の考えを理解したからには、決してもう十分でしょうとは言わない。ただ、おやっさんだけは浮かない表情だ。聞くと、これまでの経験から午後に見られる自信はなく、たぶん空振りになるだろうとのことだった。

別の用事があるとかではなかったので、見られなくてもいいからと再度のクルーズをお願いした。

いったんリゾートに帰って、いつでもチェックアウトできるよう荷物をまとめ、腹ごしらえを済ませ、最後のクルーズに向かった。空模様は相変わらずで、前方の雨雲がやばい。

Jul. ’23
午後からの作戦は、ペリカンを見つけたら、まだ十分な距離を残した段階でエンジンを切り、竹竿で水底を突っ張りながら距離を詰めてゆくということでクルーの三人にお願いした

だんだん風が強くなってきて、午前よりも大きな雨粒が叩きつけてきた。移動中はそれでもいい。けれども、ターゲットを見つけたときだけは止んでいてほしい。

出現してほしいような今は待ってほしいような複雑な天候と心境の中、おやっさんの予想は大外れ。ペリカンは現れた。

予定通りエンジンは切ってもらったが、竹竿での前進もちょっと待ってもらった。雨が止むのを待ちたいのだ。これにはさすがに、みんなもどかしく思ったようで、いるんだから撮ればいいじゃんと言いたげだった。

電子部品満載の今どきのカメラは、性能は上がっているものの水には弱くなっていて、まともに濡れると電源すら入らなくなる。うまくガードして撮れたとしても、あまりの豪雨だと雨粒が写り込んでしまい、全体が煙に巻かれたような写真にしかならないのだ。

空を見渡し雲が途切れるタイミングを待ったが、雨が上がる気配はなく、帰りのタイムリミットも近づいてきた。スカッとした写真は諦め、ある程度の雨粒が写る状態でも、それがこの季節らしい情景なんだからと気持ちを切り替えて、やや雨脚が弱まったところで撮影を開始した。

エンジン音は立てなかったものの、まだ飛来して間もなく落ち着いていないからか、最後まで、期待したほど距離は詰められなかった。けれども、雨を恨むのはやめよう。この雨こそが、ペリカンを連れてきてくれたようなものなのだから。

Jul. ’23
実は、おやっさんがそれらしき一羽の影を今年初めて見たのは、四日ほど前のことだったと言う。そこから約百時間を経たその日の午後、結局我々は、三羽のペリカンが飛来しているところまで確認できたのだった。まだまだこれから後続がやってくるはず

と言うのも、保護区事務所の旧友によると、昨年には合計羽が確認されたとのことなのだ。これは、コロナ禍以前に私が見た数を上回っており、どうやら、この地に集う小群の規模は、維持できていると見なしてもよさそうだ。

よっぽど水位がしっくりくるのか、保護区の外側のこの湿地帯で多くの時間を過ごし、大池にはたまに行く程度らしい。

ここのペリカンもまた、地域住民との一定の間合いを保ちつつ共存し、ここまで生きながらえていたのだった。

Jul. ’23
その後、サイクロン起源と思われる雨は、出国までの数日間降り続いた。雨季は、新しい命を生み、そして育む季節。動物たちは繁殖に勤しみ、村の周りでは稲を植える。そして、ちょっと里を離れた原野では、樹木の苗木も植えている。

2023年、森林局による自然の保全や森作りの活動は、停止してはいなかった。

森林局によるマングローブ地帯での植林の準備。等間隔で刺した竹棒の脇に苗木を植える。
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mangrove area. Seedlings will be planted beside bamboo sticks which are staked at regular intervals, Jun. ’23
植林から二年目のマングローブ林
2 year old mangrove plantation, Jun. ’23
人々から何を言われようと政権がどうあろうと、森林局の職員は、国土と国民への奉仕者であることには違いない。役職に留まることを決めたからには、どうか山河と命を守ることに誇りを持って取り組んでほしい。
森林局による山地での植林の準備
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mountainous area, Jun. ’23
他にも、前政権の時から引き継いでいるコミュニティーフォレストリーの制度などを使った地域住民による植林と収穫も、各地で続いている。
民間グループによる植林予定地の整地
Land preparation for tree plantation by a local community, Jun. ’23
残念ながら、現在入ることのできない戦闘状態にある地域や反軍勢力が統制する地域だけは、森や野生生物がどうなっているのか、正しく知ることはできない。

どうかうまく管理し、共存してほしいと、今は当該地域に住む人たちの良心を信じて祈るしかない。

そう、すべての命の源である自然を守るのに、右も左も西も東もない。人種も思想も宗教も越えた人類の存亡を賭けた普遍の課題なのだから。

争いの当事者は言うかもしれない、「自然保護なんて言ってる場合か」と。

逆に、自然が壊れていく様を目の当たりにした当事者は言うだろう、「争いなんかやってる場合か」と。

オオヅル
Sarus Crane(Grus antigone), Jul. ’23
映画産業が傾きかけていた昭和の後期、ちょっと心に引っかかる邦画があった。その名は「ゴジラ対ヘドラ」。いろいろな意味で悪評高い問題作だが、意外にもテーマは一本筋が通っていて、その劇中歌には以下のような一節があった。

「地球の上に誰もいなけりゃ泣くこともできない」

戦争も共栄も、喜びも悲しみも誕生も死別も、すべては地球の上での出来事。地球あっての物種なのだ。

イリエワニ
Salt-water Crocodile(Crocodylus porosus), Jun. ’23
雨が命を育み、やがて実りの季節がやってきて、そしてまた新しい命が生まれる…そんな当たり前の不滅のサイクルが、どうか不滅のままであってほしいと、願わずにはいられなくなってしまった今日この頃である。

 Jul. ’23