2025年12月29日月曜日

無骨な愛の結晶2025 ―The fruits of rustic love 2025

Reference: 無骨な愛の結晶(4th Nov. 2011)
https://onishingo.blogspot.com/2011/11/fruits-of-rustic-love.html
デルタの交通網、天然の大水路
Natural wide channel, the traffic network in Delta area, Aug. ’25
前便では、汽水に住む賢者、イリエワニの近況についてお伝えし、コロナ禍以降、まだ子ワニは見つけておらず、探すには夜に漕ぎ出す必要があるが、夜間は町にとどまっていなければならないことを説明した。
https://onishingo.blogspot.com/2025/07/living-with-water.html

実はその滞在中、汽水域巡航の起点であるその町を離れる日、保護区を管理する長から思いもよらぬことを聞かされていた。それは、遠くから差してくる一筋の光のような言葉だった。
彼曰く、今度来たときには、我々のボートで保護区の島に行って、そのままボートにとどまって一夜を過ごせばいい、町の関係機関と交渉すれば認められるはずだと。
なんでそれを帰る日に言うんだと言いたかったものの、やっと夜の観察が再開できる希望が見えてきた瞬間だった。もちろん再訪を約束してデルタを去った。

それから軍資金を蓄え、5ヶ月後に満を持して保護区事務所に電話し、再訪を打診した。管理長はウェルカムだと。
夢にまで見た子ワニやホタルの大群との再会の日は、もう目前に迫っている。

出発の日が来た。
以前はバスや旅客船をふつうに使っていたが、まだ不安要素が多く、いつ目的地に着くか予測しづらい。特に外国人だと、観光地でもないところに何をしに行くんだと警戒され長く停められて、他の旅客に迷惑をかけることにもなりかねない。
そこで、高く付くのは覚悟の上で、今はまだ、長距離移動には個人の車を借り上げることにしている。
もし厳重に荷物をチェックされることになったとしても、借り上げ車なら運転手と2人分ですむが、バスだと、旅客全員の数十人分をチェックすることになるので、当然何十倍も時間がかかる。いつ着くのか分からなくなるということだ。

デルタのただ中にある起点の町に到着はした。何はともあれ宿の確保だ。
まず、外国人相手の営業許可を政府から取っているような宿はない。けれども、立ち入り禁止エリアとはなっていないため、現地にある政府関係機関の裁量で泊めるかどうかを判断することになる。

今回は下流の島でも泊まるつもりでおり、町で何泊することになるかは未定なので、なじみの宿には、まずは今夜の部屋だけは確保してほしいと言い残し、保護区事務所に向かった。
前回別れ際に光の言葉を放った長は待っていた。「来たか」と。

いつボートは出られるかと尋ねると、もう島に行って調査をやっていると。
それに、エンジンの調子があまりよくないので、お前は民間のボートを雇って行けと。
保護区のボートを使うにしても燃料代は私が払うのだから、民間のボートでも、それはそれで構わない、なじみの船頭さんもいるし。何より、保護官たちの調査は優先してほしい。

で、島には泊まれるんだよねと。
すると「泊まりたいのか?」と。
無論。だから来たんだよと。

「うーん⋯」顔色が渋い。
「国軍支部の場所を教えてやるから、今から行って長官にお願いしてこい」と。
えっ、そんな話なのか?あんたは行かないのか?
「いやいや俺は忙しい」と。

水上交通の要衝であるその町には、政府の出先機関が一通り揃っていて、治安や人流に関わる事務所だけでも五ヶ所以上あり、例えば私が明日島を訪ねたければ、パスポートやビザなど、怪しい者ではござらぬ証明ができる文書をコピーして全部に配り、事前に許可をもらっておかなければならない。
それは、ミャンマーの地方での旅では何十年も前からやっていたことで、民政移管を成し遂げたスーチーさんの時代でも変わることはなかった。

関係機関と交渉して⋯とは、同じく出先の代表の一人である保護区の長が、必要な書類を配布する段階で、この外国人のことは俺が見るからと顔なじみの代表たちから許可をもらってくるということではなかったのか。

後日、彼の部下である現場の保護官が言うには、島に泊まれると言った時の長は、オフでちょっとアルコールが入ってたんじゃないかと。どうやら、そういう習慣と習性があるらしい。彼とは平日の昼に話をすべきだった。

光の言葉はいかれた言葉だったとは。こぼれそうな怒りの言葉を飲み込んだ私は、改めてオンモードの彼の言葉に耳を傾けた。

クーデターで国軍が政権(飽くまで暫定)を掌握して以来、町に通じる水路上に停泊する軍の監視船が、日暮れから夜明けまでの入港出港を禁止しているため夜間の航行はできないと言う。
そんなことは分かりきったことで、数年前からは、それに従って町の宿に泊まって保護区の島への日帰りを繰り返していた。

夜間、大水路を行き来することなど毛頭考えていない。要は、どこで一夜を過ごすかだ。
起点の町の宿で過ごすのが原則だということも分かっている。けれども今回は、島にある保護官の詰所にボートを停泊させて彼らとともに一夜を過ごすということで顔なじみの関係機関の了承を取ってくれるのではなかったのか。夜間に外の大水路に出ることはなく、島内の小水路を巡って生き物を観察したいだけなのだから。

お前が説得してみたらと言われても、それだけは断る。
ルールは守る。顔写真でもパスポートでも必要なものは提出する。
政権を握っているのが大多数が納得していない一時的な勢力であったとしても、国家という形を保つためには、たとえ不本意であっても法律には従わなければならない。おもねるということではない、秩序を維持するためだ。

けれども、特別なケースをお願いするために、必要最低限の義務以外で彼らと接触するつもりはなく、まして、借りを作るようなことはやらない。
出先の代表者らが認め合うローカルルールにするつもりがないのなら、残念だが島で泊まることは諦めるしかない。

脳裏に浮かんでいた赤く照り返すワニの眼光もホタルの光も、明けてぞ今日は別れゆく。再び夢の彼方に消え去ってしまった。
何のためにここまで来たのか。ワニの繁殖を確認するためだ。
コロナで世界が一変する直前の2019年11月以来、子ワニとは会っていないのだ。

まったく、地方への旅では何が起こるか分からない。管理を司るトップの言葉があったとは言え、もしもの場合の代替案も考えてはいた。雨期真っただ中の8月を訪問時期に選んだのも、そのための保険だった。

分かりましたと。町の宿に泊まって、夜明けの後から出港して日暮れの前には帰港するからと。
ただし、お願いがある。島で保護官らと合流するので、ワニの巣の探索に付いて行かせてくれと。

彼の顔色は渋いまま。
今期見つかっているワニの巣は、水路からかなり離れてるのでかなり歩かなければならない。それに、母ワニを初め、成ワニは繁殖期で攻撃的になっているので危険だと言う。

それは承知の上で、彼が赴任してくる以前に、何度かワニの巣を見に行ったことはあるので、一般の観光客ではない経験者として見てほしいと私は食い下がった。たとえ見つからなくても日が暮れるまでには戻ってくるからと。
結局、彼なりに島の保護官に連絡を取って状況を探ってくれ、あとは現場の彼らと相談して決めるようにとの決断を下してくれた。

そして、必要書類を関係機関に配布してくれ、日帰りでの島への訪問は承認された。町での宿泊のほうは、地元警察への書類の提出と短い面談で認められた。不便な地方で独自に設定しているローカルルールの適用だ。

日帰りだと、島にいられる時間は短く制限されるにも関わらず町と島との往復移動に時間と燃料代がどんどん嵩んでいくため、何日間も続けられるものではない。早めに決め切らなければ。

港の朝は早い。
日の出が近づくとともに船のエンジン音があちこちから上がり、トラックへの魚介類の積み込みも始まっている。入港禁止が解かれると同時に、夜の間に操業していた漁船が戻ってきたのだろう。
ミャンマーの伝統的麺料理、モヒンガー
Myanmar traditional noodle dish Mohinga, Aug. ’25

当然、労働者の腹を満たす食事屋も早くからやっていて、私は、ナマズベースのスープに米の麺を合わせるモヒンガーを二杯食べ、船頭さんと二人分の昼食はテイクアウトにしてもらった。白ご飯に添えるメインのおかずに選んだのは魚の卵で、魚種は分からないがフォアグラのような濃厚な味で、港町だからこその手軽に食べられるごちそうである。
野菜の付け合せと魚卵をおかずにした弁当
Lunch box consisting in rice, some vegetables and fish roe curry, Aug. ’25
南の空は外洋から押し寄せてきた雲で満たされており、モンスーンの雨に繰り返し降られることは避けられない。単発のスコールとはパターンが違うのだ。
Aug. ’25
幸い、雨期の走りによく発生する突風と高波は鳴りを潜めており、船足は軽快だ。流域各地で降った雨水で川の流量自体が増えているのに加え、引き潮にも乗っているのだろう。
Aug. ’25
デルタでの干満は、日本ではちょっと想像しがたいもので、満潮時の海水は河口から何十キロ、もしかしたら百キロ以上の上流にまで達し、それが干潮時には海に下っていく。
なので、飛行機が貿易風や偏西風に乗るか逆行するかで往路と帰路の所要時間が違ってくるように、デルタを行く船も、進行方向が潮の干満に乗るか逆らうかで速度が違ってくるのだ。
つまり、往復に費やす時間を倹約したいなら、引き潮の時間帯に上流側の町を発って、上げ潮の時間帯に下流側の島を発つのがベストとなる。
満潮時の水位が木の葉に付いた濁り水の跡に残る
The highest tidal line is indicated by muddy water marks on the leaves, Aug. ’25
保護区の島には、予想より早く到達した。島は、巨大な中洲が陸地として固定したもので、薄いステーキのような平地に、大小の水路がサシのように入り組んでいる。
保護区の島内の天然水路
A natural major channel in the conservated island, Aug. ’25
最も手前にある監視詰所に立ち寄ってみたが、番をしている協力漁師の家族はいるものの保護官たちの動向は掴めなかったため、そのまま島内の水路を進み、観察を続けた。
Aug. ’25
北の国から多くの鳥が越冬に来ている乾期ほど賑やかではないが、雨期に好んでやってくる鳥もいて、特に獲物を狙うハンターたちが目立ち、どんよりとした空のもと、独特の緊張感が漂っている。
カタグロトビ
Black-shouldered Kite (Elanus caeruleus), Aug. ’25
そんな中、交尾や産卵をまだ諦めていないワニたちも、虎視眈々と大型の獲物を狙っているはずである。
引き潮で泥の岸辺が現れてはいるものの、日差しが弱いせいか、甲羅干しをしているワニは見られず、足跡も尻尾跡も残ってなかった。雨期での観察はこんなもの。
繁殖期のただ中にいる成ワニたちは行動圏を広げて島の外に出ていくものもいるため、生息密度自体が一時的に下がるのだろう。
シロガシラトビ
Brahminy Kite (Haliastur indus), Aug. ’25
島内の水路を数時間巡って島の中ほどにある詰所に戻ったところ、小型のボートが横付けしていた。それこそが保護区の調査船で、管理長の連絡を受けたなじみの保護官たちが私の動向をキャッチして待っていてくれたのだった。
ミドリハチクイGreen Bee-eater (Merops orientalis), Aug. ’25
再会の挨拶もそこそこに、すぐに出るから準備しろと。近くにあるワニの巣に連れて行ってやるからと。

ついに雲間から本物の光が差してきた。十数年来の現場の友人が言っているのだ。胸は高鳴り気持ちは引き締まり、脳はシャキーンと探索モードに切り替わった。
大きなリュックは置いていけとのことだが、ボートも小さいし絡み合った枝や蔓を何度も潜るであろうことは分かっているので、すぐに水や毒吸引器や刃物などの必要最低限の携帯品に絞り込んだが、ちょっとだけお色直しの時間をもらった。足元を、船上観察モードの青いゴム草履から泥中歩行モードの黒い地下足袋に履き替えたいのだ。

以前、マングローブ林の中を裸足で歩いてみたことがあるが、石こそないものの、整備された田んぼなどとは大違い。容赦なく足裏を刺し爪先を打ち返す枝とか根とかが潜んでいて、分速10メートルも歩ければいいほうで、二度とやるまいと後悔した。
マングローブでのベストフットギアは日本の地下足袋で決まり。できれば底や外周が硬い農作業用がいいが、小鉤(こはぜ)という独特のホックを留めるのには結構手間取る。

長年私の行動を見てきた彼らも、それはよく知っているのだが、とにかく今は急げと。
行けるところまでなるべくボートで遡って距離を稼ぎたく、そのためには小水路の奥まで上げ潮が入り込んでいる時間帯がいいのだが、逆に水位が上がりすぎると、巣に向かうその水路は低い枝が水面を覆ってしまうそうで、水中を泳ぐワニならともかく水上を進むボートだと行く手を塞がれてしまうらしい。
今はまさに潮がどんどん満ちているところ、巣まで往復できる時間は限られているのだ。

準備は整い4人のメンバーでいざ出発。移動と観察で通るいつも水路を島の中心部に向かってエンジン全開で快調に進む。
Aug. ’25
10分も経たないうちに減速。マングローブ植物がびっしり覆っているとしか見えない岸辺を凝視。ふつうに走っていたら見落とすであろうわずかな隙間、そこが小水路の入口だった。
Aug. ’25
エンジンを切り、緑の壁に向かって直角に舳先を向き直す。
ここからはマンパワーで突入。
Aug. ’25
後方の一人がメインエンジンとなってオールで漕ぎ、舳先の一人が、漕いだり、腹這いになって行く手を塞ぐ枝や葉を押しのけたりしつつ奥に向って進んでゆく。棘のある植物も多く、じりじりと少しずつ距離を伸ばしていく。
Aug. ’25
私にできることは、彼らに気を遣わせないこと。枝が弾いてきたならかわし、棘が垂れ込んできたなら身を伏せ、手に届く幹は押し枝は掴んで前進や方向転換のサポートもする。そのあたりは、旧知の仲だからこそのツーカーでお互いが判断している。
Aug. ’25
マングローブ域にまで進出したヤシ科のマライソテツジュロ(Mangrove date palm, Phoenix paludosa)が次第に増えてきた。地面が少し高くなっている証拠だ。

10分以上進んだところで、ややしっかりした陸地が現れた。地面はぬかるんでいるままだが、水路よりわずかに高くなっている。ここからはボートを降りて歩く。当然、ワニと鉢合わせになったらどうするかもイメージしておかなければならないが、地下足袋なら秒速3メートルぐらいで跳ねれそうだ。

植生はさらに変化し、ビルマ語で大鳥の羽と呼ばれる大型のシダ、ミミモチシダ(Golden leather fern, Acrostichum aureum)が一気に増えてきた。これはいいサインだ。
Aug. ’25
そして、10分も歩かないうちに、視界が一気に広がった。びっしり生えたミミモチシダの群生の周りを高い木が取り囲んでいる。この景色⋯間違いない。瞬時に確信した。
Aug. ’25
もう私の頬は緩んでいる。保護官がシダの群生の中ほどを指差す。その威容が視界に入った瞬間、「あ~~~」安堵の声が漏れ、熱いものが込み上げてきた。そこには、ゾウガメのような巨大な草のドームが水溜りの中から盛り上がっている。やっと繁殖の証しをこの目で見た。イリエワニの巣だ。
イリエワニの巣
A nest of Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus),Aug. ’25
変わらず営みを続けていてくれたか。
最後に子ワニを観察してから6年、前回巣を見てから9年が経っていた。コロナ禍とクーデターが勃発してからあとの再会には、いつも瞼が熱くなる。

周囲にはワニが巣材に使う植物が3種類確認できたが、中でも最も多用するのがミミモチシダなのだ。葉を積み重ねていくそうだが、太い釘のような歯が並んでいるだけの大口でどうやってドーム型に仕上げるのか⋯なかなか想像がつかない。

直接巣に触れたかったが、奥に続く水路に母ワニが潜んでいるからと止められた。ワニは産みっぱなしではなく、巣から新生児まで守るのだ。
巣は既に計測されており、直径は6.5フィート(約198センチ)、周囲は21フィート(約640センチ)、高さは31インチ(約79センチ)だったそうだ。保護官は母ワニも目撃しており、その大きさから50個弱の卵が巣の中にあると推定している。そして子ワニは、産卵から45日ほどで誕生する。

全方位からとはいかなかったが、巣と周りの環境を目にも写真にも焼き付けたところで、早々に引き上げることになった。そうだ、完全に潮が満ちてしまったら水路が枝葉で塞がれてしまう。その前に漕ぎ出さなければ。

「グー」踵を返した我々の背後から音がした。今のは母ワニの唸り声だと言う。だとしたら、思っていたよりずっと近かった。巣に触ろうものなら襲いかかるべく、茂みの奥に身を潜めてずっと我々の行動を見ていたのかもしれない。

まったく私の動物を巡る旅は、保護官やゾウ使いや農民漁民など、経験豊富な地元の人たちの助けがあってのものである。

なんとか緑の水門が閉ざされる前に小水路を脱出できたが、さすがの手際のよさで、覚悟していたよりはるかに短い時間で念願のターゲットを見に行くことができた。客が来るから慌ててとかではなく、日頃から生息調査を行ってて、彼らの脳内の地図が常にアップデートされている証拠だ。
それに、朝から何度も降られているにも関わらず、巣を訪ねた一時間ちょっとの間は、見事に雲が切れ、一ミリも降られなかった。なんか、伝える使命をもらったかのように感じた。

結局、今回は2日間のみのクルーズで、ワニの姿を見ることはできなかったが、動くことのない枯れ草の山にこれほど胸を打たれるとは思わなかった。
けれども、喜びに浸ってばかりもいられない。強大な捕食者との共存は歓迎されているわけではなく、問題は山積みなのだ。

日本でも今年は、ヒグマとツキノワグマの攻撃による死傷者が多く出て駆除もされ、殺処分を非難する声も多く届いたと言う。
その声の多くは被害地域の外の者からだったそうだが、日々クマに怯えて暮らす人たちからすればとんでもない話で、だったらあなたの町でクマを引き取ってください、いくらでもあげますよ、とでも言いたいところだろう。

くまモンを産んだ九州では、皮肉なことにクマを絶滅させている。けれども、同じ遺伝子を持つであろう本州のツキノワグマを引き取って九州に再導入しようという話にはならない。トキならウェルカムだがクマはノーサンキューということだ。

ワニも同じく、毎年のように犠牲者が出ている。デルタのごく狭い地域に限定された被害だ。
2025年も、保護区である島内でも外の村でも死者が出ている。さらに、私が到着する四日前には、島内の水路で漁師がスズメバチ(おそらくツマアカスズメバチ)の群れに襲われて亡くなっていた。全身百ヶ所以上刺されて、病院に搬入される前に息絶えたそうだ。

管理長の雰囲気が、前週の「ウェルカム」から一転していた本当の理由がやっと分かった。彼は、保護区で起きたその死亡事故の対応に追われていたのだ。
ルールを守って進入してたにしても、保護区内での死亡事故の発生は由々しき事態である。事後処理も大変だったはずだ。さらなる被害は食い止めたいところだが、
そのハチの巣は健在なままで、野生のハチに殺されても、どこからもお金は出ないだろう。

ワニによる被害に対しても、ワニを保護している国からの見舞金や弔慰金が出たということも遺族が国を訴えたということも聞いたことはないが、今年の事故では、国内の民間団体が遺族に弔慰金を出したそうである。
限られた財源の中で、現場は保護活動をよくやっているとは思うが、ワニ被害の予防やワニと地域住民の共存に関しては、手が回っていないように見える。

地域住民に対して保護官たちが第一にやるべきことは、希少動物を殺してはいけないということを周知させることだが、この地では、逆に動物に殺されないためにはどうすればよいかという知識と技術も伝授すべきである。
住民の痛みを分かち合い、彼らの命を守ってこその自然保護である。

けれども現状は、保護区内での違法行為の監視と取り締まり、生物多様性の回復を目指す植林などで手一杯で、島外での活動に取り組むゆとりはなさそうだ。
ましてや今は、ミャンマー国内での公的な活動に外部からの支援の手が届くような情勢でもない。

日本のクマの場合、人々の生活様式が変わってからほんの数世代交代しただけで、人間はまったく恐れる必要のない非力な動物であるという認識が彼らの中に定着してしまったということだと思う。
さらに、青森、岩手、秋田など特に北東北の個体群については、狂犬病ではないまでも何か未知の病原に侵されているのではなかろうかと疑ってしまう。血液を徹底的に検査して、ウィルスやパラサイトをチェックしたほうがいいのではないだろうか。

一方、ワニは、クマほどの学習能力はないし、人間とは生活圏の違う半水生の生き方をしているので、いちいち我々の顔色を見るようなことはなく、とにかく水辺に近づく黒い影には、犬だろうが豚だろうが人だろうが、水中から襲いかかって引きずり込もうとする。
つまり、クマ対策で言われるような、もし出会ってしまった場合の対処法とかではなく、ワニに対しては、とにかく接触を避けること、それしかない。

そのワニの習性や特徴について、保護官たちは村人よりもはるかによく知っている。その知識を広める機会さえ持てていないのが現状なのだ。
だったら、人に危害を加えるものは徹底的に駆除すればいいという考え方もあるだろうが、それには賛成しかねる。

どんなに機械化が進み文明が発達しても、それは自然の恩恵をベースに成り立っているもの。自然を構成する無数のピースの一つを抜き取ると、必ずどこかにひずみが起こるはずだ。
ましてやワニほどの大きなピースがなくなると、マングローブ生態系への影響、そこから恩恵を受けている人々への影響がどう出るか、それを予測することは難しい。

人の介入により積極的に根絶させたものもある。例えば天然痘ウィルス。
病原は滅ぼしてもいいのにワニはなぜだめなのと、生息地に生まれていたなら私でも思ったかもしれない。
逆に、根絶は不可能と宣言されたものもある。その一つがマラリアパラサイト。被害者の一人である私は、あんな苦しい思いは誰にもさせたくない、滅んでほしい、と願う。少くともパラサイトやウィルスには、死を恐れる感情も知性もないだろうと。

地球上から除外すべきか共存すべきか、森羅万象の全貌などとうてい理解することのできない人類が、はたして審判を下せる立場にあるのかどうか⋯
未熟なりにも、今は一つ一つの対象に慎重に向き合うしかないのではないか。

クーデターの後、ほぼすべての公務員は職務を放棄して反国軍のデモを行った。
そのため、全国の自然保護区の管理もほぼ停止し、言わば無法地帯となっていたはずである。
その間、密猟者が保護区の島に侵入し、ワニを殺したことが二度あったらしい。彼らは外から来たよそ者で、4メートル以上の成ワニをモリで殺し、胆のうだけ持ち去ったと言う。

以前聞いていた、あそこのワニは狩り尽くされてもう終りだというのが噂に過ぎなかったことは現場に再訪してみて分かったが、ワニ殺しが行われた事実はあったようだ。
これは地元の民間の友人から聞いたことで、保護官からではなかった。
会う度にうれしいニュースも悲しいニュースもほとんど何でも話してくれる彼らだが、このことだけは言わなかった。彼らにとって、それは闇の歴史であり、忸怩たる思いがあるのだろう。

やがて、この地域では多くの公務員が職場に復帰し、保護区の管理も再開した。
けれども、全国の保護区の中には、地域が反国軍勢力の支配下に入り、そのまま公務員には戻っていない者たちもいる。

野暮な質問だとは思いつつ、デルタで働く公務員の友人に、なぜ抵抗をやめて職場に復帰したのかと尋ねてみた。
生きるため、家族を守るため、好きだった仕事を続けるためなどが主な理由として挙がるだろうと予想していたのだが、真っ先に返ってきたのは意外な言葉だった。

もし、逃げ込める山があったなら、自分たちも抵抗を続けていたかもしれない。その人は言った。

私はハッとした。これほど各地の自然を見てきているにもかかわらず、行動を決断するのに地理的条件が影響を与えていたということには考えが至ってなかった。彼らの心情を汲むことができてなかった。
広大な平地が続くデルタに、身を潜めて生き続けられるような森林地帯はない。もし、マングローブ林が残る島にでも隠れようものなら袋のネズミになってしまうし、第一、真水を口にすることすら難しい環境だ。

逃げるところがある者はいい、けれども我々は、銃口を向けられたら抵抗を諦めるしかなかった、と。
それは、平地部全体に言えることかもしれない。改めて勢力図を地形図に重ねてみれば分かる。

けれども、職場復帰した彼らが、自分の意志または囲い込まれた結果として反国軍勢力の下で住んでいる人たちのことを悪く言うことはない。聞いたことがない。
私も、彼らの立ち位置を心配こそすれ否定はしない。
どちら側に住む者も願いは同じ。この国が、真に公平な選挙による安定した民主国家になるということ。

今、より安全な側にいる私は、会えなくなってしまった遠くの友たちのことを思うと、何もできずに申し訳ないという気持ちに打ちひしがれる。効率よく民主化を支援するためにこちら側にいるなどと手前勝手な言い訳をするつもりはなく、負い目を感じるばかりである。

けれども、国境から入って求める情報だけ集めて去って、世に伝えて終わるというようなジャーナリズムをやるつもりはない。生涯この国と関わろうとするなら、正面切って国際空港から入るしかなく、そこから行けるところまで
行くことしかできない。

今の私などは、日本で蓄えた資金を元にミャンマーで活動をするという生活パターンなので、まだ我を張れているが、ミャンマー国内で生業を立てている在留者もたくさんいる。仕事を全うするため、職場を守るためには、迎合しなければならないことも妥協しなければならないことも多々あるだろう。立場の違いはあっても、みんなギリギリのところで踏ん張って生きている。
ごろつき以外のすべての頑張る人が報われるような国になってほしいと願うばかりである。

森の中を
一日じゅう歩き回るような時の過ごし方は、もう何年もできていない。今回、わずか数十分間のマングローブ林内の歩行ではあったが、それでもうれしかった。

野営をしながら高嶺を目指して歩いたり、木の上で一夜を明かしたり、竹造りの小屋で森人たちと何週間も過ごしたり⋯もう、あのような日々は返ってこないのかもしれないと思うと泣けてくる。

なんでミャンマーだけが⋯と、何度も何度も繰り返し思う。
それでも、この国の自然や生き物たちとの関わりを断つつもりはない。
Aug. ’25
ワニの話題から、だいぶ逸れてしまった。
国の未来が見えないまま、今年ももう終わろうとしている。
コロナ禍前に比べて、行動できる範囲はぐっと狭まってしまったが、そんな中でも今年なんとか出会えた生き物たちの姿は、年を改めてお伝えします。

2025年7月24日木曜日

水と共に生きる者 ―Living with Water

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican (Pelecanus Philippensis), Oct. ’24
今回は昨年起こった大水害の原因について考えると前便で予告していたが、水害から半年後、さらに強大で広範囲に及ぶ自然災害、大地震が起こってしまった。

今は人と人とが争っている場合ではないんだと、この場でも再三言ってきて、それを分かっている人は、それぞれの場でそれぞれの言葉で訴えている。

…………

「ミャンマー命ネット」-戦争とゴジラ-20241129日掲載)より

「人類が一致団結して立ち向かうべき相手は災害なのだ。地球が大変動を始めた今だからこそ、なおさらに。」

https://note.com/inochimyanmar/n/n07ac7d418136

…………

けれども、ミャンマーウォッチャーの多くは、いかにして敵軍を倒すかということにしか興味がないのか、これらの声はほとんど届いてそうにない。

この度の地震で思い知らされたのは、国内の政治的混乱や外交関係の脆弱さが、いかに救助救援や復興の妨げになるかということだ。

現在、暫定軍事政権が優勢な地域と反軍政勢力が優勢な地域との間にはお互いの防衛線があり、そこを自由に行き来することは困難だが、人道的目的であっても例外とはならず、広域な支援活動の妨げになっている。

反軍政が優勢な地域内の実態についてはなかなか伝わってこないが、おそらく、町場からずっと離れた農村や、さらに奥地に暮らす樵や炭焼き職人やゾウ使いなどの集落には、あまり大きな被害は出ていないと思う。

元々、電気水道ガスなどのインフラは使っていないし、彼らの住む竹材を中心とする伝統的家屋だと、たとえ屋根や壁が崩れたとしても圧死するようなものではない。

中途半端に近代化しているほうが、むしろ地震には弱い。

田舎町や大きめの村で、それなりに豊かになった者が好んで建てる重いレンガ積みの建物だと、崩れるリスクも人を傷つけるリスクも伝統家屋に比べてはるかに高くなる。

さらに都市部では、強い揺れには最も弱いタイプの大型集合住宅が近年多く建てられている。

それは、一階部分を壁のない支柱だけの駐車スペースにして、その上に鉄筋プラスレンガの巨大なキューブ状の建家が乗っかった頭でっかちのビルである。

上からの荷重を考慮したなら、建物全体の形が凸型に近いほど当然安定するが、地上階に駐車場スペースを取った頭でっかちビルだと、凸型を上下逆さまにして連ねたようなもので、数本の柱に全荷重がかかってしまうため、当然、土台が一番が壊れやすくなる。省スペースや経費節減などの効率を優先して安全性を後回しにした設計だ。

このように、日本と異なり都市部と田舎では建物もインフラもぜんぜん違うミャンマーでは、都市部から支援と復興を進めていくというのは間違ってはいない。

今回の場合、被災地の中で最大都市であるマンダレーでの救援活動の様子は伝わってくるが、同等の揺れを受けたであろうサガイン管区南部の小都市、サガインやモンユワの被害状況が気になるところだ。

地方に多い簡素な伝統的家屋の場合、逆に襲われたならひとたまりもないのは、土砂崩れや土石流、洪水や高波津波のほうである。

震災に対しては、今はまだ救援に全力を注ぐ段階なので、原因やここまでの過程を検証するのは後回しでもいいが、発災後10ヶ月が経過した水害については、雨期に突入している今こそ検証しておきたい。

水の問題に触れるあたり、まずは、水を我がものとして利用し、タフに生き続けている者たちのことを語らずにはいられない。ここ数年追っている彼らの近況を報告しておきます。

コロナ禍+クーデター以前に比べ、ヤンゴン国際空港から入って活動できる範囲は一気に狭まってしまったが、水の三賢者たちの生息地は、たまたままだ入域可能な状況にあった。

彼らとの再会の模様は、2023822日から三編に分けてこの場で紹介している。

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/1kingdom-of-water-part-1.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/2kingdom-of-water-part-2.html

https://onishingo.blogspot.com/2023/08/3kingdom-of-water-part-3.html

その後も、希望虚しく争乱が沈静化することはなく、行ける範囲もさらに狭まってきているのだが、せめてその中でも自然や動植物がどういう状況にあるのか、季節を変えて訪問しては観察を続けており、彼らのことも記録していた。

まずは一つ目の水の賢者。湿地の上に小山のような巣を造り、お掘りのごとく周囲を水で防御しつつ卵から雛まで育て、湿地に生息するカニなどの小動物を食らって生きているオオヅル(Grus antigone)。

2024年の雨期が明けて間もない時期に彼らの消息を辿ってみた。

これまでの観察では、彼らが最も大規模に集まる場所は、純粋な天然の湿原ではなく、人の手が加わる水田地帯であった。

その、オオヅルが集まる水田というのは、四角く用地を区切って真っすぐのコンクリート製用水路で囲ったような日本式の人工的な水田ではなく、元々雨期には湿地になっていた地形をそのまま利用して稲を植えているような状態である。

その湿地の一角にオオヅルは巣を作るのだが、その土地の人々は、わざわざその巣をぶっ壊してまで稲を植えようとはしておらず、それは、どっかの団体や役所が指導したわけではなく、昔からそういう間柄だったようだ。

逆に、水が干上がる乾期にまで餌を与えてツルをその場に引き止めようなどとすることもなく、その地域では、必要以上に干渉することのない隣人として景色の一つのようになっているのだった。

他の地域ではほとんど姿を消しているにもかかわらず、特別なことは何もしていないのだ。

訪れた10月後半は、一部で刈り取りも始まっていたが、ほとんどの土地は、最長級に伸びきった稲穂に覆われていた。地面は、湿っているところも乾いているところもありそうだ。

その前年の12月には、刈り取りが終わってむき出しになっている乾いた土の上を歩くツルの姿を少数見ることができたが、もしかしたら、立錐の余地もないほどに密生した稲穂の海は、背の高いツルにとっても歩きづらいのかもしれない。

結局一日目は、一羽も発見することはできなかった。

その夜、宿を取った田舎町のホテルの部屋は、周りの住宅の屋根から頭一つ抜けており、窓から望む彼方の雲間には、音も届かぬ遠雷が繰り返し瞬いていた。

Oct. ’24
一期一会の床にも慣れ、深い眠りに落ちた頃、天ぷら油が細かく弾くような音がザワザワと近づいてきた。母親が立つ炊事場からか夢の彼方からか…

間もなく、油の煮えたぎる音が耳元に近づき、寝た子を起こす騒音となって聴覚を支配した。布のカーテンを捲ってみると、外では豪雨のカーテンが町をすっぽり覆っていた。

二度目の眠りから覚め、サービスの朝食が始まる前には支度を済ませ、イートアンドゴーでホテルを飛びした。相棒は、ツルの捜索ではいつも使っているなじみの運転手とカローラフィールダー。

未明のうちに降りきったようで、濡れた路面を残して雨は上がっていた。10月頃は、雨雲と太陽が綱引きをするような日々が続くのだ。

いつも観察しているツルの生息地からはまだ10キロ以上も手前で、それは唐突に現れた。

舗装された幹線道路から300メートルぐらい離れた野原に立つ二つに異物を二人の目は見逃さなかった。脳が捜索モードになってなければ高速走行中の車内から気付くことは難しいが、町から郊外に出た時点で既にスイッチは入っていた。

そこは、水田にも畑にも使ってなさそうな草むらで、未明の大雨で再び地面に水が溜まって湿原に戻っているようだった。

時刻は午前8時前、雌雄のカップルのようだが、もう食事は済ませているのか、歩き回ることなくその場に佇み、羽繕いなどをしつつ過ごしていた。

オオヅル
Sarus Crane (Grus antigone), Oct. ’24
ひとしきり観察して撮影をして、必要以上に距離を詰めることはせず、その場を後にした。

いつもの水田地帯に入ってからも、昨日同様、ツルの姿はなかなか見つからなかったが、これまた唐突に現れた。

今度は6羽の一群だ。すべて頭の赤い成鳥である。

Oct. ’24
こちらも道からは数百メートル離れていたが、下は草むらではなく田んぼのようだ。

けれどもやはり、実った丈の高い稲むらではなく、長い脚が見え隠れする程度の低い茂みの中にいた。遅れて植えられた稲むらなのか、一度刈り取った後の二番穂の稲むらなのかは分からない。

やはり、未明の大雨で水浸しになった場所を目指して出てきたのかもしれない。


Oct. ’24
その後は、大きな湿地の脇に単独で佇む1羽を見たのみで、豪雨明けのその日に観察できたのは、この三組のみだった。

その約5ヶ月後の今年の3月にその地を再び通った際は、土地は完全に乾ききっていて、何にも使われていない空き地とヒマワリなどの畑と稲の田んぼが混在している状態で、ツルは1羽も見つけることができなかった。

伝統的な農法では、刈り取りを終えた田んぼには、大量の水は必要としない別の作物を植える、いわゆる二毛作が中心だった。

けれども、最近では、政府は米の二期作を奨励しており、一期目を雨稲、二期目を夏稲と称している。夏稲を作るのは乾期の真っ只中で、乾期後半の暑季に刈り取りを行う。

ある農民は、雨期の後に刈り取りをした土地は、地面が割れるまでいったん乾かして病原菌を駆除したいのだが、今はそれもさせずに二期作目を植えさせられると、ぼやいていた。

元手のかからない天然の除菌をやらないために、後日農薬の散布が必要になってくる…なんか、近代化の奨励が現場の首を絞めてはいないか?

特に、多くの谷を水没させて灌漑用のダムを建設したバゴー山地の東西の麓で二期作は盛んだが、このツルのいる平坦な下流地域ではダムを作ることはできない。

そこで、海水が入り込む0メートル地帯は除いて、年じゅう水が絶えることのない天然の水路からポンプで水を汲み上げて、力技で夏稲を栽培させているようである。

ツルはおそらく、乾期の間でも夜は水に守られた環境で就寝しているだろうと私はみている。ある者は大きめの河原の湿原で休み、ある者は、より多くの水を求めて内陸の湿原に移動しているかもしれない。

つまり、子育てをする雨期にはお気に入りの水田地帯に集まり、乾燥が始まると、それぞれの家族が具合のいい水を求めて分散するというような広域の移動をルーティーンとしているのではないだろうか。

いずれにしても、人の営みの傍らで生き続けてきた彼らは、農業の形態が変化しても臨機応変に適応してくれるものと私は願っている。

あれよあれよと言う間に消えていった日本のトキやコウノトリやタンチョウたち。

餌付けでも人工の巣でも何でもやって人の補助なくしては生きられないところまで隣人を追い詰めてしまった農政の転換、ミャンマーではノーサンキューと願いたい。

次に追った水の賢者は、二年前には最も苦戦した謎の風来坊、ホシバシペリカン (Pelecanus philippensis)

これまで、雨期の真っ只中で居着いている数羽と、雨期の序盤に飛来してきたばかりの数羽に会うことができたが、今回は、水が引くとどこへともなく消えると言われている雨期と乾期の移行期の状態を確認すべく、10月下旬の訪問を計画した。

出発予定日の二日ぐらい前から、ヤンゴンでは大粒の雨が降りだした。

10月だと、止むのを待っていたりしてたら予定通りに事は運ばない。雨に降られるのは覚悟の上だ。

それにしても、雨脚が弱まる気配はなく、これは、私の中で区分しているところの三つの雨のうちで一番たちの悪いタイプ、モンダイン(超低気圧)の雨ではなかろうかと思えてきた。

https://onishingo.blogspot.com/2018/10/5-exploring-myanmar-nature-part-5.html

そこで、世界の風の流れをライブで可視化しているサイトで確認してみると、案の定、ヤンゴンの南のアンダマン海海上に、大きな風の渦ができていた。

風速こそサイクロンと認められる勢力には達してないが、沖に居座ったその渦は、濃密な雨雲を次々に産みだし、ミャンマー南部に送り込み続けた。

そしてとうとうあちこちの道路が冠水し始め、郊外に出ることすら難しくなり、予定変更を余儀なくされた。

たちは悪くとも渦の動向さえ追っていれば予測はつく。ペリカンが去りはしないか気が気ではなかったが、私は開き直って、低気圧が遠ざかるか消滅するのを待った。

結果、人身の被害はあまりなかったようで安堵したが、多くの水力発電所の施設を水没させて低気圧は消滅し、その後長く続くこととなる計画停電の原因となった。

雨脚がトーンダウンするのに合わせて出発を決め、やっと現地入りしたところ、ペリカンたちは相変わらず保護区となっている大池には寄り付かず、すぐ隣にある雨期にのみ出現する天然の湿地のほうで目撃されているとのことだった。

保護区の大池の片隅には宿泊や飲食のできる民間施設があり、環境に配慮した親水設計で、周りは樹木に取り囲まれ、野鳥の休息地にもなっている。

その目の前に広がる浅くて広大な大池は、三方を囲む長大な土手によって雨水が溜まったもので、一年じゅう水をたたえている。

一方、保護区にはなっていない隣の湿地のほうは、雨期で水かさが増すと小型のエンジンボートでも巡れる大池のようになり、しばらく漁場となる。そして、雨期が終わって水位が下がってきたら、稲を植えて水田にするという独特の半農半漁の場となっており、水位は自然任せである。

その、雨期にのみ現れる言わば幻の大池がある間に、どこからともなく数羽のペリカンがやって来て、水が引くとともに姿を消すのである。

10月に入ってから、その幻の大池の水位は下がり続け、もう漁場から水田に転換してもいいような状態になっていたのだが、数日前からの大雨で再び水位が上昇したとのことだった。

その分、ボートで行ける範囲は広がり、探索には都合よくなっていた。

水上で出会った人に尋ねてみると、今年は見ていないとか、数羽見たけど最近は見ていないとか、芳しい答えは返ってこず、一日目は生息の手がかりなく終わった。

毎年情報を収集している保護区事務所ですら、一度に10羽以上記録したことはなく、そもそも飛来数自体が少ないのだ。

二日目、水上を行く足は前日と同じ半農半漁の村のおじさんのエンジン付の小舟だが、おじさんは、ペリカン見えなくてもいいの?と言いたげな雰囲気で乗り気ではなかった。

たとえ見えなくても使った分は払うからと安心させ、幻の大池に再び漕ぎ出してもらった。

水はまだ減っておらず、舟があまりにも小さいというのもあって、かなり広域に回れそうだ。

北上した昨日とは違って、小舟は太陽を背にして西に舳先を向けた。

行く手にターゲットが現れたなら、ちょうど順光になるので写真を撮るには好都合な方角だ。おじさんはそれを知ってか知らずか。

はるか前方に、何やら白いものが並んでいる。

尺度になるものがないだだっ広い平らな水上で、遠方のものの大きさを推測するのは難しいのだが、私の感覚では人間ぐらいのものが並んでいるように見えてしまっている。

この環境にいる人間サイズのものと言えば、もし生き物だとしたら、最有力候補はペリカンだが、やけに白い。午前の日差しの反射があるにしても、ホシバシペリカンにしては白すぎる。なんか、大量のビニールを使う独特の漁法か水上農法の準備でもしているのかもしれない。

念のため減速してもらって徐々に距離を詰めると、徐々に輪郭がはっきりとしてきた。

間違いない、生き物だ、大きな鳥だ。

それにしても、ターゲットにしては白すぎるし数が多すぎる。

けれども、生き物と分かった以上、まずは怖がらせない距離感でエンジンを切って停止してもらった。

ここで望遠レンズの出番。ゆらゆら揺れる画面をなんとか止めてピントを合わせると、やはり水上の巨鳥、ペリカンだった。

ほとんどの個体が、私がこれまでここで見たこともないような純白に近い白い羽毛に覆われているが、その中に、くすんだ灰褐色の見慣れた色味の個体も混じっている。

一瞬、別種が飛来してきたのかとも思ったが、なるほど、だいたい謎が解けた。

これまでこの幻の大池に飛来していた灰褐色の個体は、巣立って間もない若鳥たちの小群で、彼らの仮の居場所になっていたんだ。

そして、今回現れた白いのが、成熟したホシバシペリカン本来の色だったんだ。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican (Pelecanus Philippensis), Oct. ’24
各地に散らばって繁殖を終えた成鳥たちは、乾期が近づくと年じゅう水をたたえる水量十分の湖などに移動するのが本来のルートだったのが、アンダマン海に低気圧が発生したことで、どういう風の吹き回しか、予定を変更して、この幻の大池に集結したようだ。

彼らの脳内地図にある目ぼしい水場をチェックしつつ移動ルートを飛行してきて、この幻の大池に差しかかったところ、いつものこの時期なら、もうすぐ泳げなくなり魚介も捕れなくなる状態なんだけど、一転、まだまだここで食えそうじゃん、と。

Oct. ’24
もしかしたら、集結した個体は若鳥の頃にここで雨期を過ごしたことがある者たちで、長雨が続いたことから水位の上昇を見込んで、ピンポイントにここを目指して来たのかもしれない。

Oct. ’24
一枚の写真に収まった大きな群れには26羽が確認できたが、たまたま一団から離れている者もいるだろうから、池全域では30羽以上は集まっているかもしれない。

Oct. ’24
いずれにしても、ここでは前例のなかった二桁の集結だったので、話だけではなかなか信じてもらえなかったが、後日保護区事務所に群れの写真を提供したところ、貴重な記録だと喜ばれた。

Oct. ’24
ラストの水の賢者は、汽水域最強のプレデター(捕食者)、イリエワニ(Crocodylus porosus)

早朝、船着き場近くの屋台の麺屋で食べていると、店主のおばさんが声をかけてきた。「森に行くのか?」「えっ…そうそう」。

ミャンマーの人は挨拶として、どこへ行くのかとかご飯は食べたかとか、相手の状況を尋ねることがよくある。

その中で、田舎だと「畑に行くのか」とか、さらに「森に行くのか」もよく尋ねられる定型文だが、それは「山に仕事に行くのか」みたいなニュアンスで、状況としては、たいてい上のほうを目指している時である。

ところが、デルタ地帯では、多くの土地が開墾されて農地となっており、森がまとまって残っているのは、より河口に近いマングローブの保護地域と植林地域になってくる。

なので、基点となるその町からは船で下って行かなければならないのである。

森に行くイコール下に下るというのは、他の地域とは逆の感覚で、現在のデルタの状況を現していて興味深かった。

すれ違う上りの船は、船室まで浸水するのではないかと思えるほど船体が沈んでいるが、積み荷の多くは刈り取られた米で、町の精米工場にせっせと運び込んでいるのだった。

水田は、かなり海に近いところまで拡大しているのだ。

目的地の広大な平らな島は、長い年月をかけて中洲がそのまま陸地化したもので、島内には両岸にマングローブの森が迫る大小の水路が入り組んでいる。

ターゲットを発見できる確率が一番高いのは、水位が下がって泥の岸辺が幅広く水上に顔を出している時である。

ペリカンと同じく、ここの観察でも水位が大事なのだが、前述の幻の大池の水位が季節によって変化するのに対し、マングローブの島では、雨期と乾期の河の流量の差ではなく、一日二回の満潮と干潮によって水位が変化する。

つまり、あたりは既に海の領域で、そこに河の真水が混じっている状態で、それこそが汽水域である。

今回の日程は、島に着いた時点でまだ泥の岸辺が顔を出しているように、朝に干潮が来る月齢を予め調べておいてから決めたのだった。

島まで辿り着いたなら、小規模な漁をやっている漁師らを見かけては、奴らを見なかったかと声をかけて情報収集しつつ、出会いの可能性が高そうな水路を巡ってゆく。

その漁師らは、ルールを守ることを条件に保護地域内での活動を認められているのだが、入り組んだすべての水路への進入者全員を監視することは不可能で、小規模な新たな伐採の跡は相変わらず見られる。ルールを守らない者も侵入しているのだ。

たとえ小さなパッチ状の抜けでも、その数が増えていけば、大きなハゲ山に匹敵してしまう。

昨年4月の乾期末期にあたる暑季には、島内で火事が発生し、民間主導で植えた植林地を中心に約500エーカー(約202ヘクタール)が焼失してしまったが、これも、無断侵入者の焚き火などの不始末が原因ではないかと疑われている。

政治の混乱による財政難や支援の凍結は、最前線での活動を制限してしまい、自然環境の維持や野生生物の生存に確実に影響している。

水路は、霧の朝には対岸が見えないほど幅広いものから手漕ぎの小舟でしか入れないような狭いものまであるが、大きな水路に大きな生き物がいるというわけではないので、時間の許す限り、全長約9メートルのエンジンボートで行けるところまで行くことにする。

自然にできた水路は、まさにヘビのように蛇行しているが、遡っていくと、幅が狭まるにつれて、より短いピッチで曲がりくねってきて、先のほうまで見通すのがだんだん難しくなってくる。

それは、次の角の向こうには何がいるか分からないという状態が連続するということで、片時も気を抜くことはできない。

漁師の目撃情報もなく足や尻尾の擦り跡も発見できないまま虚しい航行が続く中、クライマックスは唐突に訪れた。

数十メートル前方左の岸辺の泥の上に倒木のような物体が、ドテッ、ベタッと横たわっている。イリエワニだ。

既に目前まで来ているので船頭さんはただちにエンジンを切ったが、船にブレーキはないので船体はそのまま流れ進み、ワニの鼻先を通過する。

“パチパチパチ”。流れる沈黙の船体の上からもシャッターは切り続け、ターゲットを数十メートル後方に置き去りにして船はやっと停止した。

静かに船体を岸辺の木陰に寄せ、まずは十分に距離を置いたまま、じっくりと観察と撮影を始める。

そして、行けそうなら、エンジンを止めたまま竿さばきだけで再びワニとの距離をじりじりと詰めていくという段取りである。

イリエワニ
Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus), Mar. ’25
撮影に十分な距離にまで縮まったなら、邪魔はしないよという風情で停泊して、しばらくワニと同じ空間を共有するのだが、我々を煙たがってワニが水中に姿を没することもあれば、十分に撮った後、我々のほうが先に去ることもある。

Mar. ’25
翌日も、足+尻尾跡も見つからず情報もないままの巡航が数時間続いたが、角を曲がった先の岸辺にいきなり現れた。

前日よりもさらに狭くさらに曲がった水路でさらに唐突で、ワニの姿が現れたときには既に10メートルを切る至近距離だった。

左手に家が建っている直角の角を左折したら、そこに歩行者が立っていたというような状況だ。ワニが立ってるところは、さすがに見たことないが。

Mar. ’25
それでも、20メートルほどの距離を置いて静かに停泊する我々を煙たがることなく、じっと目を閉じたまま微動だにせず、鼻と口が水没するほど潮が満ちるまで甲羅干しを楽しんでいた。

Mar. ’25
この2頭との出会いは、とても意義深いものだった。

どちらも、目測15フィート(約457センチ)超の成熟した個体だったのだ。

保護官の間では、どれぐらいでかいかの目安として15フィートというのはよく使う数字で、3メートルクラスだとゴロゴロいるが、4メートル台後半になると、世界最大になるイリエワニと言えども、ぐっと数が減ってくるのだ。

保護官や地元の漁師の目測の正確さについては、私は実体験を通して信頼している。

https://onishingo.blogspot.com/2012/05/62-rushed-six-meter-thing-part-2.html

それに、対比するものがなくても、外見から成熟度を推測することもできる。

まず、体の大きさに対する目の大きさの比率が、大人と子供では丸っきり違う。

多くの動物で言えることだが、生まれたときから眼球はある程度大きいので、何十倍も大きくなる体全体とは違って、目はそれほどの倍率では大きくならない。

なので、見ての通り、赤ちゃんワニと大ワニでは、頭に占める目の比率がぜんぜん違うのだ。

Oct. '19
Mar. '25
さらに顎でも。人間でも上下の顎の長さの比率は人様々で、さんまさんタイプもいれば猪木さんタイプもいる。

それが、もともと長くて平たい顎を持つワニ界のさんまさんや私のタイプだと、上顎に隠された下顎前方の牙の先端が上顎を内側から穿(うが)ち、貫通することもあるのだ。

今回見たうちの1頭は、閉じた下顎の2本の牙が上顎の表面まで突き抜けていた。歳を重ねている証拠だ。

下の2本の牙が上顎を突き抜いている
Lower two fangs pierce the upper jaw, Mar. ’25
下の2本の牙が上顎の前に出ているタイプ
Its l
ower two fangs stand out of the upper jaw, Feb. ’17
今回で、コロナ禍以降にワニ生息地を訪ねたのは4度目になるが、チラ見も含めて合計9頭を目撃することができ、2メートルクラスから、今回やっと4メートル超の個体の全身が見られたことで、クーデターの後に聞かされていた、デルタに残っているワニは密猟されてもう終わりだというのは、根も葉もない噂だったということを確信した。

あとは、繁殖を確認したいのだが、孵化して間もない数十センチの子ワニを見つけるには、夜間に漕ぎ出す必要がある。

現在、治安が不安定なことから、夜間の島への航行は許可されていない。

以上、水の三賢者は、水の環境にうまく適応して生きながらえていたが、人間にとっては、水をどう治めるかは永遠に探求しなければならない課題である。

社会構造が近代化すればするほど、より大きな被害をもたらす天からの試練のようにも思える。

20249月にベトナム北部に上陸した台風ヤギ(11号)は、ミャンマーには風の被害はほとんど与えなかったものの、とてつもなく大量の雨を降らせた。

ちなみに、台風ヤギは、北太平洋西部で発生してインドシナ半島で熱帯低気圧になったので、英語でもTyphoon Yagiと呼び、Hurricane(ハリケーン)ともCyclone(サイクロン)とも訳せない。

タイフーンとハリケーンとサイクロンは同じ現象で、所在地のみで呼び分けられる。

ミャンマーだと、太平洋側から来るのがタイフーンで、インド洋側から来るのがサイクロンである。そして、ビルマ語では、どちらもモンダインと呼ぶ。

台風ヤギによる雨が特に多く降ったのは、ベトナム北部により近い国土の東側を占めるシャン州だった。

シャン州の年間降水量は、2014年から2023年の平均値で、ヤンゴンが2,648ミリなのに対し、北部のラーショーで1,243ミリ、西部のタウンジーで1,400ミリ、東部のチャイントンで1,133ミリと、ミャンマーでは決して多いほうではない。

けれども、短期間の集中豪雨は、今やどこでも起こり得る。

台風ヤギによる被害が特に大きかったのは、広大なシャン台地(Shan Plateau)の西の縁に近いタウンジーから、台地を下った麓のマンダレー管区内とネピドー領内の中央平地にかけてであった。

とてつもない集中豪雨により急斜面の一部が崩れ、大量の土砂と水が集まった濁流が河川の両岸を削りながら台地から流れ下り、平地では河川敷のキャパをはるかに超えて氾濫し、洪水となった。

私がその現場を通ったのは、発災から1ヶ月後のことだったが、以前から危うさは感じていた。

シャン台地の大部分は標高千メートルを越えているが起伏がなだらかなため、高地にいることを忘れてしまいそうで、プラス千メートルの土台に乗っかった平地といった感じである。

なので、その台地上に数百メートルほど盛り上がった小高い山でも、海抜では2千メートルを越えてたりする。

土地がなだらかなため、シャン台地では農業が盛んで、せり上がった山塊の急斜面を除く台地の大部分は農地に覆われている。

アスファルトでもコンクリートでもなく、一面の土の上を植物が覆っているのだから、純ではなくとも準自然な状態で、人にとって、農地は安全で健康的な環境に思える。

けれども私から見れば、あまりにも森がなさすぎる、シャン台地には。


典型的なシャン台地の風景
Typical Shan Plateau view, Jul. ’24
同じ植物から成り立っているものであっても、農地と林地ではまるっきり違う。似て非なるものだ。

林地には天然のものと人工のものがあるが、人工林であっても、伐採収穫の年以外は、いろいろな樹齢段階の樹木が継続して育っている。

一方農地では、栽培の主流である一年生の作物だと、毎年収穫して農地を裸地に戻し、再び耕して作物を植えるというサイクルを繰り返す。

つまり、林地では通年樹木が地面を覆っているのに対し、農地では毎年地面がむき出しの裸になっている期間があるのだ。

典型的なシャン台地の農地
Typical farmland in Shan Plateau, Jul. ’24
その差は何に現れるかと言うと、まず、農地は大きな動物の恒久的な生息地にはなれないであろうことは容易に想像がつく。

そして、土が常に植物の根っ子で掴まれている状態と再々裸になる状態という差は、土地の安定や水の保持に大差となって現れる。

それこそが危うさの正体で、裸の土地では、大量の雨が降ると地表面を雨水が滑り、同時に表土も流されていく。

木陰で雨宿りした経験は誰もがあるだろうが、外にいるより濡れにくいということは、大量の枝葉が、雨水が地面まで到達するのに時間差を付けてくれているということだ。直接雨滴が地面を叩かないことで、表土が流れ出すことも緩めてくれる。

さらに地下に張り巡らされた根系は、浸透した水をスポンジのようにしばらく蓄えている。

よって、森に覆われた土地は裸の土地に比べて流れ出す水の量を制御してくれており、緑のダムとなっているわけだ。

農地だと、裸地の期間はもちろん、作物が育っている間でも、保水能力や土を保持する能力は、林地ほど期待はできない。

せめて、多年生の果樹園であれば、それぞれの果樹は樹木そのものなので、森に近い治水効果が期待できるのだが。

この度の水害は、なだらかな台地上の水が集まって急斜面の台地の縁を流れ下っている川沿いで多発している。

シャン台地山麓の一角
Around the foot of Shan Plateau, Oct. ’24
周囲を観察すると、森に覆われている山肌でも土砂崩れの跡はあったため、台地に林地がしっかりあったら被害は防げたとまでは言わないが、もっと森に覆われていたなら雨水の下降に時間差が付き、その台地の水を集めて下る川の増水速度を緩和できたのではないか、結果として鉄砲水の発生をいくらか抑えられ、数百人もの命を奪った土石流や洪水の発生頻度と規模を少しでも減らせたのではないかと思うのである。

シャン台地西縁の一角
Around the western edge of Shan Plateau, Oct. ’24
現在のシャン台地の農耕地では、畑の周りを樹木が並木状に疎らに取り囲んでいる程度だが、その将棋盤のような模様を、例えばカーレースのチェッカーフラッグのようにして、明るい農地の隣には必ず黒々とした林地があり、農地と林地で土地を半々に分け合うぐらいにすれば、保水力と土壌保持能力はバク上がりするはずだ。

この度水害に遭ったシャン台地西部では、森林占有率50%の土地を目指して、現存する天然林は極力残した上で半恒久的な林地の拡大を勧めたい。

根っからの農民である地元の人たちが木材の生産に興味がないのなら、せめて果樹園の面積を増やすことからでも始めてほしく、私もアグロフォレストリーのスタイルを導入した林地の維持拡大トライアルに協力しているところである。

2008年にサイクロン・ナルギスがエヤワディーデルタを襲った際は、事後の検証でマングローブの防波効果が再評価された。

昨年の水害では、因果関係を立証することはより難しいかもしれないが、治水対策における森林の存在意義には、もっと注目をするべきだろう。

そして今年の震災では、地方での状況が明らかになってくるにつれ、伝統的な家屋や生来のミニマリスト的な質素な生活様式が見直されてくるかもしれない。

作っては壊し、壊しては作り、そして経済が回ってゆく。そんな幻想を、大変動期を迎えた地球は真っ向から打ち砕くだろう。

今、人類の生存そのものを脅かす強大な宿敵となっているのは、怒り始めた地球が次々に繰り出してくる未曾有の自然災害や未知の病原菌である。人間同士が戦っている場合ではない。

決して大袈裟に脅かしているのではない。なぜ現実にあるこの地球の危機を理解してもらえないのか、人々の目がそちらに向かない現状にはイライラが募る一方である。

もういい加減に止めましょう。

Stop wars! No more violence!

Oct. ’24