2025年12月29日月曜日

無骨な愛の結晶2025 ―The fruits of rustic love 2025

Reference: 無骨な愛の結晶(4th Nov. 2011)
https://onishingo.blogspot.com/2011/11/fruits-of-rustic-love.html
デルタの交通網、天然の大水路
Natural wide channel, the traffic network in Delta area, Aug. ’25
前便では、汽水に住む賢者、イリエワニの近況についてお伝えし、コロナ禍以降、まだ子ワニは見つけておらず、探すには夜に漕ぎ出す必要があるが、夜間は町にとどまっていなければならないことを説明した。
https://onishingo.blogspot.com/2025/07/living-with-water.html

実はその滞在中、汽水域巡航の起点であるその町を離れる日、保護区を管理する長から思いもよらぬことを聞かされていた。それは、遠くから差してくる一筋の光のような言葉だった。
彼曰く、今度来たときには、我々のボートで保護区の島に行って、そのままボートにとどまって一夜を過ごせばいい、町の関係機関と交渉すれば認められるはずだと。
なんでそれを帰る日に言うんだと言いたかったものの、やっと夜の観察が再開できる希望が出てきた瞬間だった。もちろん再訪を約束してデルタを去った。

それから軍資金を蓄え、5ヶ月後に満を持して保護区事務所に電話し、再訪を打診した。管理長はウェルカムだと。
夢にまで見た子ワニやホタルの大群との再会の日は、もう目前に迫っている。

出発の日が来た。
以前はバスや旅客船をふつうに使っていたが、まだ不安要素が多く、いつ目的地に着くか予測しづらい。特に外国人だと、観光地でもないところに何をしに行くんだと警戒され長く停められて、他の旅客に迷惑をかけることにもなりかねない。
そこで、高く付くのは覚悟の上で、今はまだ、長距離移動には個人の車を借り上げることにしている。
もし厳重に荷物をチェックされることになったとしても、借り上げ車なら運転手と2人分ですむが、バスだと、旅客全員の数十人分をチェックすることになるので、当然何十倍も時間がかかる。いつ着くのか分からなくなるということだ。

デルタのただ中にある起点の町に到着はした。何はともあれ宿の確保だ。
まず、外国人相手の営業許可を政府から取っているような宿はない。けれども、立ち入り禁止エリアとはなっていないため、現地にある政府関係機関の裁量で泊めるかどうかを判断することになる。

今回は下流の島でも泊まるつもりでおり、町で何泊することになるかは未定なので、なじみの宿には、まずは今夜の部屋だけは確保してほしいと言い残し、保護区事務所に向かった。
前回別れ際に光の言葉を放った長は待っていた。「来たか」と。

いつボートは出られるかと尋ねると、もう島に行って調査をやっていると。
それに、エンジンの調子があまりよくないので、お前は民間のボートを雇って行けと。
保護区のボートを使うにしても燃料代は私が払うのだから、民間のボートでも、それはそれで構わない、なじみの船頭さんもいるし。何より、保護官たちの調査は優先してほしい。

で、島には泊まれるんだよねと。
すると「泊まりたいのか?」と。
無論。だから来たんだよと。

「うーん⋯」顔色が渋い。
「国軍支部の場所を教えてやるから、今から行って長官にお願いしてこい」と。
えっ、そんな話なのか?あんたは行かないのか?
「いやいや俺は忙しい」と。

水上交通の要衝であるその町には、政府の出先機関が一通り揃っていて、治安や人流に関わる事務所だけでも五ヶ所以上あり、例えば私が明日島を訪ねたければ、パスポートやビザなど、怪しい者ではござらぬ証明ができる文書をコピーして全部に配り、事前に許可をもらっておかなければならない。
それは、ミャンマーの地方での旅では何十年も前からやっていたことで、民政移管を成し遂げたスーチーさんの時代でも変わることはなかった。

関係当局と交渉して⋯とは、同じく出先の代表の一人である保護区の長が、必要な書類を配布する段階で、この外国人のことは俺が見るからと顔なじみの代表たちからツーカーで許可をもらってくるということではなかったのか。

後日、彼の部下である現場の保護官が言うには、島に泊まれると言った時の長は、オフでちょっとアルコールが入ってたんじゃないと。どうやら、そういう習慣と習性があるらしい。彼とは平日の昼に話をすべきだったようだ。

光の言葉ではなくていかれた言葉だったのか。こぼれそうな怒りの言葉を飲み込んだ私は、改めてオンモードの彼の言葉に耳を傾けた。

クーデターで国軍が政権(飽くまで暫定)を掌握して以来、町に通じる水路上に停泊する軍の監視船が、日暮れから夜明けまでの入港出港を禁止しているため夜間の航行はできないと言う。
そんなことは分かりきったことで、数年前からは、それに従って町の宿に泊まって保護区の島への日帰りを繰り返していた。

夜間、大水路を行き来することなど毛頭考えていない。要は、どこで一夜を過ごすかだ。
起点の町の宿で過ごすのが原則だということも分かっている。けれども今回は、島にある保護官の詰所にボートを停泊させて彼らとともに一夜を過ごすということで顔なじみの関係機関の了承を取ってくれるのではなかったのか。夜間に外の大水路に出ることはなく、島内の小水路を巡って生き物を観察したいだけなのだから。

お前が説得してみたらと言われても、それだけは断る。
ルールは守る。顔写真でもパスポートでも必要なものは提出する。
政権を握っているのが大多数が納得していない一時的な勢力であったとしても、国家という形を保つためには、たとえ不本意であっても法律には従うべきである。おもねるということではない、秩序を維持するためだ。

けれども、そこをなんとかと特別なお願いをするために、必要最低限の義務以外のことで彼らと接触するつもりはなく、まして、借りを作るようなことはやらない。
出先の代表者らが認め合うローカルルールにできないのなら、残念だが島で泊まることは諦めるしかない。

脳裏に浮かんでいた赤く照り返すワニの眼光もホタルの光も、明けてぞ今日は別れゆく。再び夢の彼方に消え去ってしまった。
何のためにここに来たのか。ワニの繁殖を確認するためだ。
コロナで世界が一変する直前の2019年11月以来、子ワニとは会っていないのだ。

まったく、地方への旅では何が起こるか分からない。管理を司るトップの言葉があったとは言え、もしもの場合の代替案も考えてはいた。雨期真っただ中の8月を訪問時期に選んだのも、そのための保険だった。

分かりましたと。町の宿に泊まって、夜明けの後から出港して日暮れの前には帰港するからと。
ただし、お願いがある。島で保護官らと合流するので、ワニの巣の探索に付いて行かせてくれと。

彼の顔色は渋いまま。
今期見つかっているワニの巣は、水路からかなり離れてるのでかなり歩かなければならない。それに、母ワニを初め、成ワニは繁殖期で攻撃的になっているので危険だと言う。

それは承知の上で、彼が赴任してくる以前に、何度かワニの巣を見に行ったことはあるので、一般の観光客ではない経験者として見てほしいと、私は食い下がった。たとえ見つからなくても日が暮れるまでには戻ってくるからと。
結局、彼なりに島の保護官に連絡を取って状況を探ってくれ、あとは現場の彼らと相談して決めるようにとの決断を下してくれた。

そして、必要書類を関係機関に配布してくれ、日帰りでの島への訪問は承認された。町での宿泊のほうは、地元警察への書類の提出と短い面談で認められた。不便な地方で独自に設定しているローカルルールの適用だ。

日帰りだと、島にいられる時間は短く制限されるにも関わらず町と島との往復移動には時間と燃料代がどんどん嵩んでいくため、何日間も続けられるものではない。早めに決め切らなければ。

港の朝は早い。
夜明けとともに船のエンジン音があちこちから上がり、トラックへの魚介類の積み込みも始まっている。入港禁止が解かれると同時に、夜の間に操業していた漁船が戻ってきたのだろう。
ミャンマーの伝統的麺料理、モヒンガー
Myanmar traditional noodle dish Mohinga, Aug. ’25

当然、労働者の腹を満たす食事屋も早くからやっていて、私は、ナマズベースのスープに米の麺を合わせるモヒンガーを二杯食べ、船頭さんと二人分の昼食はテイクアウトにしてもらった。白ご飯に添えるメインのおかずに選んだのは魚の卵で、魚種は分からないがフォアグラのような濃厚な味で、港町だからこその手軽に食べられるごちそうである。
野菜の付け合せと魚卵をおかずにした弁当
Lunch box consisting in rice, some vegetables and fish roe curry, Aug. ’25
南の空は外洋から押し寄せてきた雲で満たされており、モンスーンの雨に繰り返し降られることは避けられない。単発のスコールとはパターンが違うのだ。
Aug. ’25
幸い、雨期の走りによく発生する突風と高波は鳴りを潜めており、船足は軽快だ。流域各地で降った雨水で川の流量自体が増えているのに加え、引き潮にも乗っているのだろう。
Aug. ’25
デルタでの干満は、日本ではちょっと想像しがたいもので、満潮時の海水は河口から何十キロ、もしかしたら百キロ以上の上流にまで達し、それが干潮時には海に下っていく。
なので、飛行機が貿易風や偏西風に乗るか逆行するかで往路と帰路の所要時間が違ってくるように、デルタを行く船も、進行方向が潮の干満に乗るか逆らうかで速度が違ってくるのだ。
つまり、往復に費やす時間を倹約したいなら、引き潮の時間帯に上流側の町を発って、上げ潮の時間帯に下流側の島を発つのがベストとなる。
満潮時の水位が木の葉に付いた濁り水の跡に残る
The highest tidal line is indicated by muddy water marks on the leaves, Aug. ’25
保護区の島には、予想より早く到達した。島は、巨大な中洲が陸地として固定したもので、薄いステーキのような平地に、大小の水路がサシのように入り組んでいる。
保護区の島内の天然水路
A natural major channel in the conservated island, Aug. ’25
最も手前にある監視詰所に立ち寄ってみたが、番をしている協力漁師の家族はいるものの保護官たちの動向は掴めなかったため、そのまま島内の水路を進み、観察を続けた。
Aug. ’25
北の国から多くの鳥が越冬に来ている乾期ほど賑やかではないが、雨期に好んでやってくる鳥もいて、特に獲物を狙うハンターたちが目立ち、どんよりとした空のもと、独特の緊張感が漂っている。
カタグロトビ
Black-shouldered Kite (Elanus caeruleus), Aug. ’25
そんな中、交尾や産卵をまだ諦めていないワニたちも、虎視眈々と大型の獲物を狙っているはずである。
引き潮で泥の岸辺が現れてはいるものの、日差しが弱いせいか、甲羅干しをしているワニは見られず、足跡も尻尾跡も残ってなかった。雨期での観察はこんなもの。
繁殖期のただ中にいる成ワニたちは行動圏を広げて島の外に出ていくものもいるため、生息密度自体が一時的に下がるのだろう。
シロガシラトビ
Brahminy Kite (Haliastur indus), Aug. ’25
島内の水路を数時間巡って島の中ほどにある詰所に戻ったところ、小型のボートが横付けしていた。それは、保護区の調査船で、管理長の連絡を受けたなじみの保護官たちが私の動向をキャッチして待っていてくれたのだった。
ミドリハチクイGreen Bee-eater (Merops orientalis), Aug. ’25
再会の挨拶もそこそこに、すぐに出るから準備しろと。近くにあるワニの巣に連れて行ってやるからと。

ついに雲間から本物の光が差してきた。十数年来の現場の友人が言っているのだ。胸は高鳴り気持ちは引き締まり、脳はシャキーンと探索モードに切り替わった。
大きなリュックは置いていけとのことだが、ボートも小さいし絡み合った枝や蔓を何度も潜るであろうことは分かっているので、すぐに水や毒吸引器や刃物などの必要最低限の携帯品に絞り込んだが、ちょっとだけお色直しの時間をもらった。足元を、船上観察モードの青いゴム草履から泥中歩行モードの黒い地下足袋に履き替えたいのだ。

以前、マングローブ林の中を裸足で歩いてみたことあるが、石こそないものの、整備された田んぼなどとは大違い。容赦なく足裏を刺し爪先を打ち返す枝とか根とかが潜んでいて、分速10メートルも歩ければいいほうで、二度とやるまいと後悔した。
マングローブでのベストフットギアは日本の地下足袋で決まり、できれば底や外周が硬い農作業用がいいが、小鉤(こはぜ)という独特のホックを留めるのには結構手間取る。

長年私の行動を見てきた彼らも、それはよく知っているのだが、とにかく今は急げと。
行けるところまでなるべくボートで遡って距離を稼ぎたく、そのためには小水路の奥まで上げ潮が入り込んでいる時間帯がいいのだが、逆に水位が上がりすぎると、巣に向かうその水路は低い枝が水面を覆ってしまうそうで、水中を泳ぐワニならともかく水上を進むボートだと行く手を塞がれてしまうらしい。
今はまさに潮がどんどん満ちているところ、巣まで往復できる時間は限られているのだ。

準備は整い4人のメンバーでいざ出発。移動と観察で通るいつも水路を島の中心部に向かってエンジン全開で快調に進む。
Aug. ’25
10分も経たないうちに減速。マングローブ植物がびっしり覆っているとしか見えない岸辺を凝視。ふつうに走っていたら見落とすであろうわずかな隙間、そこが小水路の入口だった。
Aug. ’25
エンジンを切り、緑の壁に向かって直角に舳先を向き直す。
ここからはマンパワーで突入。
Aug. ’25
後方の一人がメインエンジンとなってオールで漕ぎ、舳先の一人が、漕いだり腹這いになって行く手を塞ぐ枝や葉を押しのけたりしつつ奥に向って進んでゆく。棘のある植物も多く、じりじりと少しずつ距離を伸ばしていく。
Aug. ’25
私にできることは、彼らに気を遣わせないこと。枝が弾いてきたならかわし、棘が垂れ込んできたなら身を伏せ、手に届く幹を押し枝を掴んで前進や方向転換のサポートをしたりもする。そのあたりは、旧知の仲だからこそのツーカーでお互いが判断している。
Aug. ’25
マングローブ域にまで進出したヤシ科のマライソテツジュロ(Mangrove date palm, Phoenix paludosa)が次第に増えてきた。地面が少し高くなっている証拠だ。

10分以上進んだところで、ややしっかりした陸地が現れた。地面はぬかるんでいるままだが、水路よりわずかに高くなっている。ここからはボートを降りて歩く。当然、ワニと鉢合わせになったらどうするかもイメージしておかなければならないが、地下足袋なら秒速3メートルぐらいで跳ねれそうだ。

植生はさらに変化し、ビルマ語で大鳥の羽と呼ばれる大型のシダ、ミミモチシダ(Golden leather fern, Acrostichum aureum)が一気に増えてきた。これはいいサインだ。
Aug. ’25
そして、10分も歩かないうちに、視界が一気に広がった。びっしり生えたミミモチシダの群生の周りを高い木が取り囲んでいる。この景色⋯間違いない。瞬時に確信した。
Aug. ’25
もう私の頬は緩んでいる。保護官がシダの群生の中ほどを指差す。その威容が視界に入った瞬間、「あ~~~」安堵の声が漏れ、熱いものが込み上げてきた。そこには、ゾウガメのような巨大な草のドームが水溜りの中から盛り上がっている。やっと繁殖の証しをこの目で見た。イリエワニの巣だ。
イリエワニの巣
A nest of Salt-water Crocodile (Crocodylus porosus),Aug. ’25
変わらず営みを続けていてくれたか。
最後に子ワニを観察してから6年、前回巣を見てから9年が経っていた。コロナ禍とクーデターが勃発してからあとの再会には、いつも瞼が熱くなる。

周囲にはワニが巣材に使う植物が3種類確認できたが、中でも最も多用するのがミミモチシダなのだ。葉を積み重ねていくそうだが、太い釘のような歯が並んでいるだけの大口でどうやってドーム形に仕上げるのか⋯なかなか想像がつかない。

直接巣に触れたかったが、奥に続く水路に母ワニが潜んでいるからと止められた。ワニは産みっぱなしではなく、巣から新生児まで守るのだ。
巣は既に計測されており、直径は6.5フィート(約198センチ)、周囲は21フィート(約640センチ)、高さは31インチ(約79センチ)だったそうだ。保護官は母ワニも目撃しており、そのサイズから50個弱の卵が巣の中にあると推定している。そして子ワニは、産卵から45日ほどで誕生する。

全方位からとはいかなかったが、巣と周りの環境を目にも写真にも焼き付けたところで、早々に引き上げることになった。そうだ、完全に潮が満ちてしまったら水路が枝葉で塞がれてしまう。その前に漕ぎ出さなければ。

「グー」背後で何かの音が発した。今のは母ワニの唸り声だと言う。だとしたら、思っていたよりずっと近かった。巣に触ろうものなら襲いかかるべく、茂みの奥に身を潜めてずっと我々の行動を見ていたのかもしれない。

まったく私の動物を巡る旅は、保護官やゾウ使いや農民漁民など、経験豊富な地元の人たちの助けがあってのものである。

なんとか緑の水門が閉ざされる前に小水路を脱出できたが、さすがの手際のよさで、覚悟していたよりはるかに短い時間で念願のターゲットを見に行くことができた。客が来るから慌ててとかではなく、日頃から生息調査を行ってて、彼らの脳内の地図が常にアップデートされている証拠だ。
それに、朝から何度も降られているにも関わらず、ワニの巣を訪ねた一時間ちょっとの間は、見事に雲が切れ、一ミリも降られなかった。なんか、伝える使命をもらったかのように感じた。

結局、今回は2日間のみのクルーズで、ワニの姿を見ることはできなかったが、動くことのない枯れ草の山にこれほど胸を打たれるとは思わなかった。
けれども、喜びに浸ってばかりもいられない。強大な捕食者との共存は歓迎されているわけではなく、問題は山積みなのだ。

日本でも今年は、ヒグマとツキノワグマの攻撃による死傷者が多く出て駆除もされ、殺処分を非難する声も多く届いたと言う。
その多くは被害地域の外の者からだったそうだが、日々クマの攻撃に怯えて暮らす人たちからすればとんでもない話で、だったらあなたの町でクマを引き取ってください、いくらでもあげますよ、とでも言いたいところだろう。

くまモンを産んだ九州では、皮肉なことにクマを絶滅させている。けれども、同じ遺伝子を持つであろう本州のツキノワグマを引き取って九州に再導入しようという話にはならない。トキならウェルカムだがクマはノーサンキューということだ。

ワニも同じく、毎年のように犠牲者が出ている。デルタのごく狭い地域に限定された被害だ。
2025年も、保護区である島内でも外の村でも死者が出ている。さらに、私が到着する四日前には、島内の水路で漁師がスズメバチ(おそらくツマアカスズメバチ)の群れに襲われて亡くなっていた。全身百ヶ所以上刺されて、病院に搬入される前に息絶えたそうだ。

管理長の雰囲気が、前の週の「ウェルカム」から一転していた本当の理由がやっと分かった。彼は、保護区で起きたその死亡事故の対応に追われていたのだ。

ルールを守って進入してたにしても、保護区内での死亡事故の発生は由々しき事態である。事後処理も大変だったはずだ。さらなる被害は食い止めたいところだが、
そのハチの巣も健在のままで、野生のハチに殺されても、どこからもお金は出ないだろう。

ワニによる被害に対しても、ワニを保護している国からの見舞金や弔慰金が出たということも遺族が国を訴えたということも聞いたことはないが、今年の事故では、国内の民間団体が遺族に弔慰金を出したそうである。
限られた財政の中で、現場は保護活動をよくやっているとは思うが、ワニ被害の予防やワニと地域住民の共存に関しては、手が回っていないように見える。

地域住民に対して保護官たちが第一にやるべきことは、希少動物を殺してはいけないということを周知させることだが、この地では、逆に動物に殺されないためにはどうすればよいかという知識と技術の伝授もするべきである。
住民の痛みを分かち合い、彼らの命を守ってこその自然保護である。

けれども現状は、保護区内での違法行為の監視と取り締まり、生物多様性の回復を目指す植林などで手一杯で、島外での活動に取り組むゆとりはなさそうだ。
ましてや今は、ミャンマー国内での公的な活動に外部からの支援の手が届くような情勢でもない。

日本のクマの場合、人々の生活様式が変わってからほんの数世代交代しただけで、人間はまったく恐れる必要のない非力な動物であるという認識が彼らの中に定着してしまったということだと思う。
さらに、青森、岩手、秋田など特に北東北の個体群については、狂犬病ではないまでも何か未知の病原に侵されているのではなかろうかと疑ってしまう。血液を徹底的に検査して、ウィルスやパラサイトをチェックしたほうがいいのではないだろうか。

一方、ワニは、クマほどの学習能力はないし、人間とは生活圏の違う半水生の生き方をしているので、いちいち我々の顔色を見るようなことはなく、とにかく水辺に近づく黒い影には、犬だろうが豚だろうが人だろうが、水中から襲いかかって引きずり込もうとする。
つまり、クマ対策で言われるような、もし出会ってしまった場合の対処法とかではなく、ワニに対しては、とにかく接触を避けること、それしかない。

そのワニの習性や特徴について、保護官たちは村人よりもはるかによく知っている。その知識を広める機会さえ持てていないのが現状なのだ。
だったら、人に危害を加えるものは徹底的に駆除すればいいという考え方もあるだろうが、それには賛成しかねる。

どんなに機械化が進み文明が発達しても、それは自然の恩恵をベースに成り立っているもの。自然を構成する無数のピースの一つを抜き取ると、必ずどこかにひずみが起こるはずだ。
ましてやワニほどの大きなピースがなくなると、マングローブ生態系への影響、そこから恩恵を受けている人々への影響がどう出るか、それを予測することは難しい。

人の介入により積極的に根絶させたものもある。例えば天然痘ウィルス。
病原は滅ぼしてもいいのにワニはなぜだめなのと、生息地に生まれていたなら私でも思ったかもしれない。
逆に、根絶は不可能と宣言されたものもある。その一つがマラリアパラサイト。被害者の一人である私は、あんな苦しい思い、誰にもさせたくない、滅んでほしい、と願う。少くともパラサイトやウィルスには、死を恐れる感情も知性もないだろうと。

地球上から除外すべきか共存すべきか、森羅万象の全貌などとうてい理解することのできない人類が、はたして審判を下せる立場にあるのかどうか⋯
未熟なりにも、今は一つ一つの対象に慎重に向き合うしかないのではないか。

クーデターの後、ほぼすべての公務員は職務を放棄して反国軍のデモを行った。
そのため、全国の自然保護区の管理もほぼ停止し、言わば無法地帯となっていたはずである。
その間、密猟者が保護区の島に侵入し、ワニを殺したことが二度あったらしい。彼らは外から来たよそ者で、4メートル以上の成ワニをモリで殺し、胆のうだけ持っていったと言う。

以前聞いていた、あそこのワニは狩り尽くされてもう終りだというのが噂に過ぎなかったことは現場に再訪してみて分かったが、ワニ殺しが行われた事実はあったようだ。
これは地元の民間の友人から聞いたことで、保護官からではなかった。
会う度にうれしいニュースも悲しいニュースもほとんど何でも話してくれる彼らだが、このことだけは言わなかった。彼らにとって、それは闇の歴史であり、忸怩たる思いがあるのだろう。

やがて、この地域では多くの公務員が職場に復帰し、保護区の管理も再開した。
けれども、全国の保護区の中には、地域が反国軍勢力の支配下に入り、そのまま公務員には戻っていない者たちもいる。

野暮な質問だとは思いつつ、デルタで働く公務員の友人に、なぜ抵抗をやめて職場に復帰したのかと尋ねてみた。
生きるため、家族を守るため、好きだった仕事を続けるためなどが主な理由として挙がるだろうと予想していたのだが、真っ先に返ってきたのは意外な言葉だった。

もし、逃げ込める山があったなら、自分たちも抵抗を続けていたかもしれない。その人は言った。

私はハッとした。これほど各地の自然を見てきているにもかかわらず、行動を決断するのに地理的条件が影響を与えていたということには考えが至ってなかった。彼らの心情を汲むことができてなかった。
広大な平地が続くデルタに、身を潜めて生き続けられるような森林地帯はない。もし、マングローブ林が残る島にでも隠れようものなら袋のネズミになってしまうし、第一、真水を口にすることすら難しい環境だ。

逃げるところがある者はいい、けれども我々は、銃口を向けられたら抵抗を諦めるしかなかった、と。
それは、平地部全体に言えることかもしれない。改めて勢力図を見れば分かる。

けれども、職場復帰した彼らが、自分の意志または囲い込まれた結果として反国軍勢力の下で住んでいる人たちのことを悪く言うことはない。聞いたことがない。
私も、彼らの立ち位置を心配こそすれ否定はしない。
どちら側に住む者も願いは同じ。この国が、真に公平な選挙による安定した民主国家になるということ。

今、より安全な側にいる私は、会えなくなってしまった遠くの友たちのことを思うと、何もできずに申し訳ないという気持ちに打ちひしがれる。効率よく民主化を支援するためにこちら側にいるなどと手前勝手な言い訳をするつもりはなく、負い目を感じるばかりである。

けれども、国境から入って求める情報だけ集めて去って、世に伝えて終わるというようなジャーナリズムをやるつもりはない。生涯この国と関わろうとするなら、正面切って国際空港から入るしかなく、そこから行けるところまで行くしかない。

今の私などは、日本で蓄えた資金を元にミャンマーで活動をするという生活パターンなので、まだ我を張れているが、ミャンマー国内で生業を立てている在留者もたくさんいる。仕事を全うするため、職場を守るためには、迎合しなければならないことも妥協しなければならないこともあるだろう。立場の違いはあっても、みんなギリギリのところで踏ん張って生きている。
ごろつき以外のすべての頑張る人が報われるような国になってほしいと願うばかりである。

森の中を
一日じゅう歩き回るような時の過ごし方は、もう何年もできていない。今回、わずか数十分間のマングローブ林内の歩行ではあったが、それでもうれしかった。

テントに泊まりながら高嶺を目指して歩いたり、木の上で一夜を明かしたり、竹造りの小屋で森人たちと何週間も過ごしたり⋯もう、あのような日々は返ってこないのかもしれないと思うと泣けてくる。

なんでミャンマーだけが⋯と、何度も何度も繰り返し思う。
それでも、この国の自然や生き物たちとの関わりを断つつもりはない。

ワニの話題から、だいぶ逸れてしまった。
国の未来が見えないまま、今年ももう終わろうとしている。
コロナ禍前に比べて、行動できる範囲はぐっと狭まってしまったが、そんな中でも今年なんとか出会えた生き物たちの姿は、年を改めてお伝えします。
Aug. ’25

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