2011年12月30日金曜日

謎の竹雪洞 -Unidentified bamboo lantern ball-

Dendrocalamus sp.? In Jan. '10, Western Myanmar

雛祭(ひなまつり)でおなじみの“ぼんぼり”は、漢字で“雪洞”と書くらしい。

2010年7月28日付のブログで、リスの写真を掲載(けいさい)したが、あのキャプション一文を書くのには、実は、かなりの下調べが必要だった。正直言って、今もって自信がない。

種類も多く、色変異(へんい)も様々なリスの種の同定(どうてい)もおぼつかないが、もっと不思議なのは、その手に掴(つか)んだものだ。“竹の花”と書いてはみたものの、はたしてそれでよかったのだろうか…?
In Dec. '06, Northern Myanmar

まるで雛飾(ひなかざり)のミニチュア雪洞のようなこの丸い物体は、ミャンマーでは再々(さいさい)見かけているような気がして、大して珍しいものとも思ってなかった。そして、その雰囲気からして単純に花であろうと思っていた。

けれども、竹の花といえば、何十年に一回咲(さ)いて、その後、竹そのものが枯死(こし)するということで有名だ。
ゾウも竹雪洞が大好き。
Dendrocalamus sp.? It is elephants' favorite food. In Jan. '10, Western Myanmar

何十年に一回のものを再々見るという矛盾(むじゅん)に対しては、ミャンマーでは竹の種類が多いことと、私自身が広く全国を回っていることで、違う種類、違う地域での何十年に一回に、たまたま何度も立ち合えているのだろうと、都合(つごう)よく納得(なっとく)していた。
竹の花(?)とチャイロハウチワドリ
Bamboo flower? with Prinia rufescens. In Jan. '99, Western Myanmar

ブログであのリスの写真を公開するにあたり、念のため、まずは植物のことなら真っ先に相談する農学博士の親友に写真を見せてみた。自分では「これ、花だよね」ぐらいの軽い確認だったのだが、返答は意外(いがい)なものだった。「こんなの見たことない」…

写真は、2006年12月にミャンマー北部で撮ったものだが、運よく、掲載の半年前の2010年1月にも、私はミャンマー西部で大量の竹雪洞に会っていて、その時は、リスの脇役(わきやく)とかではなく、ちょっとまじめに写真に収めていた。

それらの写真は、親友を通して竹に強い専門家たちにも送ってもらったが、そこでもやはり「見たことない」とのこと。なんとか“天狗巣(てんぐす)病”ではないかという可能性が第一候補(こうほ)として浮上(ふじょう)してきたが、断言(だんげん)はできないという断(ことわ)り付きだった。

さらに別の専門家からは、“むかご”ではとの第二候補が挙(あ)がってきた。“むかご”とは、植物の枝などになる一見(いっけん)果実(かじつ)のようなもので、地上に落ちたら、しっかり芽も出す。

ただし、中に種(たね)は入っていない無性生殖(むせいせいしょく)なので、いわば地上のイモのようなものである。
Melocanna sp.? In Feb. '11, Western Myanmar

なかなか意見がまとまらないため、より熱帯に近い母校、琉球大学林学科OBの中で、植物分類にかけてはエース級の先輩(せんぱい)と後輩(こうはい)にも尋(たず)ねてみた。そこで、メロカンナ(Melocanna)属の竹の花ではないかという具体的な名前が挙がってきた。

中国名を梨果竹と書き、果物(くだもの)のような大きな実がなるというものだ。さらに偶然(ぐうぜん)にも、この捜査(そうさ)の最中(さいちゅう)に、日本のどこかの植物園でメロカンナの竹の花が咲いて実が成ったというニュースを目にした。

ネットで追跡(ついせき)したところ、2010年には日本国内の複数の場所でメロカンナは咲いていたということが分かった。けれども、そこで掲載されているのは、どれも果物のような実ばかりで、雪洞状のホヮッとした花のような写真はなかった。本当の果実なのか“むかご”なのかもニュースからは不明(ふめい)だった。

2011年の1月から2月。私は前年に竹雪洞に会った場所を再度訪れた。そして、前年からの残りなのか、かなり貧素(ひんそ)な雪洞と、新たに稲穂(いなほ)状のものを見た。
Dendrocalamus sp.? In Feb. '11, Western Myanmar

もし、学名と現地名の対照表が正しければ、雪洞ができるのはDendrocalamus属で、稲穂状ができるのはThyrsostachys oliveriである可能性が高い。そして、土地の人の話では、メロカンナ属のほうは、2008年から2009年にかけての乾季(日本の冬場)に、花は咲かずにグァバのような実が成ったとのことである。果実だったか“むかご”だったかは分からない。
Thyrsostachys oliveri? In Feb. '11, Western Myanmar

ちなみに、雪洞状や稲穂状の房(ふさ)は、いずれ、籾(もみ)のようにバラバラになるが、種類によっては、ごはんのように炊(た)いて食べられるとのことである。
Thyrsostachys oliveri? In Feb. '11, Western Myanmar

今、持っている情報はこの程度ですが、できればこれを、公開指名手配(こうかいしめいてはい)としたく思います。

もし、この竹雪洞と2011年11月18日付の青いハゼの正体について、情報、ご意見がおありの方、ご一報いただければ幸いです。
Dendrocalamus sp.? In Jan. '10, Western Myanmar

2011年12月23日金曜日

裸足の王様 -King of bare feet-


'11年6月2日と9日の「無敵の象星印」で挙(あ)げていた宿題について、この夏、ちょっと詳(くわ)しく確認してみた。

'11年11月11日に紹介したゾウの捕獲に向かうとき、ほとんどのゾウ使いは裸足(はだし)になっていた。山道から逸(そ)れて険(けわ)しい森に分け入ることは確実で、どこまで進むか、いつまでかかるかも分からない状況にもかかわらず、なのだ。

どうやら、“ミャンマーの森人(もりびと)は、ここ一番のときには裸足になる”というのは間違いなかったようだ。

森に入るときだけではない。子ゾウに訓練を施(ほどこ)すときにも裸足になる。草履(ぞうり)ばきのままゾウに近づこうものなら、「草履脱(ぬ)げー」と親方(おやかた)に一喝(いっかつ)されるだろう。

その理由を、私は宗教的なものから来ているものと勝手(かって)に想像していた。ミャンマーの人は、パゴダ(仏塔:ぶっとう)や僧院(そういん)や精霊(せいれい)の祠(ほこら)の敷地(しきち)に入るとき、必ず履物(はきもの)を脱ぐ。それと同じように、神聖(しんせい)なゾウを訓練するときには履物ぐらい脱げと…

今回、この憶測(おくそく)は外(はず)れていたことが分かった。最初に子ゾウを閉じ込める柵(さく)だけは(→'10年9月8日掲載の写真)、精霊のご加護(かご)が強く及んでいる場のようで、宗教的習わしとして裸足になるようだが、柵から出した段階になってもなお裸足で訓練にかかるのには別の理由があった。

親方いわく、草履が脱げかけたり鼻緒(はなお)が取れかけたりして、そちらに気を取られると、その一瞬が命取りになる。なので、目の前のゾウに集中できるよう、直す心配のいらない裸足に最初からなっておけ、ということであった。まして、万が一、草履の踵(かかと)を踏(ふ)まれでもしたら万事休(ばんじきゅう)すだ。

当然、人身(じんしん)事故を起こしたゾウの捕獲に行くときなども裸足が望ましいというわけだ。森の中だと、枯枝(かれえだ)などに鼻緒や靴(くつ)ひもが引っかかることもあるだろうから。

で、実際にその捕獲にも参加していた若いゾウ使いに聞いてみた。裸足で森や渓谷(けいこく)を歩いて痛くないのかと。答えは「全然痛くない」。

これまで、裸足で駆(か)け回る彼らにしょっちゅう付いて行ってるんだから、あえて聞くだけ野暮(やぼ)だったか。

足の裏を触らせてもらったら、二月ごろの余った餅(もち)のようだった。ふと母親の足の裏を思い出したが、くすぐってもぜんぜん応(こた)えなかったのを覚えている。これなら石ころにも負けない天然の靴底(くつぞこ)になりうるかもしれない。

もう一つ。ジュルジュルやテカテカの土の斜面(しゃめん)を裸足や草履で上り下りすると、私などはズルズル滑(すべ)ってしまうが、彼らはほとんど滑らない。トレッキングシューズよりも滑らない。

このことも聞いてみると、斜面では足指を立てているのだという。私でも意識すれば指ぐらい立てられるが、おそらく彼らは意識することなく、地面の状態に合わせて立てたり緩(ゆる)めたりを自在(じざい)にできるのだろう。

訓練や捕獲のとき、もう一つ親方が勧(すす)めることがある。それは、持っているならズボンを履(は)け!ということだ。脚にはズボンを足は裸足で…なんかちぐはぐに思えるが、理由は同じ、やはり危機回避(ききかいひ)のためだった。

ふだん履いている筒(つつ)状の腰巻(こしまき)、ロンジーは、縛(しば)ったりボタンで止めたりしているわけではなく、腰のあたりで重ねてねじって差し込んでいるだけ。風呂上りのバスタオル巻きの上級編といった感じだ。

なので、当然緩(ゆる)むこともあれば、脚にまとわりついて開脚(かいきゃく)の邪魔(じゃま)になることもある。その一瞬の隙(すき)が、やはり怖いのだと親方は言う。

ケンカのときにロンジーが解(ほど)けたなら、締(し)めなおすまでは殴(なぐ)りかからないのが暗黙(あんもく)のルールだが、ゾウには到底(とうてい)通じない。

ロンジーをたくし上げて短パンのようにすることもできるが、それでも解け落ちる恐れはある。四六時中(しろくじちゅう)命がけの仕事をしているわけではなく、普段(ふだん)は、緩んだと思ったら何度でも締めなおせばすむことだが、やはり、初期(しょき)の訓練や捕獲は別格(べっかく)のようだ。

親方の話を聞いていて思い出した。かつて同じ職場にいた日本人が、「やっぱり勤務中はロンジーはダメだぜ」と言っていて、私は“ミャンマーの人に対して、それは酷(こく)だろう”と思っていた。

それから十五年あまり経(た)って、まさかバリバリの森人である親方の口から、バリバリの日本のお役人とよく似た台詞(せりふ)が飛び出そうなどとは夢(ゆめ)にも思わなかった。

2011年12月16日金曜日

雨季の晴れ間 -A lull in Rainy season-

エヤワディー川、ミンムー郡
On Ayeyarwady river in Myinmu Township. on 6th Sept. '11

今年の雨季は、本当に長くて猛烈(もうれつ)だった。

インド洋からの季節風、モンスーンが押し寄せてくる間は、ずっとどんよりしていて日差しはなく、ポツポツだったりザーッだったりバラバラバラだったり、ほとんど一日じゅう降(ふ)っている。
エヤワディー川河畔、スィングー郡
On the riverside of Ayeyarwady river in Singu Township on 5th Sept. '11

けれども、そんな雨季の間にも、たまに晴れ間の覗(のぞ)く日もある。そんな日は、あらためてこの世の美しさを見せつけられ、大げさに言うと、生きててよかったーと、つくづく実感する。

日本でも雨上りのあとには、日ごろ見慣(みな)れた里山や島影が、やけにきれいに見えることがある。雨が空気中の塵(ちり)を落としてくれるため、視界(しかい)にはワイパーがかかり、束(つか)の間(ま)なりとも大気のない宇宙のように澄(す)みわたるのだろう。

いつもは青い遠くの山並(やまなみ)も緑色になってたりして、ぐっと近づいたかのように錯覚(さっかく)させられる。
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 29th Jul. '11

まして熱帯の雨季の場合、木々は、他のどの季節よりも茂(しげ)っていて、強烈(きょうれつ)な日光が射(さ)すと、この季節本来(ほんらい)の深い緑が映(は)える。無限(むげん)に突き抜(ぬ)ける空はサファイアのように青く、ぽっかり浮かんだ雲は真綿(まわた)のように白い。
向こうのほうは猛烈に降っている
Raining heavily over there at Meinmahla Is. on 30th Jul. '11.

朝方(あさがた)日差しがあり、もしかしたら今日は一日持つかな、と期待していても油断(ゆだん)はできない。空の一角に雲がモクモク湧(わ)き上がったかと思ったら、間もなくザーッと降りだす。モンスーンはなくとも、スコール、いわゆる夕立(ゆうだち)が来るのだ。
湧き立つ雨雲が追ってくる
A swelling rain cloud is chasing us at Meinmahla Is. on 30th Jul. '11.
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 2nd Aug. '11

雨季終盤(しゅうばん)のタミーラ島で、夕方カメラを持って出かけようとする私を、ウミガメ保護官のウーさんが呼び止めた。「どこへ行く」「夕日を撮りに行く」「どこに太陽がある」彼は怪訝(けげん)そうに言った。いやいや、澄んだ空気の中、強烈な日光と分厚(ぶあつ)い雲のせめぎ合いも、これまた、おもしろいんだ。
タミーラ島
At Thamihla Is. on 7th Oct. '11
荒天を突いて悠々と飛ぶシロハラウミワシ(Haliaeetus leucogaster
White-bellied Sea Eagle flying easily even in the rough weather at Thamihla Is. on 9th Oct. '11.

たとえ夕方降られても、まだまだ諦(あき)めることはない。モンスーンを伴(ともな)わないスコールだけだったら、たいてい数十分から数時間で止(や)むだろう。それだけでも、空気中の塵を落とすには威力(いりょく)十分だ。
タミーラ島
At Thamihla Is. on 9th Oct. '11

雨雲の消えた風のない夜空には、今度は星たちがひしめき、時折(ときおり)、星々の押しくらまんじゅうから弾(はじ)き飛ばされたかのような流れ星も、こぼれ落ちてくる。

ふと思った。漢字が日本に入ってきたのは5、6世紀ごろらしいが、ごくごく最近まで、夜景(やけい)という言葉は、本来この星空の情景(じょうけい)を指していたのではないだろうか。

今年、日本では、節電や街の照明(しょうめい)のありかたについて、ようやく本気で考えるようになってきた。私がよく訪ねる森や島の集落には、日本人が意味する夜景は、どこを見渡(みわた)してもない。見上げれば、そこに夜景がある。
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 29th Jul. '11

2011年12月9日金曜日

どっちも正解!?その2. -Both are right!? (part 2)-

国名と並んで、よく取り上げられるのがミャンマーの人名だ。どこまでが名字で、どこからが名前?といった具合に。

ミャンマーに少々入れ込まれた方ならご存知でしょうが、ミャンマーの人たちは姓を持っていない。つまり、全部がファーストネームだ。悩ましいのは、それを日本語でどう表記するか…

実例を挙げてみよう。

私の友だちにソールインさんがいる。これがファーストネーム、これで全部なのだが、実は二つの言葉から成っている。さて、区切りはどこだと思われますか?

ミャンマー人の名前は、名前に常用される言葉の組み合わせでできている。それは、一つでも複数でもよく、その順番にも決まりはなさそうだ。アウンサンもいればサンアウンもいる。

で、ソールインさんの場合、正解は、「ソー」と「ルイン」なのだが、もしかしたら、「ソール」と「イン」だと思われた方もおられるのではないだろうか。

ミャンマーの人は、そこんところをよく分かってくれているようで、自分の名前をアルファベットで表記する際には、“Soe Lwin”と、言葉の切れ目に必ずスペースを入れてくれる。

そこで、このアルファベット表記を尊重し、日本語文の途中でソー ルインとすると、どうも締まりがない。

もっとすごい例をご紹介しよう。

私の友だちの中でも最長の名前を持つ男、その名もソーアウンイェトゥッルイン(Sawaungyehtutlwin)。さて、この名前、いくつの言葉で成り立っているでしょう?どこが区切りでしょう?

彼の名刺には、Saw Aung Ye Htut Lwinとある。つまり五つの言葉の組み合わせによる名前だ。

もちろん、日ごろ彼をこのフルネームで呼ぶ者などいない。ミスターに当たる接頭語「ウ」を頭に付けて、U Saw AungとかU Ye Htutとか、やはり、切れのいいところの言葉のセットで呼んでいる。

なので、ミャンマー人の名前の場合、ファーストネームの中にも区切りは明らかに存在する。その証拠に、親しい者同士のメールのやり取りなどでは、Myo Min Aung(ミョーミンアウン)ならMMA、Kyaw Khaing(チョーカイン)ならKKなどとイニシャルで省略しても、誰の事を指しているのかお互いに理解できている。

マスーという女性の友だちがいる。「マ」は、若い女性の名に付ける接頭語で、アルファベットでは、Ma Suと表記する。

私はずっと、これが彼女のフルネームだと思っていたのだが、郵便を送ることになったとき、初めて本名を知らされた。(Ma) Myat Su Myintだった。

彼女は田舎町に住む名もなきスーさんだが、世界一有名なスーさんでも、集会などでは支援者が“We love Su.”とニックネームを書いたプラカードを掲げていたりする。あの超VIPに対してもなのだ。

だから、もし言語学の世界で「ファーストネームは途中で切らない」という大原則でもあるのなら、もちろんそれが正解だが、実用の世界では、少なくとも私の周りには、そんなことに縛られているミャンマー人は一人もいない!というのも事実。

これまた、どっちも正解と言えるのではないだろうか。
船体に寄港地を書いた大型客船。モーラミャインチュン港にて
A big passenger boat describes ports of call on its body. At Mawlamyinekyun jetty.

そこで、問題の日本語表記だが、やはり、中ポツを使って「ソー・アウン・イェ・トゥッ・ルイン」「ミャッ・スー・ミン」と書くのが一番ビシッと決まるようで、ミャンマーの人たちのアルファベット表記に込めた意図も汲めているように、私には思えるのだが…
日本料理もどき?も作れるのがウリの食堂。ミッチーナにて
A menu board of some restaurant what can serve Japanese-like food too. At Myitkyina town.

ちなみに、野生生物名の場合、日本語ではアカオタイヨウチョウのように区切りを入れずにカタカタで綴るので、アナウンサーでも間の取り方を間違えていることが多々ある。

英語名だと、Fire-tailed Sunbirdのように、修飾語の部分はスペースやハイフンを入れるので、一目見て名前の意味が分かる。つまり、これは赤尾太陽鳥だ。区切りを入れないカタカナ表記がいかに厄介か、実感していただけましたでしょうか。

ミャンマーの公用語は、ビルマ族の言葉、ビルマ語だが、ビルマ文字は表音文字で、スペースもハイフンも入れなくても、音節のセット、区切りが分かる作りになっている。
梁の中央には“ソー・ミャッ・トゥー”と書かれている。これが船の名前で人名にも使える。左は電話番号の一部、20-2714。ボーガレー‐パテイン航路にて
Burmese letters on the center of beam express “Soe Myat Thu”. It is the ship’s name which can be used for a person too. Letters on the left side are some part of telephone number, 20-2714. Along Bogalay-Pathein line.

2011年12月2日金曜日

子ガメの旅立ち -Baby turtles' departure-

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年11月29日原文追補

今季のウミガメの島は遠かった。ミャンマー南西端にある漁港からは、わずか20キロ足らずなのだが、なかなか上陸許可が下りない。

雨季のようすを見たくて7月から希望していたのだが、どうやら悪いのは私の態度ではなくて海のtide(潮)のようだ。モンスーンとサイクロンによるシケがなかなか治(おさ)まらないとのこと。

雨季も終盤(しゅうばん)の10月上旬、ヤンゴンからバスと船を乗り継いで、なんとか漁港まではたどり着いた。あとは船長の判断しだい。

出航当日、空の半分は墨(すみ)のような雲が覆(おお)い、強烈な太陽とせめぎあっている。全長7メートル半の漁船は、次々に向かってくる茶色の波の山脈に何度も乗り上げては落ちた。

決して降(お)りられない天然のシーソーにもてあそばれること一時間半。浜辺にせり出したココヤシの本数が数えられるほどにタミーラ島の全容(ぜんよう)が迫ってきた。

いつものように、昭和の怪獣映画の中にタイムスリップしたような感覚が襲(おそ)ってくる。島の北端は、いかにもパラボラアンテナが似合(にあ)いそうな高台だが、現実には、ここはミャンマー。オウギヤシの木立(こだち)に囲まれて立っているのは金色のパゴダ(仏塔:ぶっとう)だ。

上陸後、訪ねてみると、塔を縦(たて)に貫(つらぬ)いて深い亀裂(きれつ)が走っていた。聞くと、二週間ほど前にあった地震によるもので、半年に一度ぐらいは体に感じる地震があるのだとか。
産卵の翌朝、卵を掘り返す
Collecting eggs in the morning after laying.

周囲4キロちょっとの島には、この四月からの半年間で50匹近いアオウミガメの雌が上陸し、54例の産卵が確認されていた。水産局の保護官は、すべての卵を掘り返し、監視詰所(かんしつめしょ)前の柵(さく)の中に埋(う)めなおしている。


なるべく多くの子ガメを安全に孵化(ふか)させ、確実に海へ送り出すためだ。その卵を狙(ねら)う最大の天敵(てんてき)こそ、今のところ人間である。
囲いの中に埋めなおす
Burying the collected eggs inside the enclosure.

この滞在中、二例124匹の子ガメの旅立ちを見届(みとど)けることができた。はたして、このうち何匹が母ガメになって島に戻(もど)ってくるだろうか。戻ってきたとして、はたして私はまだこの世にいるだろうか…
生まれたばかりのアオウミガメの子
A baby of Green Sea Turtle (Chelonia mydas) just after hatching.
 
産卵できるようになるまでには、若くとも40歳までは生きなければならず、そこまで生きられるのは、雄雌あわせても千匹中2匹ぐらいだろうと保護官は言う。

自然や野生動物と向き合うことは決して単純なことではなく、人の社会も含めて広くて長くて深い視野(しや)を持つことが肝心(かんじん)なのだろうと、あらためて思い知らされる。
自ら夜明けの海を目指して進む子ガメたち。孵化後すぐに放流する
Babies are released just after hatching. They are naturally running toward the sea. At dawn.
10月10日、島を去る日。ベンガル湾は青さを取り戻し、照り返す日光は、ダイヤモンドのように輝いていた。