2011年12月16日金曜日

雨季の晴れ間 -A lull in Rainy season-

エヤワディー川、ミンムー郡
On Ayeyarwady river in Myinmu Township. on 6th Sept. '11

今年の雨季は、本当に長くて猛烈(もうれつ)だった。

インド洋からの季節風、モンスーンが押し寄せてくる間は、ずっとどんよりしていて日差しはなく、ポツポツだったりザーッだったりバラバラバラだったり、ほとんど一日じゅう降(ふ)っている。
エヤワディー川河畔、スィングー郡
On the riverside of Ayeyarwady river in Singu Township on 5th Sept. '11

けれども、そんな雨季の間にも、たまに晴れ間の覗(のぞ)く日もある。そんな日は、あらためてこの世の美しさを見せつけられ、大げさに言うと、生きててよかったーと、つくづく実感する。

日本でも雨上りのあとには、日ごろ見慣(みな)れた里山や島影が、やけにきれいに見えることがある。雨が空気中の塵(ちり)を落としてくれるため、視界(しかい)にはワイパーがかかり、束(つか)の間(ま)なりとも大気のない宇宙のように澄(す)みわたるのだろう。

いつもは青い遠くの山並(やまなみ)も緑色になってたりして、ぐっと近づいたかのように錯覚(さっかく)させられる。
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 29th Jul. '11

まして熱帯の雨季の場合、木々は、他のどの季節よりも茂(しげ)っていて、強烈(きょうれつ)な日光が射(さ)すと、この季節本来(ほんらい)の深い緑が映(は)える。無限(むげん)に突き抜(ぬ)ける空はサファイアのように青く、ぽっかり浮かんだ雲は真綿(まわた)のように白い。
向こうのほうは猛烈に降っている
Raining heavily over there at Meinmahla Is. on 30th Jul. '11.

朝方(あさがた)日差しがあり、もしかしたら今日は一日持つかな、と期待していても油断(ゆだん)はできない。空の一角に雲がモクモク湧(わ)き上がったかと思ったら、間もなくザーッと降りだす。モンスーンはなくとも、スコール、いわゆる夕立(ゆうだち)が来るのだ。
湧き立つ雨雲が追ってくる
A swelling rain cloud is chasing us at Meinmahla Is. on 30th Jul. '11.
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 2nd Aug. '11

雨季終盤(しゅうばん)のタミーラ島で、夕方カメラを持って出かけようとする私を、ウミガメ保護官のウーさんが呼び止めた。「どこへ行く」「夕日を撮りに行く」「どこに太陽がある」彼は怪訝(けげん)そうに言った。いやいや、澄んだ空気の中、強烈な日光と分厚(ぶあつ)い雲のせめぎ合いも、これまた、おもしろいんだ。
タミーラ島
At Thamihla Is. on 7th Oct. '11
荒天を突いて悠々と飛ぶシロハラウミワシ(Haliaeetus leucogaster
White-bellied Sea Eagle flying easily even in the rough weather at Thamihla Is. on 9th Oct. '11.

たとえ夕方降られても、まだまだ諦(あき)めることはない。モンスーンを伴(ともな)わないスコールだけだったら、たいてい数十分から数時間で止(や)むだろう。それだけでも、空気中の塵を落とすには威力(いりょく)十分だ。
タミーラ島
At Thamihla Is. on 9th Oct. '11

雨雲の消えた風のない夜空には、今度は星たちがひしめき、時折(ときおり)、星々の押しくらまんじゅうから弾(はじ)き飛ばされたかのような流れ星も、こぼれ落ちてくる。

ふと思った。漢字が日本に入ってきたのは5、6世紀ごろらしいが、ごくごく最近まで、夜景(やけい)という言葉は、本来この星空の情景(じょうけい)を指していたのではないだろうか。

今年、日本では、節電や街の照明(しょうめい)のありかたについて、ようやく本気で考えるようになってきた。私がよく訪ねる森や島の集落には、日本人が意味する夜景は、どこを見渡(みわた)してもない。見上げれば、そこに夜景がある。
メインマラー島
At Meinmahla Is. on 29th Jul. '11

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