2011年4月28日木曜日

メインマラー大ワニ列伝、その2.

この冬の探索(たんさく)では、夜の大接近とは別に、昼間、数キロにわたって大ワニを追跡する機会があった。近づいては潜(もぐ)られ近づいては潜られ、結局大接近することはできなかったが、正面からすれ違った小船の漁師は「ナーピュージーだ」と言っていた。


小さく写った写真を拡大してみると、どうやら夜の大ワニとは別ワニのようだ。昼のがナーピューで夜のがアーペーだったのかもしれない。

アーペーとナーピューは、よく似た二頭なのか、はたまた、一頭の個体に対して二つの呼び名が付けられ、あたかも二頭いるかのように誤解されているのか…これは次回訪問時の宿題ということで、写真も見せながら確認してみよう。

仮に、この二つの名前の主が同一ワニ物であったとしても、まだ名前をもらっていない4.5メートル級のワニがもう一頭いるのは確認している('10年11月30日付ブログの6、7番目の写真と下の写真)。



3.5メートルを超すような大物は数が限られるが、2~3メートルクラスのものなら百頭以上いると推測されているので、大ワニの住む島でいられるかどうかは、環境のありよう次第ということだ。

唯一(ゆいいつ)6メートルを超えているだろうと目されているチュンパッジーは、ここ数年目撃情報がとだえているが、保護官たちは、絶対に生きていると自信を持っている。もっと小さなワニでも死骸(しがい)が見つかれば必ず報告が入るので、我々が死亡確認しない限り、どこかにいるのだ、という理にかなっているような、いないような論理だ。

確かに、「○○村の水路にメーロンジーが進入した」みたいな目撃情報は、まるで台風か竜巻の警戒警報(けいかいけいほう)のように、ただちに一帯に伝わり、大ワニの動向は、そのつど更新(こうしん)され共有されているので、死骸も発見されれば大きなニュースとなるのは間違いないだろう。

私たちの身長が20歳代でほぼ止まるように、ほとんどの哺乳類の場合、寿命よりずっと前倒しで成長が止まる。なので、昔ここらには、もっと大きなクマがいたとかイノシシがいたとかいう話は、眉唾(まゆつば)の可能性もある。

それに対し、もっと大きなヘビがいたとかワニがいたとかいう話になると、信憑性(しんぴょうせい)はずっと高い。多くの爬虫類(はちゅうるい)は死ぬまで成長し続けるからだ。

冬眠からも分かるように、新陳代謝(しんちんたいしゃ)をセーブできる爬虫類は、条件さえよければ寿命もどんどん延びるし成長もする。けれども、現実には10メートルを越すようなワニやヘビは現世では見つかっていない。長さの伸び率に対して三乗倍に増えていく体重が障害になってくるのだ。

10メートル級の大蛇が人を追いかけ回して次々食っていくようなことは、重力のないCG映画の世界でのみの話である。実際には、細いヘビでも5メートルを超すぐらいになると、狩りの成功率は反比例して落ちていくのではないだろうか。

逆に言えば、人に食わせてもらえる飼育下では、どこまでも大きくなる可能性があるわけだ。自然の生息地でそれに似た状態になれるとすれば、口を開けていれば小動物のほうから勝手に飛び込んできてくれるマンガみたいな現象(げんしょう)が起こってくれることだ。

つまり、それぐらい生物が多様で自然環境がいい生息地であればあるほど永く大きく生きられるということで、従って、「昔は、もっと大物がいた」も、爬虫類や魚類では、ありえる話なのである。

前回、サイズの目測は難しいと言ったが、その種の中での相対的な大きさを推(お)し量(はか)るコツはある。まさに相手の目を見るのである。

爬虫類も哺乳類も、生まれた時点で既(すで)にけっこう大きな目を持っている。見る機能(きのう)を利(き)かせるためには、初めからある程度の大きな目が必要なのだろう。その後、十倍二十倍と大きくなる体に比べ、目はそれほどの勢いでは大きくならない。

そのため、子どもの頃のほうが、体のサイズに比べて目が相対(そうたい)的に大きいプロポーションをしている。


生後一年未満(2010年孵化)と見られる野生の子ワニ、推定約30センチ

何代も作られたゴジラの着ぐるみでも、目が小さめの初代のゴジラが一番巨大感が出ていて、後年の目の大きめのゴジラは、ちょっとマンガチックでキャラクター性は強くなるが、巨大感は薄れているように見える。


着ぐるみでもCGでもない生きた怪獣、メインマラーの大ワニ、推定約500センチ

このあたりのイリエワニが5メートル級にまで成長するという動かぬ証拠(しょうこ)は、メインマラー島より20キロほど上流の町、ボーガレーにある保護区管理事務所で見ることができる。タイからワニ革業者が来て大量にワニを捕獲していた頃の1975年に、付近で捕られたイリエワニの頭骨(上あご)だ。長さ(縦幅)は67センチ、横幅は33センチで、厚みが22センチある。


まだ見ぬ幻の動物の存在は信じたいが、私の場合、夢の世界を遊んでいるかのようなどっかのイベントやサークルと違って、本気で見たいと思っている。そのためには、ほのかな可能性にしがみついて無理矢理信じるのではなく、逆に、疑わしき要素(ようそ)はどんどん突っ込んで消去し、信憑性のある可能性だけに絞り込んでいくつもりでいる。


今度の雨季の旅でも、ミステリーバスターの目は光らせておこう。

2011年4月22日金曜日

メインマラー大ワニ列伝、その1.

闇夜の川面を泳ぐイリエワニ。その姿、夜空を滑る竜の如し

野外で物のサイズを目測(もくそく)することは、かなり難しい。まして、目安となる見慣れた人工物のない自然の中ではなおさらだ。

恥を忍んで実体験をご披露(ひろう)いたしましょう。

マングローブに覆(おお)われたメインマラー島には、足跡の発見などからヒョウがいるとされている。初めてそう聞かされたのは、十数年前に島を訪ねたときのことだった。

それから、島内の川沿いを動物を探しながら小型船で巡(めぐ)っていると、岸辺の木立の向こうに動いている黄色いものが見えた。“ヒョウだ!”。色といいサイズといい…。

ファインダーをのぞき込み、望遠レンズ越しに目が合った。そして、やっとその正体が分かった。それは、虎毛の猫だった。たぶん、島に一つある僧院に連れ込まれたものだろう。

私は唖然(あぜん)とし、自分の目測力のなさに愕然(がくぜん)とした。事前に聞いた情報と自らの願望(がんぼう)が、遠近感のつかみづらい単調な森の中で、吹けば飛ぶよな猫を、たくましいヒョウに見せたのだ。実際に野生のヒョウと森で鉢合(はちあ)わせになったことも木の上から撮影したこともある私をしてだ。

こんな体験もある私は、各地で噂(うわさ)される未確認動物(UMA: Unidentified Mysterious Animal)の目撃談には、かなり懐疑(かいぎ)的でいる。特に、熱帯地方での水辺の怪獣の正体は、その多くが特大のワニではないかと思っている。

4月8日付の書き込みのとおり、メインマラー島には、確かに怪獣級のワニがいる。

“大きい”は、ビルマ語で“ジー”で、例えば、シャン州にある町の名前“タウンジー”の意味は、“大きな山”となる。観念(かんねん)的にも使われ、もし誰かを「セヤー・ジー」と呼べば「大先生」「大だんな」、「ジャパン・ジー」と呼べば「日本人の大将」みたいな、おだてや敬(うやま)いにもなるが、“ジー”を付けるのは相手への親しみの表れでもある。

メインマラーの大ワニたちは、大きい順に“チュンパッジー(島巡り大将)”、“パーピュー(ほほ白)”、“メーロンジー(黒丸大将)”、“ナーピュージー(鼻白大将)”、“アーページー(あご欠け大将)”というあだ名を周辺の住民からもらっている。

パーピューだけはジーが付かないが、最も頻繁(ひんぱん)に人や家畜を襲った前科者(ぜんかもの)だから、恐怖と憎(にく)しみの感情しか持てないのかもしれない。単に語呂(ごろ)が悪いだけかもしれないが。

全長は、すべて4.5メートルオーバー、年齢もチュンパッジーになると百歳オーバーではと保護官たちは推測(すいそく)しているが、実測(じっそく)したわけでも確かな記録があるわけでもない。

けれども、保護官たちが持っている生来(せいらい)の野性の勘(かん)と、外国から来る研究者をサポートしてきた経験と知識は、それなりに信用していいと思う。3メートルクラスのワニなら、捕獲して実測した経験も何度もあるし。

ただ、去年と一昨年見たアーページーと今年見たナーピュージーは、どうも同一人物ならぬ同一ワニ物ではないかと私は疑っている。

ちなみに、アーペーの写真は、'10年11月30日付の2~5番目、'10年12月15日付の3番目、「'11年3月1日付の3番目で、ナーピューが4月8日付の最後に掲載しています。」→後にアーペーと判明(続く)

アーページー(推測)、左が鼻先('10年2月8日)

ナーピュージー(推測)('11年2月10日)→後にアーページーと判明

2011年4月15日金曜日

森のスピードランナー

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年4月11日原文追補


この冬のこと、なじみのミャンマーの森では、新たに二頭の子ゾウが若いゾウ使いと共に訓練を始めていた。訓練とか学習とか言うと、とかく私たちは段階を区切って日程を固めようとしがちだが、生き物相手だと、そうはいかない。

一頭ずつ一人ずつ個性が違い、その相性(あいしょう)も組んでみるまでは分からず、まさに予定は未定なのだ。順調に上達している今季の訓練生たちとは対照(たいしょう)的に、5歳の雌ゾウとカイン君は苦戦していた。一年前から組んでいるのに、いまだ一対一での歩行もままならない。

後輩(こうはい)二頭にも追い越されて面目(めんもく)丸つぶれのコンビには、とうとう短期集中での特別メニューを課(か)すこととなった。その名も“人隠(かく)れ”。

特訓に同行する私に留守(るす)を預(あず)かる獣医官は、リュックは邪魔(じゃま)だから置いてゆけと言う。これまで、どんなに険(けわ)しく遠い道でも最低限のカメラ機材や水などを詰め込んだリュックだけは体の一部のように背負ってきた。まあ、森での後見人(こうけんにん)とも言える彼が言うのだから、プライドも置いて従うことにした。

まずは、基本通りカイン君が子ゾウにまたがり、その前後を数名のゾウ使いが「ゆっくり、ゆっくり」と声をかけながら歩調(ほちょう)を合わせて歩く。比較的足場のいい河原やブルでならした仮設の道に沿っての行進は順調だったが、角を曲がった途端(とたん)、前方のゾウ使いが突然走り出した。


ある者はそのまま走り去り、ある者は茂みに姿をくらませ、後ろからフォローしていたゾウ使いたちも「ヘャー」などと叫んで騒ぎ立てる。これが“人隠れ”か。何が起ころうと、頭上のゾウ使いが新たに指示しない限り、使役ゾウは悠然と歩いていなければならない。


ところが、この子ゾウときたら“パオー”と叫んで一緒になって走り出す。土煙(つちけむり)を巻き上げ川面(かわも)を蹴散(けち)らし、その全速力の速いこと速いこと。ゾウ使いが走る、子ゾウも走る、私も走る、カメラは揺れる。写真の出来は気になるが、笑いが込み上げてしかたがない。



まっすぐ走るなら、まだ希望がある。けれども彼女は、人を乗せたまま脇に逸(そ)れて薮(やぶ)に突進していくのである。お陰で、カイン君の顔も腕も傷だらけ。「おれに任せろ」先輩たちも乗ってみるが、騎手(きしゅ)は誰でも結果は同じ。走って止めて、また歩き…


前々から、森に入ればランボーでもゾウ使いにはかなわないだろうとは思っていたが、急な斜面や茂みの中なら、彼らはボルト選手でも振り切ってしまうに違いない。



前途多難(ぜんとたなん)なコンビだが、今度会うときには片言(かたこと)のビルマ語でもかわしながら森を一緒に歩いてみたい。リュックは背負ったままで。


2011年4月8日金曜日

幻のさすらいワニ

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年4月2日原文追補


文明の見当たらない自然の真っ只中(まっただなか)で大きなワニに遭遇(そうぐう)すると、太古の地球と交信しているような不思議な感覚が込み上げてくる。

ひょっとすると人類も例外ではないのかもしれないが、雄というのは、まったく困った生き物だ。何かと張り合うことが一人前の証(あか)しとでも思っている向きがある。

ミャンマー南部メインマラー島のイリエワニの場合、全長が3メートル半を超えるころになると、雄たちは繁殖期(はんしょくき)に縄張(なわば)りを張ろうとする。そして、勢力(せいりょく)を広げるべく侵入してくる雄は撃退(げきたい)し、縄張り境界付近では隣の主と抗争(こうそう)を繰り広げる。

そんな中、雌ではないのに、それらの縄張りの間を土足で横切り、行きたいところに悠々(ゆうゆう)と行くワニたちがいる。あまりにも図体(ずうたい)がでかすぎて、血気(けっき)盛んな闘士たちも手が出せないのだ。


ワニが岸辺に上陸する際は、当然鼻先から這(は)い上がるが、そのまま体を反転させて頭を水辺に向けてから体を落ち着ける。それは、沖を行く大ワニに対し、頭を下げて敬意(けいい)を表しているのだと地元の人たちは言う。


ちょっと擬人化(ぎじんか)しすぎかとは思うが、水中からの襲撃(しゅうげき)を避(さ)けるための防御体勢(ぼうぎょたいせい)には違いない。


敬(うやま)われているのか恐(おそ)れられるのかは不明だが、そうした縄張りを持たない大雄は島に五頭おり、いずれも全長4メートル半を超えていると目される。

そこまで生き抜いた大物になると、歴戦(れきせん)の勇士さながらに個性的な傷やら変色やらが体に現われ、住民たちにも個体識別(しきべつ)されて名前を付けられるほどになる。例えば、今年遭遇した5メートル級の奴は“鼻白大将”、以前見たのが“顎(あご)欠け大将”なのだとか。

中でも一番大きな個体は、全長6メートル超、寿命(じゅみょう)は百年を超えているのではと推定され、背中のいわゆるワニ革も、バナナのような牙も苔(こけ)むしているという。その行動範囲は島に留(とど)まらず、近隣(きんりん)の村々にも出没(しゅつぼつ)する。

このところ目撃情報が途絶(とだ)えており、どこにいるのか現在不明だが、きっと、地球そのものがわしの縄張り、ぐらいのつもりで、気ままな旅を続けているに違いない。

無敵(むてき)を誇(ほこ)る大ワニたちだが、彼らにとっては少々面白くないホットなニュースが飛び込んできた。

かつてエヤワディーデルタが農地開拓(かいたく)されたころ、西に横たわるラカイン山脈から稲を追って降りてきた野生ゾウたちがいる。流れ流れて、その残党がメインマラー島に乗り込んできたのだ。

上陸時に残した足跡と糞から見て、一頭の巨大な成獣であることは間違いない。島一番のヘビー級の座は完全に取って代わられてしまった…。
今後の展開や、いかに。

メインマラー島の夜の岸辺にたたずむ5メートル級の水ゴジラ!?
(イリエワニ, Crocodylus porosus

2011年4月1日金曜日

森の自警団

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年3月11日原文追補

涼気の朝、人も犬も焚(た)き火で暖(だん)を取る

ゾウ使いも炭焼き職人も竹刈りの人たちも、ミャンマーの森に住む者には、たいてい愉快(ゆかい)な同居人(どうきょにん)が付いている。同居と言っても床下(ゆかした)の住人、犬である。

ここでは犬も使役ゾウと同じく放し飼いで、彼らは首輪や鎖などというものを知らない。ペットというよりも、祖先がそうであったように暮らしを支えるパートナーとしての存在意義が強いようだ。


彼らが担(にな)っている大切な役割の一つは食料調達、つまり猟のお供(とも)である。また、攻撃不要の山菜採(さんさいと)りや伐採(ばっさい)作業に行くときにも、よく付いてくる。道すがら、獲物(えもの)になる動物のみでなく、危険な動物の存在もいち早く察知(さっち)してくれるはずだ。

日が昇(のぼ)れば、熱帯の日差しが

その鋭い感覚は、家の周りでも遺憾(いかん)なく発揮(はっき)される。もう一つの大切な役割、警備(けいび)である。森では複数の家族が寄りそって小さな集落を作っていたり、大きな一軒家(いっけんや)で仕事仲間同士が同居していたりで、基本は集団生活である。めいめいが犬を伴(ともな)っているので、集落の周りには十頭以上がたむろっていることもある。

河原でのパチンコ弾(だま)作り

犬は根っから社会性が強いようで、とにかく誰かとつるみたがり、いったん飼い主を親分とみなすと、とことん忠誠(ちゅうせい)を誓(ちか)い、その土地を死守(ししゅ)しようとする。かわいい子分に対しては、当然報酬(ほうしゅう)も支払われるのだが、そこにはミャンマーでの米の炊き方が関わってくる。

厳密(げんみつ)に言えば炊くのではなく、たっぷりのお湯でパスタのように茹(ゆ)でるのだ。何度も蓋(ふた)を開けては米を摘(つま)み、芯(しん)まで煮えたなら湯を切って、最後に弱火で水気を飛ばす。その茹で水を犬の餌にするのである。わざとご飯も混ぜて、おかゆのようにしている。


保健関係の団体や研究者が、米から溶け出した栄養が最も含まれている部分を捨てる調理法は問題だと指摘(してき)していたが、一つの側面だけ見て物事を判断すると大局(たいきょく)を見失うおそれがある。少なくとも私が訪ねる森では、決して栄養を無駄(むだ)にしているのではなく、大切なものを大切な仲間に分け与えているように見えるのだが。

「犬と一緒に撮って」彼女たちからリクエストされた

優(すぐ)れた感覚の持ち主に親分と見初(みそ)められた人類は、つくづく幸運だったと思う。犬の嗅覚(きゅうかく)は人の千倍だったっけ、万倍だったっけ、聴覚(ちょうかく)は…

そんなことを考えていると、あるゾウ使いが、グダーッと寝そべっている犬を指して言った。「あいつらの耳は、おれたちの耳よりはるかに地面の近くにあるだろ。だから遠くから迫る物音を人より早く感じられるんだよ」。

なるほど。科学の前に感覚で知れということか。ゾウ使いと犬たちに、そう教わった気がした。