涼気の朝、人も犬も焚(た)き火で暖(だん)を取る
ここでは犬も使役ゾウと同じく放し飼いで、彼らは首輪や鎖などというものを知らない。ペットというよりも、祖先がそうであったように暮らしを支えるパートナーとしての存在意義が強いようだ。
彼らが担(にな)っている大切な役割の一つは食料調達、つまり猟のお供(とも)である。また、攻撃不要の山菜採(さんさいと)りや伐採(ばっさい)作業に行くときにも、よく付いてくる。道すがら、獲物(えもの)になる動物のみでなく、危険な動物の存在もいち早く察知(さっち)してくれるはずだ。
日が昇(のぼ)れば、熱帯の日差しが
河原でのパチンコ弾(だま)作り
厳密(げんみつ)に言えば炊くのではなく、たっぷりのお湯でパスタのように茹(ゆ)でるのだ。何度も蓋(ふた)を開けては米を摘(つま)み、芯(しん)まで煮えたなら湯を切って、最後に弱火で水気を飛ばす。その茹で水を犬の餌にするのである。わざとご飯も混ぜて、おかゆのようにしている。
保健関係の団体や研究者が、米から溶け出した栄養が最も含まれている部分を捨てる調理法は問題だと指摘(してき)していたが、一つの側面だけ見て物事を判断すると大局(たいきょく)を見失うおそれがある。少なくとも私が訪ねる森では、決して栄養を無駄(むだ)にしているのではなく、大切なものを大切な仲間に分け与えているように見えるのだが。
「犬と一緒に撮って」彼女たちからリクエストされた
そんなことを考えていると、あるゾウ使いが、グダーッと寝そべっている犬を指して言った。「あいつらの耳は、おれたちの耳よりはるかに地面の近くにあるだろ。だから遠くから迫る物音を人より早く感じられるんだよ」。
なるほど。科学の前に感覚で知れということか。ゾウ使いと犬たちに、そう教わった気がした。
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