この冬のこと、なじみのミャンマーの森では、新たに二頭の子ゾウが若いゾウ使いと共に訓練を始めていた。訓練とか学習とか言うと、とかく私たちは段階を区切って日程を固めようとしがちだが、生き物相手だと、そうはいかない。
一頭ずつ一人ずつ個性が違い、その相性(あいしょう)も組んでみるまでは分からず、まさに予定は未定なのだ。順調に上達している今季の訓練生たちとは対照(たいしょう)的に、5歳の雌ゾウとカイン君は苦戦していた。一年前から組んでいるのに、いまだ一対一での歩行もままならない。
後輩(こうはい)二頭にも追い越されて面目(めんもく)丸つぶれのコンビには、とうとう短期集中での特別メニューを課(か)すこととなった。その名も“人隠(かく)れ”。
特訓に同行する私に留守(るす)を預(あず)かる獣医官は、リュックは邪魔(じゃま)だから置いてゆけと言う。これまで、どんなに険(けわ)しく遠い道でも最低限のカメラ機材や水などを詰め込んだリュックだけは体の一部のように背負ってきた。まあ、森での後見人(こうけんにん)とも言える彼が言うのだから、プライドも置いて従うことにした。
まずは、基本通りカイン君が子ゾウにまたがり、その前後を数名のゾウ使いが「ゆっくり、ゆっくり」と声をかけながら歩調(ほちょう)を合わせて歩く。比較的足場のいい河原やブルでならした仮設の道に沿っての行進は順調だったが、角を曲がった途端(とたん)、前方のゾウ使いが突然走り出した。
ある者はそのまま走り去り、ある者は茂みに姿をくらませ、後ろからフォローしていたゾウ使いたちも「ヘャー」などと叫んで騒ぎ立てる。これが“人隠れ”か。何が起ころうと、頭上のゾウ使いが新たに指示しない限り、使役ゾウは悠然と歩いていなければならない。
ところが、この子ゾウときたら“パオー”と叫んで一緒になって走り出す。土煙(つちけむり)を巻き上げ川面(かわも)を蹴散(けち)らし、その全速力の速いこと速いこと。ゾウ使いが走る、子ゾウも走る、私も走る、カメラは揺れる。写真の出来は気になるが、笑いが込み上げてしかたがない。
まっすぐ走るなら、まだ希望がある。けれども彼女は、人を乗せたまま脇に逸(そ)れて薮(やぶ)に突進していくのである。お陰で、カイン君の顔も腕も傷だらけ。「おれに任せろ」先輩たちも乗ってみるが、騎手(きしゅ)は誰でも結果は同じ。走って止めて、また歩き…
前々から、森に入ればランボーでもゾウ使いにはかなわないだろうとは思っていたが、急な斜面や茂みの中なら、彼らはボルト選手でも振り切ってしまうに違いない。
前途多難(ぜんとたなん)なコンビだが、今度会うときには片言(かたこと)のビルマ語でもかわしながら森を一緒に歩いてみたい。リュックは背負ったままで。
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