2016年12月25日日曜日

ミャンマー自然探訪、その3. -近場の穴場、水鳥の楽園- ―Exploring Myanmar Nature, Part 3. -A nearby fine spot, Paradise of Water Birds-

「ヤンゴン日本人会報『パダウ』 201612月号」寄稿文原文
クロハラアジサシ
Chlidonias hyubridus, Feb. ’16

路地の角を曲がれば、たむろしている辻犬たち。横切る黒い影は巨大ドブネズミ。歩道に撒かれた豆に群がるドバトに街路樹に吊られた稲穂をつつくスズメたち。そして、ゴミ置場の上空にはイエガラスが舞う。どいつもこいつも、半分人の手に落ちたやつばかり。いったいこの国のどこに純粋な野生動物がいるの?「動物たちを見られるいいところはありませんか?」時々尋ねられる。ヤンゴン日本人学校にも動物好きの子どもはたくさんおり、できれば野外で思う存分観察させてやりたいと願っているお父さんお母さんも多いようだ。今回は、僭越ながら子を持つ親御さんの気持ちになって、おすすめのスポットをご紹介します。

その前に、一つ断っておきたいお茶の間や学校にもまつわるお話から。「動物」というと、四つ足を持つ動き回る生き物、というイメージを持たれている人が結構いるのではないだろうか。生き物には、大きく分けて動物と植物がある。さらに、どっちとも言いがたいものや微生物などが加わり、その位置付けにはまさに微細な説が次々に出てきているのだが、ここでは触れないでおく。この二大メジャー生物界のうち、簡単に言うと、読んで字のごとく自分で動き回れるものが動物だ。なので、鳥も魚も昆虫も貝も、みんなみんな生きているんだ動物なーんーだ~なのだが、なぜか、動物イコール四つ足のイメージが付きまとう。これは、日本独自の文化、お家芸と言ってもいい図鑑、特に学習図鑑の弊害だろうと私は思っている。たいていの動物図鑑には、哺乳類と爬虫類と両生類が載っていて、鳥、魚、昆虫は別々の一巻ずつになっていることが多い。けれども、哺乳、爬虫、両生を一括りにすべき根拠は何もない。動物界をさらに二分すると、背骨を持つ脊椎動物と背骨を持たない無脊椎動物になる。平たく言うと、体の芯に骨があって、その上に肉が被さっているグループと、骨がない代わりに外側が硬い殻で覆われていたり全身骨抜きのフニャフニャだったりするグループだ。そうすると、もちろん鳥類も魚類も、哺乳、爬虫、両生と同じく骨付きグループとなる。けど、なぜ図鑑ではイレギュラーな分冊にするのか。それはもうボリュームの問題、ページ数や価格を揃えたいという大人の事情と思っていい。さらに売上げを考えれば、どうせ一つ独立させるなら、強面揃いの爬虫類よりかは、きれいで取っ付きやすい鳥で一冊設けましょう、儲けましょうってところだろう。外国にはフィールドガイドは色々あっても日本の図鑑ほど学習指向の強いものは少なく、子どもの感性を刺激し続けてきたすばらしい出版文化ではある。けれども、どの一冊を手にしたかが、その後の子どもの進路をも左右するかもと思えば、決して小さくない仕分けだったかもしれない。大人の社会を学習させたかったわけではなかろうが。

我が子に…いや、私自身も新種を発見して学名に自分の名前でも残したいものだと目論んでいる方がおられれば、決して大きな動物には行きませんように。英才教育の片棒を担ぐつもりはないが、スポーツで世界を目指すなら、体重別のある柔道やレスリング、軽いほうが有利な体操、黒人選手の少ない水泳、南国の参加が少ない冬季種目などが狙い目だろうが、動物界で新種発見を狙うなら、何と言っても昆虫だ。理由は単純、種類数が圧倒的に多いから。全動物種の8割は昆虫だと言われるほどなので、ツボに入れば新種発見の連発となり、毎年三千種ぐらいが新種として発表されているという。昆虫でなくとも、言葉は悪いが、小さく下等なものほど新種の発見が多い傾向にある。

この「新種発見!」というのにも二通りあるので、この手の報道は注意して読み解かれますように。一つは、ごく少数の地元の人が知る程度で世界的には知られてなかった未知の動物が発見される場合で、もう一つは、既に誰でも知っている動物だけど体の組織を分析した結果、他の個体群とは違う新種だと分かったという場合である。つまり、発見の場が野外か研究室かの違いだ。大型動物が前者のパターンで見つかることは、もう稀で、和製英語UMA(未確認動物, Unidentified Mysterious Animal)として話題になるもののほとんどは眉唾モノ。私もおったまげた問答無用の大発見といえば、ベトナム、ラオスで見つかったサオラだったが、それももう20年も前のことで、毎年四桁の昆虫とはえらい違いである。一方、生体分析による新種の発表や亜種から種への格上げは、大型動物でも相次いでいる。自然の摂理からすれば、交尾できて代々繁殖可能なら同じ種でいいんじゃないの、と私などは思うのだが、最後の審判を下すのは、今やDNAだ。なので、一種だと思っていたニホンジカが、全国の個体のDNAを分析したところ、実は◯種いた!などという発表もあるかもなのである。そして、そういう新解釈は、環境保護のプロパガンダに利用されたりもする。言わば、誰が見ても分かる肉眼での新発見に、研究者だけが分かる顕微鏡レベルでの新発見が加わり、多くの動物が絶滅に向かっているにも関わらず、数字の上では毎年動物の種類が増えるという矛盾した現象が起こることになる。
モーヨンジー湿地の夜明け
 Dawn at Moeyungyi Wetland, Feb. ’16

なんと前置きが長くなってしまったことか。すみません。ここからは、純粋に動物見たいモードに切り替えます。で、ヤンゴン基点を前提として家族向けに一番おすすめできるスポット。それは、ずばりモーヨンジー湿地野鳥保護区(Moeyungyi Wetland Bird Sanctuary)。そこそこ大きな地図を見ると、バゴーの北北東に台形状の水色が記されているはず。そこだ。ヤンゴン-マンダレーの旧幹線沿いにあり、車の少ない時代は2時間半ぐらいで行けたものだが、今はそれではきかない。バゴーには行かず、中央ハイウェーを通って最初のサービスエリア脇で降り、ペヤージーで旧幹線に合流すれば少しは短縮できるが、それでも片道3時間、ヤンゴンの渋滞にはまれば3時間半は見てたほうがいい。突如現れるピンボンジーの料金所を抜けて5分弱で、右側に目立たない看板の立つ入口がある。そこから、さらに土の道を5分ぐらい走ると湿地手前の駐車場に着く。傍らには、森林局が作った小じんまりした無料の展示館があり、写真や標本が見られる。そこにも記されているが、この保護区は、水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に与えられるラムサール条約の指定をミャンマーで初めて受けている。
スイレンの一種
A kind of Water Lily, Feb. ’16

湿地のほとりまでは、そこから10分程歩く。木製の橋や木立の中の歩道をゆく気持ちのいい散歩道だが、セメントの路上が濡れている時はスリップに注意。私が初めてここを訪ねた1997年には、この木立はほとんどなかった。この保護区では、森林局の承認を受け、民間会社SPAツアーズが観光の手配をしているのだが、初代社長のチョールインさんと発足直後に話し合っていた時、各地で撮ってきた私の写真をめくっていた彼の手が、ある一枚で止まった。そして呟いた。「木がなきゃダメだ」。それは、高い木の樹冠にクロトキの群れが佇んでいる写真だった。それから彼は、客を迎える拠点の周りに木を植えていった。主に植えた樹種は、オーストラリア産のアカシアマンギウム(Acasia mangium)だった。ミャンマーにもアカシアはある。それは、中央乾燥地に多いシャー(アセンヤクノキ、Acasia catechu)で、ゆっくり育って硬木になり、ミャンマーの伝統オーケストラには欠かせない縦笛、ネー(フネー)の胴などにも使われる。なのに、なぜ彼は外国産を選んだのか…。理由は、めっぽう成長が早いからだ。しかもマンギウムは滞水にも強い。

外国の物の導入には抵抗がある人も多いと思う。実は私もそうなのだが、それを言ってては、例えば日本なら、スズカケノキ(プラタナス)やイチョウの街路樹さえ排除しなければならなくなる。外来種はあちこちにあるのだ。導入時には細心の注意を払うべきだが、在来種や人体への害がないと判明したならば、時と場合によっては外来種も有効に活用できる。要は将来のビジョン、どんな森にしたいのかである。かつてそこにあった森を復活させたいが天然更新は待ってられないというのなら在来種の植林となるが、例えば森が失われた原因が住民の生活のための伐採だったとしたら、まずは外来の早成樹種を植えて、そちらを利用してもらいつつ、本丸の在来種の植林地には決して刃を入れさせないという二段構えで臨む手もある。私がアドバイザーを務めますヤンゴン郊外での日緬の市民グループによる森作りも、住民が要望するマンギウムをメインで植え、その周囲には在来種を植えている。伐らずに残す在来種の木々に囲まれて、短期で伐採利用できる生活の森を循環させるというビジョンである。そして、モーヨンジーの拠点には、今は亡きチョールインさんの描いた通り、わずか10数年で高さ10メートルを超える森が連なり、今や多くの鳥たちが羽を休め、サギやウなどのねぐらにもなっている。さらに、在来種のビルマネムノキ(Albizia lebbek)やマウー(Anthocephalus morindaefolius)も、あとを追いかけどんどん成長している。
樹冠で休むサギとウの群れ
A flock of Egrets & Cormorants perching on the crown, Feb. ’16

 やっと、湿地のほとりに着いた。私がここをすすめる大きなポイント。それが施設の充実ぶりである。Moeyungyi Wetlands Resortと言い、開放的な壁なしレストランや宿泊できるバンガローがある。レストランでは中華などを注文でき、冷たい飲物もある。そこから桟橋を渡った先に全戸湿地向きに並んでいるのが舟形バンガローだ。木材と竹を組み合わせた築15年になる作りなので、夜は天井裏をネズミが走ったりもするが、エアコンに洋式トイレ、温水ヒーターも最近取り付けた。何より水上一戸建てなので裏戸を開ければ湿地は目の前、カエルの合唱も心地いい。ただし、水田と隣合せの平地に広がる湿地なので水は土色、オーシャンリゾートのようにパシャパシャやる気にはなれないだろう。一段陸に上がったところに最近できたコンクリートのバンガローは、ボイラーもエアコンも強力で、ヤンゴンのホテルと比べても遜色ない。広いホールもあり、今年はラムサールの国際会議場にもなった。これらの施設でもダメと言うのなら、もう「町へおかえり」と言うしかない。鳥が活発に動くのは朝と夕方なので、できれば一泊したいところだが、宿泊、食事、ボートの料金はSPAにお問い合わせください。オーニシに紹介されたと言っても何の特典もないだろうが、少なくとも、それならばと門前払いを食らうことはないはずですので。
湿地から見たリゾート施設
View of resort area from Wetland side, Feb. ’16

あっ、残りページもあまりない。では、急いで湿地に漕ぎ出そう。屋根なしエンジンボートに乗って、少々水しぶきを浴びながらのウォッチングクルーズだ。一つ注意してほしいことは、船べりには不用意に手を置かないこと。船は、船べりをぶつけながら減速したり方向を変えたりする乗り物である。なので、特に船着き場や他の船に横付けするような時は、指を挟まれないよう必ず引っ込めておくように。ガイドは、外国人に対しては、今見えている鳥の名前を英語で言ってくれるが、ミャンマー流の子音の抜け落ちる発音に慣れておかなければならない。ダッと言ったらダック、グーはグース、イーゲーはイーグル、ストーはストーク(コウノトリ)といった具合。あるそこそこの町のそこそこの中華屋で飲物を尋ねたところ、早口のボーイの返答は「サンキッコーシャ!」???こう聞いて、サンキストとコークとシャーク(エナジードリンクの銘柄)かと聴解できた自分も大したもんだと思った。ビルマ語はいつまで経ってもタドタドだが、コミュニケーション力だけは年なりに上がってるかなと。ちなみに、肝心要のボートは、ボゥぐらいに聞こえる。とにかく一番確実なのは、フィールドガイド本かパンフレットを船にも携帯してもらって、こいつだと挿絵を指差してもらうことだ。いつも事務所にそれらがあるとは限らないので、かなり興味がおありなら自分で買って持っていってもいい。ミャンマーにいる全種を押さえている東南アジアの鳥のガイドは、タイのAsia Booksが出している。また、ビルマ語名を控えてもらって後で私に知らせていただければ、和名をお伝えすることもできますので。
スキハシコウ
Anastomus oscitans, Feb. ’16

国を問わず、まず水辺でお出迎えしてくれるのはたいていサギ類で、ありふれた光景だ。けれどもここでは、日本には少ないムラサキサギも度々見られる。サギのようだけど嘴がやや湾曲していれば、それはクロトキかも。黒いのは頭だけで体は白いが、なぜか和名はこうなっている。ここでは手堅く見れるが日本では見慣れない姿形の鳥と言えば、まずはオーペンビー、ではなくてOpenbill、スキハシコウ。その名の通り、あいた口が塞がらないやつだ。生まれ変わってもこいつにだけはなりたくないと思える気の毒さで、なにしろ、虫が来てもホコリが来ても、一生涯、口を真一文字に結ぶことができないのだから。貝を主に食べるので、中ほどが開いた嘴だと大きめの丸い貝などは挟みやすそうだが、隙間の意味はよく分かっていない。けれども、彼らの立ち姿はすごくいい。鳥は恐竜から進化したとされるが、その無骨な顔つきを見ていると、やっぱりそうかもと思えてくる。次にセイケイ(青鶏)。クイナの仲間で、いるところにはうじゃうじゃいるのでありがたみは薄いが、とにかく色が鮮やか。紫から青や緑に輝く体に紅色の嘴は、いかにも南国の鳥っぽく、旅情を盛り上げてくれる。この湿地で、すごく珍しい鳥の飛来にかち合う確率は低いが、メジャーな水鳥オールスター勢揃いといった感じである。
セイケイ
Porphyrio porphyrio, Feb. ’16

 多くの種類が観察できるのは、北国から水鳥が越冬に来る11月から3月までで、宿泊費もピーク料金となる。雨季には彼らは繁殖地の北へ帰り、年中いるセイケイなども群れを解体して番での繁殖に入るので、水かさの増した湿地は閑散となる。ただ、フィリピンペリカンは、毎年雨季にだけこのあたりに数羽が飛来するので、私はあえて雨季に行くこともある。ただし、高い波しぶきと打ちつける雨粒を合羽に受けながらのクルーズとなるので、決してご家族にはおすすめできない。その分、宿泊費は安いのだが。また、湿地では一年を通して地元の漁師が網や釣竿や罠を使って漁をしており、家畜のアヒルや水牛の群れも日帰りで放飼させている。この放牧の間、水牛からは意外な副収入も得られるのだが、そのお話はまたの機会に。
フィリピンペリカン
Pelecanus philippensis, Aug. ’15
ハス
Lotus, Aug. ’16

ここはシッタン川流域の平地で、元々雨季には滞水する地形だが、中でも大きく貯まる一角に堤防を築いて乾季でも水が残るようにしたのがモーヨンジーだ。言わば、人手が加わった半自然状態の灌漑貯水池で、以前から人々の営みがあった土地である。保護区とは言え、かつて人が住んでいなかったAKの森などとは経緯が違う。町の者にとっては伝統的な漁業や家畜の放し飼いも珍しく、見どころの一つにもなりうるし、ルールを守る住民や観光客の往来は、厳に禁ずべき違法漁法や密猟の抑止力にもなる。
湿地に向かう家畜の水牛
Domestic Buffaloes, Aug. ’15
オウチュウと水牛
Dicrurus macrocercus & Buffalo, Feb.’16

この場所は、住民、観光客、野鳥の三者が共存できるのだという実証の場として、土着の文化・歴史を踏まえた発展を目指していくのが望ましいように思う。そしてその舞台の一員に、動物好きの日本人のみなさんも加わっていただけたならうれしい限りであります。餌をやる逃してやるといった上から目線ではなく、空高く舞う翼を仰ぎ見る下から目線で。
Feb. ’16

2016年11月25日金曜日

ミャンマー自然探訪、その2. -精霊の島- ―Exploring Myanmar Nature, Part 2. -The island of Spirit-

「ヤンゴン日本人会報『パダウ』 201611月号」寄稿文原文
メインマラー最大級のイリエワニ「鼻白」
A largest class Saltwater Crocodile (Crocodylus porosus) in Meinmahla Island named “Great White Snout”Feb. ’16

「八百万(やおよろず)の神の存在は日本固有の宗教観」と、どこかの権威ある先生やメディアが述べているのを見聞したことがあるが、信心の足りない私めには、そうは思えない。以前、地元紙への寄稿文「隣の神様たち(ブログにて転載中)」でも触れたが、ミャンマーのほとんどの人が信じているナッは、まさに日本で言う八百万の神に近い存在ではないかと思っている。よく「ナッ神」と日本語で表わされるが、外国語に堪能なこちらの友人らは、Godや神とは呼んでくれるなと言う。事実、同じ敷地内にナッを祀る祠と仏壇を別々に置く場合、祠の位置のほうを必ず低くする。ミャンマーの仏壇は、お釈迦様を祀るもので、そこに先祖はいない。一方、日本の自宅の仏壇には、もちろん先に逝った家族の位牌を安置しているのだが、一段高い奥には、お釈迦様の木彫りの像も祀っている。それでも日本の家屋では、神棚はさらに高い位置に納めているはずだ。これらのことから、ナッを表す日本語として神を避けるとしたら、Spirit、精霊という言葉が一番しっくり来るように感じる。他の国では、精霊を願かけの対象として拝むこともあるようだが、ミャンマーでは、そこまで積極的にすがる存在ではなさそうだ。その対象は、飽くまでお釈迦様のほうなのだろう。ただし、精霊を怒らせると災いをもたらされるので、無礼がないよう日頃から丁寧に崇めておく。まさに、触らぬ神…いや、精霊に祟りなし、みたいな存在で、災いがないようさらに一歩踏み込んで奉っておきましょう、といった感覚かもしれない。

前回ご紹介したアラウンドーカタパの森でキャンプをしていた時のこと。竹の骨組にビニールシートを被せた簡易テントで床に就いていたところ、遠くからゴーッと唸るような低い音がし、だんだん大きくなってきた。嵐の接近だということはすぐに分かった。雨を伴うかどうかは分からないが、突風が吹くのは間違いない。保護官の二人は、シートを留めている竹製のヒモを急いで締めなおしたり、折れて飛ばされるかもしれない周りの枯れ枝を切り落としたりしはじめ、もう一人は、テントの背後にある大木の前に座り、ロウソクを立てて何かを唱え始めた。それは当然すべき役割分担で、嵐が鎮まるよう土着のナッに祈りを捧げていたのだ。雨季間近の4月下旬のことだった。また、使役ゾウが働くヤカイン山系の集落でのこと。就労前の子ゾウが体調を壊し、何を食べてもすぐに吐き戻すようになり、いよいよ瀕死の状態になってしまった。ゾウ使いの親方は、急いで新しい祠を作るよう命じた。彼らが崇めるのは、森を司るナッとゾウを司るナッだ。ゾウ専門の獣医師も加わり、治療と祠作りと祈願を平行して進めたが、結局、子ゾウは助からなかった。解剖すると、喉の奥に拳より大きい石のようなものが詰まっていた。それはカチンカチンになった植物の繊維の塊で、時間をかけて徐々に溜まっていったようだった。その子ゾウは、植生の違う他の地域から移ってきた個体だったため、餌に向く植物をうまく嗅ぎ分けられなかったのではないかと私は推測したが、ゾウ使いたちは、日頃のナッへの敬いが足りなかったのも原因の一つと反省しているようだった。

こんな感じで、全国津津浦浦、辻のそこかしこにも土着のナッはいて、それがいかに生活に密着しているか、私も度々実感させられるが、中でも、ほとんどの国民が知っているであろう全国区のナッが37体いる。その中に、楽器を携えているナッが一体だけおり、名前をウーシンジーと言う。元は竪琴のうまい平民だったが、船で訪れたチュンニョージーというエヤワディーデルタの一角の島で土着のナッに魅入られ、その南にあるメインマラー島に幽閉されて、そこで人間からナッに変わったとされている。ぱっと見、と言っても、人間が想像して創造した出で立ちなのだが、いかにも音楽とか芸能とかを司る精霊のよう、と思いきや、手にした竪琴はお役目とは関係なく、汽水域を司る精霊なのだそうだ。汽水とは、海水と真水の混じっている水のことなので、つまり、下は海岸線に接する河口から、上は河川を遡って満潮時に海水が到達する最も先までの担当()となる。そんなの、ごくごく狭い範囲じゃないのと島国感覚で思ってしまいそうだが、大陸の大河となると、とてつもないことになる。最大のエヤワディーデルタなどは、もう関東とか四国とかと比べてもいいレベルの広大さで、その水路の隅々にまで海水は入り込んでくるはずなのである。
メインマラー島内の水路を行く
Cruising a channel in Meinmahla Is., Feb. ’16

ウーシンジーがナッとして誕生した島は、まさに汽水域の真っただ中にあり、現在、メインマラー島野生生物保護区(Meinmahla Kyun Wildlife Sanctuary)として保全され、アセアン版自然遺産、ASEAN Heritage Parkの一つにも指定されている。デルタで呼ぶ島とは、基岩が隆起したような海洋の島とは、かなり様子が違う。元は海だったところに次々に上流から流れ着く土砂が溜まって徐々に陸地化していったものがデルタ(三角州)だが、川の水は止まることがなく、デルタの中を迷いながら分かれながら海にまで到る。その分流に分断され他の土地と切り離された中洲の一つ一つをチュン(島)と呼んでいるのだ。なので小高い丘などはなく、ただただ平らな陸地である。その中で、メインマラーはメジャーな中洲の一つで、ヤンゴンから車なら4時間ほどのデルタの町ボーガレーから、さらに船で数時間下ったところにあり、地図で見るとミャンマー製の草履のような形をしている。この草履島、面積は136.7平方キロで、伊豆大島の1.5倍ぐらいある。岩盤もないので、島内にも水路が網の目のように入り組んでいて、島の西岸から小舟で水路に入り込み東岸へ抜けたりすることもできる。島を極薄の霜降りステーキ肉に例えたなら、全体に入っている白いサシが水路で、赤身の部分が陸地と思ってもらえばちょうどいい。そして、その陸地は、ほとんどが植物で覆われている。
満ち潮のマングローブ
Mangrove at higher tide, Feb. ’16

熱帯、亜熱帯の汽水域に生育する森のことをマングローブと呼ぶ。潮が満ちると森の床は水没して隠れ、引いてくると次第に床が現れる。これを一日2サイクル繰り返すというわけで、このような過酷な環境に耐えられる植物は限られ、陸地の森に比べると種類ははるかに少ないが、密生度や木の大きさでは何ら遜色はない。大潮でも潮が届かなくなってしまった陸地にもマングローブの植物は残っており、次第に純粋な陸地の植物種が混じってくるようになる。マングローブを構成する樹木には、比重が1を超えるような重厚なものもあり、炭の原料としても申し分ない。エヤワディーデルタのマングローブが壊滅状態になったのも、ヤンゴンなどに出す炭用に伐採したのが主な原因だった。1993年にメインマラーが保護区に指定された時も、既に伐採は始まっていたが、それでもここが最後まで後回しになっていたのは、ウーシンジーへの畏敬の念があったからではないかと思われる。マングローブは「生命の揺りかご」とも例えられ、そこに生きる動物は、甲殻類から魚類、哺乳類まで多種多様。その豊かなマングローブ生態系の頂点に立つ動物が、やはりウーシンジーに縁がある。人間が創り出したウーシンジーの像の両脇には、二体の従者が控えている。一つが陸の王者トラで、もう一つが水辺の王者ワニ。そう、メインマラーにはワニがいるのである。
引き潮の岸辺にたたずむコサギとダイサギ
Little Egret (Egretta garzetta) & Great Egret (Ardea alba) on a muddy beach at lower tide, Feb. ’16

かつて、ミャンマーには4種類のワニがいた。決して原始時代の話ではなく、今、地球上に住む現世のワニのうちの4種類がいたのだ。この数なら、隣国のインド、タイを凌ぐワニ王国と言えるが、現実はそうではない。経済の発展が目的の国家や御方にとってはどうでもいいことかもしれないが、ミャンマーの野生生物保護は完全にワンテンポ遅れた。はっきり言って手遅れで、逆立ちしても取り返せないものがいくつもいる。拙著での啓発など、焼け石に届く間もなく消えた水蒸気だった。残念ながら、近代になってミャンマーのワニは次々に消え、現在は1種類しか残っていない。それが世界最大のワニ、イリエワニで、まとまって生息している場所は、このメインマラーだけになってしまったのだ。入江の名の通り、汽水に好んで生息するが、もし、西のベンガル湾側や南東のアンダマン海側で単発的に発見されたとしても、もう、番う相手を見つけて繁殖できる可能性はゼロに近いので、森林局が捕獲して、メインマラーに移住させることにしている。

メインマラーへは、90年代に三度訪ねて以来、しばらくごぶさたしていたのだが、2008年のサイクロン・ナルギスの襲撃以降は再び気になって、毎年のように通うようになった。友だちグループ、旅行業者、テレビカメラマンも招待し、私自身も文章と写真で度々紹介し、特にブログでは、ここのワニのサイズについて話題にしていた。まず保護官たちは、長さ1メートル以上の個体は、島全体で少なくとも50匹以上はいるだろうと推測している。俗に、彼らは若いうちは一年に1フィート(約30センチ)成長すると言われ、目測で3メートルクラスのものまでは結構いる。けれども、我々が大物の目安としてよく使う数字は15フィート(約457センチ)で、ここを超えるものになると、ぐっと数が減ってくる。その中でもとりわけ大きいのが数頭いて、保護官たちは、もしかしたら18フィート(約549センチ)あるかもしれないと推測していた。実は、彼らのサイズについては、数年前に一定の結論が出ているのだが、私は、ワニのことは、しばらく書く気になれずにいた。人にとってもワニにとっても、あまりにも不幸な出来事が続いていたためだ。
50cm級の子どもイリエワニ
A 50cm class baby crocodile, Feb. ’16

超大物の中でも特に私と相性がよく、毎回のように会っていた、通称「顎欠け」という大ワニがいた。我々は、期せずして彼の正確なサイズを知ることとなった。不幸な出来事、それは、人かワニのどちらかが犠牲になる惨劇である。特に繁殖期に当たる暑季の終りから雨季の間は、ワニは行動範囲を広げ、より攻撃的になり、メインマラーから離れた村でも人が襲われることがある。以前はワニの被害が出ると、人々はウーシンジーに対して間違ったことをしてはいなかったかと、まずは省みたようだが、今では報復に出ることも増えてきている。そんな中、顎欠けも、ある事件に巻き込まれ、小舟の大船団に執拗に追跡され取り囲まれ、全身に槍や鎌の打撃を受け続け、無数の傷を負った果てに絶命した。死体は保護官たちに収容され、検体を行うこととなった。実測の結果、死後のやや萎縮した状態で、全長17フィート7インチ(約536センチ)あった。それまでの保護官たちの目測の正確さが証明された形になったが、こんなむなしい身体検査は、彼らも二度と御免だろう。
「鼻白」の傍らのサギの背丈がほぼ1m
An Egret beside “Great White Snout” may be about 1m in heightFeb. ’16

メインマラーには、今年も2月と8月に訪ねた。顎欠けなきあと、以前はたまにしか見られなかった大ワニ、通称「鼻白」が度々見られるようになっている。これら超大物数頭に対しては、大きいという意味の言葉「ジー」を後ろに付けて呼ぶこともある。人を呼ぶときにも、同姓同名がいれば年上のほうに付けることがあり、私に対しても「ジャパンジー」とか若い子が気を遣って呼んでくれることもある。たぶん、日本人の大兄、大旦那みたいなニュアンスで、さしずめワニの場合だと「鼻白大将」といったところか。顎欠けが実測できたことで目測の信頼性も高まったが、鼻白も、やはり5メートルは超えているとみられる。顎欠けに比べると、やや細身なので、まだまだ縦に伸びる可能性を感じる。今思えば、度々会えた顎欠けとの相性のよさは、ちょっとのことではジタバタしない王者のゆとりの成せる技だったのかも…。そして今、その地位にいるのが鼻白で、次第に性格が大胆不敵になってきているのかもしれない。
ヤマショウビン
Black-capped Kingfisher (Halcyon pileata), Feb. ’16
カタグロトビ
Black-shouldered Kite (Elanus caeruleus), Aug. ’16
カニクイザル
Crab-eating Monkey (Macaca fascicularis)Feb. ’16
スナドリネコ
Fishing Cat (Prionailurus viverrinus)Feb. ’16

乾季のメインマラーには、繁殖を終えた鳥が多くやって来る。北国から越冬に来たものも国内の別の場所から広がってきたものも見られ、船上から労せずバードウォッチングを楽しめる。運がよければオオコウモリやカニクイザルなどの獣も見られるが、残念ながら、ウーシンジーのもう一体の従者、トラはいない。けれども2月の訪問では、同じネコ科のスナドリネコが撮影できた。漢字で書くと「漁り猫」、英語でもFishing Catだ。いるのはほぼ分かっていたが、これまで種を断定できる証拠がなく、森林局も待望の写真だった。一方、雨季には、鳥たちの数はぐっと減る。逆に、ヘビは乾季よりもよく見かける。けれども何と言っても雨季の超目玉は、ワニの巣である。これを見るには、船を降りてマングローブの奥地まで歩いていかなければならないので、あまりお勧めはできないが。この8月にも一つの巣を観察したが、毎年、少なくとも3個以上は巣が確認できており、無事にいけば、それぞれ50個以上の卵が孵るので、雨季の終わりには、島のワニの数は一時数百匹にはなっているはずだ。そこから一匹また一匹と他の動物に食われつつ、1メートル以上が50匹強というところに落ち着いていくのだろう。
ワニの巣を目指しマングローブの奥地に分け入る保護官たち。巣の位置を測定し、内部を検温する
Park rangers are going into the deep mangrove toward a crocodile nest. Measuring the location and taking a temperature inside the nest, Aug. ’16

このワニを頂点とするマングローブ生態系を残していくためには、まず、町に住む我々は、強大な肉食動物と背中合わせに暮らす人たちの恐怖、試練、悲しみなどを共感しなければならない。その上で、ミャンマーで唯一生き残ったイリエワニとの共存の道を探っていかなければならない。ワニの数が減るに伴って、住民のワニに対する知識も低下しているのかもしれない。ミャンマーには、牛馬からゾウまでも自由に操れる人たちがいる一方で、吠えかかってくる辻犬たちへの対峙の仕方がうまくない人も多いし、田舎の人が毒があると信じている動物の中にも無毒のものが多くいたりもする。確信がなければ君主危うきに近寄らないのが鉄則ではあるものの、相手を知れば必要以上に恐れることはない。森林局も住民への警告は適宜出してはいるが、私は「ワニ被害回避マニュアル」のような小冊子を作り、近隣の村に配布してはどうかと提案している。保護官たちも賛同はしてくれるものの、予算の目処がなく実現はしていない。90年代、顎欠けや鼻白たちの一つ前の世代の、通称「島巡り(周り)」と呼ばれた大ワニがしばしば目撃されていた。いろんな逸話を総合すると、全長9メートルぐらいあったようだ。ここ十年ぐらい目撃情報はないが、多くの人は、島巡りは海に出て精霊ワニなったと信じている。そうなると、人にも変身でき、我々の目にもつかなくなるというわけだ。ミャンマーの単位で頭の長さが3タウン(約137センチ)になると、ワニは精霊になると言われている。もし顎欠けが生きていたなら、どこまで大きくなっていただろうか。二度と動くことのないその頭骨を測ったところ、長さ67センチ幅38センチ、下顎は85センチあった。長らく私を楽しませてくれた顎欠けは、激変の時代の中で、精霊になることなく昇天してしまった。
雨の中をゆく「鼻白」
“Great White Snout” swimming in the rain, Aug. ’16
Feb. ’16

関連サイト: http://enjoy-yangon.com/ja/featuer/expedition/272-meinmahla-island

2016年10月25日火曜日

ミャンマー自然探訪、その1. -野獣の宝庫AK- ―Exploring Myanmar Nature, Part 1. -Animal Kingdom, Alaungdaw Kathapa National Park-

マレージャコウネコ
Common Palm Civet (Paradoxurus hermaphroditus), Mar. ’16

 「船賃は人と大荷物合わせても数十チャットで、サイカーも運び屋も使ったとしても二百チャット以内で対岸に上陸できる。」これは、2002年に発行した拙著「ミャンマー動物紀行-旅日記編-」の一節で、19986月の様子を記している。

それから約18年後の2016228日、私は同じチンドウィン川のほとりにいた。サガイン管区の町モンユワと対岸の村ニャウンピンジーを結ぶ船着場だ。ミャンマー各地の動物や自然の中で生きる人々を訪ねるようになって、もう20年になるが、この間のこの国の激変は凄まじかった。初期の拙著には、あとから来る旅行者のためにといろんな情報を盛り込んだが、交通や物価などのデータは、もはや参考にはならず、過去をうかがい知ることだけに価値の残る古文書のようになりつつある。インフラの中でも爆発的に増えたのが大河にかかる橋だろう。初めて来緬した1990年には、エヤワディー川本流にかかる橋といえば、マンダレーとサガインを結ぶアバ橋(インワ橋)一本しかなく、旅行には渡し船が付き物だった。どんなにスイスイ陸路を移動してきても、渡し場まで来たならいったん立ち止まって乗船の順番を待つしかなく、別の土地に移る前の心身のリセットになったものだ。人用には小型のエンジンボート、車ごとならゼッ(Zクラフト)と呼ばれる平らな台船が両岸を行き来していた。

で、モンユワの渡しはというと、インドに向かうハイウェイ構想が優先したようで、橋は町の中心から10キロぐらい北側にかかってしまったため、直に対岸に渡る人用の渡し船は生き残った次第である。十数年前とは違って、外人は一般客とは一緒に乗れず、スペシャルボートと称して、一人(または一組)だけで一隻を借り上げなければならないとのこと。で、そのお値段は…ほんの5分強の乗船で五千チャット也!である。ちゃんとその額面で領収書も切り、客がたまるまで動かない乗合船と違ってタッチアンドゴーで出航するので、スペシャルはスペシャル、規則は規則なのだろう。ヤンゴンにいる時なら、すれ違う人に道や時間を尋ねられたりもするが、撮影行に出かける際は、根城を発つ時点で既に現場モードになっていて、カーゴズボンにザックにアルミケースと、どこから見てもよそ者と分かる。銅山に向かう東洋系山師ぐらいに思われているかもしれない。私も、出生を偽ってまでズルをする気はないので、時代の流れを感じつつチンドウィンの流れに身を任せることにした。
チンドウィン川の渡し船
Ferry boat crossing Chindwin River

様変わりしたのは水上だけではない。まず、近距離移動と言えば、昔も今もサイカー(自転車タクシー)がエース格で、旅の途中で見かけたなら、そこそこの町が近くにあると分かるほどだ。さらに地方の町では、より遠く、より大量の移動手段として馬車が控えていたのだが、この馬車が今や絶滅寸前なのである。バイクの後部を広い座席に改造した三輪車トンペインや、バイクそのものの後部座席に座るサイケー(=サイクル)などが、見る見るうちに馬車に取って代わってしまった。実はこの時も、川岸での荷物の積み下ろしも、対岸から目的地までの移動もまとめて引き受けるということで、バイクの兄ちゃん二人が乗り込んでいた。ナンバープレートも付いている馬車は合法だが、彼らの場合、営業資格の有無すら不明。数ある移動手段の中でも、できれば避けたいのがバイクだが、普及にともなって後ろにまたがる機会は確実に増えてきている。数日かけて歩くしかなかった細道を数時間で行けるとなると、どうしても心が動いてしまう。

上陸したニャウンピンジーから目的地のインマービンまでは1時間弱の行程で、私と荷物用に二台で一万チャットポッキリということで手を打っていた。走りだして間もなく給油所に入った。この時点で、この先何が起こるか見えていたが、流れに身を任すことに決めていた私は余計なことは言わなかった。無事に届けてもらい礼を言って一万チャット払うと、案の定「足りねえ」と言う。プラス、ガソリン代が三千チャットだと。これも想定内だったので追加分を払って早々に追い返したが、あんたらは嘘をついたということだけは念を押しておいた。あちこちでいろんな乗り物の世話になってきたが、昔からモンユワの運転手は、かなり質が悪い。とは言っても、荷物だけを積んだバイクがどこかに消えたとかいうことはなく、まあ小ワルといったところか。

今回の最終目的地は、アラウンドーカタパ国立公園(Alaungdaw Kathapa National Park)で、このインマービンには管理事務所がある。業務の都合上、事務所は郡の中心地にあるが、保護地域そのものへは、ここからさらに未舗装の田舎道や川床や山道を越えていかなければならない。頭文字を取ってAKパークと呼んだりもするが、この「パーク」「国立公園」という言葉が曲者で、日本人には誤解のもとである。日本では管轄の行政ランクによって、国立公園、国定公園、県立公園などと区分されるが、管理体制からすれば、ミャンマーではすべて国立と言える。そして管轄ではなく、保護の厳格さによって呼び名が区分されている。これは、国際自然保護連合(IUCN)の基準に従ったもので、国立公園は自然保護区(Wildlife Sanctuary)よりも格上で、より厳格に原生の自然が守られなければならない。でっかい国民宿舎やらロープウェーやらがある日本の国立公園とは大違いで、舗装道路や電線を張り巡らしただけでも、逆に国立公園から格下げになるかもしれないのである。

AKは、私にとっては林間学校のような存在で、この森の中で過ごした日々を通して、野生動物との間合いの取り方や森暮らしの流儀などが次第に体の中に染み込んでいったような気がする。初めてヒョウと鉢合わせしたのも、初めて密猟者と遭遇したのも、初めてマラリアに罹ったのもこの森だった。内にある野性の勘と体力レベルを再確認すべく、数年に一度は戻ってきてたものだが、20091月を最後に、しばらく足が遠のいていた。この間も私は、林業現場で働く山ゾウやエヤワディー流域の三大動物や南部の常緑林や中部の乾燥林など、あちこち訪ねてはいたのだが、AKでは、どうやら私は死んだことになっていたらしい。マラリア死亡説や津波死亡説が出たそうだが、私のことを忘れずに噂してくれてたと知り、なんかうれしかった。事務所のみんなとはたっぷり話してご飯も食べて、亡霊にはない足跡を残し、早速その日のうちに保護地域を目指した。

なじみのジープにドアはないので、カメラなどはバッグに入れておく。座る位置によっては、目、鼻、口もゴーグルやマスクでガードしたほうがいいかも。油断すると土ボコリにまみれ、すべてが安倍川餅みたいになってしまう。土の道は、雨季の間はぐじゃぐじゃになって車は通れず、11月頃から改修を始め、翌1月ぐらいにやっと全線開通となる。道の両側には、枯れ草がまばらに残る荒野や乾いた畑が広がるばかりで、この先に大森林地帯があろうとは想像もつかないが、安倍川餅になりかけた対向車は次々にすれ違う。保護地域核心部にある峡谷には高僧の遺体が安置されているとされ、仏教徒にとってアラウンドーカタパと言えば、一度は参拝してみたい聖地となっているのである。以前は荷台を座席にしたピックアップバスが参拝者の主な足だったが、今では大型バスも走っている。山岳に入る手前の村の茶店も賑わっている。店の一家にも顔を見せて生存を報告。席に着けばラペトゥッ(茶の葉サラダ)がスッと出る。様変わりしたのは、大きな冷蔵庫と冷えたポカリスエット、そして、村の外れの電波塔。民間携帯会社オリドゥー(Ooredoo)のものだ。
かつてはなかった夢のコラボ、ラペトゥッとポカリ
Newest combination, Tealeaf salad with Pocari Sweat

ここからは山肌を削って均しただけの山岳道で、トンネルも橋もガードレールもない地形に沿ったクネクネ道が続く。保護地域の外郭を成す分水嶺を越えるといよいよ森林地帯に入り、大きな谷川の流れを数回突っ切ったら、車道の終点タベイセイに着く。インマービンから3時間半、ヤンゴンのバスターミナルを出てから約22時間、二日ぶりに平らな寝床で腰を伸ばした。タベイセイは元々、保護官や研究者のための簡素な宿舎がある一角だったが、乾季の道の開通にあわせて、参拝者向けの仮設の食堂や喫茶店が立ち並ぶようになった。いつもは里にいる森林局職員の家族がやってる店が多くて顔見知りだらけなので、逆に一つの店に絞るのが私にははばかれる。
公園中心部に向かう季節道
Seasonal road toward the middle of the national park

  次々に現れる懐かしい顔の中でも、一番のサプライズはミーチューとの再会だった。この森で初めて会った時、彼女はまだ小学校にも行ってなかった。外国の人も名前も彼女にはおもしろくて新鮮だったようで、しょっちゅう「オニシー」「オニシー」と呼んでは着いてきてたのを覚えている。その後、里の学校に通うようになってからは会ってなかったが、彼女がいると聞き、そっと店の前に立ってみた。「オニシーか?」「ミーチューか?」おどかすつもりでいた私のほうがおったまげた。片膝にでも乗っかりそうだった女の子が、今では食堂の女将なのだ。自分がいかにいい歳したオヤジになってるか、改めて思い知らされた。記憶から消えててもおかしくない幼少期のことなのに、私のことも当時の出来事も彼女はよく覚えていた。私にとっても、かけがえのない森の子の一人だ。
:食堂の女将、ミー・チュー、下:19年前のミー・チューと兄姉
Upper: Proprietress of a seasonal restaurant, Ms. Mi Chu, Lower: With elder brother & sister 19 years ago

タベイセイまで辿り着いた町の人が真っ先に度肝を抜かれるのがゾウだ。ミャンマーこそ正真正銘のゾウの王国だと私は断言できる。けれども、多くの国民にとってゾウは縁遠い存在である。ほとんどの野生ゾウは森の奥深くに潜んでいるし、使役ゾウも、本来の生息地である森の中に留まって、ゾウ使いと共に林業に従事している。なので、町場でゾウを見かけるようなことは、ミャンマーではほとんどないのである。AKには森林局所属の使役ゾウがおり、保護官をサポートして公園全域を泊まりがけでパトロールしている。そのゾウたちが、参拝の時期には車道終点からパゴダまでの数キロ区間の乗り物として利用されているのである。保護地域の外の伐採現場で働く木材公社のゾウたちも、その年度のノルマを終えると応援にやってきて、いい副業にもなっている。
ゾウが待機する車道終点
Terminal of seasonal road where carrier elephants are standing by


野生動物の観察・撮影が目的の私には、人混みにもパゴダにも、それほど用はない。翌朝にはテントや食料を持ってタベイセイの宿舎を出た。お供は、なじみの保護官二人と一組のゾウ使いと使役ゾウだ。ゾウは雌のポーイーサン。彼女もやんちゃな子ゾウとして先の拙著に登場するが、今や23歳のレディーである。ゾウには大きな荷物を預け、私は最低限の必需品と機材を背負って地上を歩く。撮影の都合からしても、そのほうがいい。保護官たちも、オーニシは“歩けるオヤジ”と分かってくれているので、人用にもう一頭雇うかどうかを問われることもない。あっ、分かってくれているのは“懐寒いオヤジ”ということかも…
ゾウを伴って森に分け入る
Going into forest with an elephant

米、野菜、卵などは町から持ってはくるが、キャンプでのお楽しみの一つは、とりたての魚や野草が食べられることである。さっきまで泳いでいた魚の素揚げは、申し訳なくも格別にうまい。「厳格に自然を守られなければならないんじゃないの!」と自分でツッコミを入れてしまいそうだが、パトロールや調査は森林局の職務の一環で、その間、保護官が渓流に網を仕掛けるぐらいのことは許されている。例えば、町から買ってきた缶詰だけを食べるのと比べても効率は悪くないし、より大きなリスクやインパクトを自然に与えるとも思えない。ただし、どこかの旅行社が手配した外部のガイドやパゴダの参拝者が保護区内で魚を捕ったり枝を刈り払ったりしたら、厳密には、それは違法となる。前政権下までは、軍関係の許可さえ取ってれば何でもできるしどこへも行ける、みたいな風潮があったが、政権の替わった今こそ、管轄の機関にはどうか敬意を払ってほしい。保護区に入るなら森林局、伐採搬出を見たけりゃ木材公社、沖に出るには水産局、みたいな具合に。
 捕れたての魚を揚げる
Frying fresh wild fish

 AKの魅力は、大型の動物が比較的多くいることで、これまでの訪問で、ヒョウ、カニクイマングース、マレージャコウネコ、アジアゾウ、サンバー、ホエジカ、イノシシ、ファイールリーフモンキー、アカゲザル、クロオオリスなどの獣が目視できた。今回は、ゾウに次ぐ森の巨獣である二種の野牛、ガウアとバンテンのどちらかでも見られたらと願って人けのない山河を巡ったのだが、足跡すら見つからず、以前ほど気配を感じられなかった。一つ気になる要因がある。周辺の農民が、耕うん作業のない期間、家畜の水牛を放したままにしているのだ。放牧はミャンマー伝統の優れた知恵ではあるが、自然保護地域に放すと確実に生態系を乱し、水牛なら、同じウシ科であるガウアやバンテンを餌の競合により圧迫する。保護官の数も以前より減っており、周辺住民のコントロールはますます難しくなっている。
キュウカンチョウ
Hill Myna (Gracula religiosa), Mar. ’16

私が繰り返しここを訪ねていたのには、もう一つ大きな理由があった。それは、一生のうちに叶えたい夢、野生のトラを見たい撮りたいということである。動物保護の先進国インドに行けば、さほど苦もなく見えるだろうが、ミャンマーの中でトラを見るんだと、だんだん意地になっていた。そこで、最も可能性が高いと思われたAKに狙いを絞っていたのだが、雨季の長期滞在でヒョウに会った時、私は、ここのトラは絶滅していると悟った。森林局動物公園部前部長のイェトゥッ氏がAKの管理長だった頃、私に言った。「トラは長い旅に出てるんだよ。保護が行き届き安心して暮らせるようになったら彼らは帰ってくるよ」。泣かせてくれるじゃないか。事実、チンドウィン流域の別の地域では無人カメラにトラは写っており、私も足跡までは見つけた。それらの生息地とAKを結ぶ森の回廊が充分に成熟し、保護動物は狩らないというモラルが定着したなら、動物たちが伸び伸びと行き交い分布を広げていくというシナリオは、決して夢物語ではないだろう。
ミカドバト
Green Imperial Pigeon (Ducula aenea), Mar. ’16

今回は、ジャコウネコ、リーフモンキー、オオサイチョウや野生のイチジク類に集まる野鳥たちなどを観察できたが、ほんの一週間の小旅行で大きな成果は得られないだろうことも覚悟はしていた。希望の光は、公園の北西境界付近の岩の洞窟でトラの母子を見たという噂があったことだ。私の命が尽きるのが先か、トラが堂々と人前に現れるようになるのが先か、この国の未来、環境行政に賭けてみたい。
オオサイチョウ
Great Hornbill (Buceros bicornis), Mar. ’16

2016年6月25日土曜日

トビハゼジャンプ3連発 -Triple Jumps by Vivid Mudskipper-

Periophthalmodon septemradiatus

ミャンマーの自然、動物を巡る旅は、ずっと続けてはいるのですが、写真の整理がぜんぜん追いついておらず、ブログの更新をサボっております。
特にデジカメを手にしてからは、フィルムの山との格闘はなくなったものの、形のないデータの海に溺れてしまいそうです。

いろいろなご依頼に対応していくのでアップアップな状態ですが、そろそろ一気にドバーッと執筆活動を再開するつもりではいますので、気長に見守っていただけたならと存じます。

トビハゼ属ムツゴロウ属を含むマッドスキッパーの専門家、池辺さんから、先日、以前の書込みへ久々のコメントをいただきました。
http://onishingo.blogspot.com/2011/11/vivid-thing.html (2011年11月18日)
http://onishingo.blogspot.com/2012/03/two-subjects-solved.html (2012年3月24日、関連書込み)
それをきっかけに、まだ公開していない過去の写真を再度確認してみました。
Periophthalmodon septemradiatus

通称ベトナムスキッパー(Periophthalmodon septemradiatus )ですが、ジャンプの美しさ高さには目をつぶるとして、確かに飛ぶには飛びます。
Periophthalmodon septemradiatus

これらの写真は、とてもご披露できるような満足のいくものではないのですが、学術的な証拠写真にはなるかもしれないということで公開することにしました。

もしあればとお尋ねされてたペアの写真もありました。性別は不明ですが。
Periophthalmodon septemradiatus

あと、以下の写真は、同じくエヤワディーデルタのマングローブで見た小型の種類ですが、こいつが空中に浮いている写真は撮れてませんでした。飛ぶかどうか不明です。種類もまだ調べていません。
Some small Mudskipper species

次回もデルタに行った時には、上空の鳥、遠くの水面のワニ、そして足元の泥に注目しながら、首を振り振り日々を過ごすようにします。

最後に、マッドスキッパー界の真打、ムツゴロウ属はBoleophthalmus boddarti の、得点10.00の大ジャンブ3連発で〆させていただきます。
Boleophthalmus boddarti