Sarus Crane
(Grus antigone), Ma-u-bin Dist., Aug.
’15
鳥は、つくづく無敵の動物だと思う。卵や雛(ひな)の時期はか弱いが、いったん翼を手に入れたなら少なくとも落下の恐怖からは解放される。それだけでも、とんでもなくうらやましい。
たとえ取っ組み合いの闘いには弱くても、やられそうになったらその場から飛んで逃げればいいのだから、勝ちでなくても負けにもならない。生物界広しといえども、飛び去るものを撃ち落とせる生き物など、まずはいない。それができるのはゴジラぐらいのものだ。
地上が水に呑(の)み込まれそうになれば、一つ羽ばたいて空中に舞い上がればいいわけで、目が利(き)く限り飛び遅れない限り、水難(すいなん)からも逃(のが)れることができる。
雨を喜ぶ鳥を探しに、まず向かったのは、シッタン川(Sittoung River)とバゴー川を中心に平野が広がるバゴー県の一角だが、ミャンマーの平野は、乾季と雨季ではまるっきり風景が違う。
乾季には枯れ草で覆(おお)われた荒野(こうや)や乾燥に強い作物の畑だったのが、雨季には水浸(みずびた)しの湿原や水田になっていたりする。元々湿地だったところを低い堤防で取り囲んで灌漑(かんがい)用の浅い貯水池(ちょすいち)にしている場合もある。
A cowherd on a boat guides them to grasslands for pasturing. Bago
Dist., Aug. ’15
貯水池になると乾季でもめったに干上がってしまうことはなく、残っている水は、北国の結氷(けっぴょう)から逃れてきた水鳥たちを引き寄せ、貴重な彼らの越冬地にもなっている。
けれども今回のターゲットは、渡り鳥も北に帰り、あっちこっちが水浸しになって貯水池の内と外の見分けもつかなくなるような雨季のまっただ中にやって来る。
今年現れたスポットは集落からさほど遠くなく、青々とした草の波と平らな水面が混在(こんざい)する雨季限定の湿原で、皮肉にも、保護区になっている貯水池からは外れていた。
情報提供者でもある漁師の小舟に乗せてもらって巡(めぐ)るのだが、目の前に広がる湿原は、どう見ても水面よりも草地のほうが広い。フロリダのエバグレーズで使っているエアボートならちょうどよさそうなロケーションだ。空中に持ち上がった大型プロペラで推進するセスナ機ばりの船である。
一方、こちらバゴーの木造船はと言えば、幅が一人分の腰幅プラスアルファーぐらいで、いったん腰を据(す)えたなら大きな体重移動は禁物(きんもつ)。横向きにくしゃみをしても傾きそうな船体だ。
もう降っても晴れても一日じゅう狭い船上で過ごす覚悟はできている。のんびり回ってくれればそれでいい…と思いきや、昨今はそんな小舟にもエンジンを取り付ける。
エンジンをフル回転させたかと思ったら、草と水の境目(さかいめ)などはまったく無視。まっすぐに草地に突っ込んでいった。予想外の直線移動、ショートカットの連続だ。縦に三人座った小さな船体は沈みも浅く、長い鉄棒の先に付いたスクリューは、手元の柄(え)で自在に動かせ、深く沈めることも空中に浮かすこともできるのだ。
高速で草地を突っ切っては大きな水面に飛び出し、あたりを見渡しては次の草地に突っ込み…ここの湿原オリジナルの捜索(そうさく)法を始めて10分足らず、目の前に開けた広い水面の奥に大きな灰色のものが浮かんでいる。探していた一つ目のターゲット、フィリピンペリカンだ。
Spot-billed Pelican (Pelecanus philippensis), Bago Dist., Aug. '15
名前はこうでも、フィリピンからやって来たわけではないはず。以前このペリカンを大群で見たのは、北部カチン州にあるミャンマー最大の天然の湖、インドージー湖周辺で、季節は乾季だった。
一方、バゴー周辺の平地に現れるのは決まって雨季で、少数でいることが多い。彼らの多くは、狭い地域を定期的に移動する漂鳥(ひょうちょう)のパターンで行動しているのかもしれない。
この8月に見つかったのはペア3組に独り者1羽で、4組別々に湿原に散らばっていた。単純に考えるとペアは番(つがい)だろうとは思うが、漁師は巣は見たことがないという。確かに巣立ち直後の若鳥っぽい個体も見当たらない。
結婚前のハネムーンカップルなのか、営巣、子育てを終えた番が羽休めに来てるのか(だったら若鳥はどこへ行った?)…その行動を長く追跡したわけではないので、今は断定することはできない。このあたりでは身近(みぢか)な鳥なのに、残念ながらその生活史は謎のままということでお許しください。
次に向かうのは、エヤワディー川のデルタ地帯(Ayeyarwady Delta)だ。ここはミャンマー一の穀倉(こくそう)地帯で、低湿なデルタの地勢を活(い)かした水田が広がっている。
網の目のように巡る水路を利用した水上交通も盛んだが、90年代終盤からの開発ブームに乗って橋の建設も相次(あいつ)ぎ、最近では陸の道路網も充実し便利になっている。洪水にさえならなければの話だが。
ここにいるターゲットも、やはり保護区ではないどこにでもあるような田園地帯に住んでいるらしいのだが、見られる地域はなぜか数ヶ所に限られているという。
目星を付けているエリアは郡レベルまで絞り込めている。ヤンゴンから車を借り上げ、バードウォッチングガイドをやっているミャンマー人の友だちと一緒に生息地を目指した。
目的地の郡に入り、しょっちゅう道を聞かれていそうな道端の雑貨屋の兄さんに聞いてみた。「ここらでツルは見たかい」「はあ?」「ツルだよツル」「そんなの見たことない」。おかしい、既にそのエリアに入っているはずなのに。
それから10分ほど走っただろうか。「あ、いた」。あっさりとペアが見つかった。探していた世界最大のツル、オオヅルだ。道の両側には平行して深い水路が続いていて、その向こうには水田が広がっている。そこがツルたちの居場所だ。
稲はたなびくほどに伸びていて、どれが稲でどれが草だか、なかなか見分けがつかない。緑に覆われた地面はよく見えないが、やはりぬかるんでいるようだ。
稲はたなびくほどに伸びていて、どれが稲でどれが草だか、なかなか見分けがつかない。緑に覆われた地面はよく見えないが、やはりぬかるんでいるようだ。
Sarus Crane (Grus antigone), Ma-u-bin Dist., Aug. '15
さらに野中の一本道を走ると、近く遠くに点々と見つかった。せいぜい10キロ以内の道のりだ。2羽でいるのが最も多く、1羽だけもいれば3羽の場合もあった。2羽は番、3羽は親子で間違いないだろう。いれば見つかるこんなでかい鳥を、わずか数キロ離れた集落の人が知らなかったとは。
通りがかりの地元の人が声をかけてきた。「明日、朝早く来てみろ。あの木の下にたくさんいるから」。広い田んぼには、休憩(きゅうけい)をするのにうってつけの木が所々に立っている。樹冠(じゅかん)の張りの大きいアメリカネムノキもある。日本人には「この木なんの木♪」でおなじみのあの木だ。
田舎町の宿は蚊だらけで、早起きするには苦労はない、と言うか、ろくに眠れない。"プーン"、"プーン"で目覚ましいらず。そんな宿は早々に発ち、朝食も飛ばして田舎道をすっ飛ばした。
まだ薄暗いうちに現場に到着。木の下には何もいない。相手は生きもの動くもの。しかも飛べるものだ。気が変わったらどこへでも行くだろう。我々はさらに先に進んでみた。
いるにはいた。けど、昨日と同じような少数単位だ。完全に日が昇(のぼ)りきったころ、友だちのケータイに電話が入った。その日はたまたま外国の自然保護団体も来てたのだが、そこに同行しているミャンマー人仲間からだった。
彼の指示通り引き返してみると…いるわいるわ。目印(めじるし)の木の真下ではなかったけれど、そこから見渡せる田んぼのあちこちにオオヅルが散らばっている。最初に到着した時間が、いくらなんでも早すぎたようだ。現場に着いたなら少なくとも日の出までは待ちましょう。フクロウの観察じゃないんだから。
歩いたり立ち止まったり、長い首を俯(うつむ)けたり傾けたり。どうやら複数の家族がお互いの見える範囲で離合集散(りごうしゅうさん)を繰り返しながら餌を探しているようだ。カニや成熟前の稲穂(いなほ)をくわえているのが見えた。ディスプレイなのかケンカなのか、向い合って飛び跳ねたり、相手に向かって足を蹴り出すものもいた。
ツルは道を往来する人を恐れていないし、人もツルを気にかける様子はない。もう、このような間合(まあ)いができあがっているのなら、よそ者はおとなしくしていよう。腰まで濡(ぬ)らして水路を越えて草むらを潜(もぐ)り進んで至近(しきん)距離からパチリ、と、なまじ動物好きならやりたいところだが、ここは堂々と路上に体をさらけ出し、彼らの自然な振る舞いを観察してたほうがよさそうだ。
結局、この日この場所には30羽近いオオヅルが集まった。ツル以上に珍しがられていた西洋人グループが帰った後も私は残り、ツルたちが自分の意思でどこかへ飛び去るまで、たっぷりと同じ時間を過ごすことができた。
これらの2種の鳥の生息地に共通しているのは、どちらも人の生活圏でありながら、その範囲が狭く限られているという点である。言わば彼らは地域限定の身近な鳥なのだ。
似たような環境は他にもあちこちにある。けれどもなぜか、オオヅルはそのあたりに居(い)続けているし、フィリピンペリカンはほぼ同じ地域にやって来る。彼らがいる場所といない場所、その差はどこにあるのだろうか。もしかしたら、鳥たちに対する人間側の姿勢の違いなのかも。
現地で詳しく調べてみれば、人と自然の程(ほど)よい間(ま)の取り方みたいなものを住民から学ぶことができるかもしれない。そしてそれは、未来の人類対地球のあり方にも何らかのヒントを与えてくれるものと信じたい。
ペリカンを探しに浅くて広い貯水池の中に漕(こ)ぎ出した時のこと、突然襲ってきた猛烈な土砂降りに、ほんの1キロほど先の岸辺にさえもたどり着くことができなかった。小さな草の中洲に小舟を係留(けいりゅう)し、カメラはビニールにくるんで懐(ふところ)に隠し、背中に大粒の雨パンチを食らいながら、ただただじっと待つしかなかった。
道端に三脚を立て、陽光を浴びるツルの姿を撮っていた時のこと、突然、早く戻れと運転手が叫ぶ。はっとファインダーから目を外す。彼の指差す西の空は一面の墨汁(ぼくじゅう)色。分厚(ぶあつ)い雨のカーテンが車並みの速さで数百メートル先まで迫ってきている。三脚を畳(たた)みながらの百メートルダッシュ。間一髪(かんいっぱつ)ワゴン車に飛び込んだ。
なんと水に弱いことか、我々も我々の持ち物も…
なんと水に弱いことか、我々も我々の持ち物も…
そんな中でもこの鳥たちは、悠然(ゆうぜん)と佇(たたず)み、歩き、泳ぎ、雄々(おお)しく羽ばたき悠々と舞う。
重量オーバーの私のほうは、潔(いさぎよ)く諦(あきら)めて鉄の翼に乗っかり、二つの国の間をさすらう渡り鳥人生を続けるしかなさそうだ。
重量オーバーの私のほうは、潔(いさぎよ)く諦(あきら)めて鉄の翼に乗っかり、二つの国の間をさすらう渡り鳥人生を続けるしかなさそうだ。
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