Phayre’s Leaf Monkey (Presbytis phayrei)
in Mt. Popa, Mandalay Division
この件名、往年(おうねん)の名作映画と同じだが、それは邦題(ほうだい)のほうだけで、英語では大きく違っている。映画の原題は、“Planet of the Apes”で、厳密(げんみつ)に訳せば「類人猿の惑星」となる。
日本語では人間以外の霊長類(れいちょうるい)はすべて「猿」と一括(ひとくく)りに呼んでいるが、英語では、尻尾がなく人類にごく近いのをエイプ(Ape)、それより下等なのをモンキー(Monkey)と呼び分けている。
なので、映画に出てくるのは、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンだけで、ニホンザルやヒヒなどは出てこない。ピグミーチンパンジーことボノボはチンパンジーが代理を務(つと)めているとして、エイプでありながらエイプの惑星に入れてもらえなかったかわいそうな奴が、アジアに数種類いるテナガザルの仲間だ。
俳優が演じるオリジナル版では、人とかけ離れたプロポーションや顔は特殊メイクでも再現困難だろうし、実際エイプの中でも人から一番縁遠(えんどお)くて体も小さいのがテナガザルだ。
Hoolock Gibbon (Hylobates
hoolock), the most northern-inhabited Ape in Mt. Hponkan-Razi, Kachin State (Dec. ’02)
一方、さすが日本の円谷プロが作った「猿の軍団」にはエイプのテナガザルはもちろん、モンキーたちもぞろぞろ出てくる。その中では知的なビップ大臣はゴリラで、好戦的なゲバー署長はチンパンジーだった。
洋画ではチンパンジーが知的な存在でゴリラが凶暴だったが、現世(げんせい)のアフリカにいる本物たちでは、狩りも肉食も積極的にやるのがチンパンジーで、ベジタリアンのゴリラは穏(おだ)やかだ。日本の円谷作品のほうが設定はより科学的(!?)だったかも…
前置きが長くなってしまったが、今回の話題は類人猿ではなくて、いわば「尻尾付き猿の惑星」の住人についてだ。
去年から今年にかけては申年(さるどし)でもないのに、自分の中ではなぜかサルづいていた。今は生息地にも入れない希少なサルにまつわるテレビ番組のお世話をしたことで運が向いたか、それ以降(いこう)、これまで何度も生息地に入りながら満足のゆくショットに恵まれなかったサルたちとの距離が一気に縮まっていった。
サルとの距離感は、その土地の住民や訪問者との関わり方にも影響している。もし、手厚く守られていれば、学習能力の高いサルは、危険はないとみなしたものに対して必要以上に恐れることはなくなる。
加えてサルの多くは人間と同じ昼行性(ちゅうこうせい)なので、生息してさえいればネコ科やシカ科のような夜行性動物に比べると出くわす確率ははるかに高い。
各地の自然保護区を訪ねた際、生息するサルたちの人に対する反応を見れば、そこの保護政策の成熟度(せいじゅくど)を推(お)し量(はか)れると言ってもいい。
人との関わりが行き過ぎて不自然になってしまうケースもあり、特にニホンザルを含む雑食性のマカク属はそうなりやすい。まずは、半分人手に落ちたそんな様子からお伝えしましょう。
ミャンマー中部に広がる乾燥地帯に、ひときわそびえ立つポウパー(ポッパ)山という独立峰があるが、ここは希少なサルの生息地でもある。この山は、よく日本のテレビ番組でも紹介されるが、厳密(げんみつ)に言うと、そのほとんどが間違っている。
Taung Kalat Rock (volcanic plug) on the foot of
Mt. Popa (at the center of photo)
頂(いただき)に寺院が立ち並んだヌリカベのような岩山をポウパー山として映しているが、それはポウパーの山麓(さんろく)に隆起(りゅうき)した一つの溶岩峰(ようがんほう)に過ぎず、ポウパー山本体は、その背後にある標高1518メートルの大きな山塊(さんかい)のほうだ。事実、溶岩峰には「タウンカラッ」という別の呼び名がついてもいる。
「ポウパーのサル」と言えば、多くの人が連想するのは、このタウンカラッにたむろっているアカゲザルだろう。二つ前の書き込みにも関連するが、彼らの目当ては、参拝者(さんぱいしゃ)が施(ほどこ)してくれる食べ物だ。宗教心に守られていじめられることもなく、人の食べ物ならほとんどなんでもバクバク食べてしまう。
ポウパー山本体を覆(おお)う森林にもアカゲザルはいる、と言うか、元々そっちが本来の生息地で、もちろん純粋(じゅんすい)な野生の群れがいる。
この2月に山頂まで登ったところ、外輪山(がいりんざん)の一角で新たなパゴダが建設中だったが、そこの関係者が出す食料の匂(にお)いを嗅(か)ぎつけた一部のアカゲザルは、早くも建築現場に頻繁(ひんぱん)に現れるようになっていた。とにかく適応力の高い彼らは、隙(すき)あらば容易に人手に落ちるようだ。
Semi-wild Rhesus Monkey (Macaca
mulatta), (Upper: at Taung
Kalat Rock, Lower: at the ridge of Mt. Popa)
もう一ヶ所、ずーっと南に下ったカイン(カレン)州の州都、パアンでも半落ちのサルに会った。パアンの象徴(しょうちょう)である巨大な石灰岩の岩山、ゾエカピンの頂上にもミャンマーのご多分(たぶん)にもれずパゴダがある。まさに「すべての道はパゴダに通じる」だ。
Zwe-Kapin Rock in Hpa-an Township, Kayin State
そのパゴダの周りにも、アカゲほど積極的ではないものの、カニクイザルが参拝者の施し目当てに集まっていた。これまでこのサルを見たのは、その名が示す通り海岸近くばかりだったが、アカゲが分布していないエリアでは、同じマカク属の彼らがそのニッチェを埋めて山地にまで分布を広げるようだ。
Semi-wild Crab-eating Monkey (Macaca
fascicularis) at
Zwe-Kapin Rock
タウンカラッのアカゲもゾエカピンのカニクイも、私はもう純粋(じゅんすい)な野生とは思わず、写真を撮るのもぜんぜん本気モードにはなれない。向こうから近づいてくるのだから。
私にとってポウパーのサルと言えば、タウンカラッのアカゲではない。かつて活きた火山だったポウパーは、大きく深く窪(くぼ)んだ昔の噴火口を、残った外輪山がUの字に囲む形をしている。乾燥地帯のど真ん中にありながら山は緑に覆われ、特に元火口には常緑樹林がびっしりと茂っている。
Crater
of Mt. Popa
ターゲットは、その火口の森に住むファイールリーフモンキーだ。彼らは木の葉を主食とするサルのグループで、森があってこそ生存できるのだが、周りの平地はどんどん伐採(ばっさい)され開墾(かいこん)されてしまった。結果、この火口の森はほかのファイールの生息地とは完全に切り離されてしまい、現在は、取り残された4つの群れの間だけで世代交代をしている状況だ。
火口に唯一ある森林局の山小屋が、彼らを観察するためのベースキャンプとなる。そそり立つ外輪山の内壁(うちかべ)に囲まれていて、特に岩が多くて木が少なめの東側の斜面はキャンプ地からよく見渡せる。ここに寝泊まりし、見通しのいい斜面に群れが移動してくるのを待つというわけだ。
運よく来てくれたなら、キャンプにいながらにしてサルを遠望(えんぼう)することもできるが、バズーカ砲みたいな超望遠レンズを持たない私は、群れが長居(ながい)しそうな場所を読み、声を潜(ひそ)めて森を潜(くぐ)り、できるだけ彼らのたたずむ木々の直下(ちょっか)まで接近を試みる。
ただし、猿飛(さるとび)一族のお気に入りのスポットは、我々人類にとっても気持ちのいいところとは限らない。特にそのうちの一つは、全国の数ある動物観察スポットの中でも、できることなら避けたい最も嫌な場所だ。
Wild
monkeys sometimes come to this rocky slope.
それは巨岩が折り重なった急斜面で、取り付いてしばらくは蔓(つる)が岩に絡(から)み、岩の窪みに溜まった落ち葉は天然の落とし穴になっている。間違って踏み抜けば、一本丸ごと脚がはまってしまう。蔓の密林を抜けたなら、今度は掴(つか)みどころのない不安定な大岩と大岩の間を手と足の置き場を探しつつ、落ちないように伝っていかなければならない。
リアル障害物競争からリアル猿山へ、ガチのフリークライミングの連続で、まるでポップコーンの山を歩くアリのようなものだ。一瞬たりとも気が抜けず、雨で岩が濡(ぬ)れている間はアプローチ厳禁(げんきん)だ。
けど、サルの息遣(いきづか)いを肌で感じつつ、水筒並みのそこそこ望遠レンズでいいショットをものにするためには、行くかと問われれば行かないわけにはいかない。内心はものすごくビビっているのだが。
東のリアル猿山に来る群れは、キャンプ周辺にいる人間は攻撃してこないということを学習しているようで、大声を出したり急な動きをしない限り、結構距離を詰めることができる。
息を殺し茂みや岩の間から頭とレンズを出してシャッターを切る。気配(けはい)に気づいたサルがこっちを向いたら静かに頭を引っ込める。中には背伸びをして茂みの中まで見通そうとするものもいるが、そのうち注意が逸(そ)れたら再び頭を出す。このリアルかくれんぼを繰り返しながら撮るのだ。
Phayre’s Leaf Monkey (Presbytis phayrei)
in Mt. Popa
その彼らの顔というのが、以前渋谷あたりに多く生息していたヤマンバギャルにそっくり、と言うか、本物はこっち。すっぴんノーメイクの面(つら)の皮がこうなんだから、ヤマンバギャルの教祖(きょうそ)と崇(あが)められてもいい。
ヤマンバメイクを始めた子は、ファイールリーフモンキーか、日本の動物園にもいる近縁(きんえん)のダスキールトンを見てひらめいたのではないだろうかと私はみている。もし何の手本もなく、ただただ目立ちたいというだけであの配色に行き着いたのだとしたら、その子のセンス、本能は、大正解の大天才だ。
実際に自然の森の中でファイールを見ると、逆光であっても、体の線がにじむような薄暗がりであっても、目と口の周りの白だけは、闇に沈む直前まではっきりと目立って見える。当然都会のビルの森の中にいても目立つだろう。
White
small one is a newly-born baby.
おろおろ歩く地上の霊長類と身軽に跳(はね)ね回る樹上の霊長類。結構似てそうな両者の脳みその駆(か)け引きは、なんとも楽しくてうれしいひと時だ。ミャンマー一怖い猿山を望む山小屋は、ミャンマー一落ち着ける私のお気に入りの宿になっている。
乾燥地帯に取り残された葉食いザルは、ある意味、極限のサルとも言えるだろうが、今度は、内陸から遠く離れた海の近くに住む極限のサルを訪ねよう。それはマングローブの森で会ったカニクイザルたちだ。
That’s a true Crab-eating Monkey! Kyeintali Township, Rakhine State
そこもまた乾燥地と同じく水に乏しく…いや、水は山ほど…いや、海ほどある。ただし彼らを包囲(ほうい)しているのは、まさに海水や海水と真水の混じった汽水(きすい)で、とうてい人やサルがそのまま飲める代物(しろもの)ではない。いわば液体砂漠のような環境だ。
適応力がある雑食性の彼らなら、わざわざこんな生きにくい環境に住まなくても、真水も餌も豊富な内陸にいればよさそうなものだが、逆に考えれば、どこでも生きられるほどタフだからこそ、競争相手の少ない海岸を住みかに選べた、とも言えるだろう。
A Crab-eating
Monkey tries to bite and crush a piece of Nipa Palm nut
in Meinmahla Island, Ayeyarwady Division.
マングローブの地面は梅雨時(つゆどき)の田んぼが砂場に感じるぐらいぬかるんでて、ズブズブと足が沈んでいく。さらに、エヤワディーデルタにあるメインマラー島だと強大なイリエワニも潜(ひそ)んでいるため移動はほとんど船頼みとなる。そこで、カニクイと出くわすチャンスは、彼らが水際(みずぎわ)の林縁(りんえん)に出てきたときに限られる。
船の音を聞くと、彼らはいったん森の中に退散(たいさん)する。けれども、音を立てずに根気強く待てばチャンスはまだある。サルの消えた林冠(りんかん)あたりを見ていると、葉っぱの間から、すーっと頭だけが出てきて、すーっとまた引っ込む。群れの中での順位は分からないが、どうやら見張り役がいるようだ。
しばらくすると、ちょっと離れたところからまた、すーっと晒(さら)し首のように現れては引っ込む。私は広く漠然(ばくぜん)と見渡して、頭が出るたび、すばやくレンズを向けて撮る。ポウパーとは逆に、隠(かく)れているのはあっちで見られているのはこっち、リアルもぐら叩きだ。
Crab-eating Monkey, Meinmahla Is.
今年度は、こうした幸運に恵まれて、なんとか見るに耐える写真を公開することにしたのだが、これらは決して私一人の力で撮れたものではない。その土地その土地のサルの生態を知り尽(つ)くした村人や森林官、いわばローカルモンキーエキスパートがいてこその成果である。
「オレたちは決してサルをいじめないし撃たない。だから奴らはオレたちを恐れないんだ」あるサルの生息地でエキスパートは誇(ほこ)らしげに語った。「あんたたちとサルは友だちなんだね」私も惜(お)しみなく彼を讃(たた)えた。「そうだ、友だちなんだ」。
その時、“ワンワン!ワワン!”向こうのほうから吠(ほ)え声が響いてきた。彼らの犬だ。「リスだ。たぶんデカいぞ」サルエキスパートはパチンコを携(たずさ)えて森の奥へと消えていった…
Crab-eating
Monkey, Meinmahla Is.
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