2011年5月26日木曜日

もうチキンとは呼ばせない!

訓練中の子ゾウのサプリメント(もみ米)に群がるニワトリ軍団。鼻が届かないのをいいことに

アメリカ映画でもよく出てくるが、英語圏(えいごけん)では臆病者(おくびょうもの)のことを「チキン(chicken)」と呼ぶそうだ。

チキンとは、もちろん「ニワトリ」「鶏肉(とりにく)」のことだが、確かに、親鳥がヒヨコを引き連れた一団は、いつもオドオド、ソワソワしているようなイメージがある。

けれども、決して臆病者のことを「Cock」とか「Rooster」とか、つまり「雄鶏(おんどり)」とは呼ばない。

卵を生産する養鶏場にいるのは、当然雌鳥(めんどり)だし、ブロイラーにするのも、たとえ雄鶏だとしても若鶏のうちに絞(し)められる。

なので、よくよく考えてみると、雄鶏の雄々(おお)しい姿をじっくり観察できる場所は、身近なところでは小学校の校庭の片隅(かたすみ)の鳥小屋ぐらいかもしれない。


一目見て雄と雌が区別できる動物は、哺乳類ではライオン、シカ類、マントヒヒなど群れを作るものが多い。それに対し、鳥類は、身近なものだとスズメ、ツバメ、カラス、ハトなど、必ずしも群れを成すものが性の区別がつきやすいということはない。

けれども鳥には、雌は地味なのに雄は極端(きょくたん)に派手(はで)なものが、けっこういる。どう見ても敵から身を隠(かく)すには不利(ふり)だが、そのリスクを負ってでも目立ちたい動機(どうき)とは…

ズバリ、雌にモテたいのだ。クジャクなどは、誰もが知ってるその筆頭(ひっとう)だろう。あまりにもメジャー過ぎて、ありがたみがないが、初めて地球に来た宇宙人が、いきなり全ての鳥を見たら、地球上で一番美しい鳥として挙(あ)げるのは、もしかしたらクジャクの雄かもしれない。

特にインドクジャクの青い胸は鮮やかで、マクジャクの胸の緑の鱗模様(うろこもよう)にしても、けっこう渋(しぶ)い。

クジャクにありがたみがないのは、簡単に増殖(ぞうしょく)してしまうからかもしれない。クジャクの属するキジ科には、雄は美しく雌は多産(たさん)するというものが多く、その代表格がニワトリであろう。

東南アジアには、ニワトリのルーツと言われる野鳥、セキショクヤケイ(赤色野鶏)がいる。雄は黄金に輝く羽毛をまとっており、緑の深い森で見かけると、やはり、ハッとするほど美しい。

ヤケイの生息地であるミャンマーのニワトリも、さすがに鮮やかで、一見してヤケイと区別するのは難しいし、ヤケイそのものがニワトリに混じって飼われていることもある。レグホンなどの輸入品種をチラホラ見かけるようになったのは、ほんの90年代の後半ぐらいからではないだろうか。

今でも田舎では、ヤケイの血の濃いそうな土着のニワトリを、ほぼ放し飼いにしており、夕暮れ時など、自分の身を守るため、力強く羽ばたいて屋根の上や木の枝に飛び上がる。血筋(ちすじ)も生き方も、いわゆる、ほぼ地鶏(じどり)なのだ。

船を借り上げて北部の川を下っているときなど、鶏肉を買うならマンダレーに着く前に買いなさい、などと言われる。都会に出回っているブロイラーよりも田舎のニワトリのほうが、うまいから、というわけだ。

ただし、引き締(し)まった筋肉を支える骨は当然太く、見た目よりも肉の割合は少ないかもしれない。油にくぐらせたら、まるで“ガラ揚げ”だ。


さて、ずいぶん遠回りしてしまいましたが、やっと本題です。

雄鶏は見た目も派手だが、その立居振舞(たちいふるまい)、どう見ても臆病者とは思えない。彼らは、ニワトリのみならず、人間や犬や猫やゾウまでも含めて、どうやら自分がその世界の主(ぬし)であると思い込んでいるように見えるのである。

たとえ犬に襲われたとしても、鋭(するど)い牙の下で絶命(ぜつめい)する瞬間まで、自分は世界最強だと自惚(うぬぼ)れなが、幸せな一生を終えそうな気がする。

日頃ものすごくお世話になっているニワトリである。機会がありましたら、雄、雌、ヒヨコの個性的な振る舞いの違いを、じっくりと見てやってください。

ところで、雄鶏の「コケコッコ―」は、繁殖(はんしょく)限定の囀(さえず)りではないけど、超定番の鳴き声である。

トラは咆哮(ほうこう)、オオカミは遠吠(とおぼ)え、馬は嘶(いなな)き…雄鶏の鳴き声を表す単語、ないものだろうか。どなたかご存知でしたら、お教えください。

マングローブの入り江を背に時を告げる島の雄鶏

2011年5月19日木曜日

映像の何十倍

宮城県の女川町に行ってきました。

これまで、瀬戸内海、宇和海、沖縄、インド洋に大西洋と、各地の海を見てきた私の人生の中でも、半島沿いから望む女川の入り江の風景は、間違いなく一、二を競う美しさでした。風光明媚という言葉がぴったりの、まさに日本の海、といった眺めです。

新緑が萌える山際ではウグイスやホオジロが囀りキジが鳴き、海辺ではウミネコが舞っている。けれども、一たび人々が暮らしていた町場に目を向けると…

人にメッセージを伝える手段として曲がりなりにも写真を使ってきた私は、映像と現実の間にどれほどのギャップがあるのか、十分に推し量れる人間のつもりでいました。

けれども、“壊滅的”と形容される、その瓦礫の山に点々と廃屋が孤立している光景は、これまでに画面から受けていた衝撃よりも何十倍、何百倍と言ってもいい衝撃でした。あの日から二ヶ月を経た今なお、そうなのです。

列車は丘の中腹に打ちつけられたままで、港に面する四、五階建てのビルは、てっぺんまで窓はことごとくぶち抜かれ、屋内のものは、ねじ曲がり砕け散り、めちゃめちゃになって叩き飛ばされている。

はるかに見上げるその高さまで完全に激流に呑み込まれてしまったその時の町の惨状を、嫌でも私の頭が描こうとする…

あの日の夕刻のラジオでは、学者さんが「三階に逃げれば大丈夫ですよ」と、呑気にも聞こえる口調でアドバイスしていた。パニックにさせまいとの気遣いだったのだろうが。

まさにその頃、現場では本当にとんでもないことが起こっていたのでした。亡くなられた方も生き残った方も、現実の地獄の中におられたのです。

復興は、今始まったばかり。命令形でもなければ過去形でもなく、現在進行形の「蘇る被災地」だと感じました。

現段階で「がんばれ」は、被災していない私などが自分自身の内に向かって言うべき言葉であると思います。

そして、被災された方々には、「どうか穏やかな日常でありますように」。

もしかしたら現地の先生方は、子どもたちの被災と復興の経験を学習活動に結び付けようと考えておられるかもしれません。けれども、今ではないような気がします。くれぐれも焦られることなく、長い目で子ども社会の再建に取組んでいただければと願います。

私自身は、ごくごく短い時間でしたが、この度の訪問のお陰で、心痛と現実のギャップを少しずつ埋めさせていただいたような気がします。

奇しくも、前回と前々回の書き込みにも関連しますが、ミャンマーの森人(もりびと)たちと森や岩場や渓流を越えて身に染み付いてきた感覚は、瓦礫の上でも活かせました。

丹野さん、西條さん、野々浜地区のみなさんとアリサちゃん、大変な中なのに、おいしいお菓子や飲み物をありがとうございました。

2011年5月12日木曜日

上り下りの…、その2.

このゾウの山登り能力は、ゾウ使いがしこんで身に付けさせたものではない。元々山岳の森林地帯に住むミャンマーのゾウは、野生状態でも、ふつうに急斜面を移動しているのである。


ただし、ゾウもゾウ使いも、“何かを極めたい”とか“エクササイズのために”とかではなく、飽(あ)くまで生きる上で都合がいいと判断した場合に、そこを登る。あえて岩の出っ張りに指を引っ掛けてオーバーハングした崖(がけ)を登るようなフリークライマーとは目的が違うので、両者を比較することはナンセンスだろう。

前回から一連の写真の場面でも、左に見えている丸太をさらに下のほうに下ろすのが目的なのだが、嫌(いや)がるゾウを無理矢理に…ではなく、ゾウ使いが、この勾配(こうばい)なら右に遠回りするまでもないと判断し、より効率がいい直登(ちょくとう)をゾウに命じ、ゾウもゾウで「あいよ」とばかりに、何のためらいもなくグイグイ登っていったのである。

まして、現場での私のポリシーとして、「○○をやって見せて」などと注文を付けることもない。とにかく彼らの仕事は、高所恐怖症(こうしょきょうふしょう)では務(つと)まらないのは間違いない。


上りの達人たちは下りの達人でもある。登ってはみたものの降りられなくなった、みたいな事態(じたい)は、彼らに限っては見たことがない。

ちなみに、ミャンマーの森で仕事をする者の間では、もしゾウに襲われたなら、上に逃げろと言われている。上りは人のほうが速いが、下りだとゾウのが速くて追いつかれてしまうと言うのである。

上りは、超重量級の体を高いところに持ち上げる運動である。さすがに一歩一歩踏みしめるような足取りにならざるを得ないが、それに対して下りは、重力に任(まか)せて自分の体重を低いところに降ろせばいいのだから、上りに比べれば、はるかに楽なのは間違いない。

まるで初代ウルトラマンが空を飛ぶかのように両前脚をぐっと前に突き出し、後脚の膝(ひざ)は畳(たた)んで下半身の重心をなるべく落とし、わりと苦もなく降りてゆく。柔らかい土の斜面なら、後の膝を着いた姿勢のまま、ソリのように滑(すべ)り降りてゆく楽しげな子ゾウさえ見たことがある。

8歳の雄ゾウ。丸太引きは見習い段階 


そんなゾウやゾウ使いのジャングル仕様の感覚には、私もすんなり溶け込めた。

元々、自分の体力を衰(おとろ)えさせるものや運動神経を鈍(にぶ)らせるもの、そして天然資源を浪費(ろうひ)するものなどは、自然に避(さ)けているところがある。決してストイックではないのだが、昨今のエコや節電志向以前に昔から自分の行動を左右する判断基準が、そんなだった。

出国前に上京している間などは、もうすぐ始まる撮影行のウォーミングアップにちょうどいいとばかりに、駅の階段など喜んで昇(のぼ)り降りするし、自家用車ならマニュアルギヤでなければ気持ち悪くて怖い。

今度の梅雨のころ、東京駅の階段を嬉々(きき)として昇っている原人顔の男がいたら、それは私かもしれません。

究極(きゅうきょく)の近道、崖駆け下り。さすがに私は遠回りさせていただきます

2011年5月5日木曜日

上り下りの…、その1.


東日本大震災の後、通信状態が落ち着いてきたのを見計(みはか)らって首都圏の友人らに連絡を取ってみた。

そこで、3月11日の夜は、みんな職場に泊まったり二時間かけて徒歩で帰宅したりと、首都圏でも大変な状況だったということを改めて知らされた。そんな中でも、あるミャンマー人の友人は、12時間歩いて家族のいる自宅まで帰っていた。

前々から思っていたことだが、ミャンマー人と日本人の距離に対する感覚は、ちょうど車と徒歩ぐらいの差があるように私は感じている。

例えば、10キロ離れた場所なら、日本人の一般的な感覚だと「車で行くなら近いよ、20分ぐらいだよ」ぐらいで、そのへんが近いか遠いかの境界ではないだろうか。一方、ミャンマーの人なら「近いよ、歩いて二時間ぐらいだよ」と言えるのが、ちょうど10キロ(6~7マイル)あたりまでではなかろうかという気がするのである。

非常事態(ひじょうじたい)ともなれば、家族のために12時間歩くこともいとわない足を持ち合わせているタフな人たちではあるが、今一つ足元がおぼつかない弱みも持っているように思える。

ミャンマーの人口の大半が住んでいるのは、大河に沿って開けた平野部なので、日常的には坂道の経験がほとんどないはずなのだ。せいぜい、小高い丘の上にあるパゴダ(仏塔・寺院、ぶっとう・じいん)をお参(まい)りするために上り下りするぐらいが関(せき)の山だろう。

あっ、余談(よだん)だが、エスカレーターをスイスイ乗り降りできる人も、まだまだ限られている。たまにヤンゴンで稼動(かどう)しているエスカレーターの前で身構えている一家の微笑(ほほえ)ましい光景を見かけたりもする。まるで、“おーしょーうさん、おはいんなさい”と長縄跳(ながなわと)びに飛び込もうかというぐらいの勢(いきお)いだ。

ミャンマーに旅行や仕事で訪れると、どうしても拓(ひら)けた町や観光地を中心に動くだろうから、出会った平野の人たちがミャンマー人の標準として印象付けられる可能性は、自(おの)ずと高くなるだろう。

けれども、その平野を取り囲むように畳(たたな)わる広大な山地帯に一歩足を踏み入れると、そこには、町のミャンマー人もよく知らない文化と能力を持った人たちが、たくさん住んでいる。

冒頭(ぼうとう)の写真は、そんな森人(もりびと)の代表格、ゾウ使いが、「ヘビがいたー」と、突然、道のない斜面(しゃめん)を駆(か)け登っていったときの様子である。

残念ながら、このときは、いち早く地中に潜(もぐ)られ、十分以上の穴掘りも空(むな)しく、仕留(しと)めることはできなかった。ヘビにとっては九死に一生だった。

獲物を見つけたときや、尾根の向こう側で猟犬が吠(ほ)えたりしたときなどの彼らの俊敏(しゅんびん)さには圧倒(あっとう)される。校庭のトラックでも走るかのように、まるで重力を感じさせない凄(すさ)まじい勢いで急斜面を登って消えていくのである。

そんなゾウ使いと共に森林地帯を縦横無尽(じゅうおうむじん)に動き回っている使役(しえき)ゾウも、やはり山歩きの達人、いや、達象である。


これらの写真は、疑(うたぐ)り深い方のために、水準器を利(き)かせて水平垂直を確認しながら撮ったものです。(続く)