2010年12月15日水曜日

サイクロン襲撃後のエヤワディーデルタにおける大型爬虫類の状況‐前編

国連食料農業機関(FAO)専門誌「TIGERPAPER」寄稿
Vol.36:No.1 -Situation of large reptiles in Ayeyarwady delta after the cyclone hit- (2009年)原文、写真追加

一番初めにナルギスが直撃したタミーラ島

サイクロン・ナルギス

'08年5月上旬、強大なサイクロン、ナルギスがミャンマー南部を襲った。特にエヤワディー(イラワジ)川のデルタ地帯は、甚大(じんだい)な被害を受けた。ミャンマー最大の都市ヤンゴンも被災したが、ヤンゴン市民は、襲撃の数日後には被災者を救済(きゅうさい)すべく行動を起こした。多くの救援物資が寄付され、有志の団体が広く遠く被災者に物資を届けた。

ある外国の報道は、被災地には雨季が迫っており、非常に不運で悲惨(ひさん)なことになるであろうと報告した。けれども、これはミャンマーの世論とは正反対のコメントであった。地方では、飲食に水浴びに洗い物に、川や池や井戸や雨からの自然水を使うことが普通で、中でも雨水は十分清潔(せいけつ)である。

その上、激しい雨は、遺体や家畜の死骸(しがい)で汚染された水を流してくれる。雨が陸と川を浄化(じょうか)すると共に被災者は清潔な水を使えるため、雨季直前だったナルギス襲撃の時期は、むしろ不幸中の幸いだったと、ほとんどのミャンマー国民はみなしている。

私が'08年7月にミャンマーを訪れたときには、被災地への訪問許可を取るのは非常に難しい状況だった。けれども、政府組織や多くのNGOや様々な市民団体は、精力的に被災者支援に努めており、私のような外国人訪問者でも、ヤンゴンでの支援活動の手伝いには歓迎してもらえた。

あらためてエヤワディーデルタを訪れることができたのは、被災から8ヶ月後の'09年1月のことだった。そこは、私の想像を超えて活気に満ちていた。主要道路はほぼ補修され、バスや客船は運行を再開していた。 市場や店は食品や日用品にあふれ、田んぼのあちこちには大きな藁(わら)の山が盛られ、精米所は稼動(かどう)し、多くの漁船が力強く操業(そうぎょう)していた。

暴風と高波で根こそぎ倒れた大木(タミーラ島)

けれども、あの災害は決して幻(まぼろし)ではない。人々は間違いなく被災した生存者である。多く人々が家族や家や財産を失った。けれども彼らは、生業(なりわい)を止めることなく新しい生活を始めている。なんと頑強(がんきょう)なことだろう。私は彼らの姿勢に感銘(かんめい)を受けた。

それでも、特に遠い辺境の地域では、いまだに多くの被災者が精神的物質的に苦しんでいるとも聞いた。復興(ふっこう)支援活動はまだ止めるべきではない。そして、次のサイクロンシーズンへの備えが急務(きゅうむ)である。

イリエワニ

なわばり争いで上あご先が欠けている目測4.5m以上のイリエワニ(Crocodylus porosus

エヤワディーデルタに、マングローブ生態系を保護するための特別な場所がある。メインマラー・チュン自然保護区 (136.70 k㎡、エヤワディー管区ボーガレー郡)である。「チュン」は、ビルマ語で「島」の意味である。

この平坦な島は、エヤワディーデルタの中の広大な中洲の一つで、マングローブに覆(おお)われている。森林局は、食物連鎖の頂点に立ち、生態系のシンボルでもあるイリエワニの保護に特に力を入れている。

多くの木は、サイクロンによって倒れ、傾き、損傷(そんしょう)した。地域保護官は、島の樹木の70%の林冠(りんかん)が失われたと推測している。さらに、島は河口近くに位置することから、上流からの多くの残骸(ざんがい)、廃材が流れ着き堆積(たいせき)した。

森林局は、それらを取り除き、島内の水路を開通することから始めた。そして、枯死したり損傷した木々は、できるだけ取り除かず、植林もしなかった。私は、この考えと行動に賛同(さんどう)する。実際、現在は多くの木が生き残っており、新しい芽を出している。天然更新(てんねんこうしん)は順調のようである。

マングローブの汽水域にすむカエル
 
ワニの状況に関しては、私は、さほどサイクロンによる被害を受けていないと推測する。6日間に、水路沿いで目測2~5メートルの大型ワニを5頭観察し、夜間は、水路の汀(みぎわ)沿いの木の下で横たわったり浮かんだりしている多くの未成熟(みせいじゅく)ワニを観察した。その多くが50センチ以下の子ワニで、明らかにサイクロン襲撃以降に誕生したものだった。
 
ウミガメ

アオウミガメ(Chelonia mydas
 
もう一つ特筆(とくひつ)すべき保護地域がある。タミーラ・チュン自然保護区 (0.88 k㎡、エヤワディー管区ンガプードー郡)である。この島は、エヤワディーデルタの西端から約10キロ沖合にある孤島(ことう)で、地域保護官によると、周囲は約4.8キロで、標高34メートルまでの低い台地状である。
 
島は、主に二種のウミガメの繁殖地である。アオウミガメは年中、ヒメウミガメは10月から2月にかけて産卵するために浜に上陸する。従って、それらは、ふつうは雌の成熟個体である。

島は、'04年12月にスマトラ沖地震による津波に、'08年5月にサイクロン・ナルギスによる高波と暴風雨に見舞われた。地域保護官は、これらの災害の前と比べて、砂は厚さ90センチ相当が流され、汀から陸地までの浜の幅は、40%にまで減少した(60%消失)と推測している。岩盤(がんばん)も広くむき出しになり、必然的にカメの産卵場所は狭まった。

筆頭(ひっとう)地域保護官は、以前は毎晩のように数頭の母ガメが上陸していたと言うが、6夜の滞在中には、ピーク時であるにもかかわらず、4頭のアオウミガメと1頭のヒメウミガメが上陸しただけで、そのうち2頭は、産卵をせずに海に戻った。その1頭の場合は、大きな木の根がつっかえて産座(さんざ)の穴が掘れず、もう1頭の場合は、掘った場所が粒が大きい砂利(じゃり)であったため穴を形作れなかった。

石の多い浜に上陸し、産卵をあきらめ海に戻るヒメウミガメ(Lepidochelys olivacea

ある専門家は砂をとらえて流失させないように浜に柱を打ち込んで立てることが有効だと考えているが、私は賛同しかねる。この島が自然保護区である限り、できるだけ自然のままにして、人工物は極力避けるべきだと私は望んでいる。(続く)


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