'07年9月下旬、ミャンマーでは悲しい出来事があった。
同年11月中旬、小雨の残るヤンゴンに入った。モンスーンの雨雲は、とうに消え失せているはずなのに、はるか西方のベンガル湾を北上したサイクロンの余波が及んでいるのだという。
市街地は、一見何事もなかったかのように平穏と活気を取り戻していた。けれども、十数年来の友人たちに次々に会って話を聞くごとに、事情の複雑さを改めて思い知らされることとなった。
日本では、自国民が犠牲になったこともあり、論点が‘ジャーナリズムへの弾圧’に偏ってしまっているかのようで、国家の問題点や国民感情は、あまり伝わっていないかもしれない。とりわけ、命を落とされた僧侶への悲しみの深さは、えせ仏教徒の私などには、とうてい計り知ることのできないものであろう。
事実を正確に伝えることよりも、記者の主観を主張することのほうに価値があるかのような昨今の報道スタイルは、長く現地に関わってきた者には、残念ながら首を傾げずにはいられないことが度々ある。
今、私も多くのミャンマーの人たちも心配していることの一つは、世界の人々は、ミャンマーの人はみんな野蛮で暴力的だと思ってはいないだろうか、そして、どの国からも見捨てられるのではないだろうか、ということである。
私は、'90年を皮切りに、通算すると8年以上この国の中で過しているが、庶民の方々から敵意を感じたことは一度もない。よくお世話になっている田舎の人たちはみんな、今の日本人にはおぼつかなくなってしまった刃物のTPOを、ちゃんとわきまえた森の紳士ばかりである。
どんな大ゲンカになっても、日本のニュースで聞くような切った張ったの刃傷沙汰(にんじょうざた)に及ぶことは、めったになく、大都市ヤンゴンですら、夜遅くまで女性が一人で歩ける町なのである。
'88年には、デモが暴動へと悪化し、町には暴徒がはびこり、山野では、密猟、盗伐が横行し、国中が無法地帯と化した。人々は、その時の苦い思いを忘れてはおらず、今回は決して暴動は起こさなかった。庶民はただただデモを行なったのである。
友人たちの今を訪ねて、さらに奥地への旅を続けよう。
ヤンゴンの市街地を走る日本製の中古バス
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