雨季のエヤワディー川中流域
'07年8月下旬、久しぶりに船旅をした。第二の都市マンダレーを出航した木造船カモメ丸は、日頃の目的地である観光地を横目に見て、エヤワディー川を北上した。かつてイラワジと呼ばれていた大河だ。中流のこのあたりは河口に次いで広く、雨季の増水した川面の幅は5キロぐらいあり、滞水した河原は霞む山の麓に向かって、さらに続いている。
小船を操る少年僧侶たち。移動をするのは川の上
ここまで来た目的は、ある噂(うわさ)が本当かどうかを確認することだ。このあたりの投網漁には、水面下で動く影の協力者が存在するというのである。まずは、村で屈指のベテラン漁師、セインさんに我が母船にお越しいただき、風通しのいい六畳ほどの甲板で実情を聞くことにした。
遊びをするのも川の上
ガイドの語学力も借りて質問とメモを繰り返し、私の目は真正面のセインさんの顔と真下の野帳を何度も往復していた。とつとつと語る彼の背後、視界の端の朱鷺(とき)色に輝く夕映えの川面に、タイヤチューブのようなものが一瞬浮き上がって沈んだような気がした。「あそこ!」。船上のみんなが振り返り、私の指差す彼方を十個の目が追った。
数十秒後、その黒いテカテカは再び浮上した。「そうだ」。セインさんは微笑んだ。あれが相棒の正体だ。ここは海から九百キロさかのぼった内陸。けれども、現れたのは紛れもなくイルカ。口先の丸いカワゴンドウ(Orcaella brevirostris)、別名イラワジイルカだ。ここでは野生のイルカと漁師が、水位の下がる乾季には協力して漁をするというのである。
ともに魚を糧とするイルカと漁師が、決していがみ合うことなく共存できるのは、それだけ十分な数の魚が次々に生まれているからこそであり、その繁殖力を支えているものは、節度をわきまえた伝統漁法と栄養豊富な水であることは疑いない。そして、その水を絶え間なく生み出して河川にもたらしているのが、豊かな森である。
これまでもそうだが、誰もが中央の政治経済にばかり注目している間に、自然は荒廃し、そこに住む者たちは忘れ去られる。幾度となくお世話になっているゾウ使いや森林官や村人、そして国土を彩る鳥や獣。今こそ、心優しき仲間たちと麗しき山河の行方を見守ってゆきたい。(注1.)
イルカと協力する漁が実在することは、今回の滞在で十分に確信が持てた。あとは、その現場をこの目で見るだけだ。乾季の間の再訪を誓い、悠久の流れをあとにした。
(注1.)この旅を終え、この原稿が記事になるまでの間に、ミャンマーでは悲惨な出来事がありました。そのことに関連した原稿は、後日掲載します。
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