2010年6月19日土曜日

2002年 北部の旅‐その4.('03年春記す、未発表)

渓谷を離れてからは、狭くて長い尾根に沿って、ひたすら標高を上げてゆく。野営地も尾根上で、日本の常識では考えられない方法でキャンプをする。細尾根の上に水はない。そこで水汲み係は、太い竹筒やポリタンクを背負って清水の染み出している所まで急な斜面を下っていくのである。

尾根の上で迎えた夜明け

頂上から二番目に標高の高い野営地では、数名のポーターが三十分以上かけて斜面を下っていったが、遂に誰も水源に辿り着くことはできなかった。もし、熟練のポーターだったら谷底の渓流までも道なき斜面を下っていったかもしれない。そう思うと悔しさが募ったが、誰も帰ってこないよりはマシだ。とにかく孤立無援の辺境では能力の限界を超える無茶は禁物である。幸か不幸か、その日は猛烈な雨に見舞われ、天幕にしているビニールシートから流れ落ちる雨水を受けて使うことができた。

我々の野営は、太い木の枝や竹で組んだ骨組みにビニールシートを被せ、その下で焚き火をして暖を取るスタイルである。寝床付近の温度は、ちょうど0度だったが、横からは吹きさらし状態なので体感ではすこぶる寒く、マイナス6度対応の寝袋の中、厚いトレーナーを重ねてもなおブルブル震えた。そして、むき出しの顔面は冷気をもろに受け、鼻の外も内もボコボコの凍傷になり、その後、数週間は分厚く盛り上がった‘かさぶた’に悩まされた。

豪雨の翌朝。目覚めるとビニールシートを叩く音はなく、木々の間からは薄日が差していた。私は用足しがてら見晴らしのいい尾根の縁に行ってみた。すると、前日は雲で隠れていた対岸斜面の上のほうには、どっさりと雪を頂いた峻険が、うねる雲間からニョキリと顔を出していた。途中の準平原から遠望していたときには、頂上付近の窪地に沿ってわずかに残雪があっただけの山塊だ。昨日の雨は高い所では雪になっていたのである。

対岸の急斜面を谷底から雪の岩峰まで一望に見通すと、低い所は鬱蒼とした高木の常緑林に覆われ、吹きさらしの尾根に近づくにつれ、やや寸詰まり気味の曲がった幹と枝にびっしりとコケが絡まり垂れ下がっている雲霧林になっている。さらに高い峰にかけては、日本のモミ・ツガ林に似た針葉樹林へと遷移しており、冠雪のラインは、その途中まで降りてきている。

キバラオウギヒタキ(Rhipidura hypoxantha

朝日が昇ると、我々のいる尾根の両側の深い谷を挟んで、あちらの斜面こちらの斜面、四方八方からフーロックテナガザルの歌が聴こえてきた。唯一熱帯から飛び出した最北の類人猿だ。「ウーワッ、ウーワッ、ウワッワッワッワッワッ...」と連続して発する大声は、家族単位で合唱しているようで、近くの家族の歌が終わっても、どこかしらの家族が合唱しており、午前中は山全体から彼らの歌が途絶えることはなかった。数キロは隔たった対岸からの歌を聴いていると、突然、目と鼻の先で“バサッ”と大量の葉っぱの擦れ音が響いてくることもあった。枝をしならせながら彼らが木から木へ飛び移るときに出る音だが、びっしりと葉を茂らせた樹冠の合間からその姿を見つけることは容易ではない。

声の位置から察すると、彼らは冠雪ラインのすぐ下の雲霧林までも生息域を広げている。焚き火の傍ら、寝袋の中でブルブル震えている私などに比べ、吹きっさらしの尾根の林冠に裸で生きる彼らの、なんとたくましいことか。まさに極限の類人猿である。

澄み切った冷気の中、尾根の縁に立ち、対岸のテナガザルの歌を聴きながら、目を斜め上に上げてみれば、雪を頂く峻険が雲間にそびえており、ふと、地の底から響いてくるような激流のうねり音につられてV字に落ちた深い谷底を見下ろしてみれば、熱帯多雨林を象徴する鳥、巨大なサイチョウが数十羽の群れを成して渓流に沿って飛んでいる。ここは南国なのか北国なのか。(続く)

フーロックテナガザル(シロマユテナガザル、Hylobates hoolock

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