体一つだけならまだいいが、生き抜くために必要な物資も、目的地まで持ち運ばなければならない。
昭和の半ばまではカニのような横広のキスリング、やがて、コッペパンのような縦長のアタックザックへと変遷していったが、いわゆるリュックサックが、両手をフリーにして歩ける唯一の運搬ギア…
と思っていたのだが、ミャンマーの山野では、リュックサックは極小数派だった。そこでは物を詰め込む定番は籠類で、ほとんどの森人は、用途に合ったものを竹や籐(とう)を使って自分で編んで作っている。
竹筒で炊いた餅米を売り歩く女性 The lady is hawking boiled sticky rice in bamboo tubes. |
それは、日本ではもはや時代劇などでしかお目にかかれなくなってしまった天秤棒だ。
棒の両端に売り物をぶら下げて歩く行商人の姿は、ミャンマーの町場ではおなじみだが、日頃から培ってきたそのバランス感覚は、急峻な山道でも決してブレるものではなかった。
ならば、どれがどこまで行けるのか…これまでの経験からすると、町場から、バス→トラック(所によりジープ)→トラクター→牛車ぐらいのランキングで奥地に近づける。
牛車は車輪の直径が大きいので、かなりの段差でも底を擦らず、二輪なので急旋回もできる。逆に、アスファルトの公道は走行禁止だ。
タイヤにチェーンを巻いたバイクで泥道を突っ切る A motorcycle with a tire chain crosses muddy paths. |
また、既に流れを熟知している川なら道の代わりとして使え、滝にぶち当たるまでは小舟や筏(いかだ)で移動することもある。
お世話になったゾウとゾウ使いにも、もちろん謝礼はお渡しするが、それは決して燃料代ではない。アジアゾウ本来の生息地である森を行く限りは、彼らは勝手に道草を食ってるので、餌のことなど気にしなくていい。砂漠の舟がラクダなら、使役ゾウは、公害知らずの森の舟なのだ。
ここまでの信頼関係を築くには、途方もない努力と忍耐と歳月を要する。
https://www.sairyusha.co.jp/book/b10014359.html
https://www.ehime-np.co.jp/article/news200511010001
やがて、北のほうで長大な道路工事が始まり、その先端は、保護区の境界線近くを進んでいるとのことだった。国際的なプロジェクトであるアジアハイウェーの一環だと言う。そこで、これは北側にアプローチする足がかりになると、ドアのないジープで送ってもらうことにした。
ハイウェーとは名ばかりのセンターラインもない土の道を進み、大きな川のほとりに辿り着いた。そこには、ハイウェーらしからぬ幅員一車両分の木製の橋が架かっていたが、その川の上流に向かって8キロ南進すると、保護区の北部境界線の外側に位置する最寄りの村があるとのことだった。
この橋の袂(たもと)で車を降り、あとは牛車に荷物を移し、その日のうちに村に着く、という計画だった。けれども、周りに集落はなく牛の気配もない。道路工事の管理詰所で尋ねたところ、牛車の往来はあるにはあるが、もう夕方なので、すべて村に帰っているとのことだった。
今夜は詰所に泊まって明日の牛車を待てと勧められたが、村でも森でもない中途半端な所で一晩潰すのはもったいない、何とかならんのかいとゴネた。
どうしたものかとしばし思案していたが、ふと気がつくと、車から降ろしたはずのアルミのケースが見当たらない。ケースがない、どこ行った!
アタフタしていると、あそこだよと。
指された彼方を見やると…え、えーーー!
ロンジー(腰巻き)を履いた細身のおばさんが、巨大な箱を頭に乗せて、川沿いの踏み跡をスタスタ歩いているではないか。確かに私のアルミケースだ。20キロは下らない。たまたま目的地の村に帰る婦人がいたのでお願いしたとのことである。ならワシもと、リュックとウェストバッグの他に肩にかけられるだけの荷物をかけて、おばさんの後を追って出発した。
頭のてっぺんを使うこの運搬術は、なぜか女性の専売特許で、男は誰もやらない、できないと言うべきか。おでこで支える背負い籠や天秤棒は男女の区別なく使われているので、単なる習慣の違いとは思えない。重心の位置の違いか、体の軸の使い方に差があるのか、とにかく、これができる女性は、みなさん腰がしゃんと伸びている。
昨今は、ジェンダーレスとか何とか言うけれど、真似のできないものは真似できない。改めて女性の体の偉大さに、ムダにでかいだけの我が頭(こうべ)を垂れるしかない出来事だった。
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