2022年9月17日土曜日

真・ジャングルキャンピング、その2. 運ぶ ―The Real Jungle Camping, part 2. Carrying

乗り物で行けるところまで行ったなら、あとは、おのれの両足頼り。

体一つだけならまだいいが、生き抜くために必要な物資も、目的地まで持ち運ばなければならない。

昭和の半ばまではカニのような横広のキスリング、やがて、コッペパンのような縦長のアタックザックへと変遷していったが、いわゆるリュックサックが、両手をフリーにして歩ける唯一の運搬ギア…

と思っていたのだが、ミャンマーの山野では、リュックサックは極小数派だった。そこでは物を詰め込む定番は籠類で、ほとんどの森人は、用途に合ったものを竹や籐(とう)を使って自分で編んで作っている。

地域により民族により形はさまざまで、おぶるための紐や帯も、リュックと同じ二本の肩紐タイプ以外にも、一本だけを額に引っ掛けるタイプも広く使われている。そうやって頭から前傾姿勢になって歩くほうが、すさまじく荷物が重い場合は体を後ろに持っていかれないようだ。
私などは、背面全体がワニの口のように開いて内部があみだクジのように細かく仕切れるリュックに、カメラ用品を入れ、飲み水を入れ、ロープやら刃物やら吸引器やら緊急事態対応の小物を詰めたらほぼ満杯で、目的地に着いてからの食料や着替えなどの運搬は誰かのお世話になっている。

そこで、籠には入りきらないような四角い大型ケースなども、中身を取り出して小分けにすることなく箱ごと運んでもらえたのが、意外な伏兵だった。

竹筒で炊いた餅米を売り歩く女性
The lady is hawking boiled sticky rice in bamboo tubes.

それは、日本ではもはや時代劇などでしかお目にかかれなくなってしまった天秤棒だ。

棒の両端に売り物をぶら下げて歩く行商人の姿は、ミャンマーの町場ではおなじみだが、日頃から培ってきたそのバランス感覚は、急峻な山道でも決してブレるものではなかった。

形も重さもバラバラの箱や袋類を完全に二等分の重さに振り分けることなど不可能だが、その差の分、肩に当てる棒の位置を真ん中からずらすことで、見事にバランスを取る。物理学者でなくとも娘さんたちは、どこにベストの支点があるのか肌感覚で瞬時に探り当ててしまうのだった。

たかが一本の棒が、これほどの可能性を秘めていたとは。そして、それをここまで引き出せるとは。

私が背負うリュックよりも重たい荷物を誰かに運んでいただくのは、大いなる感謝とともに申し訳なさもあって、できることなら、とことん行ける所までは乗り物に頼りたいところだ。

ならば、どれがどこまで行けるのか…これまでの経験からすると、町場から、バス→トラック(所によりジープ)→トラクター→牛車ぐらいのランキングで奥地に近づける

牛車は車輪の直径が大きいので、かなりの段差でも底を擦らず、二輪なので急旋回もできる。逆に、アスファルトの公道は走行禁止だ。

 

足回りのよさでは、最近は中国製バイクが急速に台頭してきている。人一人分の細道だけになってしまっても、かなり奥の細道まで行けてしまう。ただし、運べる分量には限りがあるが。
タイヤにチェーンを巻いたバイクで泥道を突っ切る
A motorcycle with a tire chain crosses muddy paths.

また、既に流れを熟知している川なら道の代わりとして使え、滝にぶち当たるまでは小舟や筏(いかだ)で移動することもある。

いよいよ牛車もバイクも入れなくなってきたら、あとはマンパワーで一列に、というのが最後の手段だが、地域によっては、ミャンマーならではの超大型移動手段に助けてもらえることもある。それが、ゾウだ。
ミャンマーでは伝統的にゾウで木材を運び出していて、すべての使役ゾウは、籠を背負って荷物を運ぶ仕事も若い頃に習得している。人を乗せるために訓練された観光地のゾウと違って飽くまで物資を運搬するのが目的なので、私も最低限の荷物は背負って地上を歩くのだが、どうしてもゾウの籠のお世話にならなければならないこともある。
それは、深い川を渡るとき。太ももぐらいまでの深さなら、かなりの急流でも何とか歩くのだが、それより深くなると、リュックとウェストバッグを身に着けたまま泳ぐことはできないし、中身のカメラなどを守ることもできない。
そうなったらもう、ゾウの背中に頼るしかない。体の七割方が水没しても、彼らはしっかりと四つの足裏で川底を捉えて一歩一歩突き進む。大きなオスなら水深二メートルぐらいまでは歩けるだろう。

川全体が増水している雨期などは、ほぼ終日ゾウに乗っての川上りとなることもある。
たとえ足が届かなくなっても、鼻をシュノーケルのように時々空中に出して呼吸しながら泳ぐこともできるが、重荷を背負ったままでは無理だし、その前に人も荷物も流されてしまう。深さ二メートルを越えるような激流が続いたなら、ゾウがいると言えども、水が下がっていくのをただただ岸辺で待つしかない。
人間のポーターさんに荷物を担いでもらっていく場合は、当然彼らが食べる食料も持っていかなければならず、目的地が遠ければ遠いほど、人数も食料も膨れ上がっていくことになる。そのため、本格的な登山となると貧乏人には厳しいイベントとなり、遠征隊がスポンサーを募ったりするのも無理もない話だ。

トラクターやバイクが使える間は人数こそ抑えられるが、総移動距離を賄う往復の燃料は必須で、その分の経費は準備しておかなければならない。

お世話になったゾウとゾウ使いにも、もちろん謝礼はお渡しするが、それは決して燃料代ではない。アジアゾウ本来の生息地である森を行く限りは、彼らは勝手に道草を食ってるので、餌のことなど気にしなくていい。砂漠の舟がラクダなら、使役ゾウは、公害知らずの森の舟なのだ。

ちなみに、このゾウたちは、生まれながらにして従順だったわけではない。ゾウは、犬や猫とは違う純粋な野生動物種であって、邪魔するものは容赦なくぶっ潰す。

ここまでの信頼関係を築くには、途方もない努力と忍耐と歳月を要する。

https://www.sairyusha.co.jp/book/b10014359.html

https://www.ehime-np.co.jp/article/news200511010001

何度も訪ねていたある自然保護区は、唯一の進入路が南側から中心に向かっていて、乾期はトラックやジープで、雨期でもなんとかゾウで核心部まで入れたが、北部側の観察はどうしてもおろそかになっていた。

やがて、北のほうで長大な道路工事が始まり、その先端は、保護区の境界線近くを進んでいるとのことだった。国際的なプロジェクトであるアジアハイウェーの一環だと言う。そこで、これは北側にアプローチする足がかりになると、ドアのないジープで送ってもらうことにした。

ハイウェーとは名ばかりのセンターラインもない土の道を進み、大きな川のほとりに辿り着いた。そこには、ハイウェーらしからぬ幅員一車両分の木製の橋が架かっていたが、その川の上流に向かって8キロ南進すると、保護区の北部境界線の外側に位置する最寄りの村があるとのことだった。

この橋の袂(たもと)で車を降り、あとは牛車に荷物を移し、その日のうちに村に着く、という計画だった。けれども、周りに集落はなく牛の気配もない。道路工事の管理詰所で尋ねたところ、牛車の往来はあるにはあるが、もう夕方なので、すべて村に帰っているとのことだった。

今夜は詰所に泊まって明日の牛車を待てと勧められたが、村でも森でもない中途半端な所で一晩潰すのはもったいない、何とかならんのかいとゴネた。

どうしたものかとしばし思案していたが、ふと気がつくと、車から降ろしたはずのアルミのケースが見当たらない。ケースがない、どこ行った!

アタフタしていると、あそこだよと。

指された彼方を見やると…え、えーーー!

ロンジー(腰巻き)を履いた細身のおばさんが、巨大な箱を頭に乗せて、川沿いの踏み跡をスタスタ歩いているではないか。確かに私のアルミケースだ。20キロは下らない。たまたま目的地の村に帰る婦人がいたのでお願いしたとのことである。ならワシもと、リュックとウェストバッグの他に肩にかけられるだけの荷物をかけて、おばさんの後を追って出発した。

なんとか落日とともに村に滑り込め、お陰様で、翌朝には計画通り北の境界から保護区に入ることができた。当時のフィルムを見返してみたが、ケースを乗せたおばさんの写真は撮ってなかった。はるか先を行くおばさんの姿を見失わないよう付いていくのが精一杯で、二人の距離をぜんぜん縮められなかったという記憶だけは残っている。

紐も棒もなくとも、この手が、いや、頭があったか。

頭のてっぺんを使うこの運搬術は、なぜか女性の専売特許で、男は誰もやらない、できないと言うべきか。おでこで支える背負い籠や天秤棒は男女の区別なく使われているので、単なる習慣の違いとは思えない。重心の位置の違いか、体の軸の使い方に差があるのか、とにかく、これができる女性は、みなさん腰がしゃんと伸びている。

昨今は、ジェンダーレスとか何とか言うけれど、真似のできないものは真似できない。改めて女性の体の偉大さに、ムダにでかいだけの我が頭(こうべ)を垂れるしかない出来事だった。

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