2021年3月17日水曜日

心はどこ? ―Where is your mind?

東日本大震災から10年が過ぎ、コロナ禍に陥ってから1年が過ぎ、ミャンマー国軍によるクーデターが起こってから1ヶ月半が過ぎた。

例年311日頃は日本にはいないのだが、巣篭もり中の今年は、10年前の津波の映像を繰り返し観ることとなった。十周年だったため、例年以上に多く流されたのかもしれない。

久しぶりに記憶が鮮明に蘇っている今のうちに、当時の経験や感情をここに書き留めておこうと思う。クーデターについては、引き続きその後で。

あのときの映像を観ると、今でもなお、胸が詰まって涙ぐんでしまう。

あの津波に呑み込まれて亡くなられた方々のことを思うと、いくら年月が経とうとも、いたたまれない感情を打ち消すことは決してできない。

あの日、2011311日金曜日、私は、13日に東京で催されるミャンマー関連イベントで発表するために愛媛で待機していて、夕方遅くに松山を発つ東京行きのバスに乗るべく、旅支度の仕上げにかかっているところだった。

運命の1446分、愛媛の地盤はピクリとも動かなかったが、たまたま点けていたテレビのワイドショーで、東日本で強い地震があったと速報された。

それからNHKに切り替え、やがて、盛り上がった海水面が陸に向かっている様子が映し出され、これはとんでもないことになると瞬時に悟った。

間もなく各地の固定カメラなどからの中継で、車が波で持ち上がり始めている映像などが流れだしたが、凄惨なシーンが茶の間に映し出されてしまわないための配慮か、ピークに達する前に中継先が次々に切り替わっていた。

そのまま成り行きを観ていたくもあったのだがタイムリミットとなり、家を出て、夜行バスの発車場である松山駅まで出てはみた。けれどもやはり、東京便は運休となった。

やっとメールで繋がったイベント主催者は「やりますよー、大西さんは欠席ですかー?」と、さっきまで津波が寄せる様を観ていた東日本に住んでいるとは思えないようなあっけらかんとした返答で、もしかしたら現地の状況は思ったほど大したことはないのかもしれないと願いも込めつつ、「だったら行きますよ、いいんですね」と。

バス運賃の払戻金を受け取り、松山駅の改札を駆け抜け、ベルが鳴り始めている上りの特急列車に飛び乗った。

さっきまで観ていたウソのような波の渦中に、今まさに大勢の人たちが巻き込まれているかもしれないと思うと、移動中も心はざわつき、穏やかではいられなかった。

まずは瀬戸内海を越えて岡山まで辿り着き、そこから新幹線のホームに駆け込んで直近の上りのひかりに乗ったが、その日はもう、大阪より東へ向かう便はないとのことで、西宮の兄の家に泊まることになった。

後に分かったことだが、JR東日本管内は、ダイヤがどうこうどころではなく完全に麻痺していて、東京まで到達する目処などまったく立っていなかったのだった。

翌朝、さらに行けるところまで東進すべく駅に向かおうとした矢先、主催者から電話があり、やはりイベントは中止するとのことで、私はそのまま愛媛にとんぼ返りすることとなった。

それからというもの、テレビばかり観ては刻々と変化する状況を注視していたが、もう辛くて辛くてやりきれなかった。

すぐにでもできることとして、ささやかな義援金と飲料水の寄付はやらせていただいたが、生き残ってもなお生きるか死ぬかの瀬戸際にいる方々が同じ国の中に大勢おられるという状況の中、不自由なく暮らせていることが申し訳なかったし、何の力にもなれない虚しさを嘆いていた。

一方、そんな最中でも、自分の中では、ライフワークの舞台はミャンマーであるという想いは揺るいでいなかった。

けれども、東の同胞が直面している惨状を前に、何がなんでもミャンマー、などと言ってていいものかどうか…

葛藤の末に心が出した答えは、なにはともあれボランティアに応募し、体を以て復興の一駒となり、それを以て心にけじめを付け、再びミャンマーへとシフトすることをお許しいただく、というものだった。

結果、地元の公的機関が率いるボランティア派遣団に応募し、被災地へは二度赴いた。

http://onishingo.blogspot.com/2011/05/blog-post_19.html

http://onishingo.blogspot.com/2011/06/ah-higashimatsushima.html

その際、カメラは端から持っていかなかった。

体を使って鎮魂の意を捧げたい。それが私の心であって、それ以外の目的は何もなかったから。

当時のカメラの主流はスマホではなくコンデジで、同じバスで同行したみなさんは写真も撮られ、後に家族や友人や同僚に現地の生の惨状を紹介してくださっており、被災地の方々からも、ぜひ伝えてほしいという声も聞かれていた。

おそらくそうしてくれるのではないかという予測もあり、そのお陰で、私は身軽に自分の心のわがままを押し通せた。

それからしばらくして、2011713日、私は再びミャンマーの地を踏んだのだった。

自然がもたらした災害に対しては、まずは真摯に向かい合い、だけども一丸となって立ち向かっていかなければならないのだが、時として、人為的災害が、その全国民の全集中を邪魔してしまうことがある。

福島の原発さえなければ…(原発と発電については、後日、改めてじっくりと書きたい)

そして今、新型コロナという大災害に対して、人類の存亡をかけて全集中で一丸とならねばならないときに、なんでクーデター?

法を超えるクーデターは、どこだろうといつだろうと決して容認すべきものではないが、よりにもよって、なんで今このタイミングでそれをやるか。

「平和的デモ」という言葉がある。

デモと言えば「一部暴徒化」が付き物だが、この度のミャンマーのデモでは、略奪や破壊や公共施設の占拠などといった事件は伝わってこない。

これは、このデモがいかに深刻でガチか、そして、デモを行っているミャンマーの人たちがいかに紳士かを証明している。

私は彼らを心から尊敬し、頭が下がる。

今週になって、中国系の工場が放火されて略奪があったというニュースが入ってきたが、クーデターの直後、国軍は服役中の大勢の元犯罪者に恩赦を出し、市中に放っている。

釈放の際に密約があったかどうかは知らないが、事件の真相が掴めぬ間は、デモ隊のしわざであるとは断定できないだろう。

声は自然と荒げるだろうし、襲われれば物を投げ返したりすることも当然あるにしても、この、いたって平和的なデモに対する、治安部隊と称する兵士や警官の行為。

実弾による最初の犠牲者が出た際、現場の一兵士なり警官なりの突発的な反射や小隊長の衝動的な独断などによるアクシデントであろうと私は思った。

いくらなんでもこの件では、あれは誤射であったとする旨のアナウンスさえ後日軍本部からあるのではないかと待っていた。

ところが、実弾による狙撃は日に日に激化し、現場の判断ではなく完全に本部による指示であることが明らかとなった。酷すぎる。

ミャンマーでは内戦が途絶えておらず、いまだ辺境地では少数民族独立軍との戦闘が展開している最中である。

今回の狙撃は、元々ある内戦が都市部に移っただけという見方もあるかもしれないが、それは違う。ぜんぜん違う。

少数という言葉に惑わされそうで、トラによるネコいじめのような印象を持ってしまいそうだが、それぞれの独立軍は強大な兵力を持っている。

第三の国や組織からの支援や密売品からの利益などで、軍事力が維持でき増強できているのかもしれない。

なので、辺境での内戦は、兵器を持った者同士の争いであって、言わば、双方合意の上で土俵に上がってきての戦闘である。

けれども、今、全国の市中で展開しているのは、丸腰の自国民に向けての発砲である。

逆に、辺境での内戦でも、多くの庶民が犠牲になっているのではないかと疑わざるを得なくなってくる。

戦士がそれでいいのか?

これはもう、武士でも騎士でもなく、士という文字を当てることもはばかられ、血も涙もない職業狙撃手にしか見えない。

戦争の歴史を振り返ると、第二次世界大戦以前の、例えば日本海海戦などでは、降伏した敵艦に対しては砲撃を停止しているし、漂流している敵兵の救護を行ったりもして、お互いの合意による戦士同士の果し合いというポリシーが残っていた。

けれども、洋上ではなくて、一般人のいる休日の真珠湾を日本軍が奇襲したあたりから、戦いのやり方は、もう戦士同士の果し合いではなく、申し合わせも何もない、一般人を巻き添えにした血で血を洗う残酷な近代戦争へと変貌してしまった。

そのパンドラの箱を開けてしまった大日本帝国軍が基礎を築いたとされるミャンマー国軍が、今まさに、丸腰の自国民に向けての発砲を続けている。

今回、アメリカ政府への追従もあるだろうが、日本政府は即座にクーデターを非難した。

もし、ミャンマー国軍の関係者と関わることがあってクーデターの是非を問われるような場面にでも置かれたならば、ごくふつうに答えればいい。

日本政府は正式に「ノー」と答えています、私は日本国民ですから答えは「ノー」ですね、と。

加えて私なら、サムライスピリットは丸腰の相手を攻撃することを認めない、と言うだろう。

中国やアセアンの国々には、内政不干渉の原則があると言う。

他の国でやっている政治には口出ししません、ということだ。

けど、丸腰の市民への発砲、これが政治?

クーデターを政治と言うのなら、その是非の議論は後からしてもいいし、百歩譲って、クーデターを黙認する姿勢もありだとしよう。

けれども、市民への発砲は、決して政治の問題ではないでしょう。これは、人道の問題だ。

内政不干渉の原則によりクーデターの是非を問いたくないのなら問わなくてもいい。けれども、人の道から逸れた非道は止めなければ。

仏教の教えにも背く非道な殺戮も止めない…アセアンはそれでいいの?これがアジアの純心なの?

日本も中国もアセアンも、政治上の問題であるクーデターの是非と人道上の問題である自国民への狙撃は一緒くたにせず、どうか別件として対処してほしい。今すぐ止めてほしい。

クーデターの是非を議論するテーブルに着くのはその後からですよと。

前線に立つ兵士や警察官に士の心があるのなら、自分たちが守るべきものは何なのか、どうか、もう一度考え直してほしい。

クーデターで亡くなられた皆様のご冥福をお祈りします。尊い皆様の魂が、どうか無事に、お釈迦様や神様のもとに届きますように。

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