二ヶ月弱の間隔を置いて、ヤンゴン動物園を続けて訪ねたところ、これまでで最大最驚の激変を味わうこととなった。
2014年10月下旬。多くの子どもを含むヤンゴン在住の日本人家族らと訪ねたときは、ヤンゴン動物園最大の魅力と言ってもいい動物たちへの餌やりを、子どもたちは歓声を上げながら大いに楽しんだ。
Many kids enjoyed feeding at Yangon Zoo in Oct. ’14.
そして12月の下旬。知識と情報のアップデートをと一人で門をくぐったところ、そこには、それまで見たことなかった大看板が立ちはだかっていた。ビルマ語の細かい説明文はさて置き、すっと目に入ってきた英語の一文は、”Do not feed the animals”(動物への餌やり禁止)。なんだ、この方針転換は。
餌売りのおじさん、おばさん、娘さんたちの姿、呼び込みの声は消え失せ、それまで当たり前だった習慣を奪われた来園者も動物も明らかに戸惑っている。いったい何があったのか…
Notice board of the ban on feeding animals at Yangon Zoo in the late Dec. ’14
誰が何の目的でやったのか、詳しいことはまだ確認しておらず、もしかしたら知人友人の誰かと一時袂を分かつことにもなるかもしれないが、何のしがらみもない現時点での私の率直な感想を、ここに書き留めておきたい。
友人である元ヤンゴン動物園園長には真っ先に報告したが、少なくとも彼も「よくない」と言っている。
まず、動物への餌やりが前近代的で非科学的なアトラクションで、世界の動物園の中でヤンゴン動物園だけがやっているというのだったら話は分かる。
けれども実際は、日本のあちらこちらの動物園でもやっている。餌の自動販売機もあれば、飼育員(キーパー)の指導のもと、客が動物に手渡すこともあれば、入口で入場料の代わりのごとく餌を売っている仲よしコーナーのようなパターンまである。
それぞれ客が与えた分量は記録が残っていて、後の裏方の餌やりの時に分量を調節するというわけだ。先進国の日本ではできていることなのに、なぜヤンゴンでは禁止?
売り子さんたちを見くびってもらっちゃ困る。彼らにとって動物たちは大切なビジネスパートナーだ。食べた分量は売上から把握できるし、どの子がよく食べて、どの子が満足にとれてないかなども見ている。自動販売機などではできない芸当だ。事実、閉園間近に残っている餌を端のほうの子に与えている売り子さんの姿を見ることもある。
確かに、どう見ても肥満すぎるヒマラヤグマがいたり、客への売り込みが強引な売上げ至上のマナーの悪い売り子がいたり、有頂天になっている子どもには大人の監視が欠かせない危険な距離感があったり、このままでいいのだろうかと思わせる要素もあるにはあった。
けど、もっと獣医学的に洗練された餌やりをすべきだというのなら、本気で売り子さんたちを取り込んで正規の獣医師や飼育員と共同体制を組めば、できないはずはない。
さらにもう一つ。ミャンマー人にとって動物への餌やりは、昨日今日外国から来た獣医師や研究者には知り得ない、重要な意味を持っている。
町を歩いていると時々、鳥かごを背負ったおじさんに出会うことがある。かごの中には生きた鳥が、まさにメジロ押し状態でいる。種類は決まってないが、たいてい一かごに一種類だ。彼らは決して移動ペットショップではない。
また、道端に座り込んで、豆や粒トウモロコシを皿に盛って売っている人たちがいる。彼らは決して露天の八百屋ではない。しばらく密着して商品が売れた時、客の行動を見れば彼らの正体が分かってくる。
Mobile bird seller arranges buyers to do religious good deeds.
鳥を受け取った客は、その場で手放し空に帰している。小皿を受け取った客は、道端に豆をばら撒き、そこにたくさんの鳥が集まってくる。ほとんどがドバトだ。
Street beans seller. Buyers spread beans over the ground for feeding local birds.
捕らわれの動物を解放してやったり動物に餌を与えたりすることは、こちらの仏教の教えの中ではよい行い、つまり功徳を積むことになる。鳥売り豆売りの彼らは、言わば功徳積ませ屋なのだ。
This seller sells both birds and feed.
大きなお寺の周りには、たいていそのような売り子が陣取っている。中には、捕らわれの魚が境内で売られ、放す池まで備わった段取りのいいお寺まである。
Captured wild birds. They will be sent to cities for religious release.
この習慣がより盛んなせいか、タイのバンコクの街場に比べると、ヤンゴンは野鳥の種類が少ない印象があり、功徳の恩恵をほぼ独占しているドバトと、ゴミ処理システムの完成度のバロメーター、イエガラスの二大勢力のみが目立つ。
Someone hung some bundle of rice plant on a tree. Sparrows, etc. come and eat rice.
他にも、スズメに米を与えたり、野良犬、野良猫に残飯などを与えたりすることも仏教にまつわる習慣となっている。
This house resident spreads rice on the veranda. Sparrows, Scaly-breasted Munias, Spotted Doves, etc. come and eat it.
私は、鳥や魚や豆を放す前に、まずは、あなたから出るビニール袋などのゴミを手放さなければ多くの命を守ることになりますよと、現代の新しい功徳の形の一つとして勧めたいのだが、残念ながら全然定着はしていない。
野外の動物に食べ物を与えることは再考すべきだと思っているが、そもそも完全に囲われて人に与えられた食べ物によってのみ生きられる動物園の動物は話は別だ。
飼育員の代わりに来園者が餌をやることを、むしろ好機ととらえて、動物の特徴や行動を観察し、道徳観や環境問題まで考える学びの場として活かしていくほうが、禁止するよりもはるかにいいと思う。餌やり全面禁止こそ、逆に前近代的、非民主的な乱暴な措置ではないだろうか。
以前もこの場で書いたが、動物園がノアの方舟としての役割を果たすためには、国の内外を問わず最新の技術や設備の導入も検討すべきだろう。
けれども、伝統ある風致も市民の思い出も土地の文化や風習も無視するような強行な改革には私は反対である。
どこのどなたか存ぜぬが、餌やり禁止を主導された方は、ぜひお忍びでヤンゴン動物園を訪れ、告知板を読む来園者の様子を見てみてほしい。とりわけ子どもたちの落ち込んだ姿を。
もしかしたら、みんな心の中では呟いているのかもしれない。「入場料を払ってここまで来てんだから、つべこべ言わずに功徳を積ませろ!」
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