2010年6月29日火曜日

とめどない水を渡って

当たり前のように激流をさかのぼる森の職人軍団

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'06年9月2日原文追補

もう何回降り立ったかも数えられなくなってしまった5月下旬の薄暗いヤンゴン空港の滑走路は、予想通り濡れていた。ミャンマーの雨季は日本の梅雨より一足早く訪れ、ずっと後まで居座る。

豊かな水に育まれた伝統林業では、天然の森から選りすぐった大木を許された本数だけ伐って抜き出す。そのため、木を倒した後でも、そこには鬱蒼とした森が残っているわけだ。そこで、急傾斜の木立や岩だらけの峡谷を縫って丸太を運び出すことができるのは、ゾウをおいて他にはない。

広大な森に散らばって休んでいた使役ゾウとゾウ使いたちは、雨季の到来を合図に、その年の伐採現場を目指して移動を開始する。森に覆われた山地では谷川が国道の代りだ。乾季には膝下を濡らすだけで歩けた清流が、今はコーヒー牛乳色の大激流となって唸りを上げ、あらゆるものを呑み込みながら駆け下ってくる。

地元の獣医官らとともに、私は何度も腰まで急流に浸り、尾根を越え、森を潜って、やっとなじみの班の休養地に合流した。そして、少しでも雨脚が弱まり十センチでも水位が下がるのを願いつつ、その日を待った。数日間、豪雨は鳴りをひそめてはくれたものの、向かう本流は、もはや人間の脚で立ち向かえる相手ではなかった。

6月某日。総勢13人が6頭の背中に分乗して出発。柱のような両前脚にまとわりつく濁流を蹴散らして、ゾウはグングンさかのぼってゆく。まさに森の舟だ。


だが、シンドバッド気分に浸れたのも束の間。行く手に潜む渦巻く深淵を前に急減速。ゾウ使いは川面を見渡し、流速を読み、底の地形を読んでいる。そして、それまでの大胆さからは一転、ゾウは安来節のような慎重な足取で、見えない川底を足裏で探りながら深みに歩を進めていった。たちまち鼻、牙、口、目までも水中に没し、土手のような背中にぶち当たる濁流は、荷かごに掴まった私の膝の横で唸りを上げ、エスプレッソのように泡立っている。もう巨体の八割は水面下に隠れて見えない。もしゾウが足を滑らせたら、深みにはまったら…。

‘プハー’、濁流を裂いて鼻先がシュノーケルのように浮上した。ゾウにしかできない芸当だ。こうして何度も深淵を渡りきった一団は本流を逸れ、今度はV字峡谷の支流に分け入った。担当地区は、まだまだ上流のようだ。先が思いやられる。

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