2021年7月16日金曜日

第三次世界大戦 -敵は新型コロナウィルス-、その8. オリンピックをやる資格 ―World War Ⅲ, against COVID-19, part 8. Qualification for holding the Olympic Games

ミャンマーでの新型コロナウィルス感染者数の推移
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ミャンマーでは現在、新型コロナウィルス感染者数が急上昇している。

いまだ混乱している国状を考慮すれば、正確な統計が取れているとは思えず、現実には、もっと多くの人が感染し、犠牲になっているはずだ。

コロナ禍でのクーデターなんで災いに災いを重ねるかなあ。


不当な権力者を倒す切り札として、仕事を人質にする市民不服従運動(CDM)が行使され始めた頃から、いつかは、こういう厳しいコロナ禍が来るのではないかと懸念していた。

天職という言葉があるが、職人と呼ばれるような人たちは、世の中がどうあろうと仕事の手を止めない止めたくないというのが本音だろう。

職人とか仕事師とか、さらにエッセンシャルワーカーという人たちから仕事を奪うと世の中がどうなるか。

 

2月以降、統計上、感染者数が下げ止まっていたのは、各組織の混乱による統計の欠如だったのだろう。

その間、超過密状態でシュプレヒコールを繰り返すデモの日常化で、感染は伝播していただろうが、医療従事者のCDMにより適切なケアがされぬまま放置されていただろう。

それに加えて、ここに来て、インドやバングラデシュからのデルタ株の侵入。

 

感染力とか実効再生算数とかが増すということは、例えば1.5倍なら、単に100人が150人になるということではなくて、それがネズミ算式に伝播していくととんでもないことになってしまうということは以前にもご説明したが、今一度そこで上げた図をお見せしたい。

もし、デルタ株やラムダ株の怖さにピンと来ていない人が身近におられれば、どうぞシェアしてください。

1人の感染者から2人に伝染する場合と3人に伝染する場合の比較

このデルタ株の台頭下に、日本では、何が何でもやるんだと、開催ありきでオリンピックの準備が進んでいる。

一年前、「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しとして」一年後に東京オリンピックを延期して開催すると、時の首相は宣言した。

その提示された条件に素直に従って、今、東京オリンピックをやる資格があるかと聞かれれば、私なら、答えは、きっぱりと「ない」。

理由は、心情も忖度も入る余地のないほど単純明快。人類はいや、「日本は」新型コロナウィルスに打ち勝っていない!から。

 

奇しくも大谷選手の活躍のお陰で、アメリカの日常のスポーツシーンを観る機会が俄然増えたが、あの超満員の会場の熱気はどうだ。それがもう一ヶ月以上経過しても、いまだに感染再爆発の兆候は見られない。

これがもし、アメリカが新型コロナウィルスに打ち勝った証しとしてアメリカでオリンピックをやる、となってたら、まったく異論はなかっただろう。

アメリカ人も中国人も人類には違いないので、「人類」が打ち勝ったことには間違いないでしょ、と言えなくもないが…

 

東京での開催の是非を考えるに当たって、最初に断っておきたいことは、出場選手のみなさんに対しては恨みもねたみもまったくなく、何の責任を問うつもりもないので、どうか選手のみなさんも、自分たちだけが特別な存在でいいのか?などとは思い悩まないでほしい。

選手のみなさんは、与えられた条件の中で全力を尽くして競技をして、その姿を通して我々に感動を与えてくれればそれでいい。

語りたい選手は語ってもらってもいいけど、社会への貢献を!などと考えるのは、引退後の長ーい余生の間にやっていただければいいので、短い現役時代には、四の五の言わずに最高のプレーを見せることこそが最大の社会貢献であると思ってほしい。今の大谷さん現象が、それを実証してくれている。

 

そもそも一流のアスリートは、どんな条件の中でもブレずにベストパフォーマンスを目指すはずで、選手のために観客を入れるとか、選手のために開催するとか、実行の是非に選手の存在を引き合いに出すのは、それこそ人質のようで、選手の人格や意思を軽んじた政治利用に見えてしまう。

特に、選手のモチベーションのために日本の観客だけでも入れるという案は、オリンピックが国際大会であるという意識に欠けてはいないだろうか。

外国同士の対戦ならいいとしても、日本対◯◯国の試合で、取り巻く観客が全員日本人という環境なら、モチベーションが上がるのはどっちの選手?ということだ。これを、フェアな会場と言えるだろうか。

 

比較的日本人は、敵味方の隔てなく応援するとは思うが、国際大会での観客の一国独占となると、そこと対戦する他国の選手にとっては超アウェー、前代未聞のハンディキャップマッチになりはしないだろうか。

過去には、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマンの歴史的ボクシングタイトルマッチ、後に言うキンシャサの奇跡の会場が、取り巻く観客のほとんどがイスラム教徒だったようで、クリスチャンのフォアマンにとっては、精神的に孤立無援状態での闘いだっただろう。

そういう偏った環境の中で日本人選手のメダルラッシュを見ても、素直に喜べそうもない。

地元の利というのは付き物だとは言え、試合の公平性を保つという観点からは、外国からの観客を入れないとした時点で、日本人も含めて全試合無観客と決めてもよかったのではないか。

 

改めて、なぜ日本にオリンピックをやる資格がないのか。

どうだったらやる資格があったのかということを対比させながら検証してみたい。

私は、このコロナ禍を第三次世界大戦だと言った。そして、この戦争に限っては、武器は兵器ではなく医療なのだから、日本が勝者となるチャンスは大ありだと。

けれども、結局この大戦でも、戦勝国は、やっぱりアメリカ。

ほんと、アメリカとはせわしない国で、一時世界最多の犠牲者を出したのもアメリカならば、世界最速でワクチンを産み出したのも、結局はアメリカだった。

 

「新型コロナウィルスに打ち勝つ」ための武器は、第一にワクチンであり、次いで治療用特効薬であることは、誰にでも分かっていたこと。

そこでアメリカは、ワープスピード作戦と称してワクチンの開発に約100億ドル、1兆円超の予算を準備しているという昨年5月時点の記事を見たが、それに対し、日本では、コロナ対策にワクチン開発への500億円を含む835億円、という同年5月の記事があった。

桁が違う、と言うか、本気度が違うと言うべきか。

 

ワクチン開発レースで徐々に周回遅れになっていった日本は、感染者が少ないから治験ができないため、などと有事とは思えない悠長な言い訳をしていたが、もっと感染者が少なくなっていた中国は外国でどんどん治験をやってのけ、トップ集団の一員のまま最後まで走り抜けた。

日本も国際航空路は早々に再開したのに、その理由は、ビジネスマンの往来のためとかで、中国のようにコロナ戦争のために国際線を活用するというような知恵は、日本政府にはなかったのだろうか。

民主主義最大国家のアメリカも共産主義最大国家の中国も、共に危機を脱しているのに、自由奔放主義の日本は、いまだ出口を見つけられないでいる。

 

結果、トップ集団として、ほぼ同時にワクチンを産み出した国々、アメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、中国は、新型コロナウィルスから最初に人類を守った救世国として、この先ずっと称賛され、語り継がれることだろう。

残念ながら日本は、医療先進国という看板は幻想であったと世界に知らしめただけの結果となった。よっぽどのものを出さない限り、二番手は歴史には残らない。

 

もしも日本が世界最速でワクチンを誕生させ自国生産していたとしたら、どのような展開になっていただろうか。

まず、参加選手全員分のワクチンを事前に各国に送れただろう。

それが一番の防疫手段であることは明々白々なので、最初にそれをIOCに提案したのは、やはり中国だった。

それに対して日本の五輪担当相は、ワクチンの接種は各国の基準に従うべきことだと、中国は寝ぼけてんのと言わんばかりに平静に却下した。

後日、同じ提案がファイザー社から上がり、それには五輪相は、願ってもないお話と言わんばかりに称賛して受け入れた。

一方、国内では、もし現在のアメリカレベルだったとしたら、国民の約半数が二回のワクチン接種を終えており、今の大リーグのように有観客での開催となっただろう。

各国の選手にとっても、日本なら安心だからと臆せず来日でき、ワクチンを打っている者同士、市民との交流もできただろう。

現実には、ワクチンが普及していない日本はヤバいからという理由で出場を辞退する国や選手が出てきても、言い返せないような状況だ。

さらにワクチンの在庫にゆとりがあれば、外国人客に対して、ワクチン接種やPCR検査などの有料オプションをセットにした観戦ツアーだって組めたかもしれない。


もし、今年が北京オリンピックで来年が東京オリンピックだったとしたら、今の中国の医療戦力からして、これらすべてをやってのけたかもしれない。そして日本は、来年にシレッとオリンピックを開催して、恥をかかずにすんだかもしれない。

二度のワクチン接種を終えてスタンバっていたオリンピック観戦マニアの欧米人は、何をもたもたやってんだ日本!と、怒り心頭に達していることだろう。オレの連続観戦記録が途絶えるがと。

「人類が打ち勝った証しとして」という言葉は、勝つためのビジョンも工程表もないままなんとなくのイメージだけで発せられたのかもしれない。

SARS1号の自然消滅の前例などもあり、いくらなんでも一年も経てば何とかなっているだろうという正常性バイアスにかかったとしても、一般市民なら無理もないが、政府には、言ったからには実現させねばならぬと、威信をかけた闘いを展開してほしかった。

政権を交代してたとしても、責任追及と退任要求だけに情熱を注いでいたような政党では、やはり何もできなかっただろう。


結局、現実は、新たな会場の建設などで、そこに関係した業界は潤ったかもしれないが、巨大な利益をもたらすと目論んでいたインバウンドのバブルは膨らまず、チケットの売上げもほとんどゼロに近づき、日本にとって景気を上げる要素が何もないオリンピックとなってしまった。

それでもなお開催する意義がどこにあるのだろうか?

放映権を持つアメリカのテレビ局と、そこからの収入で成り立つIOCに損をさせないためだけの義務感と、日本はやれるんだ先進国なんだという世界各国へのアピール。もはや、恥をかくわけにはいかないという変なプライドだけがモチベーションになっているかのように思え、結局、何の恩恵も受けられない日本の企業や国民をなるべく怒らせずに赤字と感染を最小限に抑える、という方向性での開催に見える。

観戦者をゼロにして感染者をゼロにする…

もはや日本語までもが、呪われたオリンピックを暗示していたかのように感じてしまう。

 

一年間という延長期限を切ったのは、選手のモチベーションを維持する我慢の限界の考慮というのが大きな理由だっただろうが、ワクチンの接種が世界最下位レベルでもたついていた頃から、選手も含めて国じゅうが、今年は間に合わないかもしれないという雰囲気になってきていたように思う。

同時に、もう一年延ばせばフルベネフィットのフルスペックオリンピックができるかもしれない、という予想図も見え始めていた。

そこで再延期の選択肢も挙げれば、しかたがないという声も含めて、多くの人が受け入れたかもしれない。

にもかかわらず、なぜ、みすみすその巨大収入源を逃してしまうのか。日本にそんなゆとりはあるのか?

国民に確実に利益をもたらすための再延期案、それを推せなかった日本政府。国際組織に対して弱すぎやしないか。

この間、国際的に日本が貢献したことと言えば、台湾へのワクチンの無償供与があったが、送ったものは、日本で生産されたアストラゼネカ製のワクチンだった。

これは日本での公的な使用はまだ認められておらず、国民の間では副反応にも効果にも不安のある、行き場のないダブついたストックとも言えそうなものだ。

それでも日本に感謝してくれるとは。こんなヘタレな政府なのに台湾の人たちの礼節に、むしろ、こちらが頭を下げるべきだろう。

 

ここで原点に帰って、このコロナ禍が始まる以前に、東京でのオリンピック開催が決まったことに対して私がどう感じていたか、当時の心情を打ち明けておきたい。

今、世界には、日本政府が承認している国が合計196ヶ国ある。

もし、そのすべての国で四年に一度のペースで何かを持ち回るとしたら、一巡するのに784年かかることになる。

これまでオリンピックが開催された回数は、冬季を含めると51回で、ホストとなった国は22ヶ国。南米大陸では2016年に初めて開催され、アフリカ大陸ではまだ開催されていない。

つまり、参加国の多さとは裏腹に、開催国は、経済的にゆとりのある国の持ち回りで、事実上、先進国主体のイベントであるということだ。

まだ170超の国々がオリンピックを招聘できていない中、前回東京で開催されてから、わずか14回目、60年足らずでオリンピックが帰ってくる。同じ国ならまだしも、同じ都市に。

参加だけでなく開催においても、もっともっと国際的に発展したイベントになってほしいという希望から、これほど短期で東京で二度やるということには、私は疑問があった。

同じ町に住み続けている人が一生のうちに二度もオリンピックを目の当たりにするオリンピックに接したことのない何十億人の世界の人々を尻目に、あまりにも先進国優先主義が露骨なように感じてしまうのだ。

 

以前、オリンピックが始まるまでに何とか日本の新型コロナウィルス感染をゼロベースに戻せないものかと、飲食業界や観光業界の方々も含めて全員でサバイバルするための突拍子もない奇策を書かせていただいた。http://onishingo.blogspot.com/2021/04/7-world-war-against-covid-19-part-7.html

 

願いもむなしく、現実は、ゼロに近づくどころか、デルタ株の台頭により真逆の状況になりつつある。

オリンピックの開催中か終了後に、過去最大の第5波が来ることは、ほぼ見えてきている。今度は、その第5波の流行からワクチンの接種が大多数の国民に行き渡るまでの間、どうやって犠牲者を抑えて凌ぐかということで、再び、かの絵空事を以下に紹介したい。

愚案であることは承知の上だが、とにかく、これまでのやり方を踏襲するだけではデルタ株の制圧は難しいだろうというメッセージだけは発しておきたいということで。

責任追及と不満の羅列だけの人間にはなりたくないから。

全国一斉おうちキャンプ(仮)

今回の東京オリンピックは、IOC会長が言う通り、歴史的大会となって子々孫々まで語り継がれることだろう。史上最も開催国の国民に歓迎されなかったオリンピックとして。

 

新型コロナウィルスで亡くなられたすべて皆様のご冥福をお祈りいたします。

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