2011年4月1日金曜日

森の自警団

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年3月11日原文追補

涼気の朝、人も犬も焚(た)き火で暖(だん)を取る

ゾウ使いも炭焼き職人も竹刈りの人たちも、ミャンマーの森に住む者には、たいてい愉快(ゆかい)な同居人(どうきょにん)が付いている。同居と言っても床下(ゆかした)の住人、犬である。

ここでは犬も使役ゾウと同じく放し飼いで、彼らは首輪や鎖などというものを知らない。ペットというよりも、祖先がそうであったように暮らしを支えるパートナーとしての存在意義が強いようだ。


彼らが担(にな)っている大切な役割の一つは食料調達、つまり猟のお供(とも)である。また、攻撃不要の山菜採(さんさいと)りや伐採(ばっさい)作業に行くときにも、よく付いてくる。道すがら、獲物(えもの)になる動物のみでなく、危険な動物の存在もいち早く察知(さっち)してくれるはずだ。

日が昇(のぼ)れば、熱帯の日差しが

その鋭い感覚は、家の周りでも遺憾(いかん)なく発揮(はっき)される。もう一つの大切な役割、警備(けいび)である。森では複数の家族が寄りそって小さな集落を作っていたり、大きな一軒家(いっけんや)で仕事仲間同士が同居していたりで、基本は集団生活である。めいめいが犬を伴(ともな)っているので、集落の周りには十頭以上がたむろっていることもある。

河原でのパチンコ弾(だま)作り

犬は根っから社会性が強いようで、とにかく誰かとつるみたがり、いったん飼い主を親分とみなすと、とことん忠誠(ちゅうせい)を誓(ちか)い、その土地を死守(ししゅ)しようとする。かわいい子分に対しては、当然報酬(ほうしゅう)も支払われるのだが、そこにはミャンマーでの米の炊き方が関わってくる。

厳密(げんみつ)に言えば炊くのではなく、たっぷりのお湯でパスタのように茹(ゆ)でるのだ。何度も蓋(ふた)を開けては米を摘(つま)み、芯(しん)まで煮えたなら湯を切って、最後に弱火で水気を飛ばす。その茹で水を犬の餌にするのである。わざとご飯も混ぜて、おかゆのようにしている。


保健関係の団体や研究者が、米から溶け出した栄養が最も含まれている部分を捨てる調理法は問題だと指摘(してき)していたが、一つの側面だけ見て物事を判断すると大局(たいきょく)を見失うおそれがある。少なくとも私が訪ねる森では、決して栄養を無駄(むだ)にしているのではなく、大切なものを大切な仲間に分け与えているように見えるのだが。

「犬と一緒に撮って」彼女たちからリクエストされた

優(すぐ)れた感覚の持ち主に親分と見初(みそ)められた人類は、つくづく幸運だったと思う。犬の嗅覚(きゅうかく)は人の千倍だったっけ、万倍だったっけ、聴覚(ちょうかく)は…

そんなことを考えていると、あるゾウ使いが、グダーッと寝そべっている犬を指して言った。「あいつらの耳は、おれたちの耳よりはるかに地面の近くにあるだろ。だから遠くから迫る物音を人より早く感じられるんだよ」。

なるほど。科学の前に感覚で知れということか。ゾウ使いと犬たちに、そう教わった気がした。

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