2012年3月31日土曜日

川の流れとともに -With a river flow-

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'12年1月30日原文追補
夜明け間もないエヤワディー川に漕ぎ出す
Rowing onto Ayeyarwady River just after dawn.

決して人気歌謡曲(にんきかようきょく)のタイトルをまねたわけではありません。ミャンマーの大河エヤワディー(イラワジ)川沿いの暮らしに頻繁(ひんぱん)に接(せっ)していて、つくづく湧(わ)いてくる感想、感情なのです。

私の知る限り、この国にはまだゴミの焼却(しょうきゃく)・処理施設(しょりしせつ)はなく、生活排水(はいすい)・汚水(おすい)の浄化(じょうか)施設もない。すべては土に返し水に流すのだ。

川沿いに住む人たちは川の水をそのまま飲み、洗濯(せんたく)、水浴(すいよく)も川で行(おこな)っている。人が本来(ほんらい)あるべき姿だとは思うが、最近の化学製品の普及(ふきゅう)は気になるところだ。
洗濯と水浴をしに川におりてきた家族
Some family has come down the riverside for washing and bathing.

ビニール袋も合成洗剤(ごうせいせんざい)の排水も今までどおり水に流していてもいいのだろうか。その影響(えいきょう)を調べ、水生動物と地域の人たちが健康に共生できる環境を復元(ふくげん)することを目指(めざ)して活動を続けているのだが、私の場合は借上(かりあ)げた船の上が生活の場となる。

人里(ひとざと)離れた森や島に行くときには、小屋でも詰所(つめしょ)でも寝泊(ねとま)りすることを前提(ぜんてい)に入域許可(にゅういききょか)を取るのだが、エヤワディー本流の場合は、外国人を乗せた船も航行(こうこう)する観光エリアなので、原則(げんそく)として民家や僧院(そういん)での寝泊りは認められない。

かと言って、中流の町マンダレーの港をいったん出たなら、そこから上流400キロの間には外国人向けの宿はない。つまり、船上で寝泊りしなさいというわけで、私にとって最も高くつくのが、この川旅なのである。
夕暮れ時の水浴を楽しむ少年僧侶たち
Young monks are enjoying a bath at dusk.

船には曲がりなりにもシャワー室がある。蛇口(じゃぐち)をひねると屋根の上に据付(すえつ)けたドラム缶から重力にまかせて水が出る寸法(すんぽう)だが、天井(てんじょう)一枚隔(へだ)てただけの落差(らくさ)なので、その勢(いきお)いたるやチワワのオシッコにも及ばない。

一方、船員たちは川におりて水浴をする。私も川で思いっきりいきたいところだが、お客様のためにせっかく準備してくれたシャワー室と水、そこはおとなしくチョロチョロでがまんしていた。

それにしても何日たっても一向(いっこう)に水がなくならない。水道のありそうな大きな町にも寄(よ)っていない。まさかと思いつつ聞いてみた。「この水は?」「川から汲(く)み上げている」「…」。

水道水は特注(とくちゅう)だそうで、見るからに私はそっちの人ではなかったようだ。今では遠慮(えんりょ)なく川でも浴びさせてもらっている。

先日の航行では船室にゴミ箱がなかった。曲がりなりにも環境改善(かいぜん)に取り組むプロジェクト活動である。お願いすると、段ボール箱を一つあてがってくれた。

ある昼下り、屋根上の甲板(かんぱん)からカワゴンドウ(淡水イルカ)をさがしていると、下から、でんじろう先生の空気砲(ほう)のような音が響(ひび)いてきた。

のぞきこむと、船長が、かの段ボール箱を川面(かわも)に向けてひっくり返し、底をポンポンたたいている。バナナの皮やらコーヒーの小袋(こぶくろ)やら鼻をかんだ紙やら…次々と流れのかなたに消えている。私のほうが川にこけそうになった。
船が川の民の交通手段
Boats are the main transportation for the river people.

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