暗いうちからゾウの足跡や糞をたどって森に入る。
ミャンマーの森の中でも、とびっきり重い丸太を運び出しているなじみの班を訪ねた。
「支度しろ」。現場に向かう朝、班長の号令で、ゾウ使いたちは枕元の木箱から真新しい長袖のジャージを取り出した。ロンジー(筒状腰巻)もズボンに穿(は)き替えている。
この日は、一時間ほどで相棒のゾウが見つかった。早いほうだ。
「いつもの格好でいいよ」「いや、これはみんなが金を出し合ってあつらえたユニフォームなんだ。おれたちの気持ちなんだ。今日はこれで行く」。なるほど背中には、彼らの所属がプリントされている。被写体としては不満だが、班長の心意気にほだされ、これまた一興(いっきょう)と自分を納得させ、私は同意した。
お揃いの衣装でゾウを操(あやつ)っていた彼らも、気温が30度に迫る十時頃になると、さすがに長袖を脱ぎ去り、普段着に戻って巨木との格闘を続けた。
「だんなが写真撮るぞ。支度しろ」。何時間もかけて激烈なノルマを果たした夕方、森のつわものたちは再びジャージを着込み、一列になって静々と帰路を歩き始めた。花嫁行列じゃあるまいし。私は頬に力を込め、吹き出しそうな唇を必死で結んで我慢し、愉快な一枚をものにした。
いつもの彼らは何の気負いも見栄もなく、思い思いの普段着のままで、ものすごく高度な仕事を当り前のようにやってのける。私はそんな姿勢に惹(ひ)かれ、何度も繕(つくろ)っては破けているボロボロの服でさえ、本当に美しいと感じることすらある。
タフな森暮しでは、体を守るためにも、ほころびは小さなうちにふさいでおきたいところだが、私のズボンの膝(ひざ)周りがパックリ裂けたとき、修繕(しゅうぜん)を申し出てくれたのは現地の獣医だった。考えてみれば、仕立屋と医者は、針と糸使いの二大名人とも言える。
「これはダブル○○という縫い方なんだ」。家庭科の苦手な私など真似のできない器用さで、彼は完璧に縫合(ほうごう)してくれた。
出荷前からわざと破ってあったり、わざわざ新品を擦(こす)って古着のように見せたりする今の日本のファッションのはやり。表現の自由は認めたいが、あのセンスにだけは、私はどうしてもついてゆけない。
そんな旧人類の私のズボンはというと、いろんな人から針をいただき、フランケンシュタインのようになりながらも、今も元気に森を駆け回っている。
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