2010年6月11日金曜日

2002年 北部の旅‐その1. ('03年春記す、未発表)

 チンドウィン川(Chindwin River)よりインド国境沿いの山脈を望む

'02年、11、12月、ミャンマー北西部の水を集めるチンドウィン川の一帯と、ヒマラヤ山脈の東の端に当たるエヤワディー(イラワジ)川上流域を訪ねた。

チンドウィン川は、エヤワディー川に合流する最大の支流で、その合流点にほど近い中部の町、モンユワから、上流のカンティーまでの約六百キロをさかのぼってみたが、両岸から森が途切れることはなく、護岸工事の跡もいっさいなかった。川岸には次々と小さい村が現れるが、その背後にさえ鬱蒼とした緑が迫っているのである。

物資は意外と流通しており、上流からは竹の筏が、中部乾燥地帯の市場に向け一ヶ月以上かけて流れ下っており、水の引いた河原には、乾季の間だけ下流のほうからやってきて漁をする季節移住者が住み着いていた。

ちなみに、このモンユワ‐カンティー間は、速い旅客船を使っても、途中の滞在期間を除いて正味四日間かかった。

チンドウィンの中~上流の西側には、インド北東部との国境を成す脊梁山脈が河に並行して連なっている(主峰:サラメティ山、3,826m)。

第二次大戦中、日本軍は、この河を越え山脈を越え、インドへの侵攻を試みて多くの戦死者を出した。のちに“白骨街道”と呼ばれたのは、まさにこのあたりで、実際に、日本軍の駐留を覚えている老婆にも出会った。日本人を見たのは、五十何年ぶりだとか。

この山脈には、北の裸族とでも呼びたいような頑強なナーガ族の人たちが、ミャンマーとインドを股にかけて住んでおり、伝統的な生活を営んでいる。そのため、一見すると緑の山並みも、焼畑などの影響で、動物相、植物相は、かなりダメージを受けている。

サラメティ山(Mt. Saramati、左奥)

一方、河の東側には広大な低地が広がっており、そのうち、特に状態のいい森林地帯が、タマンティー野生生物保護区に指定されている。

あたりは、エヤワディー河口から河なりに千数百キロもさかのぼった地域だが、ほぼ全域にわたってうね状の隆起が連なる標高三百メートル以下の土地で、ひときわ隆起した最高点でも六百メートル台である。

途切れなく続く大常緑林地帯のその林相は、赤道付近の熱帯多雨林と比べても遜色がなく、高木層は樹高30メートルを軽く超えている。代表的な熱帯常緑樹であるフタバガキ科を初めとする大木が林立している合間に、ヤシ類や竹類も多く生育しているのは、この地域の特徴的な景観だ。また、日当たりのいい川沿いには、野生のバナナが多く群生している。

気候帯からして、これが亜熱帯常緑林(亜熱帯多雨林)なのだろう。(続く)

チンドウィン川を往来する旅客船

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