2019年5月1日水曜日

ミャンマー自然探訪、その7. -花のパダウと木のパダウ- ―Exploring Myanmar Nature, Part 7. -Flowery Padauk & Woody Padauk-


「ヤンゴン日本人会」2019年5会報寄稿文原文
4月, ヤンゴン市街
in Apr., Central Yangon

文章と写真を種に表現をする者としては、一度でいいから読者全員を椅子からこかしてみたいという願望は常にある。自然や生き物をテーマとする私だと、例えば未知の生物の発見発表でもやれば、その願いは叶うのかもしれない。これに関して私は、生涯望みだけは捨てないだろう。夢ではなく現実に願うからには、自分に厳しく客観的に、否定できる要素は徹底的に否定して、それでもなお残ったものこそ、やっと本物である可能性が見えてくるというもの。こと生き物に関しては男のロマンもへったくれもなく、ガチだからこそ中途半端な情報は披露せず、ましてや、合成、ヤラセ、捏造などは論外なのである。

なので、残りの人生のうちに読者をこかすような事実に遭遇できるなどとは期待しないほうがよく、まだ見ていない既知の動物やなじみの動物との出会いを楽しみながら過ごすのだろうと思う。今回取り上げるのは、未知の生物とは対照的、ミャンマーに住む人にはおなじみの花の話題である。けれども実は、今回こそ読者の一人か二人は椅子からこけてくれるのではなかろうかと、密かに企んでいる次第である。では、その衝撃の事実の発表へと参ります。

乾期後半の暑季。ある日、溜まりに溜まった積乱雲が一気に破裂して、その年最初の土砂降りとなる。その前段までの乾きと一気の降り具合が極端であれば、その次の日から数えて3日目あたり、町のあちこちが黄色に色づく。多くの国民に愛されている花木、パダウの花が満開になるのだ。ミャンマーの人たちにとって、厳しかった暑季の終幕と、潤いと実りの雨季の到来を予感させるのが、まさにこのパダウで、“雨季告げ花”と呼んでもいいくらいだ。
6月, ヤンゴン市街
in Jun., Central Yangon

ここで今回の本題、私からのキロトン級爆弾発言です。「パダウはミャンマーの木ではない!」と言ったらどうだろう?大西もボケが始まったか、はたまた夢オチの落語でもやろうというのか…いやいや、発言の真意は、これから順を追って説明していきますので、しばしのお付き合いを。

まず、植物の話をする際に避けては通れない難題、呼び名について整理しておきます。英語でアップル、フランス語でポム、ビルマ語でパンディー。これが日本語だとリンゴとなる。それぞれの国での呼び名は、言わばあだ名のようなもので、国が違えば通じないし、同じ言語の中でも複数の呼び名があったりする。それを統一する機関や規則を設けているかどうかも、各国まちまちだろう。そこで、国境を越え万国で通用する言わば本名に当たるのが、ラテン語で命名された学名というものだ。ちなみにリンゴの学名は、Malus pumilaだそうで、Malusが属を表し、pumilaが種を表す。

一属一種とか同属異種とかいう表現を見聞したことはないだろうか。属名が同じだと、それは分類上すごく縁の近いことを意味している。動物園の人気者で説明すれば、Pantheraと言えばヒョウ属のことで、Panthera pardusと言えば、ヒョウ属の中のヒョウという種の動物を指す。同じ属名のもと、P. tigrisだとトラ、P. leoはライオン、P. oncaはジャガーとなり、それぞれは無理矢理同居させれば一代限りの雑種が生まれるほど近縁だが、自然界では交わることのない別種である。

ここまでご納得いただいた上で、懸案のあの花に話を進めます。まず、その呼び名はビルマ語名から来たもので、じっくり発音すれば「パ・ダゥッ」ぐらいに聞こえる。そのまま英語でもPadaukとし、ミャンマー在住の日本人の間でもパダウと呼び親しまれている。けれども、日本で通る名前ではなく、一般的にはビルマカリンと呼ばれている。ややこしいことに、実を酒にするカリンとは、科から違うまったくの別物である。また、木材としてはシタン(紫檀)という枠に含める場合もあるが、これは言わば商用の拡大解釈で、古くからシタンと呼ばれていたのは、パダウとは属の違う数種のみであるため、ビルマシタンという呼び方は、とりあえず避けておこう。

このビルマカリン、つまりパダウの本名は、Pterocarpus macrocarpusである。ボジョーマーケットあたりの木工品屋で売られているパダウの食器などは、売り手が誠実なら、このP. macrocarpusの材だと思っていい。一方、乾期の終盤に町を彩るパダウの本名は、P. indicusとされる。同じPterocarpus属ではあるけれど種名が違う…この種の通称は、インドカリン(インドシタン)。ビルマカリンとインドカリン…。

これまで町のパダウについて書くときは、私は複数の種類が存在する可能性にぼんやり言及してはきたが、その度合ははっきりさせておいたほうがよかろうと、ミャンマーの樹木分類の第一人者と言っていい旧知のインインチー先生(Daw Yin Yin Kyi)に恐る恐る尋ねてみた。その問答の結果は…。

「ヤンゴンだとビルマカリンはどこにあるでしょうか」「見た記憶がない」「…」。現役森林局職員の友人が、「ピーロードとの立体交差手前のユニバーシティーアベニューにある背の高いパダウ。あれこそがビルマカリンだ!」と言ってたのを思い出し再び問うてみたが、先生曰く、同属のアンダマンカリン(P. dalbergioides)あたりだろうと。万事休す。

実は、林業や製材業の世界では、山から伐り出す木工用のパダウと街路樹などに植えているパダウは、別物として以前から呼び分けていた。山のパダウはThit-Padauk(テッパダウ)、木のパダウという意味になり、これこそがミャンマーパダウ、ビルマカリンである。そして、町のパダウは Pan-Padauk(パンパダウ)、花のパダウという意味で、インドカリンを指す。その名の通り、インドあたりから大英帝国が移入して、緑化木として町場に植えた可能性が高い。
1612月, ヤンゴン管区モービー郡
Leaves & fruits of P. macrocarpus in Dec. 16, Hmawbi Tsp., Yangon Reg.

衝撃の問答以来、正真正銘の木のパダウとはどんなものかと気にかけてはいたが、既に過剰に伐採されており、行く先々の山で、もう残っていないという返答が続いていた。それでもなんとか、森林局の試験林に植えられているものと自然保護区に残っている野生の木に巡り合うことができた。その印象は、葉っぱの一枚一枚や実は、町にある花のパダウと酷似している。けれども全体の容姿がかなり違っている。

あくまで分類の決定打は花の構造(最近はDNAまで)だが、先生が指摘する分かりやすい樹形の差は、花のパダウのほうは大きくなると枝が垂れ下がってくる、というものだ。確かに町場のを見ると、まるでヤナギのようにしだれている。一方、木のパダウは、森林局施設のオープンな庭で育っているものであっても、その枝は、しだれると言えるほどには俯いていない。

7月, ヤンゴン市街
Pterocarpus indicus, in Jul., Central Yangon
191月, ネピドー圏オッタラティリ郡
P. macrocarpus at garden in Jan. 19, Ottarathiri Tsp., Nay Pyi Taw UT

他にも、花の大きさが違うとか色はもっと淡いとか言われているが、それらについては、私はビルマカリンの開花に出くわしていないので、まだ何とも言えない。とにかく容姿においては木のパダウはすばらしく、最も大きかった野生の一本は、すっきり通直な幹がそびえ立ち、その直径は、地際から130センチの高さで121センチあった。
192月, サガイン管区アラウンドーカタパ国立公園
P. macrocarpus in wild in Feb. 19, Alaungdaw Kathapa National Park, Sagaing Reg.

残念ながら、ヤンゴンの町場にあるパダウは、ほぼP. indicusと思っていいようだ。そして、その出所は、インインチー先生らが中心になって編纂されたミャンマーの植物目録では、cultivated(植栽)としている。ふと、日本における野生のヤマザクラと町場のソメイヨシノの関係を連想してしまったが、ソメイヨシノは土着のサクラ同士をかけ合わせて作った品種であって、あくまでルーツは日本国内にある。けれども、我が町のパダウときたら、ルーツが隣のインドだなんて…そんな話は聞きたくなかったと言われてしまいそうだ。

樹木の場合、その地の象徴のように親しまれているものが他国からの移入種であるというのは、実は各地でよくある現象なのである。例えば、沖縄の県花デイゴ(Erythrina variegata)は、東南アジアからの移入種で、ミャンマーの海岸にも自生している。
2月, エヤワディー管区タミーラ島自然保護区
Erythrina variegate in Feb., Thamihla Kyun Wildlife Sanctuary, Ayeyarwady Reg.

また、沖縄にもミャンマーにもあるホウオウボク(Delonix regia)は、台湾では市の木に指定しているところもあるほどだが、原産地はマダガスカルである。この真っ赤な花を咲かせる木は、よく火炎樹とも呼ばれるが、カエンボク(アフリカンチューリップ、Spathodea campanulata)という別の木があるので、混同を避けるためにはホウオウボクと呼ぶのがいいだろう。

6月, ヤンゴン管区モービー郡
Delonix regia in Jun., Hmawbi Tsp., Yangon Reg.
3月, ヤンゴン管区モービー郡
Spathodea campanulata in Mar., Hmawbi Tsp., Yangon Reg.

そして、世界に向けて発信する日本の花木の切り札と言えば、もちろんサクラである。それはもはや、美しい花を届けたいという純粋な愛好心を越え、外交的役割も担っているみたいだ。ミャンマーでも既に植樹が始まっていることは存じているが、くれぐれも慎重な対処を望みたい。なぜなら、ミャンマーもまたサクラの国であるからだ。

チェリーパン(サクラの花)という言葉は歌にも頻繁に出てくるが、国の広範に及ぶ高地の風物詩として郷愁を誘う花の一つが、ヒマラヤザクラ(Prunus cerasoides)である。この種が自生していない低地での植樹だけならまだしも、もし、移植や交配を無秩序に繰り返していると、種の勢力図はオセロの石がひっくり返るように塗り替えられ、土着種がたちまち絶滅に向かうという悲劇は容易に起こりうる。
1月, シャン州タウンジー野鳥保護区
Prunus cerasoides in Jan., Taunggyi Bird Sanctuary, Shan State

特に植物では無理もない。生きたマツの大木を運ぶことはゾウを運ぶよりも大変かもしれないが、マツの種を運ぶなら子猫を運ぶよりもたやすいことなのだから。あとは、種(しゅ)の種(たね)や苗を掌中に収めた者の良心に委ねられることになる。

モラルとルールに則って園芸品種や家畜をかけ合わせたり移動させたりすることは、既に認知された営みではあるが、最近は、野生生物のアイデンティティーまでも人が操作したがっているように見える。昨年、著名人がこぞってネット上でお悔やみを述べたことで話題となった、シロサイの亜種キタシロサイの絶滅確定という報道があった。

亜種とは、同じ種類ではあるけれど、生息地の分断などによって違ってきている形や模様の差を系統ごとにまとめたグループ分けの単位で、例えば、P. tigris sumatraeと表記すると、亜種スマトラトラを指す。なので、亜種の全滅は、一つのグループの消失、一つの生息地の消失となり悲しいことには違いないが、種の絶滅を意味するものではない。けれども報道では、キタシロサイという種が滅びるかのように論じられた。なんか、種の線引きの動機が怪しいぞ。

サイ科やネコ科はまだだが、亜種の概念をなくして種に昇格させようという流れがあり、各地の様々な研究者が、オラが森の個体群だけが持つオンリーワンはないものかと、外見のみならず遺伝子レベルで探している。そしてその特異性が証明されれば、晴れて「新種発見!」となるわけだ。新種化の進む世界では、身近な生き物が他の地域のとは違う特徴を持つと認められた瞬間、地域限定の希少な固有種に化けるわけで、知らずに昆虫採集や押し花をした親子がお縄に、なんて事態にもなりかねない。

この分類のトレンドは、もはやノアの方舟の決断とは別次元で、代々子孫を残せる間柄なのに毛色が違うだけでも別の種類とされてしまう、という話なのだ。身近な花の素性をきっかけに話は分類にまで及んでしまったが、神でも天でも自然でもなく、人が命の種類を選別したがることに違和感を覚える昨今の生物界である。

追記:
キタシロサイの全滅確定で注目されたシロサイの生存数が約2万頭なのに対し、同じサイ科のジャワサイの生存数は約50頭と推定されている。それでも、わずかにベトナムに残っていた大陸側の個体群が全滅した時には、キタシロサイほど大きく扱われることはなかった。亜種を種のように扱ったり、実際に次々種に格上げして横並びに単位を揃えてしまうと、地球レベルで今まさに何が絶体絶命にあるのか、緊急度がぼやけてしまわないか。

1 件のコメント:

  1. これはかなりの驚きです。周りのミャンマー人にも聞いてみます。

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