2011年11月25日金曜日

どっちも正解!?その1. -Both are right!? (part 1)-

突然ですが、今、インドの南に浮かぶ島国、スリランカのことをセイロンと呼んでいる人、おられるだろうか。未だにキム・ジョンイルのことをキン・ショウニチと呼んでいる人、どんな人だろうか。

どうやら、よその国から付けられた国名などを元の現地語に戻そうとするのは、かつて植民地だった国々を中心に世界的な流れのようである。日本人の名前でさえ、アルファベットで表記する際は、和風にOnishi Shingoとファーストネームを後回しにするよう、国語審議会は薦めるようになった。

国名人名だけではない。インドのボンベイはムンバイ、インドネシアのセレベス島はスラウェシ島、オーストラリアのエアーズロックはウルル、ヒマラヤのエベレストはチョモランマからサガルマータ…

そんな流れの中で、かつての英語名バーマ(日本語名ビルマ)は、ミャンマーとなるわけだが、この移行だけは、すんなりとはいっていない。そこには、誤解も思惑もあるようだ。

私がミャンマーという呼び名を初めて耳にしたのは、西アフリカのセネガルでのことだった。チークの人工林を指して、森林官のトゥレさんが言った。「このテック(チークのフランス語)は、ミャンマーから来た」。

その後、間もなくしてミャンマーに関わるようになり、ビルマ語のテキストを買ってみたら、国名変更前に発行された本なのに、「ビルマ=myanma」と日本語ビルマ語の対比覧にあった。なんだ、昔からミャンマーじゃないか。そこで私は、すんなり納得した。

もっと日本人になじみ深い証拠は、映画「戦場にかける橋」の舞台となった泰緬鉄道。泰は泰国、つまりタイで、緬は緬国、つまりミャンマーのミャンの当て字のはずだ。

この国の名前は、国際的にミャンマーと呼ばせる以前から、国内ではミャンマーと呼ばれていたらしい。厳密に言うと、文語で「ミャンマー」、口語で「バマー」だったそうだ。この「ン」は、日本人の発する「ん」ほど強くないので、どちらかというと一息に「ミャマー」のほうが近いかもしれない。

「ミャマー」と「バマー」。これは、もしかしたら「ニホン」と「ニッポン」ぐらいの差ではないのかとも思え、こうなると外国語の「バーマ(ビルマ)」だけが、ちょっと浮いていて遠いようにも感じる。

けれども、ミャンマーという国名に反対する人は、「どうかミャンマーではなくてバーマ(ビルマ)と呼んでくれ」と訴える。なんであえて英語?「バマーと呼んでくれ」なら、まだ分かるのだが…

さらにややこしいのは、政府に不満ばかり言っている人の中にも、国名がミャンマーになったのは本当によかった、都合がいい、と評価する人もいることだ。

135種の民族がいるとされるミャンマーの中で、最大勢力なのがビルマ族で、現地での呼び方は国名の口語と同じバマーである。そして、英語の国名バーマは、このバマーが変異したものなので、「ビルマ族の国」のような印象になってしまう。

一方、文語のミャンマーのほうは、ビルマ族を指しては使われず、あくまで国土を指す場合にのみ使われていて、語源は同じでも「ミャンマー」からは特定の民族は連想されない。少なくとも言語学者ではない私などには。

なので、国名をビルマ族から切り離したことで、国籍はと問われれば「ミャンマー人」、民族はと問われれば「ビルマ族」「シャン族」「モン族」さらには「チャイニーズ(華僑)」などと、法的な分類と遺伝的な分類が、うまく使い分けられるようになったというわけだ。

ミャンマーという国名に反対する最大の理由は、その変更したプロセスにある。昔からあった国名とはいえ、“国際的にも英語名のバーマではなく現地名のミャンマーにしますよ”などという、とんでもない大きな事柄を、国民に何の相談もなく当時の政権はやってしまったのだ。

そのため、手続き上その変更は無効だというのが、反対する方々の言い分なのだが、そのことを訴える際に、「ミャンマーという国名は軍事政権が勝手に“決めた”もの」と説明している。こう聞いた日本人の多くは、「軍事政権が勝手に“作った”国名」と勘違いしてしまうようだ。

国のことを深く理解してもらいたいのなら、もっと詳しく歴史的経緯を説明し、その上で、やっぱりおかしいでしょ、と訴えたほうが、私はいいと思う。プロパガンダの臭いがした途端、へそ曲がりの私などは、逆に拒否反応が起きてしまう。上下左右に関わらず。
新国旗
The present national flag.

 国名だけではない、前政権は国旗すら国民に何の相談もなく変えてしまった。民主国家でこんな強行があっていいはずはなく、そこは疑う余地はない。新政権には、二度とそんなことはやらないように願いたい。
多くの人が名残を惜しむ旧国旗
The previous national flag. Many people feel the sorrow of parting.

だとしても、植民地時代からの外国語の呼び名で通すのか、他の多くの国のように現地の呼び名に戻すのかは、政治と切り離して別次元の問題として議論すべきだと私は思うのだが…

まじめに語学の勉強もしたことないくせに、現地で肌で感じていることだけをもとに無責任に述べさせていただきました。
国籍不問の仏教の旗
The borderless Buddhistic flag.

0 件のコメント:

コメントを投稿