2011年10月28日金曜日

雨の季節の楽しみ -A pleasure in Rainy season-

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'11年9月2日原文追補

雨降りは憂鬱(ゆううつ)だが、雨が降るからこそ植物が育ち動物が育ち、地上は命で満たされる。ミャンマーの山中(さんちゅう)で目の前の谷川が増水し、対岸へも上流へも下流へも行けなくなった間、同じ側、いわゆる裏山でできることをして過ごすことになった。

足止めを食らった集落は、通称(つうしょう)「療養(りょうよう)キャンプ」で、健康の優(すぐ)れないゾウや引退した老ゾウや出産前後の母ゾウ子ゾウ、さらに訓練継続(けいぞく)中の若ゾウたちが周囲の森に放されている。より上流の森に散らばっている作業キャンプから見れば、扇(おうぎ)の要(かなめ)のような位置にある。

雨が降り続く間も、ゾウ使いたちは、こちら側の森のどこかにいるゾウを探し出しては連れ戻し、激流の隅(すみ)のほうで体を洗ってやる。療養中のゾウは、すぐに自由にするが、若ゾウはしばらくキャンプに留(とど)めておき、レベルに応じた訓練も施(ほどこ)す。

今は、片足を上げる訓練を集中的にやっている。これができると、いちいちゾウをしゃがませなくても、L字型に上げたゾウの前腕を踏み台にして、数段とばしの階段のごとく、うなじによじ登ることができる。
人力(じんりき)だよりの足上げ訓練
The training of forefoot raising by human power.

雨は相変(あいか)わらず止(や)みそうもない。こんなときは、雨の恵みでも採(と)りに出かけるに限る。中でも重量級の山菜(さんさい)、タケノコは今(雨季)が旬(しゅん)だ。

いつものようにリュックやらカメラやら担(かつ)いでいる私とは対照的(たいしょうてき)に、いっしょに行く三人は、からの籠(かご)や袋とナタ一丁をさげているだけ。

分厚(ぶあつ)い靴(くつ)で地面を踏みしめる私の前を、ゴム草履(ぞうり)や裸足(はだし)のままでスタスタ歩いてゆく。石だらけの渓流(けいりゅう)をさかのぼり、ズルズル滑(すべ)る赤土の斜面をよじ登り、下草の茂る森をくぐって目星(めぼし)を付けていたポイントにたどり着いた。

以前にも書いたが、ミャンマーでは、50センチほどのものから、そこそこ伸びて竹になってしまいそうなタケノコまでも叩(たた)き切って、その場で捌(さば)いて、硬くない上のほうだけを持ち帰る。この採り方のほうが、労力(ろうりょく)としては掘るよりも楽(らく)そうに見える。
約一時間の往復(おうふく)と約30分の採集(さいしゅう)で得た三人の収穫(しゅうかく)
The harvest by three persons in about one hour round-trekking and thirty minutes picking.

採ったタケノコは、種類によっては一時間も茹(ゆ)でるとアクが抜ける。柔らかくなったタケノコの片端を押さえ、ヤマアラシの針で全体を細く裂いて大名(だいみょう)行列の吹き流しのようにする。それを油で軽く炒(いた)めるのが、最もシンプルな一品だ。
森の調理器具、ヤマアラシの針
A cooking utensil in forest, Porcupine's quill.

外は相変わらずの大雨。高床の下に濡(ぬ)れた服を干し、竹で編(あ)んだ屋根や壁に囲まれてタケノコをたらふくいただく。最近時々聞く「自然との共生」という言葉。目の前にいるのは、生活のそこかしこでさりげなくそれを実践(じっせん)している先生のような人たち。

価値観(かちかん)を変えると、こんな森こそが世界の最先端(さいせんたん)にあるのかもしれない。
袋に入りきらない分は、即席(そくせき)の竹のヒモで下げる
Extra harvest more than a bag capacity is carried by the handmade bamboo string.

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