2011年5月5日木曜日

上り下りの…、その1.


東日本大震災の後、通信状態が落ち着いてきたのを見計(みはか)らって首都圏の友人らに連絡を取ってみた。

そこで、3月11日の夜は、みんな職場に泊まったり二時間かけて徒歩で帰宅したりと、首都圏でも大変な状況だったということを改めて知らされた。そんな中でも、あるミャンマー人の友人は、12時間歩いて家族のいる自宅まで帰っていた。

前々から思っていたことだが、ミャンマー人と日本人の距離に対する感覚は、ちょうど車と徒歩ぐらいの差があるように私は感じている。

例えば、10キロ離れた場所なら、日本人の一般的な感覚だと「車で行くなら近いよ、20分ぐらいだよ」ぐらいで、そのへんが近いか遠いかの境界ではないだろうか。一方、ミャンマーの人なら「近いよ、歩いて二時間ぐらいだよ」と言えるのが、ちょうど10キロ(6~7マイル)あたりまでではなかろうかという気がするのである。

非常事態(ひじょうじたい)ともなれば、家族のために12時間歩くこともいとわない足を持ち合わせているタフな人たちではあるが、今一つ足元がおぼつかない弱みも持っているように思える。

ミャンマーの人口の大半が住んでいるのは、大河に沿って開けた平野部なので、日常的には坂道の経験がほとんどないはずなのだ。せいぜい、小高い丘の上にあるパゴダ(仏塔・寺院、ぶっとう・じいん)をお参(まい)りするために上り下りするぐらいが関(せき)の山だろう。

あっ、余談(よだん)だが、エスカレーターをスイスイ乗り降りできる人も、まだまだ限られている。たまにヤンゴンで稼動(かどう)しているエスカレーターの前で身構えている一家の微笑(ほほえ)ましい光景を見かけたりもする。まるで、“おーしょーうさん、おはいんなさい”と長縄跳(ながなわと)びに飛び込もうかというぐらいの勢(いきお)いだ。

ミャンマーに旅行や仕事で訪れると、どうしても拓(ひら)けた町や観光地を中心に動くだろうから、出会った平野の人たちがミャンマー人の標準として印象付けられる可能性は、自(おの)ずと高くなるだろう。

けれども、その平野を取り囲むように畳(たたな)わる広大な山地帯に一歩足を踏み入れると、そこには、町のミャンマー人もよく知らない文化と能力を持った人たちが、たくさん住んでいる。

冒頭(ぼうとう)の写真は、そんな森人(もりびと)の代表格、ゾウ使いが、「ヘビがいたー」と、突然、道のない斜面(しゃめん)を駆(か)け登っていったときの様子である。

残念ながら、このときは、いち早く地中に潜(もぐ)られ、十分以上の穴掘りも空(むな)しく、仕留(しと)めることはできなかった。ヘビにとっては九死に一生だった。

獲物を見つけたときや、尾根の向こう側で猟犬が吠(ほ)えたりしたときなどの彼らの俊敏(しゅんびん)さには圧倒(あっとう)される。校庭のトラックでも走るかのように、まるで重力を感じさせない凄(すさ)まじい勢いで急斜面を登って消えていくのである。

そんなゾウ使いと共に森林地帯を縦横無尽(じゅうおうむじん)に動き回っている使役(しえき)ゾウも、やはり山歩きの達人、いや、達象である。


これらの写真は、疑(うたぐ)り深い方のために、水準器を利(き)かせて水平垂直を確認しながら撮ったものです。(続く)

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