2010年8月4日水曜日

森の子どもたち

愛媛新聞「ぐるっと地球そのままクリック!愛媛」'07年4月7日原文追補


まったく身に覚えはないのだが、ミャンマーの津々浦々には息子や娘たちがたくさんいる。はな垂れっ子が家族を持つまでに育つのだから、ついつい親心で見てしまうのである。

ミャンマー人は苗字を持たず、家業の世襲も強制しないが、子どもたちは当然のように家の仕事を手伝う。なので、それがゾウ使いの子なら、幼い頃からゾウとの間合い、森の怖さ、楽しさなどを肌で感じながら暮らすため、多くの男の子は、ごく自然にゾウ使いになる。

女性も子どももゾウも川で混浴

この冬('06年暮れ)訪ねたゾウ使いの現場では、毎晩たき火を囲み、取りとめもない話題で心と体を温めていた。そんなひと時は、それぞれの趣味や特技を披露する機会でもある。

たき火にする倒木を運ぶコンビ

彼らの生活術、特に刃物使いには、いつも圧倒されてばかりなので、今回私は、森林インストラクターの名にかけて、秘策を一つ準備していた。自慢の土佐ナタを振るい、覚えたばかりの竹笛を作って吹いてやった。どんなもんだ!

「ナタ貸して」。お返しとばかりに、青年ゾウ使いらが、次々と技をくり出しはじめた。彼らの腕は、家や道具だけでなく、竹馬や知恵の輪のような遊具を作る余裕も持ち合わせていた。そして、いよいよ極めつけ。

拾った竹を割って削って、擦る擦る…だんだん目の前が灰色に霞んできた。すかさず一人が頭をかしげて息を吹きかける。それに応えて、息づくような紅が灯った。ヒモすら使わず、まったく竹だけで火を起こしてしまったのだ。私は思わず歓声を上げ、手を叩いていた。


森に入れば、先生はいつも彼らで、年食ってる私が一番の下級生だ。しかも、“自然は美しい、森暮しはいい”などと言ってみたところで、結局は便利な文明社会に私は逃げ帰れる。彼らから見れば、自然をもてあそぶ能天気なオジャマ虫でしかないのではなかろうか…。

私が森を去る前の晩、あるゾウ使いがつぶやいた。「明日からまた、この森にいるのはおれたちだけになってしまう。さびしくなるなあ」。彼らの心は星空のように広く、たき火のように温かかった。

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