2011年7月12日火曜日

しばしのお別れ -Farewell, for a while-

しばらく、このブログサイトにアクセスできなくなります。
再開するまでの間、これまでの書き込みと写真を、のんびりと楽しんでいただければ幸いです。
I am away from this weblog site for a while.
I hope you could enjoy various photos showing on this site until I come back here.
Shingo Onishi

2011年7月7日木曜日

野生の目 -Wild eyes-

マレーウオミミズク
Buffy Fish Owl(Ketupa ketupa

このフクロウ科の鳥の目を見て、ガキの大西だったら「あっ、白目が黄色い!」と思ったに違いない。

目の構造(こうぞう)を少しは科学的に理解できるようになったのは、ずっと大きくなってからのことだった。

目のド真ん中は、人も獣(けもの)も鳥もみんな黒い。いわゆる瞳(ひとみ)の部分で、暗いところでは思いっきり開いて少しでも多く光を取り入れようとし、明るいところでは小さくなって光の量を制限(せいげん)しようとする。

山羊(やぎ)の瞳は横に細長く、猫の瞳は、針のように細く閉じたり、まん丸に開いたりする。猫を観察してみると、周りが明るくても、獲物(えもの)に飛びかかる瞬間(しゅんかん)など、物をしっかり見るときには、瞳がまん丸に開く。

瞳の周りにあって、私なら濃い茶色だったり、白人なら青色だったりする部分が虹彩(こうさい)といわれる部分で、カメラの絞(しぼ)りのように瞳という窓口を拡大縮小(かくだいしゅくしょう)させる働きをしている。

そして、このフクロウの場合、その虹彩の部分が黄色なのだ。つまり「あっ、茶色目が黄色い!」である。

じゃあ白目はどこかというと、実は、人間ほど白目が表に出ている動物は珍しく、ほとんどの動物では裏に隠(かく)れている。

人間に次いで、白目がよく表に現れるのは犬で、これは、人や犬では、どこに目配(めくば)せしているかというのが、仲間同士での意思の伝達(でんたつ)において重要な意味を持つからなのだとか。

我々の場合、白目はコミュニケーションツールとして大切なのだ。

他の多くの動物では、目配せをコミュニケーションとして重視(じゅうし)していないので白目は目立たず、まして眼球(がんきゅう)が動かない鳥類などは、キョロキョロするときは頭ごと動かして顔配せすることになる。鳥の物まねをするときの鉄則(てっそく)だ。

このマレーウオミミズクは、マングローブの浅瀬(あさせ)にしかけた建干網(たてぼしあみ)に絡(から)まったところを翌朝捕らえられた。動物界屈指(くっし)の夜目(よめ)の持ち主である彼らも、さすがに動かぬ細い糸は目に入らなかったようだ。


透明(とうめい)の水晶体(すいしょうたい)に覆(おお)われた濁(にご)りのない鮮(あざ)やかな黄色の虹彩に真っ黒の瞳。こちらの心の中まで見透(す)かされそうな力強さと美しさがあり、身震(みぶる)いするほど魅(み)せられた。

虹彩の色も目の形も大きさも動物によってさまざまで、それぞれに美しい。例えば、ゾウの目は澄(す)んだカンロあめのようで、琥珀(こはく)のような透明(とうめい)感がある。そして、睫(まつげ)は意外と長い。

アジアゾウ
Asian Elephant(Elephas maximus

ワニの目は、夜、懐中(かいちゅう)電灯で光を当てるとタバコの火のようにオレンジがかって反射(はんしゃ)する。体が大きければ光の玉も大きく、並んだ二つ光の幅は眉間(みけん)の幅そのものなので、頭のデカさも推測(すいそく)できるというわけだ。

イリエワニ、右側が鼻先
Saltwater Crocodile(Crocodylus porosus), The tip of its nose is on the right side.

ワニには、瞼(まぶた)とは別に、瞬膜(しゅんまく)という透明の膜があり、目の前から後に向かって、スパッと眼球(がんきゅう)を覆う。新造人間キャシャーンの戦闘(せんとう)用顔面ガードのようだが、瞬膜のほうは潜水(せんすい)用だ。

我々が水中に潜(もぐ)ると地上とは光の屈折率(くっせつりつ)が違うので、物がボヤケて見えてしまうが、瞬膜で目を覆うと水中で焦点が合うようになっており、まさに自前のゴーグルなのだ。

ヤンゴン駐在の商社の方がワニ園を見学したとき、どうやら通訳者の力量(りきりょう)がイマイチだったようで、ワニには陸上(空中)用の目と水中用の目が別々にあって合計四個の目玉があると思い込んでおられたそうだ。

目は、まだ瞬膜に覆われていない
The eye is not covered with a nictitating membrane yet.

光の屈折率の違いからか、ほとんど水中で生活している者たちの目は、どこを見ているのやら掴(つか)みようのない目をしている。

上陸したウミガメなどは、たぶん大気の中では焦点が合っていないのだろうが、黒メノウのように全体が黒くて、どこが瞳でどこが虹彩やら、よく分からない。

まるでメキシコの覆面レスラーのようだが、ミル・マスカラスなら、カメモチーフのマスクの一つも作っているかもしれない。

アオウミガメとタイマイの混血と思われる亜成体
It is possibly a semi-adult hybrid individual between Green Sea Turtle (Chelonia mydas) and Hawksbill Sea Turtle (Eretmochelys imbricata)

私は、宝石の輝きに心を奪(うば)われた経験はないが、色とりどりの動物たちの目には吸い込まれるような魅力を感じ、心も奪われてしまいそうだ。

この地上には、地下に眠るどんな宝石よりも美しい生きた宝石たちが、動物の数だけある。まさにWhat a wonderful world!(この素晴らしき世界)、ですね。

2011年7月5日火曜日

温度差 -Gap of temperature-

4ヵ月半ぶりに東京に出ています。

この間、東北へは二度訪ねましたが、首都圏には寄らなかったので、報道で見る節電のモードとムード、やっと実感できました。

まずは、駅で車内で店内で、西日本とは、かなりの照度差を感じました。そして、節電やエネルギー問題に対する覚悟の温度差も感じました。エレベーターや、手を乾かすトイレのドライヤーなど、あちこちで電動モノが止まっています。

私は元々、渡り廊下走り隊ならぬ“昇り階段走り隊”で、ハンカチ王子ならぬ“ハンカチおやじ”で、銀座の旋風児(古っ!)ならぬ“伊予の扇風機児”なので、別に不便はなく、予見していた時代がいきなり来てしまったなあ~って感じです。

エネルギー問題は、東西のヘルツの差云々などの小さい話ではなく、国全体が保有する資源の総量に関わっているのだから、東西南北関係なく全国民がチャレンジすべきですが、地球温暖化に関しては、もしかしたら、言われるほどではないのかなと思うことがあります。

統計に残っているのは、測候所などの定点での記録で、それを比較すると確かに年々平均気温が上昇しているのは間違いなさそうですが、“真の平均気温”は、それほど変わっていないのかもしれません。

この“真の平均気温”というのは、私が勝手に作った定義で、測候所や百葉箱などの外気の記録のみではなく、事務所も住宅も店内も車内もひっくるめた人が住む生活空間の隅から隅まで全体の平均を取った気温のことです。

例えば、東京のA測候所の今日の最高気温が35度で、三十年前の今日の記録を繰ってみると32度だったとしたら、単純に3度高いことになります。

けど、同じ区内にあるBデパートの室内温は、今日が25度で、三十年前の今日は28度ぐらいだったかもしれません。

つまり、記録に残っている温暖化傾向の野外気温と、記録に残っていない冷涼化傾向の室内気温を相殺して、東京全体の空気の真の平均気温を取って比較したら、言われるほど変わっていないのではないかと…そんなことを想像している次第です。

ところで、ほぼ完成形の東京スカイツリーをやっと見ました。

途中までの安定した姿とは一転して、600メートルに到る最後の四分の一ぐらいの、なんと不安定なことか。途中で情熱をなくして、芸術品の頭に、いきなり機材を乗っけてしまった感じで、見るからに心細いバランスの悪さには、ちょっとがっかりです。

二番になってしまっても、やっぱり昭和の東京タワー派かな。