2018年10月13日土曜日

ミャンマー自然探訪、その5. -西の城壁、ラカイン山脈- ―Exploring Myanmar Nature, Part 5. -Western great wall, Rakhine Yoma-

「ヤンゴン日本人会」201810会報寄稿文原文
カンムリワシ
Crested Serpent Eagle (Spilornis cheela)

ミャンマーの西の国境は東南アジアの境界線でもあり、その向こうは南アジア(インド亜大陸)になる。東南アジアの東の境界線がニューギニア島内に引かれた直線的な国境なのに対し、ミャンマーの国境ラインは、ほぼ地形と連動している。そのため、生物の分布にも連動していて、国境付近の山岳地帯を境にして反対側にはいないという動物は結構いる。

なじみの動物では、例えばクジャク。ミャンマーを含む東南アジア側にいるのは首が緑色のマクジャク、南アジア側にいるのは首の青いインドクジャクという別種で、その分布の境界は国境山岳地帯のやや西寄り、アッサムからバングラデシュにかけてあるようだ。色だけでなく冠羽の形も違うのだが、クジャクを国のシンボルのように思っているミャンマーの人も分類には無頓着なようで、ミャンマーの組織や商品のマークにインドクジャクが使われていることもある。各国の動物園でよく見られるのも数の多いインドクジャクのほうで、ミャンマーの動物園では希少なマクジャクと一緒に飼われてしまっており、両種の交雑が疑われる。

人の分布の場合も、動物の一種ホモ・サピエンスとしての系統分類という視点では、土着民族か外来民族かの判断は、難しく考えなくていいのかもしれない。ただし、文明を手に入れた後の人間としての移動が加わると、簡単に線引きするわけにはいかないということだろう。例えば、日本にいるアメリカザリガニは紛れもなく人の手による外来種で、どこまで行っても決して土着種ではない。けれども、今や彼らは理科の教科書にも載るほどの日本の里を代表する生き物になっており、もはや日本列島から排除することは不可能である。
雨季のラカイン山脈東側斜面落葉混交林地帯
Mixed Deciduous Forest in Rakhine Yoma in Rainy season, Bago Reg.

ミャンマーの西の輪郭を形作る山岳は、東南アジアの北端にして最高峰であるカカボ・ラズィ山からエヤワディーデルタの西南端にかけて連なっていて、海に没した先には、島々がポツポツと洋上に頭を出している。これらは、ひと連なりの大山脈とも見れるが、地理学的には南のほうだけをラカイン山脈(Rakhine Yoma)としている。かつてはアラカンと呼ばれていたが、英語の国名バーマがミャンマーというビルマ語に戻された際、アラカンもラカインに戻っていて、ビルマ文字の「ラ」は「ヤ」とも発音するので、ヤカインと表記、発音されることもある。
乾期に咲くシソ科(旧クマツヅラ科)の蔓性植物
Congea tomentosa blooming in Dry season

行政区画で言うと、西側斜面の大部分がラカイン州、東側斜面から南端にかけてが、マグウェイ管区、バゴー管区、エヤワディー管区にまたがっている。ラカイン州の内側のみをラカイン山脈とする場合もあるかもだが、分水嶺の右と左で名前を分けるのは、自然を見る目が不自然だ。山梨県側も静岡県側も富士山は富士山なのだから。かつて日本軍が目指したインパールは、ラカイン山脈の北に続くチン丘陵よりもさらに北に位置するので、あの悲劇の作戦を「アラカン越え」と称するのは、現在の地図では違和感がある。実際には、いくらアラカンの山を越えてもインドはなく、目の前にはベンガル湾が広がるばかり。
ベンガル湾に面したビーチ
A beach facing Bay of Bengal, Ayeyarwady Reg.

津軽~の海よ~~”で始まる昭和の名曲「津軽恋女」によると、津軽には七つの雪が降ると言う。私はヤンゴンには三つの雨が降ると感じている。決して詩的な例えではなく、気象学的に正しいはずだ。まずは、太陽が近い頃に降りやすい熱帯性のスコールの雨。それに、ベンガル湾から次々に押し寄せてくる南西モンスーンの雨。さらに、超低気圧であるサイクロンの雨で、それぞれ降り方が微妙に違う。南シナ海側の台風の雨が及ぶこともあるが、サイクロン、タイフーン、ハリケーンは同じ現象で、所在地の違いにより呼び分けられているだけだ。ビルマ語では、低気圧の嵐を一括りに「モンダイン」と呼んでいて、「モットン」と呼ぶモンスーンとは区別している。
ラカイン山脈の西側斜面も、涼季と暑季には内陸と同じくほとんど雨が降らないが、雨季の降り方は凄まじく、2005~2014年の平均で、ヤンゴンの年降水量が東京の二倍近い2,947ミリなのに対し、ンガパリビーチに近いタンドウェーでは5,405ミリ2007~2016年平均5,112ミリにも及ぶ。ラカインの海岸は、ベンガル湾からのモンスーンが最初に出会う陸地だが、直接雨雲がぶち当たる山中ではもっと降っているに違いない。それから分水嶺を越えて内陸に向かう頃の雲は、かなり水分が搾り取られているため、ラカイン山脈の東側に当たるマンダレー管区やマグウェイ管区には、年降水量が500ミリにも届かない東南アジア屈指の乾燥地が現れることになる。山脈を一つ越えただけで、雨量の差が十倍にもなるということだ。

さらに、ベンガル湾に発生するサイクロンに対峙しているのもラカインだ。日本でも台風から離れた場所で豪雨となることがよくあるが、サイクロンの東側に位置するミャンマーは、その外周の雨雲がかかりやすく、強風圏外のヤンゴンでも猛烈な雨がひっきりなしに何日も降り続くことになる。まして西のラカインでは、かすめたり上陸したりすることが度々あり、その都度、暴風雨にさらされる。

この気象条件下にあるラカイン山脈を横断すると、西側斜面は常緑の熱帯雨林、東側は落葉樹の多い落葉混交林、さらに内陸の平地に降りれば複数のタイプの乾燥林へと見事に移行している。そのうち熱帯雨林は、他ではあまり見られない独特の景観をしているのだが、それにはサイクロンの影響が考えられる。幹の内部に空洞ができるような老大木は暴風によって倒されやすいため、他の地域よりも世代交代は早められているはずだ。そして、ぽっかり空いた森の天井は伸び盛りの木が塞ぐというのが健全な森の法則だが、ラカイン山脈の場合、ある土着種がそれを阻んでいる。それこそが、竹の一種、カインワ(Melocanna baccifera)である。

竹の生え方には、地下茎が横に伸びてその線上におおよそ等間隔で一本ずつ竹が立ち上がる散生型と、地下茎が横に伸びずに何十本もの竹が束になって株立ちする束生型とがある。かぐや姫を探して歩けそうな空間を伴うおなじみの竹林は散生である。ただし、そんな日本の原風景的な竹林や和食の代表格である筍を生み出すモウソウチクは中国から持ち込まれた外来種で、そのステータスはアメリカザリガニとなんら変わらない。

一方、熱帯に多いBambusaの仲間は束生で、落葉混交林では大きな竹の束となって点在しており、森人にとっては住居や道具を作るのに欠かせない大事な資材となっている。ところが、ラカイン西斜面の雨林地帯に多いカインワは散生で、風倒木により森に隙間が空くと、たちまち地下茎を伸ばして筍を生やし、猛烈に竹林を拡散して他の樹木に発芽する余地を与えないのである。
竹林と常緑林の交じるラカイン山脈野生ゾウ区域
Evergreen Forest mixed with Bamboo forest in Rakhine Yoma Elephant Range

この特異な植生を持つラカイン山脈のうち、南部のタンドウェー郡からグヮ郡にまたがる1755.7k㎡に及ぶエリアを、政府は2002年に、ラカイン山脈野生ゾウ区域(Rakhine Yoma Elephant Range)という自然保護地域に指定し、管理事務所や常勤保護官を置いている。今年私は、そのほぼ中間に位置するチェインタリー川上流の常設キャンプ(監視詰所)を目指し、下流に架かる橋のたもとからエンジンボートで遡った。時期は乾期の半ばで水位はかなり下がっており、浅瀬では船底が川床に当たって完全に停止してしまった。すると保護官たちは船を降り、早瀬の中を次の深みまで船を押して進むのだった。浅瀬に乗り上げてはスクリューを持ち上げて降りて押す。そして深みに出れば再び乗ってエンジンで走る。これを繰り返すのである。この光景、どこかで見たことあるような…。
船を押して浅瀬を上る
Pushing up the boat in the rapid stream by human power

確か江戸時代の浮世絵に、大勢の人夫が木舟を担いで瀬の切れた河原を渡る一枚がなかっただろうか?まさか平成の世にこんな情景に出くわすとは。こういう状況は結構戸惑う。私も降りたほうが当然軽くなるが、なまじ労働に加わると、案内役である彼らのプライドを傷つけることにもなりかねない。案の定、保護官たちは、「いつもやってることだからどおってことはない。あんたはゲストなんだから座ってなさい」と言ってくれる。けれども、遡るに連れ早瀬も多くなり座礁の頻度も増してきた。
シロハラクイナ
White-breasted Waterhen (Amaurornis phoenicurus)

時に物理的限界は人情の機微を超えることがある。にっちもさっちも動かないところでは私も降りることにした。滑りにくさがウリの靴を履いてはいたのだが、藻が覆う丸い小石には全く効かず、つるつる滑りまくる。むしろ、薄いゴム底の野戦靴を履いている彼らのほうが軽やかに水を切って駆けるのだが、そもそも地面の感触を捉える足裏のセンサーが、私などとは比べ物にならないのかもしれない。
カタグロツメバゲリ
River Lapwing (Vanellus duvaucelii)

動力と人力を3時間フルパワーで駆動し、やっと谷間の河岸段丘に建つ常設キャンプに辿り着いた。季節で言えば涼季と暑季の境目だったが、ちょうど寒の戻りに当たってしまい、竹造りの高床では毎朝8度ぐらいまで下がった。薄手の寝袋の中で震え上がったが、いったん日が昇ると、今度は昼頃には日陰で33度にまで上がるのだった。
オオコノハズク
Collared Scops Owl (Otus bakkamoena)

やはり、周囲の山々は典型的なラカイン西斜面の景観で、広い竹林の中に常緑林のスポットが散在している。この環境は、イネ科の草が繁茂するアフリカの草原と同じように、大型草食獣にとっては悪くない。樹木は住み家としてはいいが、餌になる部分は葉っぱと実ぐらいで、大半を占める幹や太枝は腹の足しにはならない。一方イネ科の草なら丸ごと草食獣の餌になる。なので、見た目には森に比べて平板なアフリカの草原が、食料源としては圧倒的に多くの大型動物を養えることになる。同じイネ科の竹も、筍や葉っぱなどを大量供給でき、量的には樹木に勝る食料源となる。なので、ラカインの山では、竹林に出てきては餌を食べ、常緑林に戻っては休むという行動パターンが成り立つのではないかと推測できる。
東南アジア最大のシカ、サンバー
The largest deer in Southeast Asia, Sambar (Rusa unicolor)

ただし、常緑林が消失してしまうと住み家そのものを失うことになるので、いくら餌場があっても住みづらくなるが、現在のバランスは竹林が蔓延しすぎて常緑林が狭すぎる。おそらく、暴風による自然倒木に加え、焼き畑と盗伐が竹の繁殖を後押ししたのだろう。かつて竹の増えすぎを抑えていたのは、草食獣そのものだったはずだ。けれども密猟により動物の数は減り、既にこの地ではサイが絶滅している。せめて、残っているゾウやガウア(インドヤギュウ)などに竹を食いまくってもらって、竹林と常緑林のモザイク植生を半々ぐらいにはしてほしいものだ。

現状でも、なんとかシカとサルを見るには見て、これまで訪ねた全国の保護地域の中ても哺乳類の痕跡は多いほうで再訪の価値ありと確信したが、いまだ密猟者の侵入も絶えず、人の前に獣がひょっこり現れて、しばらく佇んでくれるというほどには保護体制は成熟しておらず、目視できるもののほとんどは鳥だった。
オオサイチョウ
Great Hornbill (Buceros bicornis)

往生際の悪い私は、町へ帰る日の朝も保護官と地元の青年に付き合ってもらって谷川沿いを歩いた。常緑林の樹上生活者、フーロックテナガザルの鳴き声が聞こえてきたが、声の出所まで行くには45時間はかかるだろう。諦めるしかない。お互いの居場所と絆を確かめ合う彼らの叫び声は、数キロ四方の山並みに響き渡るのである。
ヤマセミ
Crested Kingfisher (Megaceryle lugubris)

「あの木の上にいる鳥は何だ?」折り返しの途中、ヘインさんが尋ねてきた。私は、ちっちゃな鳥はもうたくさんという気分だったのだが、最後まで楽しませてくれようとしている彼の心遣いを察し、とりあえず望遠レンズを向け、「あぁ、コウライウグイスだよ(やっぱり)」と力なく答えた。「あーーー!後ろ後ろ!」双眼鏡で覗いていたイェ君がその向こうを指さした。「えー」私も画角そのままで、とりあえず鳥の数百メートル後ろの霞む山腹にピントを移してみた。

「え?えー!」大きな黒い塊が大木の上で動き回っている。マレーグマだ。願ってもない大物の最後の最後の登場に空気は一変。なんと痛快なことか。大興奮の三人に気づくでもなく、大きな樹冠を一巡りした彼は、尻のほうからゆっくりと幹を降り、竹林の中に消えていった。おそらくハチの巣を探し回っているのだろう。興奮の後には笑いがこみ上げてきて止まらない。

広大な山腹の中の一本の木の上の一匹の獣。こんなの、ふつうに歩いていたのでは目に留まるはずがない。わらしべ長者じゃないけど、やっぱり人情の機微は大切なんだ。マンネリの声かけに付き合ったお陰で、小さな鳥が大きなクマに化けたのだから。
マレーグマ
Sun Bear (Helarctos malayanus)

0 件のコメント:

コメントを投稿