2011年7月5日火曜日

温度差 -Gap of temperature-

4ヵ月半ぶりに東京に出ています。

この間、東北へは二度訪ねましたが、首都圏には寄らなかったので、報道で見る節電のモードとムード、やっと実感できました。

まずは、駅で車内で店内で、西日本とは、かなりの照度差を感じました。そして、節電やエネルギー問題に対する覚悟の温度差も感じました。エレベーターや、手を乾かすトイレのドライヤーなど、あちこちで電動モノが止まっています。

私は元々、渡り廊下走り隊ならぬ“昇り階段走り隊”で、ハンカチ王子ならぬ“ハンカチおやじ”で、銀座の旋風児(古っ!)ならぬ“伊予の扇風機児”なので、別に不便はなく、予見していた時代がいきなり来てしまったなあ~って感じです。

エネルギー問題は、東西のヘルツの差云々などの小さい話ではなく、国全体が保有する資源の総量に関わっているのだから、東西南北関係なく全国民がチャレンジすべきですが、地球温暖化に関しては、もしかしたら、言われるほどではないのかなと思うことがあります。

統計に残っているのは、測候所などの定点での記録で、それを比較すると確かに年々平均気温が上昇しているのは間違いなさそうですが、“真の平均気温”は、それほど変わっていないのかもしれません。

この“真の平均気温”というのは、私が勝手に作った定義で、測候所や百葉箱などの外気の記録のみではなく、事務所も住宅も店内も車内もひっくるめた人が住む生活空間の隅から隅まで全体の平均を取った気温のことです。

例えば、東京のA測候所の今日の最高気温が35度で、三十年前の今日の記録を繰ってみると32度だったとしたら、単純に3度高いことになります。

けど、同じ区内にあるBデパートの室内温は、今日が25度で、三十年前の今日は28度ぐらいだったかもしれません。

つまり、記録に残っている温暖化傾向の野外気温と、記録に残っていない冷涼化傾向の室内気温を相殺して、東京全体の空気の真の平均気温を取って比較したら、言われるほど変わっていないのではないかと…そんなことを想像している次第です。

ところで、ほぼ完成形の東京スカイツリーをやっと見ました。

途中までの安定した姿とは一転して、600メートルに到る最後の四分の一ぐらいの、なんと不安定なことか。途中で情熱をなくして、芸術品の頭に、いきなり機材を乗っけてしまった感じで、見るからに心細いバランスの悪さには、ちょっとがっかりです。

二番になってしまっても、やっぱり昭和の東京タワー派かな。

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