2011年6月30日木曜日

ほっこり、魔法の瓶 -Warming magical bottle-

まずは、前回の続きから…

苦労して学業を終えたはずなのに、ここに来てまた、私たち日本の大人は、とてつもなく大きな宿題を課せられてしまった。科目は“エネルギー政策の見直し”。

関連の報道など見ていると、一番大事で地味な核心部分の議論が置き去りにされているような感じを私は受けている。ただただ私のアンテナが錆びついているだけなのかもしれないが。

今なら「危険だから」だけでも「反原発」には十分説得力があるが、その先のビジョンを描くには、「化石燃料からの脱却」「地球温暖化防止」という原子力の大義を打ち砕くだけのものがなければならない。

過去の本でも書いてきたが、電力消費量をどこまで下げられるかという議論は、言い換えれば、一人一人が今の暮らしの中から何を捨てられるか、どこまで文明レベルを昔に戻せるかという検討ではなかろうか、まず国民が決断すべきは、そこではないのかと私は考えている。

それを提示してから、「だから原発なしでも暮らしていけるんだ」と言うのが、日夜電気を使っている者が踏むべき筋道ではないかと思う。客観的な数の根拠を示さなければ、感覚だけ感情だけの反対に見えてしまいかねない。

省エネ家電の開発などが消費電力を抑えてくれそうな…自宅の暮らしは変えなくても会社や工場が企業努力で節電してくれそうな…もっと効率のいい自然エネルギー発電所を開発してくれそうな…そんな技術屋任せ企業任せの幻想を、なんとなく抱いてはいなかっただろうか。あくまで今の便利さ快適さは捨てないままで。

例えば、未来の太陽光発電の町での、とある日。校内放送が告げます。「雨天続きによる停電のため、今日の午後から休校になります。授業日数の不足分は夏休みの晴天の日に振り替えて行います」。そんな社会、どうだろう。

途上国と呼ばれる国の人たちは、周りの状況の変化に対する柔軟性は持ち続けているように見えるが、すべて予定通りにきっかり動くことが前提の超計画社会に生きてきた日本人の心と体は、流れるような状況の変化に、はたしてどこまで付いていけるだろうか。

四国の場合だと、もし要求通りに明日原発を止めてくれたなら、供給電力は明後日から40%減ってしまう。とても節電でやりくりできるレベルではない。原発に反対するなら、もはや算数だけの問題ではなく、生きる価値観の問題になってくるということだけは覚悟しておかなければ。


さて、1月4日付のコメントで、三英さんが復活させたい“エコ三種の神器”として魔法瓶を挙げておられたが、3月29日付に書き込んだように、ミャンマーでは、地方は電気がないのが標準、都市部は電気は時間限定で来るもの、という前提の上に生活が成り立っているので、逆に、電気ポットを見た記憶がない。

この冬も、子ゾウの訓練キャンプからデルタの島まで、魔法瓶には、たっぷりとお世話になってきた。

ゾウ使いも漁師も、川の水を生のままで飲むのがふつうだが、ぐっと冷える涼季の朝晩にはお茶で体を温めるし、仮住まいの私などには、いつも絶やさぬよう準備してくれている。


煮炊きには薪を使うが、涼季には、台所とは別に朝晩は戸外で焚き火もする。さらに、ヒマラヤに近い北部の民家だと、高床なのに部屋の真ん中には囲炉裏を設えている。そんなお宅に泊まらせていただく際は、川の字ならぬ口の字になって囲炉裏端で寝るのである。

お湯は、そんな焚き火や囲炉裏で暖を取っているついで沸かすことが多い。日本でよく見る、ストーブに鍋やヤカンをかけて暖を取りつつ湯も沸かして部屋の湿度も保っているという光景に似てなくもない。一石三鳥の身近な省エネ対策だが、エコの達人とは、すなわち使い回しの達人なのかもしれない。


東日本大震災が起こったのは、ヤッケに染み付いた焚き火の匂いも抜けきらない帰国間もないころだった。電気、ガス、水道などの張り巡らされた日本において、暮らしの生命線を断つ災害。その避難生活は、どれほど過酷だっただろうか。

今なお多くの皆さんが不自由な生活を続けておられるが、発災間もない頃、日々伝えられる避難生活の映像の中には、物のない時代を生き抜いた先輩たちの生活術が垣間見られることも度々あった。

不幸にも目の前にどっさり溜まってしまった廃材を集め、ドラム缶や鉄骨を加工し、暖を取ったり湯を沸かしたりしておられたのである。

'08年の雨季直前にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスの被災者も、外国から供給された蒸し暑いテントには住まず、せっせと廃材や倒木をかき集めて小屋を建て、国内の支援者たちが提供したビニールシートのロールを適当に裁いて壁や屋根にして雨風を防いで、暮らしを立て直していた。

水は新鮮な雨水が使えたし、刃物使い火使いの達人たちにとっては、廃材に囲まれている限り煮炊きに苦労することもなかった。

今、日本では、焚き火も原則禁止なのだと聞いた。私たちは、電気かガスがなければ、お湯など沸かせられるはずがない、ぐらいの感覚ではいないだろうか。いつの間にか、そんな国民になってしまっていたのかもしれない。

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