2015年9月28日月曜日

雨に舞う鳥たち、その1. -Birds dancing in the rain, part 1.-

典型的な雨季のある日
A typical day in Rainy season. Central Yangon, Jul. ’15

この夏の雨は凄(すさ)まじかった、日本でもミャンマーでも。日本の夏期はミャンマーでは雨季なので降って当たり前なのだが、降り方がちょっと異様(いよう)に感じた。

6月中旬から二ヶ月半の間、一滴も降らなかった日は、別々に二日あっただけだった。それも、たまたま私の頭の上に降らなかっただけのことで、半径1キロぐらいに範囲を拡大すれば実はどこかで降っていたのかもしれない。

ここでちょっと熱帯の雨について説明しておきたい。よく誤解されているが、ミャンマーの雨の大半は、たぶんスコールではない。ヤンゴンとバンコクとシンガポールの気候グラフを並べてみればよく分かる。

はっきりした乾季がなく、毎月まんべんなく降っているシンガポールでは、一日のうちに晴れている時間とドバーッと降る時間の両方があるのがふつうで、その雨こそがスコール、日本の夕立と同じ積乱雲(せきらんうん)起源のものだ。

赤道からより離れたバンコクになると、太陽が南半球に遠のく半年間はカラカラに乾き、北回帰線(きたかいきせん)まで往復する太陽が近くにある半年間は赤道直下のパターンでスコールが降る。

ヤンゴンの降る時期も基本的にはこのパターンで、半年乾季で半年雨季となる。ところがヤンゴンがバンコクと違うのは、南西側に大洋(たいよう)が広がっているという点だ。

雨季の間にはインド洋からの南西季節風、モンスーンがひっきりなしに雨雲を送り込んでくる。そのため、雨季はほとんど晴れ間がなく一日じゅうどんよりしていて、強く降ったり弱く降ったりを繰り返す。

さらにインド洋には超熱帯低気圧、サイクロンも発生する。なので、ヤンゴンにはスコール+モンスーン+サイクロンの雨が降り、雨季の長さはほぼ同じなのにバンコクよりも二倍の雨量を記録することになる。二つのタイヨウの影響だ。
Central Yangon, Jul. ’15

日本では、台風の中心より遠く離れた場所で大雨、長雨に見舞われることがあるが、上陸することはめったにないミャンマーも、位置的にはインド洋起源のサイクロンの雨雲も太平洋起源の台風の雨雲もちょうどかかってしまうぐらいある。

特に今年の雨季は、ベンガル湾のサイクロンと南シナ海の台風の挟(はさ)み撃ちにあったり、順番に発生したりすることが繰り返されたような降り方だった。とにかく雨粒は大きく数は多く、長く降って僅(わず)かに止む。そんな日々の連続だったような印象が残っている。

そして豪雨による被害も大きかった。まず山地に近い地方では日本と同じように、降り始めて間もなく河川が増水し、鉄砲水や土砂崩(どしゃくず)れが一気に発生するようなパターンになる。

さらに日本にはない大河、例えばエヤワディー川の本流では、各地の支流の大水が時間差、日にち差で次々に流れ込み、水位がどんどん上昇していく。さらに何日もかけて、大量の水は上流から下流へと移動していき、じわじわ確実に水面を盛り上げていく。
水を治める土着の精霊を祀っている祠
Shrine for Local Spirit who manages water. Bago Dist., Aug. ’15

「◯◯地方の△△川、危険水位✕✕フィートオーバー」という警告がラジオで何十分間も淡々と読み上げられた夜。私は凍りつくような想いでただただ聞いていることしかできなかった。

一方、ヤンゴンの状況はというと、町のいたるところが冠水(かんすい)するのが雨季の恒例(こうれい)だったが今年は違っていた。昨年からの乾季の間、冠水ポイントを中心に幹線を閉鎖し、下水道の改修(かいしゅう)工事を長らくやっていた。ヤンゴン名物の渋滞に拍車(はくしゃ)をかける工事は大不評だったが、これはやった甲斐(かい)があった。
ヤンゴン屈指の冠水ポイント。今年は水の引きが早い
Famous flooding point in Central Yangon. Water draining is smoother in this year. Jul. ’15

土砂降りになって、いったんは名物ポイントが冠水しても、その後の水の引き方が去年までとは比べ物にならないほど早いのだ。これはみんな実感しており、工事に協力した日本にも感謝している。去年までの排水能力のままで今年の豪雨を迎えていたとしたら…想像しただけでもゾッとする。

そこで被害を免(まぬが)れているヤンゴンでは、あっちこっちで募金活動が湧き上がり、被災地に向け人と物資が流れていった。募金の方法も様々で、被災者支援コンサートなども催(もよお)された。
募金を呼びかけるグループ
Group appealing contributions. Central Yangon, Aug. ’15

ヤンゴンの路線バスには切符はなく、車掌が記憶力頼りで運賃を集めるのだが、いつものように乗り200チャット(約20円)を手渡そうとしたところ、ここに入れろと段ボール箱を差し出された。たまたま乗ったバスが義援金(ぎえんきん)キャンペーン中で、運賃のすべてを被災者支援に充(あ)てるということだったのだ。

このようなフットワークのよさ、反応の速さは、2008年の巨大サイクロン・ナルギスの襲来がきっかけに培(つちか)われたように感じる。元々多くのミャンマー人が持っている仏教の功徳(くどく)の習慣が、ボランティアの理念(りねん)にしっくりはまるのかもしれない。
運賃を寄付金に充てる路線バス
This bus transfers passenger fares into contributions. Central Yangon, Aug. ’15

日本やミャンマーに限らず、これからの地球ではこういう事態(じたい)が頻発(ひんぱつ)していくのだと思う。敏感な先人(せんじん)なら、第一次産業革命が起こった時点で、このような未来を予見していたかもしれないが。

もう世界中の軍隊も自衛隊も解体し、防災や救助にシフトしていくべき時代なのかも。その分野で技術を磨(みが)き市場を先取りしていくほうが、兵器で他国の跡を追うよりも数十年先の情勢(じょうせい)には合っていそうな気がする。

もはや国対国のあり方など言ってる場合じゃなく、人類対地球のあり方を本気で模索(もさく)すべき時なんじゃないかな。相手は「世界」ではなく「地球」だ。政治や社会を越え、生物として存亡をかけなければならない時代。東日本大震災の直後、誰の脳裏(のうり)にもよぎったかもしれないそら恐ろしい未来図は、決して絵空事(えそらごと)ではないのかもしれない。

日本でもミャンマーでも豪雨は必ずやってきて、毎年のようにどこかで犠牲者が出てしまう。悔しくて歯がゆくてやりきれないが、一方で、すべての生き物にとって雨は命を繋(つな)ぐ天からの恵みであることも事実。
田植えの様子。補植と思われる。
Rice planting, probably patching. Ma-u-bin Dist., Aug. ’15
農作物を食料の下支えとして生きている人間にとっても、雨には必ず降ってもらわなければ生きる糧(かて)を失ってしまう。食料だけではない、建物(たてもの)、家具、道具、紙と、暮しに欠かせない木材を産む樹木。その植林作業も雨の到来とともに始められる。慌(あわ)ただしくなってゆく人間界の傍(かたわ)らで、雨は確実に生き物を育(はぐく)んでいる。
ぬかるみを越えて植林に向かう日緬合同チーム
Myanmar-Japan joint team crossing puddles toward a plantation site. Hmawbi Tsp., Jul. ’15 

中でも、むしろ豪雨を楽しみ、あたりが水浸(みずびた)しになるのを待ち望んでいるような生き物たちもいる。そんな姿を探しに、この雨季、洪水のポイントとピークを避けながら、ある湿地帯を訪ねてみた。次回は、やっと本題に戻ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿