2010年10月14日木曜日

起承転結の見える世界

松山こども劇場21
広報誌「コスモス」第24号('08年4月25日)寄稿原文、写真追加

二ヵ月ぶりに帰国してみると、表示偽装(ぎそう)やら農薬混入やら、食の問題が世間をにぎわせていました。私は、その数週間前までいたミャンマーの森での暮しに思いをはせました。

中央二かごと左手前のかごのゴロゴロはジャガイモ

森へ行くには食料が不可欠です。麓の村の青空市場にはフリーズドライもレトルトもなく、近くで採れた野菜の小山が並んでいます。そこから玉ねぎや芋や豆など日持ちのするものを買い、さらに米や油や干物も買います。すべて天秤(てんびん)や枡(ます)での計り売りです。

 トマトの計り売り。単一電池も重りに使う。青いトマトは日持ちがいい

食料と日用品はゾウの背中に乗せ、リュックとカメラは自分でかつぎ、歩いて森に分け入ります。奥地にたどり着いたなら、よくゾウ使いのご厄介(やっかい)になります。彼らは竹を切り集め、いろいろな形に加工して、何人でも住める家を建てます。釘一本、ロープ一本使わず、刃物一丁だけで、すべてをやり遂げてしまいます。

森の中でも食料の調達は続きます。彼らは食べられる植物を見分けられ、魚や虫やトカゲやイノシシなども捕って食べます。

かわいいかわいい魚屋さん♪

振り返ってみると、森の暮しでは、今、口に入ろうとしている物が、元はどういう姿で、どういうふうに命を落とし、どういう経路と手間を経て自分のところにやってきたのか、すべて分かります。今、住んでいる家が何でできていて、元はどこでどういう形であったのか、すべて分かります。

お父さんが建てた竹造りの家で 

翻(ひるがえ)って、情報であふれ返る私たちの暮しはどうでしょう。肉と言えばパック詰め。生前の姿を見ることはめったにありません。お母さんの調理の手間すら忘れてはいないでしょうか。今、この原稿を書いている机と椅子(いす)にしても、その生立(おいた)ちはなかなか想像できません。

テレビも電話も持たず、インターネットも見たことのない森の友人たち。本当に人間らしい生き方とは、幸せとは何なのでしょうか。スーパーで買ってきた惣菜(そうざい)を突っつきながら、そんなことを想う今日この頃です。

小石を使った遊び 
一個投げ上げる間に何個つかめるか

2 件のコメント:

  1. 松山子ども劇場21にリンクしてくださりありがとうございます。コスモスと同じ文章でも写真が入るとかなり違った印象になるものですね。
    写真展でお会いできてラッキーでした。その後子ども劇場の人に何人か写真展に行ったよ、と報告を受け、私もうれしく感じました。
    カードをありがとうございました。    kiyo柑

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  2. 子どもたちの温かくて頼もしい止まり木として、「劇場21」が、松山の地にしっかり根を張り続けますように。
    初冠雪の羅臼岳の麓より 大西信吾

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